「父さま……」
 熱っぽい吐息を耳たぶに吹きかけて、そのまま唇をつける。背中に回された手に誘われるままに、月彦は真央に被さる。
 白いシーツと、薬品の匂い。そして目の前には、半ば着崩れたブレザーに身を包んだ真央。顔つきのわりに大きな胸元が小刻みに上下していた。
 半ば条件反射的に、その膨らみに手を伸ばす。あっ、と口から漏れる、微かな声。ブラウスの生地の下にやや堅めの下着の感触を感じながらも、月彦はそれごとやんわりと揉む。
「真央……!」
 欲情のままに体を、真央の足の間に割り込ませ、のしかかる。ブラウス越しに胸を揉みながらボタンを外し、あらわになった下着をずらし、白い乳房を露出させる。見慣れた筈のそれが奇妙なほどに興奮をかき立てるのは真央が纏っている服装のせいか、それとも現在居る場所のせいか。
 そうだ――月彦はふと我に返る。
 何故――。
 くらりと、視界がゆがむ。
 何故――こんな事に?
 脳が痺れ、意識が飛びそうになる。
 何故自分は。
 こんなところで――学校の保健室で――真央と睦み合っているのか。
 何故真央は――ブレザー姿で――制服なのか。
「父さま、早く……」
 思考停止を起こしている月彦の手を、真央が待ちきれないとばかりに自らの胸元へと導く。ブラウスの合間からこぼれるように隆起した柔肉に月彦の指が埋没する。
 ああ――そうだ。そのまま強く、愛娘の乳を握りながら月彦は思い出した。全てはあの、狡賢くて意地の悪い母親の仕業だったんだと。

『キツネツキ』

第五話

「父さま、私も学校に行きたい」
 真央が突然とんでもないことを言い出した。
 夜、夕食後、部屋に戻るなりの事だった。
「急に何を……」
 呆気にとられた月彦はそれしか言えなかった。
「私も父さまみたいに学校に行きたいの。……だめ?」
 ベッドに腰掛けた月彦の横に座り、真央は甘えるようにもたれかかってくる。部屋着の胸元が大きく開いて幼めの外見には似つかわしくない谷間が顔を覗かせていた。それが故意かどうかは判らないが、少なくとも月彦は覗き見てしまっていた。男の性だった。
「だめもなにも……そんなこと、無理だろ」
 月彦としても愛娘の言うことならばかなえてやりたいというのが心情であるが常識的に考えてそれは不可能のように思えた。
「それに、学校って勉強をする所なんだぞ。いきなり高校にいっても、ちんぷんかんぷんだろう?」
「勉強なら大丈夫。姉様に教えてもらってるから」
「…………マジか?」
 初耳だった。昼間月彦が学校に行っている間、真央が何をしているのか気にはしていたが、まさかそんなことをしていたなんて。
「筋が良いって、姉様も褒めてくれたよ」
「いや、しかしだなぁ……」
「いいじゃない。行かせてあげれば?」
 月彦が渋っていると、不意に聞き覚えのある声がした。見ると一体いつのまに入ってきたのか、真狐が勉強机に腰掛けて意地の悪い笑みを浮かべていた。
「真狐ッ――!」
「母さま……」
 月彦はとっさに身構え、真央は月彦にしがみついた。やや過剰ともとれる反応だが、ある意味やむなしといえた。
「てめっ、何しに来やがった!」
「いきなりのご挨拶ね。可愛い末娘の事が気がかりで遠路はるばるやってきたのに」
 誰が聞いても嘘と判る事を平然と言ってのけ、真狐は足を組み替えた。その白い足の動きを月彦はつい目で追ってしまい、めざとく見ていた真央に腕をつねられた。悲鳴を上げる月彦を、真狐はくすりと鼻で笑う。
「それで、真央……行きたいの? 学校に」
 真央は不満と不信、そして嫉妬が混じったような目で真狐を見つつも、控えめにこくりとうなずいた。
「判ったわ。あんたが本気なら、あたしがなんとかしてあげる」
「なっ……マジかよ。そんなこと、出来るのか?」
 真央につねられた腕をさすりながら、涙目で月彦は問う。
「あたしを誰だと思ってるの? そんな事くらい朝飯前よ」
 第一、と真狐は誇らしげに続ける。
「人間と同じ学校に行きたい――そんな事を言い出したのが真央、あんたが最初だと思う? もう慣れっこなのよ、この手の無理難題は」
 組んだ足の上でほおづえをつき、にやにやと笑う。真狐の言葉には奇妙な説得力があって、月彦はついつい納得しかけてしまった。
「ま、とはいっても二週間くらいはかかるわね。その間に学校での振る舞い方について月彦に教えてもらいなさい。勿論、耳と尻尾を隠す練習もね」
 真狐はそれだけ言い残すとくるりと飛んで狐の姿になり、ぴょんぴょんと撥ねながら窓から出て行ってしまった。残された月彦と真央はあっけにとられた感じで、しばし呆けていた。


