突然襲ってきた千載一遇の機会に、宮本由梨子は思わず生唾を飲んだ。
「……真央、さん?」
 一度呼びかけ、軽く肩を揺さぶってみるも、起きる気配は微塵もない。すぅすぅと心地よさそうな寝息を立てるばかりだ。
 昼休み。いつものように体育館裏で真央と談笑をしながら昼食をとっていた。眠そうだな、とは思っていたがまさか本当に寝るとは思わなかった。
 再度、唾を飲む。軽く周囲を警戒するも、辺りに人影はない。そもそもが人目を避けて昼食をとるために体育館裏というこの場所を選んだのだ。
 ならば――今、何をしても、誰にも見られることはないのではないか。
 真央を見る。天使のような寝顔とはまさにこのことだ。微かに上下する胸元、寝息の漏れる唇。ここを塞いだら……真央は起きてしまうだろうか。否、少しだけならば大丈夫な筈だ。
 由梨子は思い出す。先ほどの真央の……あの嬉しそうな顔を。デートをする……そう言っていた。きっと悪気はないのだろう。単純に楽しみで、嬉しくてしょうがなくて、それを自分にも共有してほしくて話したのだろう。
 だが、真央からデートの話を聞かされたとき、由梨子の心に湧いたのは歓びとは正反対の感情だった。どす黒い溶岩の渦のような感情――嫉妬と呼ぶにはあまりに黒いその想い。
 相手は誰だろうか。霧亜だろうか、それともあの男だろうか。いずれにせよ、それは自分ではない。そう、土曜日に……真央は自分ではない誰かとデートをするのだ。キスくらいはするだろう、或いはその先まで――。
 普段ならば、きっと我慢できた。抑制が利いた。しかし……今回ばかりは無理だった。自分の気持ちも知らずに無邪気に話す真央に怒りすら覚えた。だから……少しくらい罰を与えてもいいのでは――そう思ってしまう。
 何のことはない、自分の欲求を後押しするための方便だ。方便だと解って……それを押し通そうと思ってしまっている自分が居る。
「……真央、さん」
 昏々と眠る真央の肩にそっと手を置き、唇を近づける。胸が、酷く高鳴るのを感じた。円香と初めてキスをした時でさえ、こうはならなかった。
「ん……」
 寝息のタイミングを計って、唇を重ねる。――刹那、背後で微かに物音がした。由梨子は慌てて真央から飛び退き、背後に目をやる。樹木と茂み、そしてその向こうに見える体育倉庫――目に見える範囲には人影はない。
 そよ風が吹き、柔らかい髪が微かになびく。合わせて、ざわざわと木々が葉擦れの音を立てる。さっきの音はこれか――と由梨子は首をかしげながらも納得する。心の奥底では疑っていた。あれは、葉擦れの音などではなく、もっと人工的な――。
 いや、考えすぎだ。やっぱりあれは葉擦れの音だったのだ。由梨子はそう判断して、うたた寝中の真央に目をやる。一瞬とはいえ、確かに唇は触れ合った。自分は真央とキスをしたのだ――その実感が、沸々と湧く。
 同時に、強烈な罪悪感と後悔の念が襲ってくる。ひどく悪いことをしてしまった気分だった。事実、そうだと思う。寝込みを襲って、勝手にキスをしてしまう等、他人の尊厳を蔑ろにするような行為だ。
 真央が悪い――と、自分の気持ちに気づかない真央が悪いのだと、そう思いこもうとしている自分が居る。最低だ――自分で自分に吐き捨ててやりたい気分だった。
 あれほどしたかった真央とのキスなのに、終わってみればそのことを忘れてしまいたくて仕方がなかった。きっと思い出すたびに、自分が汚い人間だと思い知らされるから。自分の本性を自覚せざるを得ないから。
「………………真央さん、ごめんなさい……」
 呟いて、由梨子はスカートのポケットからハンカチを取り出した。そっと真央の口元を、唇を拭く。こんな事で自分の罪が帳消しになるとは思わなかった。それでも、やらずにはいられなかった。

 ――夜。
 タバコを吸いながらいつものようにパソコンに向かっていると、突然携帯が鳴り出した。椅子に座ったままのそりと振り返り、紺崎霧亜はダイオードを点滅させながら音楽を鳴らす携帯電話を見る。が、霧亜が起こしたアクションはあくまでそれまでで、再びディスプレイに目をやるとキーボードを叩き始めた。
 着信は電話のものではなく、メールのものだった。数秒の音楽の後に室内は再び静寂を取り戻す。しばし、カタカタというタイピングの音だけが鳴り響く。
 普段ならば、そのまま放置する所だった。“ランクD”用の携帯電話にメールを送る相手などいちいち相手をしていられないからだ。アドレス帳に名前が乗っている人数だけで数十人、一方的にアドレスを知っているだけの者はその数倍だが、どれもこれも一夜限りで捨てた――或いはそれ以下の頭の悪い女達ばかりだった。通話着信は基本的に拒否、故に着信はメールばかりなのだが、これのチェックも三日に一度件名だけ流し見というチェック状態だった。というより、それで十分事足りるのだ。送られてくるメールの9割以上が如何にも頭の悪そうな文章内容のラヴメール、そしてそれに添付されてくる送信主の下着姿の写真等々。本人達はセックスアピールのつもりなのだろうが、それが日に十も二十も届けばスパムと同じだ。
 確か、着信しても光も音も鳴らないように設定していた筈――霧亜はディスプレイに向かいながら、はてと考える。前回弄った時にうっかり通常モードに戻してしまったのだろうか。それとも何か機械的なエラーか。
 すぱぁ……と、煙を燻らせ、しばし手を止める。鳴らないように設定した携帯が今日に限って鳴った。その事実が妙に頭に引っかかる。ある種、虫の知らせのようなものを感じて、奇跡的に霧亜は席を立ち、携帯を拾い上げた。
 中折れ式のそれを開き、メールフォルダを開く。三桁をゆうに越える未読メールの大半を無視して、一番最近に受信したものを開く。
 件名には一言“姉様へ”とある。メッセージは無し。送信主の名前は――比較的記憶に新しい名前だった。
 メールには一枚の画像が添付されていた。どうやら自分の携帯のカメラで撮ったものらしい。それを見るなり、霧亜の口に笑みがこぼれる。
 そうなのだ。こういう事があるから――ランクDの女達とはいえ、連絡手段を残してあるのだ。
 霧亜はメールに返信はせず、そのまま携帯を閉じた。本来ならば何かしらの“ご褒美”をあげるべきところだが、“ランクD”の女ごときに自分が動く気にはなれなかった。こうして携帯を開いて、メールを見てやった――それで十分だろうとほくそ笑む。
 それよりも、問題は画像の内容の方だった。こちらはさすがに“何も無し”ではすませるわけにはいかなかった。
「……折角可愛がってあげようと思ってたんだけど、残念だわ」
 残念、といいつつも、霧亜の口は意地悪な笑みに歪む。既に頭の中では約束を破った者への処罰をどうするかを考え始めていた。

「えっ……土曜日、ですか?」
『そう。空いてる?』
「あ、空いてます……大丈夫、です」
 震える手で携帯電話を握り、声を裏返らせながら由梨子は返答する。湯上がりにパジャマに着替え、自室に戻ったところで携帯の異変に気づいた。中折れ式の携帯の小さなサブ液晶画面に着信があった旨が表示されていたのだ。開いて履歴を見てみると、それは霧亜からの番号だった。
 湯上がりで火照った肌から一気に血の気が引いた。風呂に入っていた間に霧亜からの電話がかかっていたのだ。なんて間の悪い事だろうと由梨子は己の運の無さに絶望した。
 こちらからかけ直すべきだろうか――でも、もし自分が電話に出なかったことで霧亜が怒っていたら。着信を拒否されるか、無視されるでもしたら――そう考えるととてもかけ直すことが出来なかった。
 ベッドの上に座って悶々としていた矢先、再び携帯が鳴った。今度は二秒と立たずに携帯を開き、電話に出た。電話の主は霧亜で、そしてその用件は由梨子が予想だにしない事だった。
『そう、じゃあ……私と二人でどこか遊びに行かない?』
 どくん、と。胸が弾む。
「ふ、たり……先輩と、二人で……ですか?」
『他に呼びたい子がいるなら、呼んでもいいけど』
「い、いえ……せ、先輩と……二人が、いいです」
 言いながら、顔が紅潮する。あまりに予想外な霧亜の申し出に頭が真っ白になってしまい、自分が何を言っているのかだんだん解らなくなる。
『くす……正直ね。由梨ちゃんのそういう所、好きよ』
「ぁ……っ……」
 ただの冗談、あるいは世辞。そう解っていても、体が上気し、火照ってしまう。
『待ち合わせの詳細はあとでメールで送るから。じゃあね、由梨ちゃん。…………土曜日、楽しみにしてるわ』
「は、はいっ……私も、楽しみにしてます…………」
 受話器の向こうでくすりと声が聞こえて、通話はとぎれた。体中から一気に力が抜け、どっと汗が噴き出す。
「先輩から……デートに誘ってくれるなんて……」
 夢ではないだろうか。いっそ夢でもいいから、デートが終わるまでは醒めないでほしい。でも、出来れば現実であって欲しいと由梨子がぐるぐると思考を巡らせていると再び携帯が鳴り響いた。恐る恐る開くと、それは先ほど霧亜が言った通りの内容のメールだった。具体的な待ち合わせ場所と、時間。
「あっ……」
 あまりの嬉しさに一瞬意識が遠くなってしまう。ぱふんと俯せにベッドに倒れ込み、そのまま何度も何度もメールの本文に目を通す。
 夢じゃない、偽物でもない。本物の霧亜からのメールだと、何度も何度も確認する。
 今なら解る。あの時、真央があれほどまでにはしゃぎ、ノロケた気持ちが。自分とて、もし今目の前に真央が居たら……言ってしまうかもしれない。土曜日、霧亜先輩とデートをするのだと。
「また……お風呂、入らなきゃ……」
 汗を吸って湿ったパジャマ。そして……声を聞いただけで、デートの約束を取り付けただけで濡らしてしまった下着。そのことに気づいた途端、顔から火が出そうな程に恥ずかしくなった。
 ふらりと立ち上がり、再び脱衣所へと向かう。その足取りは頼りなくも軽やかで、まさに心ここにあらずという有様だった。真央の寝込みを狙ってキスをした事など完全に忘却の彼方に吹き飛んでしまっていた。

