<裏編>

「……転校生?」
 思いもよらぬ言葉に、宮本由梨子はつい訪ね返してしまった。
「ええ、そうよ。……“姉様”の親戚らしいわ。その子に悪い虫がつかないよう、貴方に守って欲しいの」
「一年生なんですか?」
「ええ。そしてクラスも同じ……口、止まってるわよ」
 威圧的な言葉に、由梨子は即座に舌の動きを再開させた。あぁ……と、悦に入った女の声が耳に入る。
「そうよ、由梨……あぁ……いいわ」
 吐息混じりに喘ぐ声が狭い個室の壁に反響する。
 昼休み。校舎三階隅の女子トイレの個室。女――三年生の佐々木円香は便座の蓋を下ろしてそこに腰掛け、はしたなく足を開いて由梨子の舌を受け入れていた。両の手はもどかしそうに由梨子の髪を撫で、時には掻きむしる。由梨子はその指から円香の感じ具合を察して、口戯を調節していた。
 正直、屈辱だと思わぬわけではない。昼休みに一方的に呼び出され、汚いタイルの上に跪かされ、奉仕を強いられる。だが、一度そういう関係が出来上がってしまった以上、逆らうのは容易ではなく、ましてや覆すことなど出来る筈もなかった。
「ぁぁ……ぁっぁっ、ぃ……ぁっ……そう、そこ……指でっ、あぁっ……んっ、ぁっ……」
 既にどこをどう弄れば、円香を感じさせることが出来るかは熟知していた。その点、なんとも底の浅い女だと由梨子は思う。半ば事務的、作業的に、しかしそうとは判らないように舌を、指を動かす。まるで円香の股間を舐めて己も興奮しているかのような演技、それは難しくは無かった。
 口戯をしながら、円香を見上げる。短めの髪に、まるでそこがチャームポイントだとでもいうかのように前髪をピンでとめて額を露出させている。顔つきはつり上がった目尻がやや性格のキツそうな印象を与えるものの、おおよそ美人の範疇には収まるといった所。その辺りはさすがに“姉様”の目にとまっただけの事はあると言えたが、露出した額故に影で『おデコ先輩』等と呼ばれているとは知らない様だった。
 体つきは十人並み、確かに自分よりは女らしい体型をしてはいるが、さして羨ましいという気はしなかった。自分とて、あと二年もすればこれくらいのプロポーションにはなると思うからだ。
 顔の作りも、決して負けている気はしなかった。好みの差もあるだろうが、仮にもし“姉様”が在校していたら……自分は円香より先に見初められる筈だという自負もある。
 そう……唯一自分が円香に対して羨望を抱くとするなら、かつて“姉様”の“妹”であったという一点のみだった。
「あぁっ、ぁっ……ぁっ……んっ、ぁっ……はぁっ、いいわぁっ……由梨っ……んっ……イきそっ……あんっ……あぁっ、いい? いつもみたいに、全部……飲むのよ」
 口を開いたままはしたなく喘ぎ、カリッ、と後ろ髪の辺りを指で掻く。いつもの“合図”だった。おぞましい、跪いて股間を舐める事すらどうでも良くなる程の屈辱的な瞬間の。
「ぁっぁっ……ァァァッアッ!!!!」
 びくんっ、びくんと腰を震わせ、甲高い声を上げて円香がイく。その刹那、由梨子は事務的に口を円香の股間に密着させ、溢れてくる液体を受け止めた。
 異様な臭気と味を伴う液体――愛液ではない、尿だった。それを一滴も零さず、喉を鳴らして飲み込む。
「ぁぁ……そうよ、全部っ……全部飲みなさいっ……ぁぁっ……!!」
 由梨子の髪を両手の指でなで回しながら、円香は腰を突き出すようにして排尿を続ける。自らの尿を飲み干す娘を見下ろして、恍惚に身を震わせながら、最後の一滴まで搾り出し、そこで漸く満足そうに息を漏らした。
「はぁぁ…………由梨、美味しかった?」
 興奮冷めやらぬ猫撫で声で問われる。
「はい……とても」
 大嘘だった。でも、そう言わねばどうなるか――由梨子は身をもって知っていた。
「そう。……じゃあ、綺麗にしなさい」
 これも恒例。尿と愛液に濡れた秘裂を舐め上げるのだ。由梨子は言われた通りにし、最後はトイレットペーパーで綺麗に噴き上げた。
 円香はまるで由梨子がそうするのが当然とでもいうかのように一切手を貸さず、後始末が全て終わると下着を履いた。
「じゃあ由梨。さっきの件頼むわね」
「あっ、先輩。待ってください」
 個室から出て行こうとする円香を、由梨子は呼び止めた。
「その、姉様の親戚の子の名前、教えてもらえませんか?」
「名前? まだ言ってなかったかしら」
 円香は惚けたような声を出す。相変わらず頭の悪い女――由梨子は心中でそう毒づいた。
「名前は紺崎真央。外見は……『あなた達が見たこともないくらい可愛い子』だそうよ。姉様も冗談が好きね」
 ふんと鼻で笑って、円香は個室から出て行く。排尿が済んだ為か、その足取りは軽かった。
「紺崎、真央……」
 由梨子は呟き、そして思った。これはチャンスかもしれない――と。

 最初はそれなりに恋愛感情らしいものもあった。円香との事――である。
 己の性癖――同性に惹かれるというそれには比較的早くから気づいてはいたが、公に出来る事ではないと思っていた。自分のような者は希有な例なのだと、後ろめたく思っていた。だから高校に入って、佐々木円香に声を掛けられた時にはつい嬉しくなって、そして気を許してしまったのだ。
 円香とて、最初からあのような仕打ちを強いてきた訳ではなかった。休日には一緒に出かけたり、買い物に行ったり――まるで女友達のような関係が一月ほど続いて、なし崩し的に体を重ねてしまった。
 それから徐々に、時と場所を選ばず体を求め合うようになり、円香が疑似ペニスで由梨子の処女を奪った辺りから態度が豹変し始めた。
 無論、行きすぎた行為に由梨子も初めは反抗し、拒もうとした。だが、その都度円香は制裁と称してますます由梨子を陵辱した。挙げ句、自分と別れるならば由梨子の性癖を周囲にバラすとまで脅してきたのだ。自分が同性しか愛せない女だと親兄弟、友人にバレるくらいなら、まだ円香の仕打ちに甘んじている方がマシだった。
 円香には最早愛情と呼べるようなものは完全に失していたが、それならそれと割り切り、極力利用してやることに由梨子は決めた。そう、この辺りから由梨子の視野に紺崎霧亜という人物が目標として据えられる事になる。
 まだ、豹変する前の円香に寝物語代わりに聞かされた話。嘘か誠か、在校時には百人を超える女生徒と関係を持ったと言われる紺崎霧亜。円香もまたその中の一人で、彼女同様霧亜に“妹”にされた者達は尊敬や畏怖、その他あらゆる感情を含めて彼女のことを姉様と呼ぶ。
 当然、それだけの数の女生徒が皆レズビアンであったとは考えにくい。つまり霧亜はその気がない女生徒でも己の気にさえ入れば手当たり次第に手を出していたという事になる。その中には教育実習生としてやってきた女教師も含まれていたというから、由梨子としては最早驚きを通り越して胡散臭い逸話の類に聞こえてしまった程だ。それでも円香の話を信用したのは、実際に霧亜に会ったからだった。とはいえ、言葉を交わしたわけではない。下校途中、何気なく街を歩いていた際にさるマンションの玄関から出てきた霧亜に出くわしたのだ。
 顔を知っているわけでもなかったのに、何故か人目で霧亜だと判った。強いて言うなら、無条件で女を引きつけるようなカリスマ――そういうものを感じ取ってしまった。背が高く、女らしいというよりは細身の青年といった感じの体型で、見知らぬ制服の女生徒をともなっていた。女生徒の目はうつろで、足下は覚束なく、何度も霧亜に支えられながら歩いていた。
 嫉妬――そう呼ぶのが正しい感情に、由梨子は襲われた。しかし、どうすることも出来なかった。声を掛けるなどとんでもない、視界にその姿を映すことすら恐れ多いとばかりに、まともに霧亜を見ることも出来なかった。
 その後、円香にせがんで一枚だけ霧亜の写真を譲ってもらった。学生時代の貴重なもので、それを譲ってもらう代わりにあの最も屈辱的な行為を強いられた。だが、霧亜の写真と引き替えと思えば、さしたる苦痛も覚えなかった。
 円香は図に乗り、それからも時折同様の行為を強いるようになった。由梨子は耐えた。そしてついに、霧亜に近づくチャンスを得たのだった。
 紺崎真央――彼女自身はどうでも良い。ただ、とにかく仲良くなって、霧亜を紹介してもらう。そうすれば、円香の事だってどうとでもなる。その確信があった。
 円香とて、おそらくは由梨子と同様の目的で、霧亜との縁を深める為に由梨子を利用しようとしているのだろう。そのために情報を漏らした――だが、最後に笑うのは円香ではなく自分であると、由梨子には奇妙な確信があった。


 紺崎真央が登校する当日、由梨子はいつになく早起きをして学校へと出かけた。教室へは行かず、校門のところで紺崎真央を待った。同じクラスに転入するのならば教室で待っていても良かったのだが、一刻も早く紺崎真央に自分を印象づけたかったのだ。
 同校生や通行人から時折奇異の目を向けられたが、関係なかった。ただひたすら待ち、八時を過ぎた頃――待望した人物が現れた。