 頭が冷えて冷静になってくると『ひょっとしてまたハメられたんじゃないか?』――そんな考えが月彦の頭に浮かんだ。第一、タイミングが良すぎた。同居しているのならともかく、何日も音沙汰がないかと思えば突然ふらりとやってくる女が今日あの時に限ってたまたま話を聞いていたというのは出来すぎだという気がした。
 疑いたくなるのも無理はない事と言えた。過去、あの性悪ギツネのせいでどれほど迷惑をかけられたか知れないのだから。
「何か裏がある……」
 そう呟いてあれこれと考えてみるも、結局月彦には真狐の思惑は皆目見当がつかなかった。真央を学校に行かせる、それで一体真狐にどんな得があるのか。さっぱり判らなかった。そして結局、暇を持て余して何か厄介事でもないかしらんと月彦の部屋を覗いた時にたまたま真央がそんな話をしていただけなんじゃないか――という何とも偶然でご都合主義な結論にしかたどり着けなかったのだった。
 真央はといえば、真狐の“親切”を怪しみつつもやはり嬉しいらしく、嬉々として月彦に“学校でのマナー”を教わり続けた。月彦の学校が終わった後などは二人で外に出かけ、“耳と尻尾を隠す練習”もした。
 ついでに、月彦は真央の学力も測ってみた。教科書から適当な問題を引っ張ってきてそれを真央に解かせてみたのだ。結果は――ほぼ全問正解。霧亜の教え方が良いのか、もともと狐は頭が良いのか、とにもかくにも真央には十分高校に行けるだけの学力が備わっていることは明白だった。
 そして当然の事ながら、月彦の“テスト”で良い点を出すたびに『ご褒美』とねだってくる真央の相手もせざるを得なかった。真央の覚えが良かったのは、ひょっとしたらこの『ご褒美』のお陰というのもあったかもしれない。
 とにもかくにも、真狐が消えてからの二週間はそんな感じでどたばたと過ぎていった。学校の方も特に変わりが無く――否、一つだけ変わったことはあった。それはホームルームの時に担任から知らされた事――学校に新体育館が出来るという話だった。その証拠にといわんばかりに学校の隣の農地にある日突然重機がどかどかと運び込まれ、工事が始まったのだ。
 何でも新しい体育館はその大きさは当然のこと、専用の機器などを取り入れたトレーニングルームや武道場、柔道場などを内包したものらしく、それらの部活動に属する生徒達には夢のような施設になるのだという。
 計画自体は前々からあったものの、資金不足で延期を繰り返していたこの新体育館建造計画が突如始められた事を不審に思った者達も少なからず居た。――が、何故か別段問題らしい問題は起きず、工事は着々と進められた。
 無論、夏も盛りを過ぎて初秋の足音が聞こえるような時期に唐突に来訪した転校生との関連性を見いだせる者など居るはずもなかった。
 ある夜、月彦は真央に聞いた。
「なあ真央、なんで急に学校に行きたいなんて言い出したんだ?」
「うん……と、その……」
 隣で寝ていた真央は少し間をあけて、それでいて恥ずかしそうに切り出した。
「父さまが、羨ましくて……」
「俺が羨ましい?」
 うん、と真央はうなずく。
「いっぱい友達が居て、楽しそうだから」
「いっぱいねぇ……」
 話をする級友はそれなりに居るが、実際遊びに行く友人となると片手で足りるほどしか居ない。決して多い方ではないだろうと思う。
 が、考えてみれば真央にはその片手分すら友達が居ないのだ。自分と、霧亜、そして葛葉が話し相手なだけで、友達と呼べる存在はただの一人も。
「だから、学校に行けば……友達もたくさんできるかな、って思ったの」
「なるほど。確かにな……判った、真狐がうまいことやってくれたら、俺が友達に真央のこと紹介してやる」
 真央の頭を撫でながら約束するも、心中は少々複雑ではあった。その理由が、月彦にはまだ分からなかった。
「友達が欲しいから……だけじゃ、ないけど………………」
 頭を撫でられ、嬉しそうに喉を鳴らした後真央がぽつりと漏らした。
「学校に行ければ、父さまともっと長く一緒に居られるから…………」
 そう言って、真央は物欲しげな目を向ける。
「いや、でも学校じゃあそんな……家に居るときみたいには――」
 そう言いかけたところで、真央が布団の中に潜った。
「っこ、こらっ……真央っ、もう寝ないと、明日、がっこ――……ぅっぁ……」
 翌日、月彦は大寝坊した。


