ぼんやりとした朝のひとときだった。
 月彦はこれ以上ないというくらい真剣な面持ちで言った。
「…というわけで、真央は俺の娘なんだ。だから一緒に住んでもいいだろ?」
 傍らで怯えの顔を見せる真央を抱き寄せ、眠たそうな眼で怒っているような顔をしている姉の霧亜と対峙する。
 霧亜はすぱあ…と煙を吐き出すと鬱陶しそうに寝癖だらけの髪を掻き上げ、
「…で?」
 腕を組み直し、月彦を睨んだ。
「え…?」
「アンタの話は分かったわよ。でもそれで、アンタはどう責任とるつもり?勝手によその女孕ませて、娘拵えた責任は?」
「せ、責任って……そんな…」
「子供を育てるってのはアンタが思ってる以上に大変で、金もかかんのよ。母子家庭のうちにそんな余裕あると思う?それともアンタ、高校やめて働く?」
 月彦は咄嗟に後ずさりをした。
 そういう”現実的”な話は予想だにしてなかった。
「…切腹ね」
 ぼそりと霧亜が漏らした。
「へ…?」
「切腹、ハラキリ。ギロチンもいいわね、市中引き回しなんてのもやってみる?」
 霧亜は恍惚とした笑みを浮かべて、楽しそうに嗤う。
「ちょ、ちょっと待て!いくらなんでもそこまで―――」
「大丈夫、アンタの保険金で真央ちゃんの面倒はあたしと母さんでしっかり見たげるから、安心して死にな」
「じょ、冗談じゃねえよ!それの何処が大丈夫なんだよ!」
 月彦は当然の様に大声で拒絶した。
「……アンタの命一個で真央ちゃんの生活は保障したげるっつってんのよ。愛する娘のためなら命のひとつやふたつ惜しくないでしょ。…自殺がいい?それともあたしが八つ裂きにしたげよっか?」
 けらけらけらと霧亜は愉快そうに嗤って、ごそごそと台所の棚を漁っている。
 包丁を探している―――やばい、この姉なら本気でやりそうだ。
 月彦は咄嗟に”逃げ”の体勢に入った。
「父さまぁ…」
 真央が怯えたような声を出してすり寄ってきた。
 月彦は反射的にその背中に手を回して、宥めるように笑顔を浮かべた。
「大丈夫だ、真央。俺がなんとかしてや―――」
 そして月彦は目を疑った。
 真央のその手にキラリと光るものが握られていたから。
「ま、真央…?」
「父さま、お願い…。真央のために死んで…」
 サクッ、とまるでバターにささるナイフのようにあっさりと包丁が月彦の胸に突き刺さる。
 どくっ、と血が溢れた。
「な…ッ」
 喉の奥からも熱いものがこみ上げてきて口の中に鉄の味を満ちさせた。
 月彦はドッとその場に膝をつく。
「あ―――」
 顔を上げると、愉悦の笑みを浮かべる霧亜とそれに寄り添う真央が居た。
「あ…あぁっ、あっ……」
 月彦は叫びを上げようとした。
 しかしそれすらも喉の奥からこみ上げる濁流に呑み込まれた。
 ………………………
 ………………
 ……… 


「…さま、父さま…大丈夫?」
「ううん…ぅぅ、真央…―――……ってをぉっ!?」
 勢いよく瞼を開くと、心配そうな顔をした真央が居た。
「父さま、魘されてたけど…大丈夫?」
「あ、ああ…大丈夫だ…。……二日連続で悪夢を見るなんて…」
 月彦は明後日の方向をにらみつけた後、大丈夫だと言わんばかりに真央に笑顔を見せた。
 室内はすっかり明るく、ガラス戸からはさあぁと陽光がこれでもかと降り注いでくる。
 月彦は咄嗟に枕元の時計を見た―――10時だった。
「遅刻がどうとかいう時間じゃないな…。真央、起きてたんなら起こしてくれればよかったのに」
 真央はいつから起きてたんだ?―――月彦が尋ねると、
「うん、30分くらい前だけど、父さまの寝顔が可愛かったから」
 悪戯っぽく嗤って、甘えるように月彦の胸板の上で頬ずりした。
「…寝てるときに胸部を圧迫すると悪夢を見ると言うが…そうか、さっきの夢はそれで…」
 月彦は妙な納得をする。
 それにしてもある意味リアリティがある夢だったと思った。
「…そうだな、どっちにしろ姉ちゃん達には言わなきゃいけないんだし―――…ってまさか、起こしに来たりとかはしてないよな…?」