 土曜日、由梨子は待ち合わせの時間の一時間前に家を出た。待ち合わせ場所である駅前のオープンカフェまでは徒歩で三〇分、バスに乗れば一〇分ほどの距離だが、つい気がはやってそんな時間に出てしまったのだ。
 もちろん家を出る前に鏡の前で何度も容姿チェックはした。上は白のショートトレンチ、下はデニムのミニ――両方ともこの日の為に新調したものだ。年上の霧亜に釣り合うよう、出来るだけ大人っぽい服装を選んだつもりだった。ただ、化粧は霧亜の好みに合わせてなるべく薄く、ピアスの類はつけていない。
 同じく新しく買ったブーツを履き、お気に入りのポシェットを肩からかけて足早にバス停へと向かう。運悪くバスは出たばかりで、十五分ほど待つ羽目になった。それでも待ち合わせ場所には三十分強早く着き、これであとは霧亜を待つだけだとホッと息をつこうとした時――信じられないものが目に入った。
 白いテーブルと椅子が並んだオープンカフェ。午前九時過ぎという中途半端な時間にもかかわらず、七割ほどは席が埋まっている。その一角に霧亜らしき人影があったのだ。
 慌てて小走りに近づき、それが霧亜本人であると確信する。もしかして時間を間違えてしまったのか、気怠そうに文庫本に目を落としている霧亜の姿に冷や汗が止まらない。
「あら」
 由梨子に気がついたのか、霧亜が視線を上げ、微笑む。
「ふふ……。やっぱり、由梨ちゃんのことだから、絶対時間より早く来ると思ったわ」
「えっ……じゃあ……」
「一人で待つのは退屈だろうと思って、私も早めに出ることにしたの」
「そんな……でも、それじゃあ、先輩が……」
 心遣いは嬉しい。が、逆に心苦しい。そして後悔する。何故もっと早くに家を出なかったのか――と。
「気にしなくていいのよ。私も今来たばかりなんだから」
 嘘だ――と思う。自分に気を遣って、そう言ってくれているだけなのだと。
「ちょっと早いけど、由梨ちゃんも来たことだし、もう出発しちゃう?」
 それとも朝ご飯まだかしら?――という霧亜の問いに否定で返す。朝食はちゃんととってきた――最も、デートの事ばかり考えていたせいでろくに喉を通らなかったのだが。
「ん、じゃあ行こっか。……本、ありがとう。とても面白かったわ」
 そう言って、霧亜は手に持っていた本を隣のテーブルに座っていた女性に手渡した。如何にも内気そうな女性はやや顔を赤らめて本を受け取り、そのままうつむいてしまう。
「……あの、知り合いの方、なんですか?」
「まさか。初対面よ」
 つまり、待っている時間を潰すために初対面の相手に文庫本を借りたのだ。そんな大それたこと、自分には出来ないなと思いつつ、由梨子はそっと振り返って件の女性を見た。女性はまるで、恋する乙女のような目で霧亜の後ろ姿を眺めていた。
「うーん、失敗したわ……」
 歩き出しながら、ぼそりと霧亜が呟く。
「えっ……失敗……?」
 自分が何かミスでもしてしまったんだろうかと、由梨子はどきりと胸を弾ませる。
「まさか、由梨ちゃんがそんなに可愛い服着てくるなんて。……今から帰って着替えてこようかしら」
「えっ……そんなっ、着替えなんて、いらないと……思います……」
 霧亜の発言を慌てて否定する。事実、着替えなど要らないと由梨子は思っていた。霧亜はGパンに黒のシャツ、その上からファー付きのジャケットを羽織り、ハンチングに色の薄いサングラスという出で立ちで、身長の高さも相まって由梨子にはまるでお忍びで街に出ているモデルのように見えてしまう。
「……由梨ちゃん、さては……一人だけ可愛い服を着て私を笑い者にする魂胆ね?」
「ち、違いますっ……先輩は……その、今のままでも、十分綺麗ですから……」
 これ以上着飾られたら、それこそ自分が隣を歩けなくなってしまうと由梨子は思った。二人の素の魅力を鑑みて、霧亜が普段着、自分が可能な限りのおしゃれをしても釣り合いがとれるかは怪しい所だった。
「……まあいいわ。今日は由梨ちゃんの為に、引き立て役になってあげる」
 由梨子が反論しようとするのを遮って、霧亜はついと由梨子の腰に手を回してくる。
「あ、あのっ……先輩……」
「嫌?」
「い、嫌じゃ……ないです、けど……」
「じゃあ良いじゃない」
 嫌じゃないけど恥ずかしい――そう言おうとしたのを遮られ、押し切られてしまった。強引な人だと思う。でも、霧亜のその強引さも由梨子は嫌いではなかった。
 霧亜に手を回され、半ば密着するようにして歩く。気恥ずかしさはあったが、それも憧れの先輩とこうして歩けることの幸福に比べれば微々たるものだった。
 行き交う人々が、皆自分たちの方を見ている気がした。最初こそ誇らしく思っていたが、ものの数分でそれは途方のない不安に変わる。
 皆の視線の殆どは由梨子ではなく、霧亜の方に集中していると気づいてしまったからだ。否、由梨子の方も見るが、それは必ず霧亜の方を見た後だった。その時にくすりと笑われた気がして、一気に血の気が引いた。
 霧亜の美貌に皆の目が集まるのは理解できる。だが、霧亜に対してあまりに凡庸な自分は、霧亜の側に居ることで尚更見劣りしてしまうのではないか。あまりに釣り合いのとれていないカップルだと思われているのではないか――。
「……嫌ね。これだから人混みってキライよ」
 ぽつり、と霧亜が呟く。
「身長のせいでどうしても目立っちゃうのよね。由梨ちゃん、急ぎましょ」
 霧亜が注目を集めてしまうのは決して身長のせいではないと由梨子は思ったが、巧く説明する自信が無かった。霧亜に合わせて早足に歩く。
「あの、そういえば先輩……今日は、どこに行くんですか?」
「そうねぇ、特に決めて無かったわ。由梨ちゃんはどこか行きたい所、ある?」
「わ、私は……先輩と一緒なら、どこでも……」
「ふふ、ありがとう。……それじゃあ、二人で“水族館”なんてどう?」
「えっ……水族館……ですか?」
「うん。……嫌?」
「い、いえっ……私も……そこがいいなって……思ってたんです」
 嘘だった。でも、まさか断るわけにもいかなかった。水族館――その単語を聞いた際に真っ先に思い浮かんだのは真央の事だった。
 確かに言っていた、土曜日、水族館でデート、と。もし、鉢合わせでもしてしまったら……気まずいなんてものじゃない。霧亜はそのことを知らないのだろうか。それとも知っていて、気にも止めていないのだろうか。
「じゃあ、決まりね。タクシー呼ぶから、ちょっと待ってて」
 そう言って、霧亜はポケットから携帯電話を取り出し、何処かへかけ始める。
「あ、あの……電車じゃ……ないんですか?」
「言ったでしょ、私人混みがキライなの。大丈夫、お金なんてかからないから安心して」
 お金のかからないタクシーなどあるのだろうか。電話を掛ける霧亜の後ろ姿を見ながら、由梨子は何となく、今日のデートに不吉なものを感じた。

 “タクシー”は乗り心地だけに限って言えば頗る快適だった。少なくとも、電車に揺られるよりは楽であったと言わざるを得ない。
 ただ、あれをタクシーと呼んでいいかどうかは由梨子には判断が付かなかった。霧亜が呼んだのは紛れもなく乗用車、運転手は霧亜よりも僅かに年上に見える女性だった。
 女性は満面の笑顔に俄に頬を染めて自ら後部座席のドアを開けて霧亜を車内へと招き入れた。ぺこりと辞儀をして由梨子がそれに習おうとした刹那、ほんの一瞬だけ女性に睨み付けられたような気がした。
 車内では、運転手の女性と霧亜ばかりが喋っていた。というより、女性が一方的に話しかけるのに大して霧亜が生返事を返す――というだけのもので会話としてはあまり成り立っていなかった。
 女性の運転で目的地の“谷ノ宮アクアスタジアム”についた後、霧亜の指示で女性は一人Uターンしていった。車が完全に見えなくなったところで、するりと霧亜の手が由梨子の腰に回ってきた。
「……由梨ちゃん、気を悪くしないでね。帰りは別の“タクシー”を呼ぶから」
「えっ……あのっ……私、そんな……」
「あの子はもう切っちゃうから、安心して」
 にっこり、と微笑んでさあ行きましょと霧亜が歩き出す。切る、とはやはり縁の事だろうか。由梨子の心中は複雑だった。
 霧亜が二人分の入場券を買い、水族館の中に入る。由梨子は自分が出すと切り出したが、結果的に霧亜に押し切られる形で渋々券を受け取った。
「私の方が年上なんだから、当然よ」
 するりと、また手が腰に回ってくる。水族館内は外よりも若干薄暗く、由梨子は勇気を出して自ら霧亜の方へと体を預けてみた。霧亜はそれを受け入れるように、腰にまわした手でしっかりと由梨子の体を受け止める。
「……先輩、水族館……好きなんですか?」
 甘えるように霧亜に身を預けながら、切り出してみる。何かしら話題を作って、霧亜に退屈な女の子だと思われないための努力だった。
「そうね……。今日は特に、かな」
 くすりと、霧亜が笑みを零す。どこか意味深ではあったが、由梨子は深く考えることはしなかった。霧亜の側に居られる幸せに陶酔しきっていた。
 水槽内を悠々と泳ぐ魚たちを鑑賞しながら、館内をゆっくりと練り歩く。水族館が好き、と言ったわりには、霧亜はあまり魚たちには関心を示していないようだった。まるで何か別のものでも探しているかのように時折きょろきょろと周囲を見回していた。
 深海魚のコーナーが目前にさしかかった辺りで、突然館内アナウンスが鳴り響いた。どうやらこれからイルカとシャチのショーが催されるらしい。
「どうする? 由梨ちゃん」
「わ、私は……どちらでも――」
 そう言いかけて、ハッとする。どちらでもいい――というのは、折角自分の意志を聞いてくれている霧亜へ失礼な返事ではないのか、と。
「す、すみません……やっぱり、先輩と一緒に見たい、です」
「ん、じゃあ行こっか」
 正直、イルカもシャチもどうでもよかった。ただ、霧亜の側に居られるだけで由梨子は幸せだった。