 真狐が約束(?)をしてきっちり二週間後の夕方、紺崎邸にいくつかの郵便物が届いた。差出人は母方の親戚の名前、しかし葛葉が電話で尋ねても知らぬ存ぜぬだったというから、本当の送り主は多分、あの性悪狐なのだろう。
 郵便物はいくつかのダンボールで、中には制服、体操着、水着、校章、襟章、教科書その他学校生活に必要な全てのものが入っていた。あろう事か生徒手帳まで入っており、中を見てみるとブレザー姿の真央の写真がちゃっかり入っていた。
「あ、それ私が代わりに撮っといたわ。そっくりでしょ?」
 夜、様子を見にやってきたらしい真狐がいけしゃあしゃあと説明した。言われてみれば、と月彦は写真を見た。ぱっと見は確かに真央に見えるが、しかし明らかに違う。何より、真央は男を誘うような流し目で写真に写ったりはしない。
「母さま……ありがとう」
 困惑している月彦とは裏腹に、真央の方はすっかり母親に感謝しているようだった。感極まったのか、うっすら涙さえ浮かべている程だ。
「いいのよ。あんたには母親らしいことは何もしてやれなかったからね。これくらい何でもないわ」
 真狐のくせになんてらしくないことを言うんだと月彦は思った。が、案外これが今回の親切の本音ではないか、とも思った。
 なんだ、こいつもそんなに悪い奴じゃあないんだな――そう思い直そうとしたところで、ふと気がついた。
「なあ真狐。この教科書って……一年のやつじゃないのか?」
 よく見ると襟章もそうだった。
「ええそうよ。何か問題でもある?」
「いや、だって……真央は俺と同じクラスに入るんじゃないのか?」
 別に取り決めたわけではない。が、月彦は何故かそうだとばかり思いこんでいた。同じクラスの方が何かとサポートもしやすいと思ったからだ。
「そんな事、あんた達一言も言わなかったじゃない」
「そりゃそうだけど、常識的に考えて……」
「常識的? 正気でその単語使ってるの?」
 真狐に突っ込まれ、月彦はうっと呻いた。常識的という言葉を使うには、今回のケースは最初からあまりに常識を外れ過ぎていた。
「父さまと、違うクラスなの?」
 ショックを隠しきれない様子で、真央が言った。
「ついでに言えば学年も違う。真央は俺の後輩って事になるわけだが……」
「じゃあ、父さまと一緒に居るのは……」
「難しくなる、な。必然的に」
 途端に重苦しい気分に包まれる二人。ただ一人真狐だけがにやにやと笑っていた。
「なによ、二人して同じクラスが良かったわけ? 駄目じゃない、そういう肝心なことはちゃんと言わないと」
 からかうような口調で、真狐が言う。その口調で、月彦は確信した。
 態とだ。真狐は自分と真央の気持ち、思惑を全て看破したうえであえて学年をずらしたのだ。
 理由はただ一つ――意地悪をしたかったから。
「ま、でも良かったじゃない。学年は違っても登下校くらいは一緒でしょ? あ、一年と二年じゃ時間割も違うから、終わる時間が一緒とは限らないか。残念ねぇ」
 くすくすと口元を隠すように笑って、真狐はひょいと窓をくぐって外に出た。
「真央、ここまでお膳立てしてあげたんだから、今更行きたくないなんて言わせないわよ。あんたが学校サボったら、その責任は月彦にとってもらうわ」
「なっ……待てよ! なんで俺が!」
「なんでって、あんた真央の父親でしょうが」
「そういうお前は母親だろ!」
「そうよ。だから娘が学校をさぼったら、二人で教育方針を相談しなきゃいけないわね。全身全霊でしっぽりと、朝まで、ね」
 ぺろり、と意味深な舌なめずりを残して真狐は消えるように去っていった。
「ったく、詭弁が巧い奴だ。……真央、どうする? 本気で行きたくないなら無理しなくても――」
「行く!」
 思わずぎょっとのけぞるくらいに強い口調で真央は言い放った。
「父さまと一緒に居れないのはイヤだけど、母さまと父さまが一緒に居るのはもっと嫌。父さまだって、母さまに何かされるの嫌なんでしょ?」
 すがるような目で見上げられ、月彦はまあな、と答えた。
「……なんだかんだで巧いことハメられた気はするが、とりあえず学校に行って、友達を作るって事は出来るわけだ。真央、がんばれよ」
 真央の頭を撫でる。と同時に、月彦の胸中に以前生じた違和感が――否、それはもう“不安”と呼ばれるものに変わりつつあった。が、この時に至っても尚月彦には己の中に起きた得体の知れない感情の正体が分からなかった。