 月彦はそれとなくベッド、部屋の入り口や部屋の中などを見回してみる。
 これといって異常は見あたらなかった。
 人が侵入したような形跡も無い。
「…そうだよな、母さんも居ないんだし、わざわざ姉ちゃんが起こしに来るわけないか」
「……………………?」
 月彦は不思議そうな顔をしている真央の髪をそっと撫でて、再び安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だ、真央。お前のことは俺が守ってやるからな」
 言った途端、夢の中での真央と霧亜の言葉がフラッシュバックしてくる。
(………ただの夢だ、夢)
 甘えるようにキュウと抱きついてくる真央の体温を肌で感じながら、月彦は漸くに自分たちが一糸まとわぬ姿だと思い出した。

『キツネツキ』

第2話

 さて、いつまでもベッドでごろごろしているわけにもいかない。
 そういうわけで月彦は意を決して部屋を出ることにした、無論真央も連れて。
 偵察とばかりに部屋からこっそりと顔を出してみる―――階下には人の気配はない。
 今度はそっと隣室のドアに張り付き、耳を澄ませてみる。
 物音はしない、ゴウンゴウンと物々しいPCの駆動音も聞こえない。
 どうやらまだ寝ているようだ―――月彦は少し安心した。
「よし、真央。いまのうちにシャワーを浴びよう」
 忍者のようにこそこそとした月彦の動きを真似るようにして、真央は無言でコクコクと頷いた。

 2人で少し遅めの朝シャワーを浴びた。
 成長期の愛娘の裸体にムラムラしつつも月彦は興奮を抑え、事務的に真央に浴室の使い方を教えた。
「あれ、父さま…お髭が…」
 泡だらけの真央がふいにそんな声を漏らした。
「うん?どうした?」
 月彦が首を傾げると、真央は不思議そうな顔をして月彦の頬に手を這わせてくる。
「お髭が…薄くなってる…」
「…む?」
 月彦は訝しむように浴室の鏡をのぞき込んだ。
 左右に3本ずつ、少し薄くなった油性マジックの線があった。
「…そういや、昨日姉ちゃんに書かれたんだった。すっかり忘れてた」
「そうだったんだ…、私…てっきり……」
 真央は落胆したような、安心したようなそんな声を漏らした。
 月彦はほんの少し”てっきり”の続きを聞きたいと思ったがやめた。

 浴室での馴れ合いもほどほどに少し遅めの朝食をとることにした。
 というのもよくよく振り返ってみれば月彦は夕飯も食べておらず、昼もホットドッグ一個だったということで相当に腹が減っていた。
 しかし冷蔵庫を開けてみてもタマゴなどの基本的な材料はあるがそのまま食べられるようなものは何一つ無かった。
 法事に出かけた母が作り置きしていった食べ物は全て霧亜が食べてしまったからだ。
「なあ、真央。食べ物を出すような術はないのか?ほら、さっきみたいな―――」
 月彦はシャワー上がりに真央が見せた術を見て、改めて妖狐の凄さを思い知った。
 真央は一瞬のうちに月彦の部屋着とそっくり同じデザインの、サイズだけ自分用にしたものを拵えてしまったのだ。
 真央曰く、空気中に散っている繊維などを集めて即席の衣類にするのだという。
 無論、キチンとした服も着るが、これはこれで好きなときに着脱できるし、なにより金がかからないという点で非常に経済的だといえる。
 同じ原理で飯も作れないかな…と月彦は考えたのだ。
「ごめんなさい、父さま…。そういう術もあるのかもしれないけど…私は…」
「そっかぁ…ま、しょうがないよな。あり合わせで何か作るか…」
 と、月彦は冷蔵庫の中を見て、自分が作れる料理を頭に浮かべていく。
 そこではたと、一つの疑問が浮かんだ。
「…そういえば、真央達って何を食べるんだ?」
 まさか年中いなり寿司や油揚げばっかり食べてるわけは―――と思いつつも、やっぱりきちんと聞いておかねばならないと月彦は思った。
「基本的には父さま達と同じだよ。あっ、でも…あんまり味付けが濃いのは苦手かも……」