 初見して、納得してしまった。なるほど、姉様の言葉は正しい――そう思えるほどに、向こうから歩いてくる女子高生は光っていた。
 外国人の血でも混じっているのか、髪の毛は普通の黒ではなく、金色に近い色をしていた。それでいて肌は雪のように白く、すらりと長い手足はやはり日本人離れしているように見えた。加えて、制服の上からでもはっきりと判る豊かな胸元。言うまでもなく顔の造作では自分とは勝負にならないとすら感じた。
 霧亜が、『悪い虫が付かないように守れ』と言うのも判る気がした。この容姿、およそ男子共が放っておかないだろう。そして同時に確信もした。彼女は、紺崎真央は霧亜の寵愛を受ける存在なのだと。
 身を焦がすような嫉妬というのはこういうものを言うのだろう。だが、不思議と紺崎真央自身には悪い感情は持たなかった。紺崎真央にはいわゆる『自分が美人だと知っている美人』臭さが微塵も感じられず、それでいて世間知らずそうな顔立ちはひどく無防備な印象を見る者に与える。彼女は間違いなく己の魅力に気がついて居らず、それ故に残酷なまでに人目を引きつけてしまうのだ。
 紺崎真央が徐々に近づいてくる。近づいてくると、隣に男をともなっているのが判る。紺崎真央にあまりに着目するが故、近くに来るまで全く気がつかなかった。
 男の素性はすぐに察しがついた。霧亜の言葉を借りるならば――正確には円香から聞いた霧亜の言葉を借りるなら――『出がらしの弟』だ。彼は知らないだろうが、霧亜の妹たちの間では有名人だった。そう、彼と関わり合うと霧亜に嫌われる、という意味で。
 由梨子は緊張した。紺崎真央に声をかけねばならない――が、なんと声をかけるべきか。
『おはよう』か、『はじめまして』か。それともいっそのこと『紺崎先輩に頼まれて……』と切り出すべきか。
 迷っているうちに紺崎真央が目の前まで来た。由梨子はとっさに声を出した。
「おはようございます」
 言ってから、敬語はまずいと思った。これではまるで隣の男に声をかけたようにとられるのではないか。
「……お、おはよう……?」
 案の定、勘違いした男が返事を返してくる。見ると、紺崎真央のほうは男の後ろに隠れるようにしている。どうやら人見知りをする子らしい。
 男と紺崎真央がなにやら小声でやりとりをする。不意に男の方が由梨子の方に向き直り、
「ごめん、何処かで会ったかな?」
 訪ねてきた。
「いいえ」
 由梨子は即答した。そしてすぐに補足しなければと思った。不審に思われるのだけは避けたい。
「貴方とは面識はない筈です。私はただ、紺崎さんを職員室に連れて行くように言われてるだけです」
 多少嘘が混じったが、バレてはいないようだった。
「ああ、そうなのか。一応転校生だもんな、じゃあ真央……ここでお別れだ」
 男はそう言って紺崎真央に前に出るように促した。一方、紺崎真央のほうは戸惑うように隠れたままだ。
「先輩も一緒にきてくれないんですか?」
「子供じゃないんだから、俺が一緒に行かなくても大丈夫だろ?」
 男に説得されるものの、まだ不安なのか、ちらちらと由梨子の方を見ながらなかなか近寄って来ようとしない。由梨子は焦れた。
「大丈夫です。紺崎さんは私が責任を持って守りますから」
 半ば強引に紺崎真央の手を引いて、校舎の方へと歩き出す。紺崎真央は軽い悲鳴を上げつつも、抵抗はせずについてきた。
「あ、あの……私……」
「私は宮本由梨子。紺崎さんと同じクラスです」
 戸惑う紺崎真央に微笑みかける。ひょっとしたら居るかもしれないライバル達に対して先手を打つことが出来て、由梨子はとても上機嫌だった。


 紺崎真央との接触はまずまずうまくいったが、彼女に対する男子達の反応には少々驚いた。
 それはまさにアリの群れに角砂糖という表現がそのまま当てはまるような有様だった。同じクラスの男子は当然、休み時間には他のクラスからも、はてや他の学年からも噂の転校生を人目見ようと廊下に黒だかりが出来る程だったのだ。
 紺崎真央は皆の過剰反応っぷりに怯えるように由梨子に寄り添い(それは由梨子にとっても望む形であったから)、結果的に由梨子が心ない男子共の矢面に立って真央を守る形になった。
 無論、幾人かの男子も同様に由梨子に協力してはくれたが、その全員に下心が見え隠れしていて由梨子は信用しなかった。
 結果、最初は真央の容姿に嫌悪を抱いて無視を決め込もうとしていた女子達まで男子のあまりのサカりぷりに腹をたてて真央を庇う――という図式が出来上がった。
 由梨子はそのリーダー格で、校舎内の施設の説明をするのもそれに連れ添うのも由梨子の役目だった。
 紺崎真央はどうやら内気な性格らしいというのはすぐに判り、ついでに言えばかなり人見知りをする方でもあるようだった。それ故か、誰も知り合いがいない教室内において唯一頼れるのは由梨子とばかりに話しかけてくるので短い間で二人の仲は驚くほどに親密になった。
 昼休みに食事に誘うと真央は多少戸惑いはしたものの承諾し、二人で男子の目をかいくぐって裏庭でこっそりと弁当を食べた。自分が映画に出てくるスパイにでもなったような気分で、由梨子も楽しかった。
 五時限目が始まるや、体の不調を訴えた真央を伴って教室を出たのも由梨子だった。先に保健室に連れて行き、その後で霧亜の弟――紺崎月彦を呼びに行った。ハッキリと口にはしなかったが、真央がそう望んでいたように見えたからだ。
 保健室は鍵は開いていたが、保健医は不在だった。紺崎月彦を保健室内に入れて、自分は見張りと称して保健室の外に出た。見張りというのも嘘ではなかったが、本当はあまり関わりたくなかったのだ。霧亜にとにかく嫌われているという、紺崎月彦と。
 しばらく待っても月彦が出てくる気配が無かったから、由梨子はちょっとだけ中を覗いてみることにした。そしてそこで――とんでもないものを見た。
 最初は、一体何をしているのか判らなかった。僅かに開いた隙間から見える範囲は決して広くはない。由梨子にかろうじて見えたのは、ベッドに座っている月彦と、床に膝をついて何かをしている真央の後頭部だけだった。
 或いは、最初から気がついていたのかもしれない。しかしまさか学校で、それもこのような時にそんなことをする筈がないという考えが真相から遠ざけてしまったのかもしれなかった。
 真央がやや体をずらした瞬間、由梨子の目に屹立した男性器が飛び込んできた。真央がそれを、愛しげに舐める――刹那、由梨子は引き戸を完全に閉じて目を背けていた。
 混乱した。一体どういうことなのか。二人はそういう仲だったのだろうか。
 由梨子の脳内に真央の、あの内気そうな面影がよみがえる。容姿はともかく、およそ色恋沙汰には疎そうに見えた。それなのに――。
 霧亜は二人の関係を知っているのだろうか。知っていて“妹達”に命令を下したのか、そうでないのかでは由梨子の役割も変わってくる。
 聞けば、真央も霧亜と同じ家に住んでいるのだという。あの月彦とかいう男とてそうだろう。であれば、霧亜が二人の関係を知らない筈はないのではないか。そうであれば、『悪い虫を寄せるな』という命令の範疇にはあの男は含まれていないということにはなるが……。
 しばらく考えて、由梨子は再び保健室内を覗き見ることにした。震える指をもどかしげに動かして、そっと引き戸を開ける。途端、何かが軋むような音が耳に飛び込んできた。
 軋んでいるのはベッドだった。由梨子の位置からは立てカーテンに遮られて全ては見えなかったが、ベッドが軋むほど二人が激しく睦み合っているのは明らかだった。
 微かに聞こえる、男の息づかいと真央の嬌声。二人とも一応は声を抑えているらしいが、それよりも衣類がこすれる音、ベッドの軋む音の方が遙かに大きいことには気がついていないようだった。
 それら雑音のせいで、二人がかわしている言葉もよく聞き取れなかった。それでも、二人がやっていることだけは十二分に理解できた。
 由梨子とて、一応経験はある。同性同士ではあるが、自分以外の者が快感を得た時どのようになるのか、またどのような声を出すのかは知っているつもりだった。
 それでも、衝撃的だった。微かに聞こえる真央の吐息、喘ぎは円香のそれとは比べものにならぬほどに艶を帯びていた。聞いているだけで体が熱くなり、つい下腹に指を伸ばしてしまいそうになる程に。
 なんていやらしい声を出すんだろう――半ば呆れ混じりに由梨子は思った。完全に快楽に溺れきったような声。遠慮してこれなら、抑えてこれなら……普段はいったいどれほどの――。
「……っ……」
 頭がヘンになりそうだった。真央と睦み合っているのは確かにあの男。であるのに、まるで……由梨子自身が真央を喘がせているかのように錯覚してしまう。体が火照って、熱くて、たまらなくなる。
 保健室内の二人は由梨子のそんな状態などお構いなしにお互いの体を貪りあい、快感を高め合っていた。漏れる声も徐々に大きくなり、軋む音も比例して大きくなる。