 真央にとっては待ちに待った初登校の日。月彦はいつものように着替え、真央もまた制服であるブレザーに着替えた。既に何度か試着していてその姿は目にしているのだが、改めて朝日の中でその姿を見ると、月彦は不覚にも目頭が熱くなり、落涙してしまいそうになった。
 大げさな言い方をすれば、『ああ、あんなに小さかった真央ももう高校生か』といった所なのだが、この事から少なくとも一応父親としての自覚はあったらしい事が窺い知れる。そのくせちょいと誘われたら愛娘であるにもかかわらず、手を出しまくっているのだから男とはなんとも矛盾した生き物だと言わざるを得ない。
 とはいえ、さすがに初登校日ということもあり、万が一にも寝坊してはいけないということで“日課”はいつもより少なめだった。とはいっても高校生が一晩のうちにする平均回数を大きく上回っていることには変わりがなかったが。
 そうしていつもより早めに起きた二人は入念に準備をして、朝食を食べて葛葉に見送られて家を出た。当然の事ながら、葛葉は真央が学校に行くことは承諾済みだった。むしろ弁当を二人分作れるということで喜んでさえいるようだった。月彦も我が母親ながらなんとも暢気で物事に動じないものだと半ば関心してしまった。
 家を出る際、珍しく起きてきた姉の霧亜が玄関先で出て行く二人を見送った。とはいえ、霧亜の目には確実に真央しか写ってなかったようではあったが。
「気をつけてね、真央ちゃん」
 霧亜はそれだけ言うと、実の弟には一別もくれずに欠伸をしながら部屋に戻っていった。


「気をつけて、って……どういう意味なのかな……」
「さあな。ただの嫌がらせじゃないのか?」
 登校途中、出発直前の霧亜の一言を真央はひどく気にしているようだった。月彦にはそのことが気に入らなかった。いつもは昼過ぎまでグウグウ寝ているくせに、肝心なときに余計なことを言うと、姉の余計なちょっかいに腹を立てていた。
「そうだ、真央。大事なことを言ってなかった」
「なに? 父さま」
「それだ。その“父さま”は学校では禁止」
「え……」
「さすがに親子って事は隠さないとまずいだろ。そうだな……兄妹、はまずい。和樹達の耳に入ったらひと騒動になるからな……従姉妹ってことにしよう」
「じゃあ、私……父さまの事をなんて呼べばいいの?」
「うーん……月彦先輩……か、もしくは月彦さん、とか、かな?」
 自分で言っていて恥ずかしくなるような単語だった。が、そんな月彦の心中はつゆ知らず、真央はうん、とうなずいた。
「判った。と……月彦、先輩」
 真央が照れながら呟いた途端、月彦の背中にシビレにも似たものが走った。
「なんか、来る……な。その呼び方……」
「来る?」
「いや、真央は気にしなくていい……」
「?……変なの」
 真央は首をかしげながら、月彦に寄り添って歩いた。