 イルカ・シャチのショーは大凡由梨子が見知っているものと大差なく、特別斬新な何かがあるというわけではなかった。強いて言うならばその後のイベントがこの水族館独特と言えるのだろうが、それすらも今の由梨子にはどうでもよかった。――女性トレーナーが、最後の一人を指名するまでは。
 紺崎月彦――に見えた。遠目で、確信はないが由梨子はそう思った。咄嗟に隣の霧亜の方を盗み見る、霧亜は別段普段と変わらぬ様子で、微笑を浮かべたままステージの方を見ていた。ひょっとして気づいていないのだろうか、それとも似た別人なのだろうか。
「知り合いでも居たの?」
 あまりに由梨子が周囲を見ていたからだろう。霧亜が不思議そうに聞いてきた。霧亜の様子を見るに、やはり霧亜は――本物か別人かはともかく――最後に選ばれた男が自分の弟だとは思っていない様だった。
「……いえ、人違いでした」
「そう。良くあることだわ」
 霧亜はそう言ってハンチングをやや深く被り尚した。程なく、イルカ等とのジャンケンが始まり、そのままイベントはつつがなく終了した。
 アナウンスが、ショーの全行程が終了したことを告げる。客達が各々席を立ち、館内へと戻り出す。由梨子達は元々出口に近い位置に座っていた事もあって大した雑踏にも巻き込まれずに済んだ。薄暗い館内に戻り、そのまま少し歩いたところで唐突に霧亜に腕を引かれた。
「えっ……んっ……!」
 何が起きたのか解らないまま、くるりと視界が動く。背中に回った手と、眼前にある霧亜の顔、そして唇の感触から、自分がキスをされたのだと理解する。――その時、霧亜の肩越しに見慣れた人影が見えた。
「…………!」
 一瞬、確かに目が合った。人影は由梨子の顔を見るなり硬直し、すぐに後戻りしていった。程なく、霧亜が漸くに唇を解放する。
「ぁ……っ……」
 キスの衝撃で体中の力が抜けて、うっかり座り込んでしまいそうになるのを、霧亜の腕に支えられる。
「先輩……どうして、急に……」
「ごめんなさい。……急に由梨ちゃんとしたくなっちゃったの。あんなショーみちゃったからかしら」
 確かに、ショーの最後ではイルカ達のキスシーンがあった。だからといって――否、勘ぐりすぎだと由梨子は思考に終止符を打った。
 何にせよ、間が悪いと思う。さっきの人影は――間違いなく真央だった。真央に、見られた。自分が、真央以外の女の子とキスをしている所を。
 霧亜の態度を見るに、どうやら真央に見られたことは気がついていないようだった。そしてひょっとすると、真央も自分の相手が霧亜だったということには気がついていないかもしれない。
 ああ、これは罰なのだと、由梨子は思った。真央が寝ている隙に勝手にキスをしてしまった自分への罰。そうでなくては、この偶然はあまりにも出来すぎている。やはり、罰というのは罪を犯した人間の元へ必ず訪れるものなのだ。
「……どうしたの? そんなにイヤだった?」
 心底悲しそうな霧亜の声。由梨子はハッとする。キスをした直後、相手がひどく沈んだ顔をしていたら、どう思うかは想像に難くない。
「いえ……その、突然で……驚いてしまって……」
 取り繕うが、カバーできたかは怪しい。由梨子は心中で何度も霧亜に謝罪する。自分は、霧亜を裏切っている。裏切って、真央とキスをしてしまっている。
 由梨子自信、自分の本音――本命がどっちなのか決めかねていた。長く憧れ続けていた霧亜か、心底好きだと思っている真央か。状況次第でどちらにも揺れてしまう。そんなあやふやな立ち位置だから、今回のような事になる。
「ごめんね……もう、急にこんな事をしたりしないから。許して……由梨ちゃん」
 霧亜に優しく抱かれ、髪を撫でられる。そんな優しい仕草とは裏腹に、由梨子の心は茨で締め付けられているようだった。霧亜への罪悪感と、激しい自己嫌悪の念にいっそ全てを吐露してしまおうかという気分にさせられる。
 霧亜のことは紛れもなく好きだ。そして、同じくらい真央も。――だが、霧亜はそんなことを許すだろうか。許さないだろう、所詮自分など、星の数ほど居る後輩の一人に過ぎないのだから。少しでも“要らない”と判断されれば捨てられるのではないか。そう、あの運転手の女性のように。
 だから、由梨子は言えなかった。秘密をそっと胸の奥にしまって、霧亜に慰められるままに、演技を続けた。

 水族館を出た後、最寄りの店で軽く昼食をとろうという事になった。霧亜に勧められて向かった先は雑誌やテレビで何度も紹介されている某有名クレープ専門店だった。近づいただけでその行列の多さに由梨子はげんなりしたが、霧亜の方は全く気にもとめず店員となにやら話を始めた。
 程なく店の奥から女性店長が現れ、霧亜の顔を見るなりすぐさま手を引いて店の中へと案内してくれた。当然、並んでいる客達から痛烈な視線が浴びせられたが、由梨子達を空いたばかりの座席へ案内し終えた店長が丁寧に頭を下げ、サービス券などを配って場を収めていた。
 とはいえ、だからといって皆が納得したわけではない。客達の中には露骨に由梨子等に対して抗議の視線を向けるものや、列から外れて帰って行く者達が居た。が、事の張本人である霧亜は知らんぷりで由梨子にメニュー表を勧めてくる。
「あの……先輩――」
「いいの。“知り合い”なんだから、これくらいしてもらっても当然よ」
 そういう問題だろうか――と、由梨子はちらりと行列の方を見る。
「ここのクレープは本当に美味しいのよ。由梨ちゃんにも是非食べさせてあげようと思って」
「でも……」
「……私としては、さっきのキスのお詫びも兼ねてるつもりなんだけどなぁ……」
 由梨子はハッと息をのむ。そうなのだ、霧亜は先ほどの事を心底悪いと思って、それで――。
「お詫びなんて……本当に、驚いただけですから」
「そう? ずいぶんショックそうだったけど」
 くす、と霧亜は微笑を挟む。
「それに、あの人達に悪いと思うのなら、一刻も早く注文を決めるべきじゃあないかしら?」
「あっ、はい……」
 霧亜の言うとおりだ。今更愚にもつかない事を言っても仕方がない。折角の霧亜の好意を無駄にしない為にも、そして本来この席に座る筈だった人や、その後ろに並んでいる人の為にも一秒でも早くこの席を立たなければならない。
「注文、決まった?」
「えと、その……あの……せ、先輩は……どれにするんですか?」
「ふふっ、由梨ちゃんも私と同じのにする?」
 由梨子の魂胆を見透かしたような言葉だった。羞恥で顔が赤くなり、反射的にこくりと頷いてしまう。
 霧亜が手を挙げると、先ほどの女性店長が直々に注文を取りに来た。霧亜はメニュー表も見ずに「いつものを二つ」とだけ言い、店長はちらりと由梨子を見てからかしこまりましたと微笑を残して厨房へと帰っていった。
 程なく――というより、他の客達の注文よりも明らかに優先されたと解る速度で――クレープが店長の手によって運ばれてきた。二枚の白い大皿に三角形に折られたクレープがそれぞれ3枚ずつ、果物やチョコレートソースで丁寧にデコレートされたそれらはメニューには明らかに載っていないものだった。
「ごゆっくり、どうぞ」
 礼を残し、またちらりと由梨子の方を見てか女店長は去る。自分の勘ぐり過ぎかもしれない。否、間違いなくそうだと思うが――由梨子には聞こえた気がした。「姉様はともかく、なんであんたなんかにこの私が」――という、心の声が。
 眼前のクレープは確かに美味しそうに見えた。きっとあの店長が自分で作ったのだろう。――そう考えると、針でも入っているのではないかという危惧が湧く。
「……ねえ、由梨ちゃん。私のと交換しない?」
「えっ……」
「そっちの方が美味しそうに見えちゃって……ダメ?」
 無論由梨子には拒めるわけがない。ただ、あの霧亜がこんな事を言い出すというのが少し意外だった。
 皿を交換して、食事が始まる。クレープ自体の味は霧亜が勧めるだけあって確かに美味だった。由梨子も霧亜と一緒ではなく、気心の知れた同級生と一緒に食べていれば、感嘆の声を上げていた所だ。
 三枚のクレープのうち二枚は通常の生地で――といってもそんじょそこらの店のクレープ生地とは雲泥の差だが――、一枚はライスペーパーを使ったクレープのようだった。中身も冷たいレアチーズケーキにストロベリーソースを絡めたものや、甘さを抑えたクリームに黒いプチプチした塩辛いもの――後で霧亜にキャビアだと教えられた――を混ぜて甘辛に仕上げたものという具合に中身のバリエーションも甘さに偏り過ぎないように考えられているようだった。最後のライスペーパーのクレープなどは鶏肉に生ハム、カマンベールチーズなどを野菜と一緒に巻いたサラダ風味のもので、あっさりとした後味に仕上がっており、由梨子は特にこの一枚が気に入ってしまった。出来ればもう一枚くらい食べたいとさえ思ってしまったが、憧れの霧亜の前でそんな食い意地を出せるほど恥知らずではなかった。
「どう、美味しかった?」
「はい。……とっても美味しかったです」
「喜んでもらえて嬉しいわ。……私が食べた方も普通に美味しかったし、あの子とは当分“生き”ね」
「えっ……」
「大丈夫だとは思ったけど、もし嫉妬に狂って手を抜いたりしてたら、すぐに切ろうと思ってたわ」
 くすくすと霧亜が笑う。つまり、食べる前に皿を交換したのは、そういう目的があったからなのだ。
「そんな顔しないで。由梨ちゃんは“特別”よ。切ったりなんかしないわ」
 どこまでも優しい霧亜の声。それは一体どこまで本当だろうか。あの運転手や、女店長も二人きりの時には同じく優しい声で同じ言葉を囁かれたのではないだろうか。
 邪推だ――と思う。霧亜が特別だというのなら、特別に違いないのだ。その証拠に、今日もこうして一緒にデートをしている。自分は他の子とは明らかに違う存在なのだと、由梨子は思いこもうとした。
 ただ、それでも――例え特別な存在だとしても、今の自分には霧亜に切られても仕方がないだけの理由がある。もし、真央との事がバレてしまったら――その時は、きっと――。