「そ、か。…ちなみに真央が好きな食べ物は何?」
 これは父親として必ず押さえておかねばならない必須条件だとばかりに月彦は真剣な面持ちで尋ねた。
「ん、とね…。うどんと…おいなりさんと…あと、チョコレートかなぁ」
 真央は少し恥ずかしそうに指などをもじもじさせた。
「ふむふむ…」
 月彦は頷きながら頭の中のメモリーバンクにしっかりと情報を刻み込む。
 うどんというのはおそらくきつねうどんのことだろう、お稲荷さんというのも予想がついた。
 しかしチョコレートというのはやや意外だったな…やっぱりまだ子供なのかなと月彦は思わずほくそ笑んでしまう。
「んー…素うどんなら今すぐ作れるんだが…それでいいか?」
 月彦が尋ねると、真央は笑顔でウンと頷いた。
 冷蔵庫の中からパック麺を取りだして賞味期限を確認する―――大丈夫だった。
「よし、それじゃあすぐ作るからな。えーと………鍋は………」
 月彦は流しの下から鍋を二つ取り出し、軽く水洗いしてから水を張り、それぞれ火にかける。
 一つの鍋にはダシをとり、スープを作った。
「父さま、何か手伝うことはない?」
 真央が甘えるような声を出してくる。
「ん、ああ、じゃあどんぶりと箸を出してくれるか?食器棚に入ってるから」
「うんっ」
 真央は言われた通りにどんぶりを二つと箸を出した。
 月彦はそのどんぶりに湯がいたうどん麺とスープをそれぞれ入れていく。
「そうだ、真央。タマゴ入れるか?」
「美味しいの?」
「めちゃくちゃ美味い」
 月彦は冷蔵庫からタマゴを取り出し、両方のどんぶりにタマゴを入れた。
「混ぜたりせずに、最期にスープと一緒につるんと飲むのが美味いんだ」
 月彦は自分流月見うどんの食べ方を蘊蓄しながら席に座った。
 真央も向かい合うようにその対面席に座る。
「さて、いただきます」
「いただきます」
 二人して鏡のように手を合わせて箸をどんぶりに入れようとした刹那だった。
 がちゃりとドアノブが回り、ドアが開かれる音。
 そしてバタンと閉じ、ギィギィと階段を下りてくる音がした。
「やっべッ…真央っ隠れろっ!」
「えっ………?」
 月彦に急かされて、真央は慌ててテーブルの下に身を隠した。
 ギィギィと階段を下りてくる足音は徐々に近く、大きくなってきた。
 月彦はバクバクと心臓を暴れさせて耳に全神経を集中、足音の行方を探る。
 トッと階下まで降りた足音は真っ先に台所の方に向かってきた。
 程なく、普段よりも幾分健康そうな顔をした霧亜がぬっと台所に姿を見せた。
「……………なんだ、アンタかぁ…。母さんまだ帰ってないんだ」
 霧亜は月彦の顔を見て大げさにため息をつくと、さも当然のように先ほどまで真央が座っていた席に座る。
 そして、目の前の月見うどんをジッと見た。
「ああ、えーと…それは…」
 月彦が喋るよりも早く、霧亜は箸をもつと麺を数本ちゅるっ、と吸い上げた。
「…不味っ…味ついてないじゃない」
 一言呟いて、そのままつるつると食べ続ける。
 タマゴもそうそうに箸を突っ込んで黄身をスープと混ぜてしまっている。
 なんともったいない…と月彦は思った。
 その時、つんつんと月彦の足をつつく指。
「父さまぁぁ…」
 消えそうな声で真央が呟いた。
 月彦は分かってる、とジェスチャーをしてつるつるとうどんを食す姉に対峙した。
「ね、姉ちゃん!聞いてくれ…大事な話があるんだ」
「んー?」
 霧亜は少しだけ声を漏らして待ったをかけるように月彦の方に手のひらを見せた。
 そのままつるつるとあらかたうどんの麺を平らげ、ついでにゴクリゴクリとスープを飲み干していく。
「ぷはっ……で、何?」
 霧亜はごそごそとポケットからジッポとタバコを取り出し、火をつけるとすぱぁとさも美味しそうに吸ってみせた。
 ちなみに月彦はタバコは吸わない。
 その煙に煙たそうな顔をして、
「っと、そのっ…なにぶん急な話だから驚かずに聞いてくれよ?」
「なによ、女でも孕ませたの?」
「へっ………」