「おはようございます」
 校門にさしかかろうとした辺りで、月彦は唐突に見ず知らずの女生徒から挨拶された。
「……お、おはよう……?」
 はて、誰だったかなと記憶を探るも、とんと思い出せなかった。背は女生徒としては並で、髪は肩に掛かる程度にのばしている。顔の造作も決して不細工ではないが――否、どちらかといえば美人の部類に入るとは思うのだが、隣にいる愛娘と見比べると失礼とは思いつつもやはり見劣りしてしまう。
 否、それは彼女に限ったことではなかった。道行く名も知らぬ女性達、女生徒達がこれほど不作揃いだったかと首をかしげたくなるほど見劣りしてしまうのだ。そして彼女らを見た後に真央の方を見ると、そのたびに生唾を飲み込んでしまいそうな程に見とれてしまうのだった。
「……誰なの?」
 月彦の体に半身を隠すようにしながら、あからさまに不快そうな小声で真央が囁く。どうやらこの嫉妬深い愛娘は父親の新しいラヴァを発見した気になっているらしい。
「いや、俺も知らない。……ごめん、何処かで会ったかな?」
「いいえ」
 女生徒はあっさりと首を振った。
「貴方とは面識はない筈です。私はただ、紺崎さんを職員室に連れて行くように言われてるだけです」
「ああ、そうなのか。一応転校生だもんな、じゃあ真央……ここでお別れだ」
 女生徒の襟章をよく見ると、真央と同じ学年、組のようだった。気の効く担任も居たものだと月彦は関心しながら、真央に女生徒と一緒に行くように促した。
「と……先輩も一緒にきてくれないんですか?」
 第三者が居るためか、真央の口調が微妙に堅いものになる。不安げな顔に、つい承諾してしまいそうになる、が――
「子供じゃないんだから、俺が一緒に行かなくても大丈夫だろ?」
 あえて突き放した。そう、これでいいんだ。職員室までは一緒に行っても、教室まで一緒についていくわけにはいかない。どのみちいつかは別れねばならないのだったら、早めに離れて、慣れさせた方がいいに決まってる。
「大丈夫です。紺崎さんは私が責任を持って守りますから」
 女生徒は事務的にそう言うと、さも自然に真央の手を引いて職員室の方へと歩み出した。途中、真央が一瞬だけ振り返ったが、月彦は手を振るだけに止めた。
「守るって……別に敵がいるわけでもないだろうに」
 女生徒が去り際に残した言葉を気に掛けつつも、月彦も自分の学年の昇降口へと歩み出した。程なく――
「おーい、月彦ーっ」
 背後から聞き慣れた声。月彦は振り返り、おう、と応じて友人――静間和樹を迎えた。