 あぁ……いっそ、いっそここで……慰めてしまおうか。二人の――否、真央の痴態を見ながら。由梨子は不意に背後を、周囲を見渡した。授業中故、廊下にもどこにも人影はなかった。
 おそるおそる、下腹に指を伸ばす。はあはあと息を荒げながらスカートの中へと忍ばせかけたところで不意に全ての音が止まった。二人の姿が重なったまま動かず、ケダモノのような息づかいばかりが聞こえる。終わったのだと、すぐに判った。
 真央の声が聞こえなくなった途端、急に頭が冷静になった。一体自分は何をするつもりだったのか、こんな場所で、あのようなものを見ながら――少なからず由梨子は自己嫌悪に陥った。
 程なく、授業終了のチャイムが鳴り響き、中の二人があわただしく後始末を始めたのを見て由梨子はとっさに引き戸を閉めた。どうしようかと少し考えて、全てを見なかった事にしようと心に決めた。

 後かたづけが終わったのか、程なく二人が保健室から出てきた。二人ともなんともバツが悪そうな、それでいてやることをやったためかひどく満足そうだった。
「……随分長いお見舞いでしたね」
 皮肉を込めてそう言ってやった。月彦の方が微妙な表情をしたが、真央の方は顔を赤くしたまま言葉を発しなかった。
「紺崎さん、もう気分はいいんですか?」
「うん……心配かけてごめんね、由梨ちゃん」
「いえ。紺崎さんの具合が良くなって何よりです」
 そもそも本当に気分が悪かったのだろうか。月彦と会う口実を作るために保健室に行ったのでは?――由梨子は一瞬そう考えたが、しかし保健室に連れて行くときの真央は本当に様子が変だったということを思い出して勘ぐりを止めた。とはいえ、たとえそれが真実だとしても真央が外見ほど『何も知らない』訳ではないということは分かったから、ひょっとしたら演技だったのかもしれない――程度の疑惑は残した。
 とにもかくにも、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。それにこの月彦と一緒に居るところを他の女子に――特に他の“妹に”――見られでもしたら面倒なことになるかもしれない。由梨子は真央の手を引いてすぐに教室に戻ることにした。
「あっ、待って……」
「……?」
 真央がふいに声を出し、足を止めた。
「あの……教室に戻る前に、ちょっと……トイレに……」
 真央は顔を赤くしながら呟き、横目でちらりと月彦の方を見た。なんだろう、まさか今からトイレで続きをするとでもいうのか?――由梨子は邪推をしたが、いくら何でもそれはないだろうと打ち消した。第一、自分の前で二人して女子トイレに入っていく筈もない。
 女子トイレの前まで案内して、真央に習って自分も中に入ろうとした。尿意は感じなかったが、月彦と一緒に居る所を見られたくなかったのだ。が、不幸なことに呼び止められてしまった。
 無視して入ってしまえばよかったのかもしれないが、真央と月彦がそれなりの仲だということを鑑みるとあまり邪険に扱って真央に良からぬ事を吹き込まれるなんてことがあるかもしれない。ある程度無難に相手をしておいたほうがいいと由梨子は判断した。
「なあ、一つ聞いてもいいかな?」
 些かばつが悪そうに月彦が切り出した。もしや、さっき覗き見していたのがバレたかと思って由梨子は心持ち体を硬くしながら返事をした。
「どうぞ」
「どうして、そんなに真央の面倒を見てくれてるんだ?」
 月彦の言葉を聞いた瞬間、体から力が抜けた。なんだそんな事かと思って、正直に答えるべきかどうかを少し迷った。
「紺崎先輩に頼まれたからです」
 結局、正直に答えた。
「……俺?」
 月彦が己を指さしながら、そんなとぼけた事を言う。刹那、由梨子は激昂しそうになる己を必死で抑えねばならなかった。あんたの事じゃない、霧亜姉様の方だと怒鳴りつけてやりたかった。
 喉までその言葉が出かかったところで、
「あ、ひょっとして……姉ちゃんの……?」
 月彦の方も漸く己の身分というものを察したようだった。由梨子も怒りを鞘に収めながらうなずいた。
「紺崎……霧亜先輩に、真央さんに悪い虫が付かないように守る様、頼まれました」
「なるほどなぁ……姉ちゃんに後輩の知り合いが居たなんて知らなかったな。部活とか何もやってなかった筈なんだが……」
 月彦は不思議そうにうなずき、そして興味深そうに由梨子の顔を覗き込んでくる。そうか、こいつは霧亜がどれほど後輩に慕われているのかを知らないのだと納得した。そして由梨子自身も、そんな霧亜を慕う数多の一人だということも。
「……そんな事、貴方には関係ない筈です」
 つい冷たい声を出してしまったのは、霧亜との距離を感じてしまったからだ。そう、直接の後輩というわけでもない。ましてや、声を交わしたことすらない。ただ、一方的に知っているだけの先輩。ひどく、遠く感じた。
 月彦の方は由梨子のそんなデリケートな心情など全く気にしていないようだった。由梨子の冷たい口調にも構わず、図々しくも会話を続けてくる。
「まあ、そうだな。そんなのはどうでもいい事だ。宮本さんって言ったかな。これはごくごく個人的な質問なんだけど」
「何ですか」
 答えながら、質問の多い男だと思う。
「真央のことは、好きなのかな?」
「好感は持てます」
 それが素直な気持ちではあった。好きです、とはっきり言えなかったのは、先ほどの光景がショックだったというのもあるが、だからといって好意が嫌悪に変わったわけではない。二人がやった事、学校内で性欲を処理することは決して褒められた事ではないが、他に例が全くないというわけではない。円香もその一人だ。
「だったら、姉ちゃんに頼まれた事とは別として、真央の友達になってやってくれないか?」
 月彦の言葉に、やや呆れた。言われるまでもなく、自分は真央と友達になるべく最大限手を打ち続けている。いまさら言われるまでもない事だった。
「いや、ほら……先輩に言われたから一緒に居るとかじゃなくて自発的にというか……嫌、俺が促してる時点でもう自発的じゃないか。うーん……なんて言やいいんだろ……」
 どうも勘違いしているらしい月彦に、由梨子はハッキリと言ってやることにした。
「真央さんと仲良くしてほしい、という意味なんでしたら、既にそれは達成されていると思います。私……真央さんの事、嫌いではないですから」
 ほっと月彦が安堵するのが分かった。なるほど、ようはそれを言いたかったのだろう。回りくどい物言いをする男だと思いつつ、その原因の一旦は自分の態度にあることも由梨子は認めていた。
 にしても、この男――従姉妹の(そしてひょっとしたら恋人の)真央を心配しているのは分かるが、それにしてもやや度が過ぎているのではないかと思う。先ほどの保健室に連れて行く際も気が気でないようだった。まるで初めて学校に行く娘を心配する父親のような――己の中に浮かんだ比喩を、由梨子は含み笑いで消す。
 霧亜に取り入ろうと考えている由梨子の立場としては、決して仲良くはなれない相手だが、しかし真央の事を心配し、気に掛けているという点だけは好感を持てた。同性に惹かれる性を持つ自分でさえなければ、或いはそれ以上の感情に発展したかもしれないが、生憎と由梨子は由梨子なのだった。
「もう良いですか。貴方とあまり話をしてはいけないと霧亜先輩から厳命されてますから。本当なら一緒にいる所を人に見られたくもないんです」
 本音ではあったが、些か心が痛んだ。眼前の男は評判ほど悪い男ではないと知ってしまったからだった。
「…………ひでえ言われようだ。鬼かあの女は」
 だが、月彦の呟きを聞いてその“悪い気”はすぐに失せた。誰であろうと霧亜のことを悪く言う相手は好きになれない。男であれば尚更だった。
「判った。とにかく疑問は無くなったし、不安も幾分解消された。俺は教室に戻るから、真央の事はよろしくな」
「言われるまでもありません」
 不出来な弟ではあるが、言われたことを理解する頭はあるようだと由梨子は思った。月彦は言葉の通り立ち去りかけて、不意に後ろを振り返った。
「…………さっき……さ、聞こえた?」
 小声で、そんな事を聞いてくる。さっき――とは保健室の事だろう。
「何がですか?」
「いや、聞こえなかったなら、いい」
 惚けたらあっさりと去っていった。あれだけベッドを軋ませて、声を上げて聞こえないわけはないだろうと思ったが、真実を教えたところで話がややこしくなるだけだと判断した。
 程なく、真央がトイレから出てきた。
「あれ、先輩は?」
「先に教室に帰るそうです」
 そう、と失意を隠さず呟いて、二人で教室に戻る。戻りながら、思う。真央は一体あの男の何処を気に入って、体を許しているのか。
 真央さえその気になれば、男であれば誰であろうとモノに出来るだろうにと思う。如何にも男好きのする体に、幼さを残した顔立ち。実際、馬鹿な男子達は騒ぎに騒いでいた。
 それでも、実際あそこまで騒ぐだろうか――という疑問はあった。確かに男子達の気持ちは分かる。仮に自分が男であれば、真央に好意を寄せずには居られないだろう。それでも、あそこまで熱狂的になるだろうか。