 デザートのタピオカドリンクを飲み終えて、由梨子と霧亜は店を出た。当然、とでも言うかのように霧亜は代金を払わず、女店長も笑顔で由梨子らを見送った。通常では考えられないVIP待遇だった。
 多分、霧亜の感覚は由梨子のそれとはあまりにかけ離れているのだ。由梨子にとって移動手段といえば公共交通機関が真っ先に浮かぶものであり、有名店に行くときはきちんと並んで代金も払うのが常識。しかし霧亜は違う。
 デートとは本来、仲の良いもの同士が互いに親交を深め合うものの筈だ。にもかかわらず、霧亜と一緒に居れば居るほど、二人の距離は離れていくような錯覚を由梨子は覚える。
 昼食の後に入ったブティックも、普段由梨子が利用するような所とは値段のケタが一つ違うような場所だった。どうやらそこのオーナーも“知り合い”らしく、欲しい服があれば何でも買ってあげると霧亜に言われたが、さすがに値段が値段だけに由梨子は断った。霧亜も由梨子の心中を察したのか、無理強いはせずにいくつか試着しただけで何も“買わず”に店を出た。
 次に向かったのは、比較的大衆的なファンシーショップだった。恐らく、あまりに高級感漂う場所だと由梨子が臆すると悟ったのだろう。事実その通りであり、やっと少しは落ち着ける場所に来れたとばかりに由梨子は安堵の息をついた。
 ファンシーショップで過ごす時間は純粋に楽しかった。客を押しのけて入った訳でも、一年分の小遣いを足しても買えないような服ばかり並んでいるわけでもない。
 
 二人してあれやこれやと小物を手にとっては、買おうか買うまいかを悩む。そんな何でもないやりとりが由梨子は楽しくてたまらなかった。手に取るものは、どれもこれも無くてはならないという類のものではない。ちょっとしたぬいぐるみだとか、砂時計だとか、小物入れだとか、頭が冷静な時であれば“要らない”と一蹴できるようなものばかりだった。でも、そんなものが霧亜が側に居るというだけで魅力的なアイテムに変わってしまう。
 結局、水族館よりもブティックよりも長い時間を過ごしてしまった。そんなに長い時間居たというのに、買ったものはたったの二つ。霧亜が買って由梨子にプレゼントした白い時計塔を模した小さな置き時計と、由梨子が買って霧亜にプレゼントした――それとは対になる黒い置き時計。二つを合わせても五千円にも満たない品物だが、そんな事は由梨子にはどうでもよかった。霧亜のプレゼントがもらえて、自分のプレゼントを霧亜が貰ってくれたという事実だけが重要だった。
 ファンシーショップから出た後はファーストフード店で軽く夕食をとった。これも恐らく、霧亜の配慮ではないかと由梨子は思う。味は昼に食べたクレープとは雲泥だったが、霧亜との親睦が深まった気がして由梨子は嬉しかった。
 ファーストフード店から出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。腕時計を見ると午後八時を回っており、普通の家庭であれば帰りが遅くなる旨を電話で入れる所なのだろうが、由梨子の場合はそんなものは無用だった。どうせあの母親も男の所に行っているに違いないのだから。
「由梨ちゃん、時間は大丈夫?」
 腕時計を見ていたからだろう。由梨子は慌てて時計を下げる。
「大丈夫です。明日は日曜日ですし……その、と……泊まり、でも…………」
「そう。良かったわ……それじゃあ、ちょっとオトナのお店に行かない?」
「大人のお店……ですか?」
 何のことだろう、と由梨子は首を捻る。
「折角のデートなんだから。……少しくらいお酒も、ね?」
 すっ、と腰に手を回しながら、霧亜が囁いてくる。耳元に吐息がかかるだけで、由梨子の心はとろけそうになってしまう。
「で、でも……私、まだ……高校生で……」
「大丈夫、私がちゃんと弱いお酒を選んであげるから。ね?」
 唇が耳に触れそうな程の距離で囁かれ、由梨子は反射的にはい、と返してしまう。理性では、酒など飲んではいけないと解っている。が、折角の霧亜とのデートなのだから、少しくらいは――とも思ってしまう。
 霧亜に連れていかれた場所は、表通りから路地に入った先にあるうらぶれたカクテル・バーだった。入り口が半分地下に埋まる形になっていて、五段ほどの階段を下りてドアの前に立つと微かに音楽が聞こえてきた。店の外観の割には中は広く、ほどほどに客は入っていたが何故か皆女性ばかりだった。女性客達は一瞬、明らかに未成年臭がする由梨子に目を向けるが、すぐに我関せずとばかりに視線を戻した。
「騒がしい所や、人が多い所は好きじゃないの」
 霧亜は小声で呟き、カウンター席に座る。由梨子も習ってその隣に座ると、マスターらしき金髪の女性がじろりと由梨子を見た。が、そこまでだった。客を含め、この店はマスターまで寡黙なようだった。
 霧亜もカクテルの注文をするとき意外は最低限の会話しかせず、由梨子も習って静かに雰囲気を楽しみ、そして勧められるままにカクテルを飲んだ。初めて飲んだそれは思ったよりも甘く、すんなりと喉を通った。
 霧亜に勧められるままに杯を重ね、だんだんと思考力が鈍くなっていくのが実感できた。弱いお酒を選ぶ――と霧亜は言ったが、それでも大分酔っぱらってしまっているようだった。このまま飲み続けたら意識まで無くしてしまう――と、由梨子は判断して、思い切って切り出した。
「あの、せんぱい……私、もう……」
 呂律が怪しい。肌も火照っている。
「ん……そうね。そろそろ帰ろっか」
 霧亜の方はといえば、全く持って普段通りのようだった。由梨子と同じか、それ以上に飲んでいるというのに。
 スツールから下りると、途端に足が縺れた。危うく転びそうになった所を、霧亜に支えられる。そのまま腰に手を回された状態で店の出口へと向かう。店を出る直前、霧亜と金髪のマスターが明らかに日本語ではない言葉で会話をしているのが耳に入ったが、英語でもないそれは由梨子には理解ができなかった。微かに「ダンケ」という単語が聞こえたが、それが何語で何を意味するのかも解らなかった。また例によって代金を払っていない気がしたが、そんなことはどうでもよくなっていた。
「由梨ちゃん、大丈夫? 歩ける?」
 隣にいるはずの霧亜の声が酷く遠くから聞こえる。はい、と答えようとしたが舌が巧く回らない。
「大丈夫……れす……」
 店内で座っていた時よりも、酔いが回っている気がした。視界がぐらぐらと揺れ、霧亜にしがみついたままでなければとても歩けなかった。
「ちょっと飲ませすぎちゃったみたいね。……由梨ちゃん、ごめんね。すぐに車呼ぶから」
 霧亜が携帯電話を取り出し、どこかにかけている。霧亜の声が半鐘のように木霊してうまく聞き取れない。そのまま霧亜に誘導されるままに歩いて、大通りで見知らぬ車に乗り込んだところで、由梨子は一端意識を失った。
 どれほど車に揺られていただろうか。次に由梨子が眼を覚ました時には車は停車していた。
「由梨ちゃん、着いたわよ」
 半ば霧亜に抱えられる形で、車から出る。霧亜が車の運転手なにごとかを話し、車が去っていく。由梨子は焦点の合わない目でそれを見送り、そして気がついた。そこがどこであるかを。
「……あ、の、先輩……ここ……」
「そ。私の家よ」
 つまり、真央の家でもある――という事だ。
「由梨ちゃんの家に直接送ってあげようかとも思ったんだけど、住所が解らなかったし、何よりそんな酔っぱらった状態じゃあ由梨ちゃんが親御さんに怒られるかもしれないって思って」
 むぎゅっ、と強く抱きしめられる。まるで、逃がさない――とでもいうように。
「だから、酔いが醒めるまで私の部屋で……ね?」