 予想以上だった、と言わざるを得なかった。登校途中からうすうす感じては居たが、まさかこれほどだったとは――まさに灯台もと暗し。
「すげえ美人の転校生が来た」
 と、ある男子生徒は言った。
「ああいうの、ロリ顔巨乳って言うんだよな。俺実物初めて見た」
 と、別の男子生徒は言った。
「一年って事は、15,6才って事だろ? それであの体はマジ犯罪だって」
 と、さらに別の男子生徒は言った。
 そう、月彦が思っていた以上に、“可愛い転校生”は男子達の噂になってしまったのだ。
 彼らは休み時間の度に“噂”を確かめるために一年の教室の方に行っては興奮した面持ちで戻ってきた。皆が皆、血走った目をしていた。中には余程真央の容姿がツボだったのか、股間を押さえたまま狼狽している者さえ居たほどだ。
「なんか、凄え噂になってんな」
 友人の静間和樹はその騒ぎに動じない数少ない男子だった。
「まあ、そうみたいだな……」
 月彦はといえば、己の胸中に渦巻く言いしれぬ不快感をなんとか表に出さないようにするので必死だった。クラスメイト達の――否、月彦のクラスに限ったことではない、他のクラスの生徒達全員が真央を好奇の対象にして、スケベな目でジロジロみていると思うだけで発狂してしまいそうだった。
 そう、今思えばあの時感じた嫌な予感はこのことだったのだ――月彦は遅まきながらに気がついた。学校につれてくると言うことは真央を衆目に晒すということ――つまり、不特定多数の男子生徒の前に出すということ。その結果がこうなることは――少々月彦の想像を超えてはいるが――自明の理だったのではないか。
 やはり、止めるべきだったのだろうか。真央が最初に言い出した時に――否、それは自分のわがままであって、決して真央を思いやっての行動ではない気がした。いや待て、この騒ぎを真央の方はどう思っているのだろう、真央とて決していい気分ではないのではないか。月彦の知っている真央は不特定多数の男に騒がれて喜ぶような娘ではないはずだった。もっとも、あのふしだらが服を着ているような性悪ギツネであれば嬉々としてポージングの一つもするであろうが。
「お前は、行かないのか?」
 月彦は思考の迷路から逃げるように友人に問いかけた。
「俺?」
 和樹は如何にも不思議そうな顔をした。
「ああ、俺は巨乳には興味ねえんだ」
 そういう問題なのか――と月彦はつっこみかけて、この友人にとってはそういう問題だったと妙に納得してしまった。
 
 男子生徒達は休み時間の度にどこかしらか情報を集めてきていた。そしてどうやら、話題の“転校生”の名前まで探り当てたらしい連中が、その名字に着目した。
「あの子、紺崎真央っていうらしいぜ」
「紺崎?」
「紺崎って……」
 と、視線が月彦の方に集まる。隠しても無駄だと月彦は思った。
「真央は俺の従兄妹だ」
 不機嫌を隠そうともせず言った途端、教室内は熱狂の渦と化した。月彦の周りにはたちまち黒だかりが出来、質問の嵐に巻き込まれた。
 とっさに月彦は両の拳を思い切り振り回して気晴らしをしようかとも思ったが、こうして自分が連中を相手にしている分、真央のほうへと向かう馬鹿は減っている筈だと思い直して忍耐強く連中の質問に答えてやることにした。無論、正直に答える気は毛頭無く、真央の評判が下がらぬ程度に出鱈目ばかりを吹き込んだ。


 三限目の授業の時、ふと外に目をやると一年がグラウンドで体育をやっているのが見えた。よくよく見るとそれは真央のクラスで、月彦は授業もそっちのけで見入っていた。
 どうやら高跳びの授業らしい。男女別々のマットを使って助走をつけて高跳びをやっていた。月彦が着目したのは勿論女子の方、中に一人、明らかにプロポーションの違う女生徒が混じっていた。
 14,5才であの体は犯罪――男子生徒の一人はそう言った。確かにそうかもしれない、と月彦は遠目ながらにそう思った。もっとも、本当はもっと若いのだが、今はそんな事は問題ではない。
 赤いブルマから伸びた白い足はカモシカのようでいて太股はむっちりと男好きのする肉付き。思わず手を伸ばしてしまいたくなる尻や形の整った巨乳は母親譲り。それでいて幼さの残る顔立ちがそれらに不釣り合いで、なんとも禁忌な匂いを醸し出していた。既に幾度と無くその体を恣にした月彦ですら、むしゃぶりつきたくなるような衝動に駆られる程だ。
 見ると隣で高跳びをしている男子生徒達全員が真央の方に注目し、真央が飛ぶ等は歓声さえ上げているのが口の動きで判った。
 右手の中でシャープペンがギシリと軋む。どうしようもない。見ているしかない――それがなんとも悔しかった。
 ただ、唯一救いはあった。何人かの女生徒がまるで男子達からの視線をブロックするように真央との間に露骨に立ちはだかっていた。遠目でよく見えないが、中には朝校門で会ったあの子もいるようだった。
『紺崎さんは私が守ります』――あの子はそう言った。そのときは何をとんちんかんな、と月彦は思ったが、それは月彦が甘かったのだ。
「……お礼、言った方がいいよな……」
 呟いて、ふと思う。何故あの子はああまでして真央を庇ってくれているのだろう。まさかあれも教師に言われて、というわけでもあるまいに――と、月彦が考えたところで、
「いだッ……!」
 国語教師に教科書のカドで頭を叩かれた。