 真央の体から男を狂わせるフェロモンでも出ているのではないだろうか――そう疑いたくなる程に、午前中の騒ぎはすさまじかったのだ。体育の時などは真央の乳が揺れるたびに男共の中から歓声が上がり、体育教師までもがしきりに己の股間の膨らみを気にしていたのを由梨子は見逃さなかった。
 事実、真央の胸は人目を惹いた。更衣室で着替える時など、他の女子達がざわめいた程だ。制服の上からでさえ分かる程に大きいのに、それすら着やせしていたのだというからもはや呆れるしかない。
「もしかして……真央さんってハーフですか?」
 不意に気になって訪ねてみる。外人の血が混じっているなら、あのプロポーションも納得だと思ったのだ。
「うん……ハーフといえば、ハーフ……かな」
 真央は否定しなかった。なるほど、と由梨香は納得する。きっと母親もそうとうな巨乳なのだろう。自分の胸元に少々コンプレックスがある由梨子としては羨ましい話だった。
 不意に、先ほどの光景がフラッシュバックした。真央の豊満な胸をこね回す手。ぎゅうぎゅうと搾るように揉まれて、真央は痛くなかったのだろうか。自分であれば、悲鳴の一つも上げる所だと思った。
「どうしたの?」
 横を歩きながら真央の胸元に見入っていたせいか、真央が不思議そうに訪ねてくるのを笑って誤魔化した。そうなのだ――先ほど男に抱かれて喘いでいたのは、紛れもない、眼前の少女なのだ。
 あどけない顔で「変なの」と呟く真央。そんな彼女を見て誰が、ほんの少し前に男のモノを咥えていたと想像出来るだろう。背後からケダモノの様に突かれ、サカリのついたメス猫のように喘いでいたと分かるだろう。
 否。自分以外には想像も出来ない。由梨子自身、こうして真央と話をしていると先ほどの事が夢だったのではないかと思いたくなる程だ。
 あの声。聞かされるだけで体が熱く火照り、自慰をしたくなる淫らな声。もし自分の愛撫で聞くことが出来たらどんなに――。
 つい、真央の体を舐めるように見てしまう。そして美味しそうだと思ってしまう。今すぐ押し倒して、唇を奪ってやりたくなる。真央が嫌がるなら縛ってでも抵抗を封じ、じっくりと体を愛でながらあの声を――心がとろけるような真央の喘ぎ声を心ゆくまで楽しむのだ。
 無論、思うだけで実行はしない。実行はしないが、その時のことを想像するだけで由梨子は下腹に熱く疼くものを感じた。
 真央のフェロモンは男だけではなく女も狂わせるのではないか――由梨子は真央を犯したい衝動を胸の内に潜めながら、そんな事を考えた。

 授業が終わるなり、由梨子は真央と一緒に下校した。本当ならば部活の紹介などをさせるべきなのであろうが、それはほとぼりが冷めてからの方が良いと判断した。由梨子も部活に入っていなかったから(最初はテニス部に入っていたが、円香と交際する上で時間がとれないという理由で辞めていた)そのまま帰宅した。
 男子達から逃げるように帰路につき、ようやく真央の家までたどり着いた。自宅に帰るついでにしてはずいぶん遠回りをした形になるが、これはやむを得なかった。真央を一人で帰らせでもしたらそれこそ強姦補助と言われても仕方がないくらいの過失だと由梨子は思った。
 真央に家に上がっていくように勧められて、由梨子の心はかなり揺れた。真央の家、即ち霧亜の家である。上がれば顔を合わせる事があるかもしれない。そんなとき、どうすればいいのか分からなかった。確かに、そもそも真央と親しくしようとしたきっかけは霧亜と親密になりたいからではあったが、その様な不確定要素的に出会うのは恐かった。
 結局、そのまま帰る事になった。玄関先で真央と別れた後、猛烈な後悔が襲ってきたが、今更どうしようもなかった。
 家に帰るなり――否、自室に入るなり久しぶりに自慰をした。最初は勉強机用の椅子に座って、控えめに。だんだん気分が高揚して抑えられなくなって、立て続けに五回もしてしまった。行為に耽っている間の記憶は殆ど無く、椅子に座って始めた筈が気がつくとベッドの上ではしたなく足を開いていた。
 記憶が飛ぶほど自慰に耽った事が初めてなら、五回も立て続けにしたことも初めてだった。部屋の至る所には己が飛ばした蜜が付着し、両手ともどろどろに濡れて小振りな胸元も光沢を放っていた。声もそうとう出していた気がして、隣の弟の部屋の気配を伺ってみたが物音一つしなかった。まだ帰っていないらしく、由梨子はほっと息をついた。
 全ては、真央のせいだった。あの保健室の一件の後、真央をただの女子生徒だと、友達だと見れなくなった。否――それはただ気づくきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
 或いは最初から、真央の魅力に由梨子は参っていたのかもしれなかった。それを気づくまいとしていた所へ、あの保健室での光景が否が応にも気づかせた。即ち――真央と友達以上の関係になりたいと思い始めている自分に。
 一度気づいてしまえば、どう誤魔化しても無駄だった。側に居るだけで真央を抱きたくて、襲いたくてたまらなくなる。そういう類のフェロモンでも嗅がされているかのように、それは強烈な衝動だった。
 正直、よく耐えられたと思う。本当に真央がその種のフェロモンを発しているのだとすれば、常に側に居続けた由梨子が最も影響を受けたとも考えられるが、生憎由梨子はそのような――人の正気を奪うようなフェロモンの存在を信じていなかった。
 とはいえ、単純に魅力があるからというだけで真央に対してあそこまで欲情し、興奮してしまうのも変だとは感じた。だから――ひょっとしたら、そういうフェロモンは存在するのかもしれない。
 下校途中も終始疼いていた。人気のない路地などは何度真央に手を伸ばしかけたか知れない。それでも我慢出来たのは理性が頑張ったというのもあるが、霧亜の存在もまた大きかった。
 真央に手を出せば、間違いなく霧亜に知れるだろう。そうなったとき――特に真央が霧亜の寵愛を受ける身であった場合――どうなるか。想像するのも恐ろしかった。
 とにかく、その様に終始真央を襲いたくてうずうずしていたのだ。そうとう鬱憤が堪っていたのだろう。それが自室に戻るなり、一気に吹き出した。自らの指で膣をかき回しながら、頭の中では真央を押し倒していた。
 終わった後で、強烈な罪悪感が襲ってきた。真央に対しても、霧亜に対してもである。過去に霧亜の事を想いながら何度か自慰をしたが、徐々に罪悪感にさいなまれて未遂で止めた。
 それが――今回はどうだ。真央があられもない姿で喘ぎ、声を上げる様を想像しながらの自慰は興奮の度合いでは霧亜の時の比ではなかった。それはリアリティの問題でもあったかもしれないが――真央の場合、直に喘ぎを聞いたが、霧亜は無い為――その分を差し引いても余りある程だった。
 要するに、霧亜に対しては憧れに近い感情を持っていて、真央に対しては限りなく欲情していたという事なのだ。そう、あの下劣極まりない男子達と同じように。
 いや違う、少なくとも自分は真央自身には手を出そうとは思わない――そう言い訳づける事で由梨子は自分が見下した連中との差別化を図ったが、しかしそれも怪しいものだと自分自身分かっていた。
 真央の側に居て、手を出さないというのはそれこそ決して達してはいけない自慰を延々続けるようなものなのだ。そんなもの、耐えられる者など居るはずがない。
 霧亜に対しての気持ちは決して嘘ではない。にも関わらず、真央を自分のものにしてしまいたいとも同時に思う。その矛盾に由梨子は苦しんだ。そしてそんな由梨子をまるで救おうとするかのように、携帯電話が鳴った。液晶には、見たこともない番号が表示されていた。


 シャワーを浴びて着替えて、ついでに制服や教科書を鞄に詰めて由梨子は家を出た。台所で夕食の準備をしていた母親に今から出かける旨と、ひょっとしたら今夜は帰らないかもしれないことを伝えた。母親は比較的あっさりと承諾した。それもその筈、由梨子がこのようなことを言って出かける事はさして珍しく無いからだ。
 母親は、勉強会だと思っている筈だった。陳腐だが、意外に通じる手だった。もしかしたら、既に何かを察しているのかもしれないが、口を出してくる気配は無かった。事実、由梨子は成績優秀であったし、それ故か母親は由梨子の言うこと、することに殆ど口は出してこなかった。或いは、父が単身赴任で不在のうちに時折家に呼び込むようになったあの男との事で後ろめたい気持ちがあるのかもしれなかったが、由梨子にはどうでも良かった。
 無論、万が一の事を考えて友人には話を通してあって、有事の際にはつじつまを合わせてくれることにもなっている。そしてその友人も由梨子が出かける本当の理由は知らず、ただ隠れてつきあっている彼氏に会いに行くものだとばかり思っている。