 霧亜の何気ない一言に月彦はギクリと下半身を硬直させた。
 そしてすぐにそれが他愛のない冗談だと分かると愛想笑いを浮かべた。
 ハハハハハ…と力無い笑みを。
「なぁに…?まさかホントに孕ませたの?」
 そんな月彦の表情の変化を見逃さず、霧亜が鋭くつっこんでくる。
「うぐ…いあ、当たらずとも遠からずというか…なんというか……」
 霧亜の表情が目に見えて険しくなるのが分かった。
 苛立つように長い髪を掻き上げる。
「ハッキリしないわね、簡潔に言いなさいよ」
「え、と…つまり―――」
 月彦は手招きをするようにしてテーブルの下の真央を呼んだ。
 そして自らの隣に立たせた。
 ピクッと、霧亜の眉が動く。
「俺の娘の真央。…これから一緒に暮らそうと思うんだけど…」
 月彦は霧亜の剣幕に押されて耳を伏せたまま震えている真央を抱き寄せた。
「…詳しく説明しなさい」
 2人に霧亜は険しい顔を崩さず言った。

「…というワケで、昨日の夜真央は父親の俺を頼ってきたんだ」
 月彦は一通りの説明をし終えると隣でうどん相手に悪戦苦闘している真央を見た。
 勿論新しく作り直したうどんなどではなく、本来は月彦の分だったものだ。
 しかしながら、うどんを食べるその動作はとてつもなくぎこちない。
 というのも真央は箸を使ったことがないのだそうだ。
 それならフォークなりなんなり…と月彦は勧めたが真央はあくまでも箸にこだわっていた。
 一方霧亜はといえば月彦が説明をする間にタバコを丁度一本吸い終わり、二本目に火をつけている所だった。
 ぷかぁ…と白い煙を吐き出して、鬱陶しそうに髪を掻き上げた。
「ふぅん…。それで、アンタは全部その話を鵜呑みにしたんだ」
 霧亜の奥歯にものが挟まったような言い方に月彦は些かカチンときた。
「鵜呑みって…そういう言い方はないだろ?」
「証拠でもあるの?その子と、アンタが血がつながってるって証拠」
「証拠…」
 霧亜に指摘されて、月彦はハッとした。
 確かに確固たる証拠らしい証拠は無かった。
「証拠もなしにそんな突拍子な話信じたの?アンタってば相変わらずおめでたいんだから。そんなだから―――」
 霧亜は不意に声の音量を落として、声をかき消した。
 そして再びタバコに口を付け、煙を深呼吸するように肺一杯吸い込み、吐いた。
「とにかく、アンタのへたくそな説明だけじゃ要領を得ないわ。あたしからその子に直接聞いた方が早そうね」
 チラリ、と霧亜が真央の方に視線を走らせた。
 途端、真央はビクリと身を竦ませて、視線を落として霧亜と目が合わないようにしてうどんを啜る。
「睨むなって、真央が怯えてるだろ?」
「……ふぅん、いっぱしの父親気取りってワケ?その気になるのは勝手だけどアンタってあたしにそういう口がきける立場だったっけ?」
 霧亜はそういうと、今度こそはギロリとただでさえ目つきの悪い目で月彦をにらみつけた。
 それだけで月彦は体を竦ませ、視線をそらせた。
「ま、とにかく…その子に関しては母さんが帰ってきてからゆっくり話し合うとして―――」
 霧亜は灰皿の縁にトントンとタバコの灰を落とすと、また鬱陶しそうに髪を掻き上げた。
「月彦、アンタ学校は?今日は休みじゃないでしょ」
「学校なんてこの際どうでもいいだろ?真央のことの方が―――」
「つまり、サボったのね」
 霧亜は冷淡な口調で言って、自分の左手首の腕時計を見た。
「今から行けば午後の授業には間に合うわね」
「ちょっっ…学校なんて―――」
 キッ、と霧亜がにらみつける―――月彦はそれだけで言葉を飲んだ。
「あたしが行けって言ってんの。なんか文句でもあるの?」
「ぐっ………」
 月彦は歯ぎしりをして、真央の方を見た。
 真央のその頼るような視線に、月彦は再度姉の方を見た。
「なに、その目は。アンタが言うこときかないってんなら今すぐ警察に通報してこの子引き取ってもらうわよ?」
「なっ………お、俺が学校に行くことと、真央のこととどう関係があるんだよ!」
 月彦は食らいついた。