 授業をそぞろに過ごして昼休み。月彦はいつものメンツで昼食を取る前に、こっそり抜け出して真央の様子をうかがいに行った。さすがに昼休みともなれば少しは人が引いてると思ったが、それは甘かった。
 真央のクラスの前は依然人だかりが出来、月彦も人の頭越しにかろうじて真央の顔を盗み見るのが精一杯だった。真央はやや不安げではあったが、その周りにはやはり何人かの女子が居て、男共を近づけさせまいとしているのが見えた。
 月彦は出来ればその中の一人、校門で会った名も知らぬ生徒に一言礼を言いたかったが、とても叶いそうになかった。やむなく出直そうと、友人達の元へと戻った。
 
 五時限目、その知らせは急に舞い込んできた。
「失礼します」
 古文の授業中、突然教室の戸を開いたのは件の女生徒だった。月彦が目を丸くしていると、女生徒は足早に古文教師に歩み寄り、何かを耳打ちした。
 古文教師はうなずくと、「紺崎」と手招きをした。月彦は壇上まで行き、古文教師から彼女について行く旨を言われた。
 訳が分からず廊下に出たところで、女生徒が唐突に言った。
「さっき、紺崎さんを保健室に連れて行きました」
「真央を?……何かあったのか?」
「五時限目の途中で、気分が悪いと……それで、貴方を呼びに来ました」
「そっか。ありがとう……悪いな、いろいろと」
 いろいろと、の中に自分を呼びに来た事以外の事も含めて、礼を言ったつもりだった。
「いえ。男子の馬鹿さ加減には私もうんざりしてますから。紺崎さんが気分を悪くされたのも仕方ないと思います」
「君が守ってくれてなかったら、もっとヤバいことになってたかもな。本当にありがとう」
 そこで月彦はまだ名前を聞いていないことを思い出した。訪ねようとする前に、それを察したのか、女生徒は自分から名乗った。
「宮本由梨子です。二度と“君”なんて呼び方しないで下さい」
 つんと言い放ったその言葉に、どうやら“馬鹿な男子”というのには自分も含まれているのかな、と月彦はふと思った。