 本当は、円香から呼び出されて出かけていたのだった。一度断ると家に押しかけられた事があった。家族の前ではさも後輩思いの先輩を装い、それでいて由梨子の部屋に入るなり豹変し、押し倒してくる。関係が家族にバレるのを懸念して由梨子が声を我慢していると、それをおもしろがるように円香は責めてきた。結果、なんとかバレずに済んだものの、それからは極力呼び出しを断らないように努めた。
 呼び出しはだいたい週に一度、多いときは三度ほど。平日にもかかわらず添い寝まで強要されて泊まりになることもあるから用意は必須だった。
 だが、今回の呼び出しはそういう意味では全く違った。最初は見慣れない番号からの着信ということで無視しようとした。しかし2回、3回とコールが続くうち――登録していない番号では着歌でも着メロでもなく普通にコールするように設定していた――もしやという気にさせられたのだ。そしてその予感は当たった。
『貴方が由梨ちゃんね』
 聞き慣れない声だった。しかしそれこそ由梨子が待ち望んだ声だった。
『真央ちゃんから聞いたわ。随分良くしてくれたそうね』
 何か答えねばならないと思った。しかし、舌の根が凍り付いて動かなかった。
『是非ともお礼がしたいわ。今夜時間とれるかしら? もしとれるなら――そうね。××××にいらっしゃい。八時に待ってるわ』
 電話の主はそう言った後、しばし間を置いて電話の向こうでくすりと笑った。そして電話は切られた。
 由梨子は呆けていた。全く予想していない――否、予想はしていたが、まさかこんなに早く実現するとは思ってもいなかった。声の主は紺崎霧亜に違いなかった。確証はないが、確信があった。
 しばらく思考停止に陥り、ハッと我に返った時は七時を過ぎていた。霧亜の言葉を思い出して、大急ぎで準備を始めた。シャワーを浴びて、一番お気に入りの服を着てスカートを履いて、迷った挙げ句最低限の化粧だけをして家を出た。
 動悸が止まらなかった。急ごうとしても巧く歩けず、何度か倒れそうになってしまった程だ。
 途中、幾度と無く立ち止まって先ほどのは幻聴だったのではないかとさえ思った。いくら何でも今日の今日で声がかかる筈がないと。そうあって欲しいと願う余りに作り出してしまった疑似の記憶ではないかと。
 第一、先ほどの電話にはおかしな点があった。いくら従姉妹が世話になったからといって、その相手を即日呼び出したりするものだろうか。
 電話番号は真央から聞いたのだとしても――本当は携帯のメアドと番号を交換しておきたかったが、真央が持っていなかった為電話番号だけ教えた――、先ほどの霧亜の口ぶりはまるで由梨子が霧亜に会いたがっていることを見透かしているかのようだった。
 無論、自分が霧亜に心酔している事など真央には言っていない。ならば何故――円香から自分の事を聞いたのだろうかとも思ったが、あの女が霧亜に由梨子を売り込むような事をするとはどうにも信じられなかった。
 終始疑いながらも、霧亜に指定されたマンション××××までやってきてしまった。ここに来るのは二度目だった。何を隠そう霧亜と初めてであった場所こそ、このマンションの前なのだ。
 腕時計を見ると、約束の時間より少し前。まだ霧亜は来ていないのか、周囲を見てみてもそれらしい人影は見あたらなかった。一日千秋のような間隔で霧亜を待ちながら、そしてふと考える。霧亜は何故この場所を待ち合わせ場所として選んだのか。
 無論、マンション自体目立つから待ち合わせの目印に向いているという可能性もある。が、それならば他にもいくらでもある筈だ。それなのに何故――ひょっとすると霧亜は既に実家を出ていてここで暮らしているのだろうか。そんな事を考えながらマンションを見上げてみる。――その時、由梨子の背後の空気がふわりと動いた。
「こんばんわ」
 背後から――否、“隣”から声をかけられた。由梨子はびくりと体を震わせた。いつのまにか、肩を抱かれていた。
「それとも、初めまして?」
 まるで由梨子の反応を楽しんでいるように、紺崎霧亜は冗談めかして言った。
「無口なのね。ひょっとして人違いだったかしら?」
 霧亜が離れる気配があって、由梨子はとっさに口を開いた。
「ち、違います! 私、です……」
 自分でも何を言っているのか分からない上、『違います』の半分以上は裏声だった。羞恥に顔を真っ赤にしていると、くすりと霧亜が笑った。
「あら……貴方とは、前に一度会ってるわね。覚えてない?」
 覚えてない筈は無かった。たった一度きりの邂逅、全てはそれから始まったのだから。
「お、覚えて……いて、くださったん、ですか」
 やっとの事でそれだけ絞り出した。霧亜にしてみれば、たまたま目の前に居た女の子の一人。毎日何人、何十人と見るどうでもいい存在の一人の筈の自分が覚えられていたことがどうしようもなく嬉しかった。
「そりゃあ、初対面であんなに睨みつけられたらね。それに貴方、可愛いし」
 可愛いと言われ、ますます顔が赤くなる。睨んでいたのではなく、隣に居た他校の女子生徒に嫉妬していたのだと説明したかったが、とても無理そうだった。
「私、好みの娘は忘れないのよ」
 由梨子にとって、トドメの一言だった。憧れの霧亜に“好み”と言われて、危うく失禁しそうになった。
「大きな鞄ね。もしかして何処かに泊まりに行く途中だったの?」
「いえ……あの、これは……」
 家を出る際、いつもと差異があって不審がられてはいけないと思って持ってきたものだった。思い返せば、中身まで一緒にする必要は無かったのだ。
「予定があるなら、別に後日でもいいんだけど」
「ち、違います……これは、その……泊まりになってもいいようにって……着替えとか、を……」
 霧亜に見放されるのが嫌で、必死に弁明をする。が、舌足らずでとても全てを説明しきれない。
「……やっぱり、そうなのね」
 霧亜は何かを確信したようだった。にぃっ、と口の端をゆがめる。そこで漸く、由梨子は自分がとんでもない墓穴を掘ったことに気がついた。これではまるで、霧亜と一晩過ごすことを期待して着替えを持ってきたかのようではないか――と。
「いいのよ。別に私は――今夜は由梨ちゃんの為に空けてあるし。泊まりでも」
「あ、ゃ……その、そういう、意味じゃ……」
「やっぱり別の予定があるの?」
 尋ねられて、由梨子はもう何も言えなくなってしまった。ただただ顔を赤くして、うつむいてしまう。霧亜がまたくすりと笑うのが分かった。
「部屋、行こっか」
 耳元で囁かれて、由梨子はもう頭の中が真っ白になった。

 まるで夢のような――そう、夢の中に居るように、体がふわふわした。あまりの緊張と興奮に三半規管が壊れてしまったのかもしれない。
 好きなバンドのライブなどに行って失神してしまうファンが居るというが、由梨子にはその気持ちが痛いほど分かった。事実、霧亜に伴われて部屋に行くまでに幾度と無く意識が遠くなった。
 ドアを開けて部屋に入るなり、霧亜はリビングの長いソファーに斜めに寝ころぶように座った。まるで我が家のようにくつろぐ様に、いかにこの部屋に来ているかが窺い知れた。
「どうしたの。座っていいのよ」
 霧亜に手招きされるまで、由梨子は立ちつくしていた。招かれるままに、霧亜の隣に座る。腰が沈むほど柔らかいソファーだった。
 見れば調度品も、絨毯も由梨子の家にはないような品ばかりだった。奥には寝室と思われる部屋があり、他に風呂やトイレへと通じるらしい通路がある。由梨子にはこういった物件の相場など知るよしもないが、決して安い額ではないのではないかと思った。
「凄い部屋、ですね……」
「んー。割と気に入ってる方かな。住む気はしないけど」
 まるでこのような部屋をいくつも持っているかのような口ぶりだった。由梨子が驚いていると、
「もらい物よ。私が買ったわけじゃないわ」
 霧亜は苦笑して付け足した。謙遜しているつもりなのだろうか――いずれにせよ由梨子には信じられない話だった。
「何か飲む?」
「い、いえ……」
 緊張の余り、反射的に断ってしまう。喉は痛いくらいに乾いているのに。
「嘘。汗びっしょりじゃない」
 霧亜に指摘されて、また顔が赤くなった。緊張の余り、それが最早汗なのか冷や汗なのかもわからない。
「とりあえず、ジュースでいっか。とってきてあげる」
「あっ……」
 由梨子が止める間もなく、霧亜はソファの前のガラステーブルをひょーいと長い足で飛び越えてキッチン横の小型冷蔵庫を開けた。中には飲み物類や保存の利くつまみ類などばかりが入っているようだった。
「炭酸系とそうじゃないの、どっちがいい?」
「えと、普通ので……」
 何が普通だ――と、由梨子は自分の言葉にダメ出しをした。愛しの先輩を前にヘマをしまいと思えば思うほどしくじる自分に腹が立った。
 霧亜に飲み物をとってもらうなり、すぐに栓を開けて口をつけた。喉がカラカラに乾いていたものの、一気に飲み干すのははしたない気がして、態と何度かに分けて飲んだ。
 霧亜の方は余り喉が渇いてないのか、さして口をつけていないようだった。
「真央ちゃんってさ、可愛いでしょ?」
 不意に話しかけられて、由梨子はジュースを吹きそうになってしまった。