「あっ、姉様おかえりな――………………!」
 玄関に入るなり、いきなり最も顔を合わせたくなかった人物と鉢合わせした。恐らく湯上がりなのだろう。パジャマを着た真央が霧亜の顔を見るなり笑顔で出迎え、そして由梨子の顔を見るなり硬直してしまった。
「ただいま、真央ちゃん。いい子にしてた?」
 霧亜は全く普段通りの態度で真央に返し、真央はといえば霧亜と由梨子の顔を交互に見るだけでどう対処していいのか迷っているようだった。酔って視界が歪んでいるせいか、真央の頭の上とお尻の辺りに見慣れないものが見えた気がしたが、由梨子には気にとめる余裕が無かった。
「ごめんね、真央ちゃん。今夜“は”相手してあげられないの。……また今度ね」
 今夜は――と、霧亜は言った。やはりそうなのだ。真央は――霧亜の寵愛を受ける存在なのだと、由梨子は酒霧がかった意識の中で悟った。
「……由梨ちゃん、自分で靴脱げる?」
「ぁ……は、はい……」
 辿々しく靴を脱ぐ。真央の顔を見れなかった。下を向き、自由の効かない体でなんとか靴を脱ぎ、紺崎邸へと上がる。
「あ、の……先輩、私、やっぱり――」
 霧亜に体を支えらて階段を上がり、部屋の前まで来たところで意を決して切り出す。最早手遅れだということは解っている。水族館で見られただけならば、他人のそら似だと誤魔化すことは出来たかもしれない。だが、今回はさすがに無理だ。いくら何でも苦しすぎる。苦しいが――しかしまだ誤魔化せる余地はある。
 真央には自分と霧亜との関係を知られたくない。特に、自分が霧亜目的で真央に接近したという事は隠したかった。もし真央がその事実を知ったら、きっと自分の親切の全ては霧亜目当てのものだったと誤解してしまうだろう。確かに、きっかけこそそうだったが、全てがそのためではないとは――恐らく信じてもらえないに違いない。
 やはり今からでも遅くはない。ここで踵を返して帰れば――後日学校でなんとか言いつくろうことが出来るかもしれない。由梨子は唯一その望みに掛けたかった――が、それは許されなかった。
「……ダメよ、帰さない。帰してあげない」
 ぎゅう、と抱きしめられる。それは抱擁というよりも、まるで捕らえた獲物が逃げないように力づくで押さえつけるような仕草だった。
「私の部屋でちょっと休んでいくくらい、いいじゃない」
 くすくすと、耳元で霧亜が笑う。
「それにね、私……お酒の入った娘って大好きなの。……大好物、って言ってもいいわ」
 ぺろり、と首筋を舐められる。
「美味しい……興奮しちゃうわ」
「せ、先輩……ぁ…………」
 一気に頭の中が真っ白になり、易々と部屋の中へと連れ込まれてしまう。カチリ、と由梨子の背後で鍵が閉まる音がして、紙袋を置き、ハンチングとサングラスをとった霧亜がふわりとベッドに腰を下ろす。
「由梨ちゃん」
 くいくいと、霧亜が人差し指で手招きをする。由梨子はまるで夢遊病者のような足取りで指示に従い、霧亜の正面に立つ。頬の赤さは決して酒気帯びのせいだけではない。はっ、はっ……と微かに呼吸を乱しながら、じぃと濡れた目で霧亜を見る。
「……ふふ、どうしようかしら」
 由梨子を目の前に立たせたまま、霧亜は悪戯っぽく呟く。そのままじぃと、まるで調理前の食材でも眺めるような目で一切手出しはしてこない。
「そうよねぇ、ちょっと強引に連れ込んじゃったけど、やっぱり無理矢理っていうのはよくないわ」
「ぇ……」
 てっきり部屋に連れ込まれた後はなし崩しにベッドへ――そう思いこんでいた。そしてそれはそのまま、由梨子の願望でもあった。しかし霧亜は、由梨子のそんな思惑をあざ笑うようにくすくすと笑う。
「ねえ、由梨ちゃんはどうしたいの?」
「わ、私は……先輩と、一緒に居られれば……」
「一緒にいるだけでいいの?」
「……ぅ……っ……」
 霧亜の言葉に誘発されて、想像してしまう。自分が今、一番望むこと、霧亜にして欲しいことを。
「せ、先輩に……抱いて、欲しい、です」
「……由梨ちゃん。私はね……料理って、目でも楽しむものだと思うの」
 霧亜が一体何を言っているのか解らなかった。アルコールのせいで鈍った思考力を振り絞って、その意図する所を考える。
 そして、“答え”にたどり着く。抱いて欲しいのなら、言葉だけではなく、態度で示せと、そう言っているのだ。
 素面ならば、絶対に出来ないことだった。酒が入っていたせいだとでも言わなければ、たとえ思いついたにしても実行できることではなかった。
「……っ……」
 自らスカートの端を摘み、持ち上げる。火が出そうな程に顔が熱くなり、霧亜を正視できなくなる。
「わ、私を――」
 震える声で、訴える。
「私を……食べて、下さい」
 震える手でスカートをたくし上げ、霧亜の眼前に下着を晒す。度重なる霧亜の包容や、囁き、首筋まで舐められて自分が今、どうなってしまっているのか。自分がどれほど霧亜に抱いて欲しいかを、見せる。
 霧亜は何も言わない。由梨子自身、霧亜から顔を背けているからどんな顔をしているかもわからない。ひょっとすると、あきれかえっているのかもしれない。こんな破廉恥な真似をする後輩には付き合っていられないと、一蹴されるかもしれない。
 実際はほんの数秒だった。だが、その数秒の沈黙が、由梨子には一時間にも二時間にも感じられた。早すぎる鼓動と呼吸のせいで、半ば過呼吸気味、意識が飛びそうになったところで、漸く――くすりと、霧亜が笑みを漏らした。
「……ぇっ……あっ……あうっ!」
 突然、何かが体に絡みついてきた。それが霧亜の手だと解る前に、ぬっ、と何かが耳を這った。
「ぁっ、ぁっ……うっ……ぁっ、やっ、あっ!」
 両腕でしっかりと体を抱き込まれ、頭を固定されたまま耳を舐められる。耳たぶを軽く食まれ、奥まで丹念に舐め上げられて危うくイきそうになったところで、漸く舌が引き抜かれた。
「……可愛い」
 囁かれ、ぎゅうううと強く抱きしめられる。
「……危うく気が変わっちゃうところだったわ」
「えっ……?」
「何でもないわ、こっちのコト」
 霧亜の指が、由梨子の唇に触れる。
「由梨ちゃんは気にしなくていいの。……どうせもう、何も考えられなくなるんだから」
 唇に触れた指が、すすすと下りてくる。首を、胸を、腹を通過してスカートの内側へと滑り込んでくる。
「ぇっ……ぁっ、あっ……やっ、先輩っ……だ、めっ…………!」
「……本当に残念だわ。ちゃんと約束さえ守ってたら、もっともっと可愛がってあげられたのに」
 霧亜の呟きは、由梨子の耳には届かなかった。否、届いてはいたが、理解出来なかった。スカートの内側に入った手が、ショーツの中に忍び込んだ指が、そうさせなかった。
「ぁっ、あっ、だ、めっ……せんぱっ……そん、な……され、たら……私、すぐ……ぁっ、ぁっ……あぁッァ!!」
 霧亜の腕の中で由梨子の体がびくんと震える。はあはあと息を荒げながら、霧亜にもたれるようにして体を支える由梨子の下着から、ゆっくりと手が引き抜かれる。
「……悪い子には、お仕置きしなきゃ――ね」
 由梨子の蜜に濡れた指を舐めながら、霧亜は冷酷な声で呟いた。