 真央の前で最低限、父親としての責任を果たしたかった。
「別に、関係なんてどうでもいいのよ。アンタがあたしの言うこと聞かないってコトが腹たつだけ」
 すぱあ…と霧亜はタバコを吹かせて足を組み直した。
 そうだった…この姉はこういう人間なのだ―――月彦は改めて思い知った。
 別に不思議なことではない、いつも”こう”なのだ。
 たとえねじ曲がっていようと自分の主張はトコトン突き通し、人の主張はトコトン排除する。
 紺崎霧亜はそういう独裁者的性格の持ち主なのだ。
「父さま…私は大丈夫だから…」
 ふいに、今まで殆ど喋らなかった真央が口を開き、月彦に耳打ちする。
「だから…今は逆らわない方が…」
「…そうだな、下手にヘソを曲げられるとかえって厄介だ…」
 月彦は頷いた。
 どちらにしろここで霧亜に楯突いて事態が好転するとは思えなかった。
「わかった。姉ちゃんの言うとおりに学校行くけど、その間、真央に何かしたらいくら俺でも怒るからな」
「言ったでしょ、この件は母さんが帰ってくるまで保留。この子をうちに置くか警察に突き出すのかは全部母さん次第よ」
 警察に突き出す―――その言葉を聞いて真央がビクリと身を震わせた。
「大丈夫、真央を追い出すくらいなら俺も一緒に家を出てやるさ」
 月彦は安心させるように真央の肩を叩いて、そっと囁いた。

 青空があった。
 心地よい陽気の春の空。
 白い雲は風のままにゆっくりとその形を変え、流されていく。
 公立比丘仙高校の屋上、ぐるりと囲われた鉄柵に凭れるようにして静間和樹は一人、ぼんやりと空を眺めていた。
「暇だぜ…」
 呟いてみても、答える者は誰もいない。
 ついでに言えば側にあるビニール袋の中にはパンの袋(空)が入っていて、既に昼食も終わった後であった。
 いつもなら自分の分を食べ終わった後周りの人間にタカるのだが、肝心の相手が居なくてはどうしようもない。
 しょうがなく食後の運動でもするか―――と徐にうつぶせになり、腕立て伏せなど始めてみる。
「フンッ、フンッ、フンッ」
 一回、二回、三回―――ふいに、階段へと通じるドアがキィと開いた。
「……アンタ一人で何やっとん?」
 呆れたような声がした。
「フンッ、フンッ、なんだ、千夏か」
 和樹は腕立て伏せを中断してすっくと立ち上がった。
 手のひらについた微かなコンクリートの粉をパンと払った。
「ヒコは?」
「月彦なら昨日坂井にイジめられて登校拒否だぜ」
「学校来とらんのか、珍しいなぁ」
 ほんの少し関西弁チックなしゃべり方をする女―――天河千夏は少し落胆したような顔をして和樹の側に座り込み、あぐらをかいた。
 短いスカートのおかげで白い下着がチラリと見えているのだが、彼女はそのようなことは気にもとめない。
 ごそごそとどこからともなくパックの豆乳を取り出してちぅちぅと吸い始める。
「お前だって、昨日珍しく休んだじゃねーか。風邪か?」
「生理痛や」
「ああ、そういやお前も一応女だっけか」
 けらけらとからかうように和樹が言い、ばんばんと千夏の背中を叩いた。
 確かに千夏は女子の中でもやや小柄で髪もショートカット、男装をさせればそれなりに男に見えなくもないような容姿だった。
 その少年のような体つきが彼女としては最大のコンプレックスなのだが、目の前の男にはそんなことを気遣う様子は微塵もなかった。
「胸もねぇし背はチビだし、おまけに性格もガサツ―――はべしッ!」
 吹き出すようにして喋るその口に千夏のアッパーカットが決まり、和樹はモロに舌を噛んだ。
「うっさいわッアホッ!!ゴリ魔人!筋肉バカッ!」
 続けてその股間をトゥーキックで思い切り蹴り上げ、蹲る和樹を容赦なく足蹴にする。
「ぐっっ…こ、の…エセ関西弁女…ッ…」
 幾度となく蹴られ、和樹はとっさにその千夏の足首を掴むとそのまま立ち上がり、宙づりにする。
「わぁああっ!この馬鹿力ッ!離しっっ!」
「痛ッてっ!」
 暴れるもう片方の足首も和樹は掴み、完全に千夏は逆さずりの状態にされる。