「そう……思います」
 多少むせながら答える。ああ、またヘマをしてしまったと由梨子は泣きたくなった。
「だから心配だったのよ。さすがに学校の中について行ってあげるわけにもいかないし。ホント、こんな事なら勉強教えたりするんじゃなかったわ」
「あの……真央さんって前の学校では……どうだったんですか?」
 霧亜の言葉にふと違和感を覚えながらも、由梨子は思いついた疑問を口に出していた。
「さぁ……どうなのかしらね。私は“うちに来る前の事”は知らないわ」
 意味深に霧亜が笑う。由梨子はそれ以上追求出来なかった。
「真央ちゃん、貴方のことばかり話してたわよ。ずっと一緒に居てくれたって。ほんと、助かったわ」
「いえ……そんな……」
「それで、誰に頼まれたの?」
 どきりとするような声だった。冷たい、とかそういうのではない。怒っているわけでもない。さっきまでと何も変わらない様でいて、何か致命的なものが違う――声。
「え……」
「真央ちゃんと仲良くするように、誰かに言われたんでしょ?」
 決して怒っているわけではない。むしろ嬉々として、単純に好奇心から訪ねているような声だった。
「朝、校門で待っててくれたんでしょ。どうして真央ちゃんがその日転校してくるって知ってたのかなぁ……って考えたら、答えは一つしかないでしょ?」
 そういうことだったのか――由梨子は真央との接触を焦る余り、己が大きなミスをしたことに漸く気がついた。
 ただの生徒が、転校生がくる日など判る筈がない。ましてや、その姿形、名前までも知る筈がない。となれば、霧亜にしてみれば自分が“妹達”に出した指令を鑑みて――その関係者だと思い当たるのは自明の理。つまり由梨子は――自分の妹たちの誰かの妹であると考えつくのは必然と言える。
 永遠に隠し通せるとは思ってもいなかった。だが、そのことは自分の口から言うべきことであって、先に知られたくはなかった。が、最早それも詮ないことだった。
「……か先輩。円香、先輩です」
「知らない名ね。名字は?」
「佐々木……円香。三年生です」
「三年……それなら知っている筈なんだけど。覚えがないわ。どんな娘?」
 由梨子は円香の特徴を可能な限り霧亜に伝えた。ひとしきり聞いた後で
「ああ、あのヘタクソな娘」
 と思い出したようだった。
「すっかり忘れてたわ。何をやらせてもダメで、すぐに捨てちゃったから。……変ねぇ、あの娘には何も教えてない筈なんだけど……誰かが漏らしたのかしら」
 霧亜の中での円香の印象はどうやら良いものではないようだった。そしてそれは同時に由梨子に円香の嘘を知らせることにもなった。
 かつて円香は自分は霧亜の寵愛を受け、卒業した今でこそ疎遠になったものの在校時は三日と空かずに愛でられていた――などと吹いていたが、やはりそれは嘘も嘘、大嘘だったのだ。最も、由梨子とて信じていたわけではなかったが、霧亜の対応を見るとそれ以下の仲だったらしい。
「……ってことは、あの娘が貴方の?」
「…………です」
 胸が締め付けられる思いだった。霧亜にとって『ヘタクソな娘』とこき下ろされた円香のさらに妹である自分を霧亜はどう思っているのだろう。そのことを想像すると、今すぐこの場から逃げ出したくなった。
「うーん」
 霧亜は腕組みをして何か悩んでいるようだった。
「分からないわ。どう考えても。あの娘が由梨ちゃんとつきあえるとはとても思えない。ごめんね、こんな事言って」
 突然謝られて、由梨子は何故霧亜が謝ったのか理解できなかった。そして気がついた。霧亜は知らないのだ。由梨子がとうに円香に愛想をつかしていることを。
 言うなら今ではないか――そう思った。円香の暴虐の事を、霧亜に言うのは今だ。告げ口をするのは気が引ける――等という感情は最早持ち合わせていない。由梨子は円香に関する事を、なれそめから現在に至るまでの事を細かに霧亜に伝えた。
「なるほどね」
 霧亜は表情を変えずに言った。
「つまり貴方は、その娘の事を私に言いたくて、真央ちゃんを利用したわけね」
 悟られたくない事ではあったが、やはり霧亜は気づいていた。下手な弁解は見苦しいと思って、由梨子は潔く頷いた。
「ん。思った通り、なかなか賢い子ね。下手な弁解をしない由梨ちゃんのそういう所、好きよ」
 霧亜の言葉に由梨子は少々面食らった。霧亜は真央を利用した事を怒るとばかり思っていた。なのに、由梨子のことを好きだと言う。
「そういう子だから、確信も持てるわ。貴方なら真央ちゃんを守りきってくれるって事と、打算だけで真央ちゃんと仲良くしたんじゃないって事も。ホント、良かったわ。由梨ちゃんみたいな子がいるクラスで」
 霧亜は子供のように無邪気に微笑み、いいこいいことばかりに由梨子の頭を撫でる。先ほどのように冷徹な声を出したかと思えば、今度は子供のように笑う。それが演技に見えないから、尚更戸惑った。
「褒めてるつもりなんだけど、嬉しくない?」
「いえ……嬉しい、です」
 辿々しい口調で答えて、まるで嬉しくないけど無理して言ったような口調だな、と由梨子は思った。無論本当は嬉しくてたまらないのだが。
「それで、どうする?」
 霧亜が笑顔で聞いてくる。気のせいか、さっきよりも距離が近いような気がした。知らぬ間に霧亜が身を寄せてきたのだろうか。
「その娘の事よ」
 肩を抱くように回された指が、つつと動いて由梨子の首の当たりを撫でる。
「殺しちゃう?」
 くっ、と軽く首に爪を立てられて、由梨子はびくりと体を震わせた。ふふと霧亜が笑う。
「冗談よ」
 全く同じ、楽しそうな口調で言って爪を立てた辺りを優しく撫でる。本当に冗談だったのだろうか――そんな詮ないことを由梨子は思った。
「由梨ちゃんはどうしたいの?」
 問われて、由梨子はふと思った。自分はどうしたいのだろう。円香の事を霧亜に言えば、霧亜が何とかしてくれるとは思った。具体的にどうしたいかを聞かれることまでは想定していなかった。
「……別れて、欲しいです」
 素直な気持ちだった。そもそもそれが出来ないから――霧亜に相談をもちかけたのだから。それさえ出来れば、由梨子は満足だった。しかし――
「それだけでいいの?」
 霧亜の声はとても無邪気で、例えるなら昆虫を玩具に遊んでいる子供のような声だった。
「嫌なことをされて、脅迫されて、ただ別れるだけでいいの? 仕返しをしたいとか、そういうことは思わないの?」
「それは……」
 確かに、そういうことを考えた事もあった。しかし、そういったことにあまり本気になれなかった。悪い結果しか生まない気がしたからだ。
「私がかわりにやってもいいけど、どうせなら自分でやりたいでしょ?」
 まるで悪魔の囁きだった。由梨子はそこまでは望んでいない。しかし、霧亜の言葉に徐々に心を動かされる。
「由梨ちゃん、良いこと教えてあげるわ。……年上の娘に命令するのって、すっごく気持ちいいわよ」
「…………っ……」
 霧亜に囁かれて、つい想像してしまった。あの円香に命令……服従、屈服させる様を。そしてそれは……由梨子が望めば実現する未来なのだ。
「気持ちよすぎて、クセになっちゃうくらい。ああ……そういえば一つだけあの娘の良いところを思い出したわ」
 くすくすと霧亜が思い出し笑いをする。
「踏むと、とってもいい声で鳴くの。由梨ちゃんもやってみるといいわ」
「でも……私、先輩とは違います、から……言うことを聞かせることなんて……」
「簡単よ?」
 言葉の通り、霧亜はごくごく簡単に言った。
「“姉様に聞いた”って言えばいいの。それであの娘は由梨ちゃんのいいなりよ」
「たったそれだけで、ですか?」
「信じられない?」
 霧亜が身を寄せてくる。すでに太股はぴったりとくっついていた。
「そうね、あの子鈍いし、変なところで疑り深いから……じゃああの娘の絶対人に言えない秘密をひとつ教えておくわ。それで信じるでしょ」
 そう言って、霧亜は由梨子に耳打ちをする。
「本当……ですか?」
「ええ。あの娘、変態でしょう?」
 霧亜は小悪魔の様に笑い、さらに続けた。
「他にもいくつか、耳を疑うようなのがあるけど、そっちは由梨ちゃんが自分で吐かせるといいわ。昔、私がしたみたいに……くすっ、ひょっとしたら私も知らない事を教えてもらえるかもね」
 霧亜の話を聞いて、納得した。そうなのだ……いくら由梨子が言いなりとはいえ、まるで便器の代わりとでもいうように人に尿を飲ませる等およそ正気の沙汰ではない。円香はそもそも変態的な性癖を持つ女だったのだ。
「ダメだわ……」
 霧亜が不意に呟く。
「今日の私、少し変かもしれない。いくら由梨ちゃんが可愛いっていっても、こんなにペラペラとほかの娘の秘密喋っちゃうなんて」
「いつもは……違うんですか?」
「うん……そうね。全然違う……少なくとも……こんな気分にはならないわ」
 肩の辺りを撫でていた霧亜の指が、首筋を撫でながら頬に添えられる。
「なんだか、由梨ちゃんの為ならなんでもしてあげたい気分。ダメよね、真央ちゃんの友達だからって贔屓なんかしたら」