 同性とのそれも“経験”に含むのなら、由梨子は同級生等に比べて比較的経験豊富な方だと言えた。ただ、その経験で得た知識も霧亜とのそれには全く役に立たなかった。
 というのも、円香との行為と霧亜とのそれが全くの別物なのだ。円香とは――まだ、由梨子が愛情のようなものを抱いていた頃は――攻めと受けが交互、或いは同時という様に互いが快感を得られるものだった。だが、霧亜のそれは違う。一方的な攻め――由梨子のみがイかされ、声を上げさせられるというものだった。
「んんっ、っふっ、んっ、んんんっンーーーーーッ!!!!!」
 霧亜の指を咥えさせられたまま、イかされる。八回目、という霧亜の呟きが耳元で聞こえた気がした。
 銜えさせられていた人差し指、中指の二本と、同じく膣に入れられていた中指と薬指がほぼ同時に引き抜かれる。唾液と恥蜜でべとべとになった手で髪を撫でられ、胸元を撫でられる。服は――ショーツだけを残してとうに脱がされてしまっている。
「可愛い……本当、すぐに溢れさせちゃうんだから。見える?」
 霧亜に促されて、眼下にある自分のスカートに目をやる。それはもう、由梨子自身の蜜と汗によってすっかり色が変わってしまっていた。
「いや、です……先輩、そんなの……見せないで、下さい…………」
「ダメよ。ちゃんと見るの」
 ベッドの端に腰を下ろしたまま、霧亜に背後から包み込まれるように抱かれ、何度もイかされた。憧れの霧亜相手ということで、ただでさえ緊張、興奮してしまっている上にアルコールまで入っているせいか、前回よりも体が敏感になってしまっている様だった。
「ちゃんと見ないと――」
 再び下着の中に霧亜の指が潜り込む。ぐじゅ……と、膣の中をかき回されて思わず背が反ってしまう。
「あっうッ……!」
「こうすると、どんどん溢れてくるのよね。くすくす」
「あっぁっ、あっ……だ、め……先輩っ……ああぁぁぁっ……!」
「由梨ちゃんってホント汁気が多いのね。こんなに溢れさせちゃう娘って、ちょっと記憶にないわ」
 ぐじゅ、とまたかき回される。その度に弾かれたように体が撥ね、勝手に声が出てしまう。自分の意志とは無関係に、溢れさせてしまう。
「はあ……はあ……せんぱっ、あっ……んっ、ぁぁっ……ゆ、び……あっ、あっあっ……あっ、うっ、あっあんっッ!!!!」
 服の下に潜り込んだ手が、かろうじて揉める程度に膨らんだ胸元をなでながらくりくりと先端を弄る。合わせるように、下着に潜った手が、指が由梨子の一番弱い部位を摘み上げる。
「っっ、あっあっ、あっ……やっ……んんっんっ!」
 体勢が崩れ、二人してベッドに横になる。由梨子は半ば自分から求めるようにして霧亜と口づけを交わす。愛撫の快感に喉の奥で噎びながら、喘ぐようにしてキスに没頭する。息苦しさと、愛しい者から与えられる快楽で何も考えられなくなる。
「んんっ! んっ……はっ、んっ、あむっ、んっ……!」
 息苦しい。でも、唇は離したくない。霧亜と繋がっていたい――霧亜の指の動きに合わせるように、下半身を淫らにくねらせながら、由梨子はキスを続ける。……が、不意に霧亜の方が唐突に、そして意図的に唇を離した。
「やっ……せんぱっ…………あっ、あんっ!!」
 刹那、ショーツに潜り込んだ手が蠢き、由梨子は弾かれたように甘い声を出してしまう。くすり……と、霧亜が笑む。
「……今のは、さすがに聞こえちゃったかな」
「えっ……?」
「言ってなかったっけ。隣、真央ちゃんの部屋なの」
 悪びれもなく言う霧亜。由梨子は羞恥に顔が染まると同時に、血の気が引いた。
「でも、別に良いわよね。真央ちゃんに……由梨ちゃんのいやらしい声聞かれても」
「そ、そんな……先輩っ……んんんっ!」
 再びショーツの中の手が蠢き、声を出してしまいそうになるのを咄嗟に唇を噛んで我慢する。
「いいじゃない。私と由梨ちゃんがどれだけ愛し合っているか、真央ちゃんに聞かせてあげれば」
 くすくすと笑いながら、霧亜は前にも増して指を、舌を巧みに動かしてくる。由梨子が声を上げたくなるような場所を、我慢出来なくなるような場所ばかりを攻めてくる。
「や、めて……下さい……先輩、ぁっ……真央、さんには、んんんっっ!」
「どうして? 真央ちゃんとはただの“友達”なんでしょ?」
 だったらいいじゃない、と霧亜は再び由梨子の中に指を入れてくる。ぐじゅり、とかき回すように動かしてくる。
「だめ、ですっ……やっ……んっあっ、あうっ!!!」
「……今のも、絶対聞こえたわね。くすくす」
 かぁぁあ、と由梨子は耳まで赤くなる。真央に聞かれている。自分の喘ぎ声を。感じている声を。それは、単純な恥ずかしさとは別の何かを伴っていた。
「ねえ由梨ちゃん。一つ聞いてもいい? 私と真央ちゃん、どっちの方が好き?」
「ぇっ……」
「由梨ちゃんが真央ちゃんのコトが好きだってのは知っているわ。でも、私の方が好きなのよね?」
「そ、それは――」
 迷った。逡巡してしまった。それ自体が失敗だった。例え嘘でも、霧亜の方が好きだと即答するべきだったのだ。
「先輩の方が、好き、です……」
 やや遅れて、由梨子は答えた。その筈だと、後から自分の気持ちを無理矢理納得させる。
「だったら、真央ちゃんにどう思われてもいいでしょ? 由梨ちゃんには私が居るんだから」
 髪を撫でられながら、甘く囁かれる。霧亜にそうされるだけで、本当にどう思われてもいいと、危うくそう思わされそうになる。
「でも……でも、私……真央さんのコトも、好きなんです……お願いです、先輩、真央さんにだけは…………」
「つまり、真央ちゃんにだけは、私との関係を隠しておきたいってコトかしら?」
 こくり、と小さく頷く。虫の良い話だとは解っている。それでも、頷かずにはいられなかった
「ずいぶんと虫の良い話ね。……さすがにそこまで由梨ちゃんの我が儘を聞いてあげるわけにはいかないわ」
 でも――、と霧亜は続ける。小悪魔のように口元を歪ませて。
「由梨ちゃんにも何らかのペナルティ――つまり、“覚悟”を見せてくれたら、考えてあげなくもないわ」
「覚悟……ですか?」
「ええ。そうねぇ……由梨ちゃん、私の弟は知ってる?」
「はい……会ったことはあります」
「あの愚図と寝れる?」
「え……」
「嫌でしょう? 男と寝るなんて。ましてやあの愚図となんて。でも……私と真央ちゃんを天秤にかけるのなら、それくらいは、ね」
「天秤になんて……私は、ただ――」
「出来るかどうか――を聞いてるんだけど?」
 思わず身を竦ませてしまうほどに、最後の一言は冷徹だった。由梨子は怯えた目で霧亜を見上げる。霧亜は、変わらない笑みを浮かべていた。
「……なんて、ね」
 ちゅっ、と頬にキスをされる。
「ゴメンね、意地悪言っちゃって。らしくないわ……私、真央ちゃんに嫉妬してるのかしら」
 由梨子に被さりながら、ぎゅうと抱きしめてくる。良かった、霧亜は怒っていたわけではないのだと、由梨子もホッと安堵する。
「他の男と寝ろだなんて、由梨ちゃんに言えるわけないじゃない。私との約束を破って、真央ちゃんに手を出した――とかならともかく、ね」
 ドキリと、胸が弾む。うん?と霧亜が不信そうな声を出す。
「どうしたの? 由梨ちゃん。汗びっしょりよ?」
「あ、あの……私――」
 もしかして、霧亜は知っているのだろうか。自分が、真央にキスをしてしまった事を。いや、学校に来ているわけでもない霧亜が知る事など出来ないはずだ。知っている筈がない――そう思いこもうとする。が――
「由梨ちゃん、知ってるわよね……私が、嘘が解る事」
 ぎゅう、と抱きしめられる。今までよりも強く、呼吸すら困難な程に。
「約束、破ってないわよね?」
「わ、私、は……」
 バレる筈はない。霧亜が知る筈はない。大丈夫――嘘なんて解る筈はない。だから――
「……ごめんなさい、私、真央ちゃんに、キス……しまし、た……」
 ぐっ、とさらに包容の圧力が高まる。霧亜の爪が、服越しに腕に食い込む。
「ま、真央さんが……寝ている、時に……が、我慢……出来なくて……」
「手……出したらダメって……言ったわよね?」
「ご、ごめんなさい…………」
 結局、由梨子は嘘をつけなかった。既に霧亜は知っていると、そう感じてしまったからだ。少なくとも、自分が真央に手を出しているという確信を持っている物言い、振る舞いに思えた。ここで嘘をつけば、それこそ取り返しのつかない事になると思った。
「……いいわ、許してあげる」
 ふっ、と唐突に圧力が弱まる。そのまま優しく、きゅっと包容し直される。
「一度だけよ。もし次破ったら……たとえ由梨ちゃんでも切っちゃうから」
「……は、い……わかり、ました……ぁっ……!」
 するりと、再びショーツの中に霧亜の手が潜り込む。
「許してはあげるけど……“罰”は必要よね」
「ぇ……あっ、あッ……!」
「私がさっき言った事、覚えてるでしょ?」
「んっ、ぁっ……ま、さか……そんなっ……ンッ! 先輩っ……」
「可愛い由梨ちゃんにそんな事をさせるのは私も辛いわ。……でも、そうしないと……また真央ちゃんに手、出しちゃうでしょ?」
「出しません、出しません、から……先輩との約束、破りませんから……んぷっんんっ!!」
「言葉だけじゃダメ。態度で示さなきゃ誠意は伝わらないわ。由梨ちゃんが今回の事をどれくらい反省してるのか、ちゃんと私に見せて欲しいの」
 反論は許さない、とばかりに由梨子に指を二本銜えさせまま、ぬぷぬぷと出し入れする。
「ちゃんと“反省”出来たら、また今日みたいに可愛がってあげる。……縁、切られたくないでしょう?」
 優しい物言いだが、由梨子にはハッキリと解った。霧亜が言う“罰”とやらをやってみせなければ、霧亜は切るつもりなのだ。自分との縁を。それは、今の由梨子にとって死よりも辛いことだった。
 こくり、と小さく頷いてみせると、霧亜は漸く指を抜いてくれた。唾液に濡れた指が、胸元へと伸びる。
「真央ちゃんに手を出しちゃった事への罰はそれでいいわ。……でも、由梨ちゃんにはもう一つ“罪”があるわよね?」
 えっ……と由梨子が尋ね返すよりも早く、霧亜の指が服の上から由梨子の胸の頂を摘み上げる。痛いほどに、強く。
「真央ちゃんに手を出したことを今まで黙ってた事よ。私、ずっと待ってたのよ? 由梨ちゃんが自分で“告白”してくれるのを。――黙ってれば、解らないとでも思った?」
 恐い――と、由梨子は思った。霧亜の物言い、自信――それは嘘をついてるわけではないことの現れだった。つまり、霧亜は本当に知っていたのだ。はじめから、自分が真央に手を出した事を。
 カマをかけて、由梨子の反応を見て見破ったとか、そういう類ではない。本当に解るのだ。嘘が、そして裏切りが。
「……大丈夫よ」
 すっ、と乳首を抓っていた力が緩む。一転して優しい、労るような愛撫に変わる。
「黙ってはいたけど、それでも由梨ちゃんは最後には自分で言ってくれたわ。だから……そうね、このまま朝までたっぷり、由梨ちゃんがイく声を真央ちゃんに聞かせてあげるって事で許してあげるわ」
「そ、んな……せんぱ――んぁッあっぃ!!」
「くす……朝までに何回イけるかしら。今夜は前みたいに途中で失神しちゃっても止めてあげないから、そのつもりで、ね?」