 保健室は病人である真央を除けば無人、保険医は留守のようだった。
「馬鹿な男子が覗きなんて馬鹿な真似をしないよう、私がここで見張ってます」
 由梨子はそう言ってまるで門番のように保健室の引き戸の前に腕組みをして仁王立ちした。その姿を月彦は頼もしいと思いつつも、一人中に入った。
「真央、居るか?」
 途端、ベッド脇のカーテンがしゃっ、と開けられた。
「と……先輩……来てくれたんだ…………」
「ああ。もちろんだ。気分が悪くなったんだって?」
 ベッドに脇に腰を下ろし、半分体を起こした愛娘の顔をのぞき込む。顔色が悪いようには見えなかった。
「こんなに騒がれるなんて思っても見なかった。大変だったろ……?」
「うん……でも、由梨ちゃん達が守ってくれたから……」
「ああ、そうみたいだな。今も外で見張りやってる。頼りになる子だ」
 しかし何故あそこまでやってくれるのだろう……月彦がふと考え事を始めたところで、その手を真央が握ってきた。
「あの、ね……と、……月彦、先輩」
「今は“父さま”でいいぞ。二人きりだしな」
「うん……父さま、私……変、なのかな」
「変?」
「うん……だって、男の子達があんなに騒いでるから……どこか変なのかなって思って」
「ああ……」
 なるほど、と月彦は思った。自分が真央の魅力に鈍感だったように、真央もまた自分の魅力に鈍感だったのだ。だから、男子達があのように騒ぐのかが理解できてないのだ。
「休み時間も、体育の授業の時も、みんながジロジロ見てくるから……何か変なのかなって……ずっと気になって……それでちょっと気持ち悪くなっちゃったの」
「気にするな、って言ったところで、無理だよな。まあ……平たく言えば、真央には変な所なんて何もない。むしろ……アレだ。真央が可愛い過ぎるからみんな騒いでるだけだ」
「……本当?」
「ああ本当だ。みんなが真央のことをジロジロ見るのは真央が可愛いから、体つきがいやら……大人っぽいからだろう。今は珍しくても、そのうちみんな慣れてくるさ」
「……父さまも……」
「ん?」
「父さまも……そう思う?」
「まあ、そりゃあ、な」
「真央のこと可愛いって……いやらしい体だって思う?」
「当たり前だ。俺だって男だぞ?」
 苦笑。だが真央は笑わなかった。月彦の手を握ったまま、自分の方に引く。
「本当は、違うの……」
「違う? 何が違うんだ?」
「気分が悪くなったんじゃ、ないの……」
 真央は意味深に目を伏せ、そして再び月彦の方を見た。しっとりと、濡れた瞳で。
「みんなに血走った目でジロジロ見られて、変な気分になっちゃったの。体が熱くて、火照ってきちゃって……」
 真央は呼吸を乱しながら体を起こし、ベッド端に座った月彦に体を擦りつけてくる。真央が何を求めているのか、付き合いの長い月彦にはすぐに判った。
「ま、待て……真央、ここ……学校だぞ。そんな……」
「欲しいの……欲しくてたまらないの、お願い……父さまぁ」
 真央は月彦の背中から抱きつき、耳元で再度囁いた。「お願い、父さま」――と。
「お、お願いって……そんな……もし、バレたらやばいって。……ぃっ……」
 真央が不意に、耳たぶに吸い付いた。ハァハァと、耳元にかかる吐息。発情し、サカった牝の息づかい。
「……父さまの好きにしていいんだよ……?」
 真央が、さらに囁く。
「真央のえっちな体……たくさんの男の子がジロジロ見に来るくらい、いやらしい体、父さまが好きにしていいんだよ? ね、父さま……真央のこと、犯したくないの?」
 真央の両手が月彦の肩に添えられ、さわさわと胸板を撫で、さらに円を描くようにしながら徐々に、ある一点を目指す。
「っ……ば、か……それとこれとは、話が…………」
 指を舐められながら、月彦は理性を総動員していた。学校、保健室、いつ戻るとも知れない保険医、否、それ以前に見張りの由梨子がいつ室内に入ってくるとも知れないこの状況で。果たして真央の誘いに乗っていいものか。
 答えは否。決まり切っている。神聖な学舎でするような事ではない。判ってはいる。判ってはいるが――。
 眼前で、誘う真央が――いささか魅力的過ぎた。
 理性や倫理観など軽く吹っ飛ばすには十分過ぎた。
「ぁ、ン……父さまの、もうこんなに……パンパンになってる……」
 真央は息を乱しながら、ズボンの膨らみをさする。まるで、その下にあるものの形を探るかのような手つきで。
「だ、めだ――真央、やめっ……」
 月彦の制止も聞かず、真央はベッドから身を乗り出すようにして密着してくる。耳元ではぁはぁと喘ぎながら、しきりに物欲しげな手つきで股間の膨らみをさする。
「父さま……口でしたい……だめ?」
「だめ、だ……」
 唇を噛みしめて、月彦は拒絶した。が、肝心の体の方はベッドの橋に座ったきり動かない。本当に拒絶するのならば、さっさと立って外に出てしまえばいいのだが――それが出来ない。
 真央は月彦の後ろから被さるようにもたれかかり、回した手で依然股間を愛撫し続けている。その白い指が艶めかしく動き、ジッパーを下ろしてその隙間に潜り込んだ。
「っ……!」
 下着越しに、真央の指がはい回る。どう動けば、どう弄れば月彦が辛抱堪らなくなるのかを熟知している動きだった。
「……だめ?」
 もう一度、真央が聞いてくる。月彦の唇は動かなかった。

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