 霧亜がさらに身を寄せて来て、由梨子は反射的に逃げるような仕草をした。しかし、ソファーの端に座っている為、霧亜に迫られれば逃げる場所はない。
「それとも真央ちゃんの事とは関係なしに、由梨ちゃんが可愛いからこんな気分になるのかしら。自分でも分からないなんて……こんな事、初めてかも」
「……そん、な……先輩、嘘……です」
 嘘だと思いつつも、由梨子の体は霧亜の言葉に反応するように火照り始めていた。憧れの先輩に“特別”だと言われる――それだけで身震いするほど嬉しかった。
「あ、の……霧亜、先輩……その、私……」
 不意に太股の辺りを撫でられて、由梨子は反射的に口を開いた。開いた瞬間、言うべきことを忘れてしまた。ありえない事だった。
「なに?」
 柔らかい声で霧亜が聞き返し、太股を撫でていた手が引かれる。由梨子は狼狽しながら、ようやく言うべき言葉を思い出した。
「私……ずっと、先輩の事、好き、で……」
「私も由梨ちゃんの事大好きよ」
「…………ぅ……」
 不思議な感覚だった。ただ、霧亜に好きだと、可愛いと言われるだけで体が内側から火照り、動悸が速くなる。こんな事、円香とのなれそめの頃だって経験したことはなかった。
 霧亜はさも慣れた仕草で、それでいて自然に由梨子の肌に、服に触れる。火照った肌をそうして触られているだけで由梨子は心地良かった。
「せ、先輩……私……」
「うん?」
「私……先輩、と………………」
 言葉が続かなかった。熱で魘されているように頭が働かない。霧亜に密着され、体を抱かれていなければ自分が座っているのか寝ているのかも判らない程だった。
「私と、なに?」
 霧亜は愉快そうに微笑んで、由梨子の顔を覗き込むように身を寄せる。互いの吐息が唇に触れそうな距離――由梨子はますます顔を赤くした。
「せんぱ……い……と――」
 由梨子はかすれた声で漸く言葉を紡ぎ出す。鼓動が早すぎて、頭がおかしくなりそうだった。
「キス、したい…………です」
 何とも浅ましく、厚かましい願い――正気であればまず言わない、言えない嘆願。しかし、憧れの先輩を目の前にして恋熱に魘された由梨子は最早正気ではなかった。
「キス……したい?」
 霧亜の指が、由梨子の唇に触れる。弄ぶように、そこを撫でる。霧亜の指に吐息を吹きかけながら、由梨子は小さく頷いた。
 まるで、時が止まったかのようなキスだった。何の変哲もない、ただ唇を重ね合わせるだけのキス――その筈なのに何かが致命的に違う。
「……ぁ……」
 唇が離れた刹那、微かに喘いでしまう。離さないで欲しかった。もっと、もっと長く――。
「んっ……!」
 願いが通じたのか、再び唇を奪われる。先ほどよりも些か長く、強引に。霧亜の手が由梨子の後ろ髪に回り、そっと撫でられ、徐々に――ゆっくりと、ソファに押し倒される。
「……可愛い」
 霧亜が呟き、再びキス。まるで由梨子の唇を食むように、味でも調べているかのように。由梨子は誘惑に勝てず、遠慮がちにしながらも霧亜の背中に両手を回し、抱きついた。
「んっ……ン……」
 密着して、しばし陶然と唇を絡め合う。興奮が高まるにつれて自然と舌が伸び、絡まり合い、淫らな音を立てる。
 長い、とても長い。それでいて酷く短い――終わってみればほんの一瞬の事だったようなキス。霧亜が再び唇を離した時、由梨子の肌はすっかり上気し、まるで絶頂に達した後のように全身に力が入らなかった。
「……まだする?」
 一瞬、霧亜が何を言ったのか分からなかった。痺れた頭をなんとか動かして、言葉に集中する。
「キス……まだしたい?」
 霧亜の指が、再び由梨子の唇をたどる。たどって、ゆっくりと人差し指が差し込まれる。由梨子が指を舐めようと舌を出しかけた時、不意に指が引き抜かれた。
「それとも――」
 濡れた人差し指が、僅かに隆起した部分に添えられる。
「ぁ、……ぁ……せんぱ、い…………」
 下着の上、シャツの上から、霧亜の指は的確に由梨子の突起を捉え、優しく擦る。それだけで、声が出そうになってしまう。普段ならば、絶対に考えられない事だった。
「先輩……もっと、もっとして……ください……ぁ、ぁ……」
 もどかしい愛撫に、たまらず懇願してしまう。霧亜は微笑を一つ、そしていとも容易く、由梨子の衣類を脱がしていく。そう、まるで食べ慣れたフルーツの皮でも剥いているように、容易く。由梨子はたちまち下着だけの姿にされた。
「可愛い下着をつけてるのね」
 淡い緑色のブラを認めるなり、霧亜が呟く。由梨子は反射的にブラを隠すような仕草をしてしまう。
「すごく似合ってる……羨ましいわ。私はほら……男みたいに身長あるし、こういうの似合わないのよ」
「そんなこと……ないです……先輩のほうが、ずっと――」
「ふふ、ありがと」
 お礼混じりにキスをされ、陶然としている間にブラまでとられた。小振りな乳房と、興奮して尖りっぱなしの突起が恥ずかしくて両手で覆ってしまう。本当は、霧亜に直に触って欲しくて堪らないくせに。
 霧亜はそんな由梨子の心中を知ってか知らずか、無理に手を引きはがすような事はしなかった。愛でるように由梨子の頬にキスをし、そのまま耳に舌を差し込んだ。
「あッ……!」
 勝手に声が出て、体が撥ねる。
「やっ……せんぱっ……あっ、ぁぁっあッ……!」
 円香との時には、耳を舐められた事など無かった。ましてや、霧亜に散々囁かれて敏感にされた今となっては、ただ耳を舐められているだけで危うく達してしまいそうだった。
「まだ……隠す?」
 散々喚かされた後で漸く耳から舌が引き抜かれた。すっかり脱力し、焦点も危うげな由梨子に笑みを一つ零してその視線が胸元へと向く。
「あぁ……やぁ………あ、んっ!」
 尖った先端を舐められ、また体が撥ねる。
「あっあっ、せんぱっ……あァッ! あっ……んっ……はぁぁぁ……あぁぁぁ……ぁあぁっ、んっぁ……はあ、あふっ…………」
 吸われ、噛まれ、舐められ、揉まれる。揉まれながら何度もキスをされ、さらには耳を撫でられ、喚かされる。
 霧亜の方も、由梨子が特に耳の愛撫には反応が良い事に気がついたのか、ことある毎に責めてくる。それも、ひとしきり由梨子に喚かせたらすぐさま舌を抜き、唇を奪いながら指先で乳首を弄ぶようにして焦らす。そう、霧亜は決して由梨子をイかせないようにしているのだ。
「んぷっ、んっ……んっ……んぷっ…………ぷはっ……あぁぁッ! やぁぁぁっ、……先輩っ……ぁっぁっ……あぁあっ、あっああっ!!!!……………………ふぁぁぁっ……ぁ……」
 唇に指を入れられ、しゃぶらされながら胸を耳を愛撫される。それでも由梨子が達しそうになると、すぐさまイかない程度の弱い愛撫に切り替えられる。そのような事を数回繰り返されて、由梨子はもう気が狂いそうだった。
「……イきたい?」
 人差し指で乳首を弄びながら、霧亜が囁いてくる。由梨子は恥も外聞もなく頷いた。
「ちゃんと口に出して」
 ぴんっ、と乳首を軽く指で弾かれる。その後で摘まれ、転がされる。
「由梨ちゃんのおねだり、聞きたいな」
「……そん、な…………ぁっ……」
 胸を弄っていた霧亜の指が、腹の方へと、臍を通り越して既に色が変わるほど濡れそぼった下着の方へと向かい、止まる。
「ぁぁっ……先輩、っ……ぁっぅ…………」
 初めての経験――ではあった。円香に強制されて無理矢理淫らな言葉を言わされた事はある。しかしそれはあくまで強制されての事であり、由梨子自身が求めての事ではなかった。
 今回は違う。快楽に負けて、自ら考えた言葉で“おねだり”をしようとしているのだ。言うなれば今から口に出すのは由梨子の本心に相違なく、心をさらけ出して魂を露わにするような行為だった。そしてそれは由梨子にとって裸の肉体を見られるよりも何十倍も恥じらう事だった。
「……たい……」
「うん?」
「イきたい……お願い、です……先輩、イかせて、下さい……」
 演技とは違う。本音での言葉。由梨子は顔を羞恥に染め、霧亜の手を握りながら訴えかける。
「くすっ……本当、たまらないわ」
 霧亜は媚笑を浮かべて、濡れそぼったショーツを優しくまさぐる。
「由梨ちゃんみたいにクールで頭の回りそうな娘におねだりしてもらうのって大好きなの。可愛いわ……」
「ひぁっ……せ、んぱ――」
 霧亜の手が、ショーツの中に潜り込む。由梨子は反射的に腰を撥ねさせた。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ…………」
 ぬっ……と細いものが膣の中に入ってくる。その指の感触から、逆に自分の中がどれほど濡れて、指に吸い付いているかが判ってしまう。
「ふふ……由梨ちゃんの中……凄く熱い……ひくひくしてる」
 霧亜は態と由梨子の耳元で感想を述べ、そのまま指を動かさずにただ由梨子の反応だけを観察する。
「由梨ちゃん……今日、オナニーしたでしょ?」
「えっ……」
 霧亜の突然の言葉に由梨子は素っ頓狂な声を出してしまう。