「あぁっあっ、……んっ、あっ……い、やっ……あっ、ああぁッ!!」
 仰け反り、イく。背後に居る霧亜にもたれ掛かりながら、はあはあと呼吸を整える。
「十八回……それとも十九回だったかしら。わからなくなっちゃったわ」
 くすくすと、まるでどうでもよい事のように霧亜は呟く。背後から由梨子の体を抱きしめ、首筋に舌を這わす。
「ん……お酒が大分抜けてきたみたいね」
 霧亜はそう言うが、由梨子にはもう解らなかった。酒のせいで頭が鈍っているのか、それとも何度もイかされたせいで考えられなくなっているのかが。
「由梨ちゃんも喉が渇いたでしょう? 飲ませてあげる」
 一体どこから取り出したのか――ベッドの下が一瞬スライドしたようにも見えたが、今の由梨子にはどうでもよかった――霧亜はワインボトルのようなものを取り出し、栓を開けてそれを口に含んだ。続けて、由梨子に口づけをする。
「んっ、んんんんぅっ!!!!」
 強引に流し込まれ、無理矢理嚥下させられる。かぁっ……と体の奥に火がついたように熱くなる。
「あの店のカクテルには劣るけど、これもイケるでしょ?」
 霧亜は再度口に含み、由梨子に飲ませる。くちゅくちゅと、今度は舌を絡め合いながら少しずつ。二度、三度と繰り返されて由梨子の思考力は完全にバラバラにされた。当然、味など分かる筈もなかった。
「美味しい……」
  霧亜はうっとりとした声を出しながら、由梨子が口の端から零した酒を首筋で舐め取る。文字通り、由梨子を“食料”だと見ているかのような振る舞いだった。
「……ねえ由梨ちゃん。あの娘とは……こういうことはした?」
 すすと、霧亜の手が由梨子の背中の辺りを這う。そしてそのままショーツの中へと忍び込む。
「えっ……あっ、ぁっ……」
 霧亜の指がどこを目指しているのかを悟り、咄嗟に抵抗を試みる。が、アルコールのせいでたいした事が出来ない。それどころか――
「悪い手ね」
 と、なにやら機具のようなもので後ろ手を固定されてしまう。
「やっ……先輩、やぁっ……」
 ぞわりと、霧亜の手が由梨子の尻の辺りを撫でる。
「やぁああうっ! やっ……せん、ぱ……そこ、らめっぇ……っっ……」
 由梨子の制止も空しく、霧亜の指はショーツの中を進み、由梨子が危惧したとおりの場所へとたどり着く。指先が軽くマッサージをするように動いてから、徐々に埋没し始める。
「由梨ちゃん……後ろまでびちゃびちゃになってるわよ?」
 円香にも触れられたことのない場所に、霧亜の指が収まっていく。同時に、もう一方の手が、前にも。
「はあ、はあ……んあっ……あっ、あうっ……あぅっ……んっあっ……そんなっ…………そんなっ……やっ……やぁぁっ…………」
 恐らく、素面であれば――そして両腕が自由であれば――霧亜を突き飛ばしてでも拒んだ場所への愛撫に、由梨子は戸惑う。が、それまでだった。半ば泥酔、半ば陶酔状態の頭では、違和感も快楽に屈服してしまう。
「ほら、由梨ちゃん……今、私の指がどうなっているのか、隣にいる真央ちゃんにも聞こえるように説明してみて?」
「えっ、やっぁ……あぁっあっ……やっ……そんなの、言えなっ……い……あっ、あッ!!!!」
 意見は聞かない、とばかりに霧亜の指が蠢き、由梨子は体を跳ねさせる。
「言えない、じゃなくて、言うの。……解った?」
「は、い………………せ、せんぱい、の……ゆ、び……が、ゆび、がっ……ぁぁぁぁっあっ!! やああっ……動かさ、ない、で……」
「指が、どうなってるの?」
「ゆ、指……が、私、の……お尻、に……お尻に……あっ、あっ、あっ……あぁぁあああっ……らめっ……擦り合わせないでぇッッ!!!」
 両方に挿入された指が互いを求めるように肉壁を擦り、たまらず由梨子は霧亜の元から体を逃がそうとする。が、無論そんな自由が認められる筈もない。
「やっ、らめっ……もう、ゆる、して……せんぱ、い……私、もう……もう……あっあ、ぁあっあっあっ……やぁぁあっっらめっ、らめっ、ゆ、び……そんなに、したらっっ……ぁっ、あっ、あっ、あっ、あっあんっあっ、あっあァァっッ!!」
「くすっ……」
 由梨子がどれだけ叫ぼうが、喚こうが、霧亜の攻めに一切の緩みはない。時折思い出したように首筋を舐めては、酒気が薄いと由梨子に酒を口移しし、また嬲る。
 何度もイかされ、淫らな言葉を真央にも聞こえる様にと何度も言わされ、とうとうショーツまで脱がされる。全身余すところ無く愛でられ――否、辱められ、イかされる。かと思えば、ひたすら焦らされ、淫らな単語でのおねだりを――無論、真央にも聞こえるようにと――させられ、イかされる。
「ね、由梨ちゃん……真央ちゃんより、私の方がいいでしょう?」
 ぬるぬるした手で胸元を愛撫されながら、問いかけられる。はい、と頷くことしか由梨子には出来ない。
「私の方が好きって、ちゃんと口に出して、言って?」
 言われた通りに、由梨子は答える。
「もう一回、言って?」
「わ、私は……真央、さん、より……先輩、の方が、好き、です……」
「もう一回」
「私は――」
 何度も何度も復唱させられる。既に由梨子の中には時の概念も数の概念も無かった。気の遠くなるほどの回数繰り返して漸く、霧亜は満足したのか優しく口づけをしてくれた。
「良く言えたわ。……由梨ちゃんにご褒美、上げないとね」
 呟いて、霧亜は得体の知れない小瓶を取り出す。中には仄かにピンク色をした液体が入っているようだった。霧亜が栓を抜くと、ふわりと甘い香りが室内に満ちる。
「特性のアロマオイルよ。これで由梨ちゃんの“好き嫌い”を無くしてあげる。……嬉しいでしょ?」
 霧亜は小瓶を傾け、とろりと自分の掌に零し、指先に塗りつける。直感的に由梨子は危険を察し、ベッドの上を這うように逃げるが――否、逃げようとしたが、体の自由が効かなかった。
「ぇ……ぁっ、いやっ……そこっ、は……そこはっ、嫌ぁぁあっ!!!」
 結果的に霧亜に対して無防備に背中を晒しただけの格好になり、易々と――由梨子にとって一番恥ずかしい場所に、霧亜の指が挿入される。
「はぁぁぁああっっあ……あっ、やっ……そこ、は……やっ……せんぱっ…………ゆ、び……抜いて…………」
 アロマオイルとやらのせいだろうか。先ほど入れられた時よりも指が冷たく感じられたが、いずれにせよ、由梨子にとって容易に許容できるものではなかった。
「ダメよ。これはご褒美なんだから」
 ぐぐぐっ、と挿入された指が捻られ、由梨子は尻を震わせて声を上げる。
「ご褒美に……由梨ちゃんが一番恥ずかしい場所で、一番感じられるようにしてあげる」
「そ、そんな……嫌っ……先輩、そんなコト……やめっっ……ぁっ、ぁっ、ぁっ……あァーーーーーーッッ!!!!」
 体を貫く、稲妻のような快感に由梨子は軽く意識を飛ばされた。当然、由梨子が気を失ったからといって霧亜の“調教”が終わるわけではない。快感によって飛ばされた意識は、さらなる快感で無理矢理に覚醒させられる。
「ぁっ……ぁっ……んっ、ぁ……せんぱっ……もう……ひっ、ぁっ、ぁっ、ぁッ……!!」
 アロマオイルを塗られた指が、前にも挿入される。前後から擦り合わせるように体の中をかき回されて、由梨子はもう自分で考えることも、霧亜に逆らうことも止めた。

 月曜日、校門で真央と顔を合わせたときのばつの悪さは由梨子が今まで味わってきたどれよりもすさまじいものだった。自分はもとより、真央も明らかに何かを意識して、その“地雷”を踏まないように気を付けているという感じだった。
 いっそ「土曜日は――」と切り出し、全てを吐露してしまえば楽になれたかもしれない。しかし、霧亜との関係を否定しつつ、真央との関係を回復させるだけの理論を構築する自信が由梨子にはなかった。
 気まずいまま、昼休みとなった。真央と一緒にいつもの場所で昼食をとるも、やはり会話は弾まない。妙に重苦しい雰囲気だけが、二人を包む。
「そ、そういえば――由梨ちゃんも、デートだったんだね。ど、土曜日……」
 その雰囲気に耐えられなくなったのか、先に真央の方が地雷原に飛び込んできた。由梨子はぎくり、と肩を弾ませ、反射的に顔を赤くする。
「え、ええ……まあ」
 ええ、の部分で露骨に声が裏返ってしまった。
「ま、真央さんの方はどうでした? 水族館は……楽しかったですか?」
「う、うん……とっても、楽しかったよ……由梨ちゃんの方は?」
「私の方も……と、滞りなく」
 自分が何を言っているのか途中で解らなくなる。いつ真央が地雷を踏むのかを気にして鼓動ばかり早くなる。
「ご、ごめんね……私、由梨ちゃんと、ねえ――霧亜先輩が、そういう仲だって知らなかったから……驚いちゃって……」
「え、あっ……ち、違います……あれは、その……せ、先輩が、無理矢理……」
 咄嗟に嘘をついてしまう。言いながら、心が罪悪感に囚われていく。胸の奥が茨で締め付けられているように苦しくなる。
「霧亜先輩が……無理矢理?」
 真央が興味深そうに聞き返してくる。由梨子はもう、嘘を突き通すしかなかった。
「は、はい……強引に、その……家まで…………」
「……やっぱり、そうだったんだ」
 うん、と真央は妙に納得する。
「霧亜先輩、時々強引だよね……その、私も……経験、ある、から……」
「真央さんも……?」
「うん……ちょっと、無理矢理めに……だからね、由梨ちゃんも、そうなのかな、って……」
 意外だった。真央はてっきり霧亜と相思相愛だと思いこんでいた。しかし、考えてみればそれはおかしな事なのだ。真央には彼氏が――少なくとも、体を許している男が居る。ならば、どちらかとの関係が嘘ということではないか。――無論、自分のように二人同時に、同じくらい好きだという可能性もあったわけだが。
「あの、ね……その、あんまり気にしない方が、いいよ?」
 まるで励ますような口調で、真央が言う。
「霧亜先輩は……その、私たちとは違うから……多分、ちょっとした遊びみたいなつもりなんだと思う。だから、由梨ちゃんも……早く忘れたほうが……」
「あそ、び――ですか」
 霧亜は遊びのつもり――その言葉を聞いた途端、ずきんと胸の奥が痛む。
 恐らく、霧亜に襲われてショックを受けている自分を励ますために、言ってくれているのだろう。真央の心遣い、気遣いが痛い程に伝わってくる。でも、でも自分は――
「……解りました。なるべく早く、忘れるようにします」
 必死に笑顔を作ってそう返す。真央もそれがいいよと笑みを返す。
 本当に、無邪気な女の子だと思う。時折本当に同年代かと疑いたくなるほどに真央は汚れを知らない。自分は、これほどまでに汚れてしまっているというのに。
(ごめんなさい、真央さん――)
 私は今日、貴方の彼氏と寝ます――心の中で宣言する。そう、賽は既に投げられたのだ。