 さすがに千夏は狼狽え、顔を真っ赤にしてめくれ上がるスカートを両手で押さえつけた。
「どうだチビ女!ちったぁ懲りたか!……ってお前軽いなぁ」
 和樹は重さを確かめるように千夏をゆさゆさと上下に揺さぶってみる。
「わっ馬鹿ッ!こらっ、揺らすなっ!早く降ろしっ!」
「その前に言うことがあんだろ?ん〜?」
 和樹はいやらしい声を出して、態と千夏の下着をのぞき込むように首を伸ばす。
 途端、千夏は顔をますます赤くして思い切り足をばたつかせて、背を逸らすと―――
「はぐぅっ!!」
 その股間に思い切り頭突きをかました。
 刹那足首を持つ両手から力が抜け、するりと抜け落ちた。
 咄嗟に千夏は猫のように身を翻してタムと着地をする。
「て、てめっ……どこに頭突きをっっ…!」
 男子最大の急所への2度目の攻撃にたまらず和樹は蹲る。
「泣きたいのはこっちや!はよ髪洗わな―――…あれ…?」
 徐に千夏はグラウンドの方を見て声を上げた。
 そして鉄柵に張り付くようにして目を細め、カバンを肩に掛けて気怠そうに歩いてくる顔色の悪い男を見た。
「カズ、あれヒコやない?」
 千夏は嬉しそうに声の調子を上げて男を指さすが、和樹は蹲ったまま泡を吹いていた。

 何度歩みを止め、引き返そうか迷ったか分からない。
 それでも月彦はその度に思い直して学校へと歩みを勧めた。
 確かに今真央の側に居ても事態が好転するわけではない。
 霧亜の言うとおり、家に真央を住まわせるか住まわせないかその判断をするのは母、葛葉なのだ。
 それでも、”あの”霧亜と一緒に家においといて大丈夫だろうか―――そんな危惧が頭から離れない。
「…真央、俺が帰るまで生きてろよ」
 月彦は独り言を呟いて重い足取りで学校に向かった。
 徐に腕時計を見る―――この分だとおそらくは昼休みの中頃に学校に着くだろうか。
 それなら昼飯を食べる暇くらいはあるかもしれないな―――月彦はそう思ってポケットを探った。
「…………………………」
 右と左、さらにはカッターシャツの胸ポケットまで探ってみる。
 無い、無い、無い………財布が無い!
「しまった、慌てて用意したから―――」
 今から家に帰るべきか……いや、帰っていたら昼休みは終わってしまう。
 ともすれば―――、と月彦は些か早足で学校へ向かった。
 走れば良かったが空腹で頭がクラクラしてそれどころではなかった。
 ほぼ丸一日なにも口にしていなかった。
 おまけに昨日はマラソンに加えて真央と―――………体力が残ってる方がおかしかった。
 早足で歩いているだけでもフラついた。
 時々意識が遠のいてボーッとしたまま歩いたり、壁によりかかったり。
 何とか学校の校門までたどり着くと、
『おぉぉーーーーい!ヒコーーーーーっ!!!』
 聞き慣れた声だった。
 月彦は校舎を見上げる―――これまた見慣れた容姿の女生徒がぶんぶんと大げさに手を振っていた。
 良かった、これで昼飯は食える―――月彦は最期の力を振り絞って屋上へと向かった。



「むぐっ、はぐっ………んぐぐっ……」
 アンパン、カレーパンを一気にがっつくように平らげ、残る一つの焼きそばパンを胃にねじ込むように食らう。
 そんな月彦の食いっぷりに千夏も和樹も呆然と見とれた。
「よぉ食うなぁ…3つじゃ足りんかったか?」
「お前、家で飯食ってねーのか?」
 月彦は答えるまもなく300mlの牛乳パックを一気に呷り、ゴクリゴクリと飲み干していく。
「ッぷはぁあああっ!あー………………生き返ったぁぁぁ………………………」
 月彦は両足を伸ばして鉄柵にだらりともたれ掛かるとカッターシャツの上から腹を円を描くように撫でた。
「さんきゅ、千夏。マジ助かった…」
「ん、金は明日返してや」
「おいっ、俺に礼はねーのかよ!アンパン代出したの俺だぞ!?」
 さりげなく和樹が自己主張をする。
「お前のは昨日俺のアンパン食った分だろ?……って何でお前内股なんだ。気色悪いぞ」
 和樹はぐっと唸って千夏を見る。