「それも一回や二回じゃないわ……何となく判っちゃうのよね………………したんでしょ?」
「……して、ません…………あうッ!!」
 くっ、と急に指が曲げられ、引き抜かれる。とろりとした蜜に濡れた人差し指を、霧亜は見せつけるように由梨子の眼前に持ってきて、そして舐めてみせた。
「……嘘をついている味ね。本当はしたんでしょ?」
「…………は、い……」
「真央ちゃんの事を考えながら?」
「っ……!」
 驚いて、霧亜の方を見てしまう。それがいけなかった。
「あら、最後のは当てずっぽうだったのに。……ふうん、由梨ちゃん、真央ちゃんのこと好きになっちゃったのね」
「ぁ、ゃ……ち、違っ……」
「何が違うの?」
「っ……やぁうッ!!」
 ショーツの上から股間をまさぐられ、体が撥ねる。霧亜の指はショーツの上から的確に、由梨の勃起した場所を刺激してくる。
「ぁっ……ぁっ……ぁっ……せ、んぱ……そこっ、ダメっ……やっ……!」
「いいのよ、隠さなくて。オナニーするのも勝手。でも……真央ちゃんに手を出したら……判ってるわね?」
 きゅっ、と突起が摘まれ、由梨は腰を撥ねさせて軽くイッた。でも、それはただの前兆だった。
「あっあっあっぁっ! やぁっ、せんぱっいィ、そこっ、やッあっ、あっあぁぁぁああッあっあッあァァッ!!!!!」
 霧亜の手が、蛇のような動きでショーツの中へと再び潜り、由梨子が弱いところを責め立てる。痙攣するように体を震わせて由梨子は断続的に、何度もイかされた。目眩がするような快楽と、天地が逆転するような浮揚感に頭がおかしくなりそうだった。
「いい? ちゃんと約束して。真央ちゃんには手を出さないって」
 絶頂後の余韻に混じるような優しい愛撫。小振りな胸を、腹を、太股を、頬を、髪をやさしく撫でられる。霧亜の口調は優しい、しかし決して拒否出来ない重みがあった。
 由梨子は朦朧とした意識の中で頷いた。半ば条件反射的な反応であり、最早まともに頭は働かなかった。
 霧亜は笑顔を見せて、それから本格的に由梨子の体を責め始めた。否、弄んだと言っても良かったかもしれない。霧亜にしてみれば、自分が触るたびに声を上げ、面白いくらいに簡単にイく由梨子は楽しい玩具だった事だろう。
「由梨ちゃんは耳が弱いのね」
 すっかり快楽に浸かった意識の中でその様な呟きを由梨子は聞いた。
「あと、汁気も凄く多いわ。すぐ溢れさせちゃうのね。可愛い……」
 十数回イかされた後は、自分が何をされているのかも判らなかった。ソファに座ったまま、霧亜に包み込むように背後から抱かれ、指で膣を、陰核を弄られながらキスを、或いは耳を舐められ、食まれる。そんなことをされていた気がする。その都度、はしたなく声を漏らし、喘ぎ、時にはもう愛撫を止めるように懇願を、そして早くイかせてと嘆願をした。
 少し休憩があって、喉が渇いたでしょうと何かを飲まされた。酒だったのか、お茶だったのかすら覚えていない。ただ、口移しで、舌を絡めながら何度も飲まされ、それだけで由梨子はまたとろけてしまった。体が、もっと熱くなるのを感じた。
 その後は、ソファではなくベッドで愛でられた。体中余すところなく愛撫され、キスをされ、胸や耳、股間はとくに重点的に舐められた。何度か恥蜜を飛ばして霧亜にかけてしまい、そのたびに「悪い子ね」とさんざん焦らされた挙げ句気が狂うほど激しくイかされた。


 しっかりと意識を取り戻したのは夜明け前だった。失神していたのか、寝ていたのかも定かではない。ただ、自分は一糸まとわぬ姿で霧亜に抱かれたまま意識をなくしていたらしい。
 耳元に、微かに霧亜の寝息が聞こえた。たちまち、胸の内に暖かいものが満ちた。背中に霧亜の体温を感じながら、憧れの先輩との添い寝を堪能した。
 霧亜と向き合うように体を動かすと、微かな吐息を漏らして霧亜が瞼を開けた。
「……おはよう、由梨ちゃん」
 霧亜はまだ眠いのか、寝ぼけ眼で言った。
「おはようございます……先輩、あの……」
 昨日は、と言いかけて、果たして“昨日”なのかと自問自答してしまう。ひょっとしたら、あの甘くとろけるような遊戯はほんの少し前まで続いていたのかもしれないのだから。
「由梨ちゃん……喉、大丈夫?」
 くすりと霧亜が笑って、そんな事を言う。言われて初めて、由梨子は自分の声がかすれていることに気がついた。
「あれだけ大声出してたら、そりゃあ……ね」
 霧亜が苦笑し、由梨子の体を抱き寄せる。声がかれるほどはしたなく喘いでいたのだ、と由梨子は自覚して、たちまち顔を赤らめた。
 そして、気がついた。一糸まとわぬ姿の自分とは対照的に、霧亜は一枚たりとも脱いでいない。下もズボンを履いたままだ。そう、由梨子は霧亜にしてもらうだけで、自分からは何もしていないのだ。
 急に申し訳ない気持ちになり、由梨子は霧亜にキスをねだった。唇を合わせながら、そっと右手を霧亜の胸元へと伸ばした。――が、霧亜の服に触れる前に、霧亜の手に手首を捕まれ、妨げられた。
「……もう寝た方がいいわ。学校に行けなくなるわよ?」
 霧亜に諭されて、納得しつつも消沈した。一度は狭まったように感じた霧亜との距離が、また広がっていく気がした。

 後日。
 由梨子は休み時間に佐々木円香を呼び出した。場所は女子教員用のトイレだった。理由は、普段人気が無いという、ただそれだけだった。
「……どういうつもり?」
 円香は不機嫌を隠そうとせずに鼻息荒く言った。不機嫌の理由は分かり切っていた。由梨子が円香に向けて出した携帯メールの内容、その不遜な文章が気に入らなかったのだ。
「生意気よ、由梨。姉様の従姉妹と仲良くなって、すこしいい気になってるんじゃないの?」
 ヒステリックな金切り声を上げる円香を前に、由梨子は失笑を禁じ得ない。以前ならば円香の機嫌が悪いというだけで怯え、何をされるかと恐々としていた筈が、今は笑みしか出てこない。
 さあ、この女をどう料理してやろうか――そんな残酷な事ばかり考えてしまう。
「私、姉様に会いました」
 まずは挨拶代わり。円香の反応を伺っていると、特に驚いた様子もない。
「それが何よ。まさかあんた、それであたしと対等になれたとでも思ってるの?」
「……姉様に、先輩のことも聞きました」
 どきり、と。円香が心臓を撥ねさせるのが由梨子にも判った。その顔から色が消えていくのも。
「先輩って、変態だったんですね」
「なっ……」
 絶句。言葉を失い、色をも失って青ざめる。そんな円香の様子を見て、由梨子はくすくすと笑う。
「全部聞きましたよ。円香先輩、貴方……姉様が生理の時に――」
「やめて!」
 両耳を押さえ、かぶりを振りながら円香が叫ぶ。両目には涙すら浮かべて、怯えた羊のように由梨子を見る。
「どうして、その事……あんたが……」
「だから言ったじゃないですか。姉様に教えてもらったんですよ」
 由梨子は淡々とした口調で言う。同時に、自分と円香の間にある天秤が大きく傾いていくのを感じた。
「そん、な……」
 円香は肩を抱くようにして、わなわなと震える。
「お願い、誰にも言わないで……」
「それは先輩の心がけ次第ですね」
 由梨子は無慈悲に言い放つ。
「心がけ……?」
「そうですね。まずは今までのことを謝って下さい」
 円香はきょとんと、一体何を謝ればいいのかという顔をする。この女、全く自覚がなかったのかと由梨子は微かに苛立った。
「土下座をしてください、と言っています」
「そんな……どうして……」
「してくれないなら、みんなに先輩のことバラすまでです」
「……っ…………」
 円香が泣きそうな顔をする。が、由梨子の心には罪悪感らしいものは微塵も浮かばなかった。当然の報いだとすら思っていた。
「土下座って……まさかここで……」
「そのために先輩を呼び出しました」
「っ……そん、な……」
 円香の視線がタイルへと向く。一応掃除はされているとはいえ、トイレのタイルである。そこに跪けと言われて、抵抗を感じないわけはなかった。
「早くしないと休み時間が終わってしまいますよ」
 戸惑う円香を焚きつける。暗に、この休み時間中にしなければ、バラすと言い含めてやる。最も、頭の悪いこの女がそこまで察することが出来たかどうかは不明だが。
 円香は背後を見て、誰もトイレに入ってきていないことを確認してから、ゆっくりとタイルの上に膝をついた。そして由梨子の顔を一度見上げてから、両手をつく。
「……ごめんなさい」
「まだ、頭が高いですね」
 冷酷な由梨子の言葉に、円香はさらに低く、頭を下げる。くすりと、笑みを一つ零して由梨子は上履きで円香の背中を踏んだ。
「あぅッ……!」
 背筋がゾクリとするような悲鳴だった。由梨子は霧亜の言葉が正しかったことを確認した。確かに、佐々木円香は踏むととても良い声で鳴いた。
「……これからは姉様に代わって、私が可愛がってあげますよ、先輩」

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