 事が終わった後――正確には、由梨子が自我を取り戻した後、という意味だが――の霧亜は優しかった。昨日はやりすぎたと、由梨子が可愛くてつい興奮してしまったと言いながら、何度も何度も髪を、背中を撫でてくれた。
 しばらくベッドで添い寝を楽しんでから、由梨子はそこはかとなく手を伸ばして自分の携帯をチェックした。案の定――というか、着信履歴に母親からのそれはなかった。年頃の娘が無断外泊したというのに、電話一つ寄越さない。そういう親だと知っていた筈なのに、少しだけ由梨子はショックだった。意外だったのは弟からのメールが入っていた事だった。尤も、晩飯はどうすればいいのかという内容だったから、今更返信する気も無かったが。
「きゃあッ!」
「由梨ちゃん、二人きりなのに、携帯を弄るなんて失礼よ?」
 突然霧亜に背後から抱きつかれて、由梨子は携帯を落としてしまう。
「す、すみません……先輩……ぁっ……」
 慌てて携帯を拾い、中折れを閉じる。そうしている間に、もぞもぞと霧亜の指が体を這い始める。
「せ、先輩……やだ…………だめ、です……あんっ……」
「私を蔑ろにしたオシオキよ、……ん……」
 背後から包容されたまま耳を舐められて、思わず悲鳴を上げてしまう。
「もう濡れてきてる……昨日あんなにしてあげたのに、足りなかった?」
「あ、あんなに……って……私、は――ひゃあっ!」
「くすっ……お尻も大分感じやすくなったみたいね」
 かああ、と一気に顔が赤くなる。そうなのだ――昨夜は、霧亜にお尻まで……。
「やっぱり、恥ずかしい?」
「んぅ……!」
 ぬっ、と。蜜を十分に絡めた指が後ろへと埋没する。そんな場所を責められて、恥ずかしくない筈がない。
「凄く、恥ずかしい……です」
「こうされるの……嫌?」
「そ、それは……んんぅッ!!」
 びくんと、体が撥ねてしまう。昨夜、霧亜に散々弄られたせいだろうか。初めて触れられた時に比べて、明らかに感度が上がっている――気がした。
「ぁぁぁぁぁ…………やぁっ……先輩……ゆ、び……抜いて、下さい…………もう、もう……わた、し……あぁぁぁぁぁ……!」
 はあはあと呼吸が荒くなる。霧亜は意外にも由梨子の懇願を聞き入れ、あっさりと指を抜いた。
「ゴメンね……由梨ちゃんが可愛過ぎるから、つい意地悪したくなるの。……許してくれる?」
 むぎゅ、と抱きしめられて、キス。今までで一番優しいキスだった。
「ねえ由梨ちゃん……昨日、私が言った事、覚えてる?」
 “罰”のコト――と、霧亜は囁いてくる。
「これはあくまで仮定の話よ。もし……あの馬鹿が浮気したのが真央ちゃんにバレて、それがきっかけであの二人が別れたら……面白いと思わない?」
 由梨子には、霧亜の言っている事が解らなかった。真央と、月彦が別れることの何処が面白いというのだろうか。
「そうなったら、真央ちゃんはフリーよ。勿論、そのために頑張った由梨ちゃんには、真央ちゃんとの交際も制限付きだけど認めてあげる」
「えっ……」
 霧亜は今なんと言ったか。真央との交際を認める――確かにそう言った。
「由梨ちゃんが、あの馬鹿を誘って、浮気の証拠を――そうね、ベタだけど写真かなにかを撮って、私に送るの。後は、私が巧いことやってあげる」
 勿論浮気相手が由梨ちゃんだってコトは解らないようにするわ、と霧亜は付け加える。
「ひょっとしたらあの馬鹿がトチ狂って相手が由梨ちゃんだって真央ちゃんに漏らすかもしれないけど、大丈夫。私がそうさせないから、出来ないようにしてやるから」
 ゾクリと、背筋が冷えるような声で霧亜が呟く。一体何をするつもりなのか、由梨子は恐くて聞けなかった。
「勿論、由梨ちゃんが嫌なら無理にとは言わないわ。昨日はあんなコト言ったけど、私だって由梨ちゃんを失いたくないもの」
 失いたくない――その言葉を表すかのように、ぎゅうと霧亜が抱きしめてくる。その霧亜の手に、由梨子はそっと自分の手を重ねる。
「……大丈夫です、先輩。私、先輩の言うとおりに……やってみます」
 本当は、嫌だった。霧亜以外の――それも男に体を任せるなど、想像しただけで怖気が走る。走るが――霧亜の頼みならば、やるしかない。
「先輩の為なら……私、どんなことだって……」
「由梨ちゃん……」
 ぎゅう、とまた抱きしめられる。そして、首筋にキス。
「ぁ……せんぱい……あぁ………………!」
 霧亜の手が、再び動く。昨夜とは違う、まるで由梨子を優しく労るような手つきで、由梨子の全身を愛でるように撫でる。
「んっ、ふ……」
 長い長いキス。胸元を撫でられ、堅く尖った先端を爪で軽く弄られる。由梨子が喉の奥で噎ぶと、霧亜は再び労るような手つきで乳房全体を優しく揉む。
「好きよ、由梨ちゃん」
「はい……私も、私も好きです……先輩……ぁ……」
 霧亜の指が臍の辺りに触れ、さらに下方を目指す。由梨子は自ら足を開いて、霧亜の指を受け入れる。
「あぁっ……先輩、先輩っ……あぁぁぁあっ!!」
 蜜の沸く泉を、霧亜の指でたっぷりと愛でられながら、由梨子は心に決めていた。霧亜の命に従うことを。たとえそれが、男――即ち、月彦と寝ることだとしても――。

「では、真央さん。また明日、学校で」
「うん。由梨ちゃんも気をつけて帰ってね」
 はい、と返事をして、手を振って真央を見送る。真央の姿が紺崎家の玄関に入ったのを見計らって、由梨子は走り出す。
 行き先は、学校の裏門。既に朝、月彦に呼び出しはかけてある。ただ――裏門に行く前に由梨子には寄らねばならない場所があった。
 目的地は、あまり人気のない路地の一角、客の少ない薬局の前。そこにある避妊具の自動販売機だった。由梨子は辺りに人通りがない事を確認してから、早足に接近する。
 必要――だと思った。紺崎月彦と寝るために、である。いくら月彦を誘惑し、その気にさせても、避妊具が無ければ行為は出来ない。……さすがに、妊娠の危険だけは避けなければならない。
 胸が、高鳴る。財布から硬貨を取り出す手が汗ばみ、震える。単純に、避妊具を買うのが恥ずかしいとか、人に見られるのが恐いという事だけではなかった。
 これを買ってしまったら、もう後戻りができない気がした。霧亜にはああ言ったが、やはり恐い。出来ることならば、このまま踵を返して帰ってしまいた。
 否。だからこそ、買うべきなのだ。買って、覚悟を決めて、そして――霧亜の命を果たす。そうしなければならないのだ。なぜなら、自分は霧亜にとって“特別”なのだから。
 深呼吸をして、硬貨を入れる。ボタンを押して、出てきた避妊具をスカートのポケットにすぐに仕舞い、学校へと戻る。これから自分がやろうとしていることの恐ろしさに足が縺れて何度も転びそうになってしまう。
 不意に、何かの気まぐれで教師にでも呼び止められて、持ち物検査をされたらどうしよう――そんな杞憂が頭に沸く。すっかり犯罪者の心理だと、由梨子は自分の弱気に苦笑する。
 漸く裏門についたとき、月彦の顔を見つけて緊張が一気に高まる。ここから先は、失敗は許されない。由梨子は慎重に言葉を選び、そして月彦に話しかけた。
 真央の事で相談がある――朝はそう誘った。そう言えば、間違いなく月彦は乗ってくると思った。理由は分からないが、月彦はやたらと真央に対しては過保護なのだ。その理由は今はどうでもいい。ただ、真央をダシにすればいくらでも月彦を引っ張れるということさえ解っていれば。
 ここでは話が出来ない――そう言って、月彦を家まで誘導する。途中、何度か月彦に話しかけられたが意図的に無視した。変に返事をして、別の場所で話をなどと言い出されたら面倒だからだ。
「着きました」
 どうぞ、上がってくださいと、異論を挟めないほど強い口調で言い、強引に家に上がらせる。月彦はまるで借りてきた猫のようにキョロキョロと落ち着きのない様子で由梨子に進められるままに家に上がる。
「そんなに気を張らなくても大丈夫ですよ、親も弟もしばらく帰って来ませんから」
 暗に、伝える。今、家には二人きりなのだと。
「な、なぁ……別に家じゃなくても良いんじゃないのか? それこそ、人気のない喫茶店とかでも、どこでも――」
 案の定、そう来たか。道中この話をされていたら面倒なことになっていただろう。
「ああ、その話ですけど、先輩」
 ずんずん階段を上がり、自室のドアを開け――無論、部屋は事前に片づけている――月彦を中に入れ、鍵をかけてから、続きの言葉をつなげる。
「真央さんの件で相談がある――というのは、実は嘘です」
「何だとっ!?」
 これも、予想通りの反応。由梨子は一度気を落ち着けるために一度深呼吸をする。
「先輩を私の部屋に連れてくるための口実です。用件は別にあります」
「用件……」
 ここが正念場だと、由梨子は腹をくくる。震える手を――そうとは悟られないようにスカートのポケットに入れ、目当てのものを握り、取り出す。
「ずっと先輩のことが好きでした。……抱いて下さい」

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