 月彦にはそれだけでだいたい何があったかが予想できた。
「アホはほっといて、ヒコ。今日どしたん?具合でも悪いんか?顔色めっちゃ悪いで?」
「んや…ちと家がゴタついてて晩飯も朝飯も食ってなかっただけだ」
 月彦は力無い笑みを浮かべて咄嗟に嘘をついた。
 いくらなんでも突然娘が尋ねてきたなどと言える筈もない。
 少なくとも今はまだ時期尚早だと感じた。
「まさかお前っ」
 そんな月彦の意味深な顔に一人の男がしたり顔で声を上げた。
 同時にウヒヒといやらしい笑みを浮かべる。
「…そかそか、二日連続で夢精か。そりゃあげっそりもするわなあ」
「なっっ!バカッ!何言ってんだよ!んなワケあるか!」
 月彦は大声を上げて否定した。
「なんや、ヒコ溜まっとるんか?そんならウチに言うてくれればええのに。…優しくしたるで?」
 にししっ、と今度は千夏が意味深な笑みを浮かべて雌猫のようにすり寄ってくる。
「よせよせ、男か女かもわからんよーなヤツじゃ射精以前に勃起すら不可の―――ぐぴっ!」
「うっさいわ!アホッ!」
 閃光のようなアッパーカットを受けて和樹はまた思い切り舌を噛んだ。
「へめぇ!はにひやはる!」(訳:てめぇ!なにしやがる!)
「なんや、また蹴られたいんか?」
「こらこら、喧嘩すんなって……ったく、なんで2人ともそんなに元気なんだ…」
 少し分けて欲しいと月彦は切に思った。
「……ホント、ヒコ元気ないなぁ。なんか悩みでもあるんとちゃう?」
「そうだぜ、月彦。金と女のコト以外なら俺は頼れる男だぜ?」
 和樹はムキッ、とポージングをする。
 黒光りする筋肉が隆々と盛り上がり、制服がはち切れんばかりに膨れあがった。
「うわっ…キモッ…」
 それを見て、千夏が露骨に怯えるような声を出した。
「何だと!俺の肉体美の何処がキモいってんだ!」
 さらにそれを誇示するように和樹はムンッとボディビルダーがするようなポーズで自らの筋肉をアピールする。
 モコモコといろんな場所の筋肉が波打つようにして膨らんだりしぼんだり。
 見ようによっては皮膚の下を特大の寄生虫が這い回っているようにも見えた。
「うわぁああっ!ヒコ助けて!」
 千夏はバケモノをでも見たように悲鳴を上げて月彦を盾にするようにその後ろに回った。
「…カズ、頼りになるのは分かったから、その辺で、な?」
 月彦もそれとなく諭すと、和樹は不満そうな顔をしてポーズを解く。
 と、その時ざまあみろと言わんばかりに千夏が月彦の影から舌をつきだした。
「っっ!こ、の女ッ!」
 和樹が瞬間湯沸かし器のように頭に血を上らせてその太い腕を千夏へと伸ばしてくる。
「きゃーッ!犯されるぅ!」
 千夏は当然のようにそれをひらりと横ステップでかわすとさらに和樹を煽るように大声をあげた。
 そしてまた当然のようにそれに煽られて、頭から湯気が出そうな勢いで千夏を追いかけ回す和樹。
「あーあー…2人とも……喧嘩は……」
 月彦は止める気が全くないような小声で制止を促そうとしてやめた。
 というより、2人のテンションについていけなかった。
 一日ぶりの飯にありついて猛烈に眠気を催していたということもあったが、それよりなにより家に残してきた真央が気がかりでしょうがなかった。
 おそらく授業が始まってもそのことばかり考えてロクに身が入らないことだろう。
 学校が終わるのが一日千秋というか、一秒一秒の刻みさえ遅く感じられた。
 そもそも、少し昼休みがながすぎやしないか?―――ふいに月彦は思い出したように腕時計を見た。
 1時15分。
 余裕で授業は始まっている。
 どうやらまたしてもチャイムを聞き逃していたらしい…。
「…ま、いっか」
 今日の5限は確か国語だったな―――サボっても問題あるまいとばかりに月彦はごろりとコンクリート床の上に横になった。
 春の校舎の屋上には春らしい、心地よい風が吹いていた。

 真央は玄関まで月彦を見送って、そのまま大急ぎで月彦の部屋に戻り、ずっとそこで月彦の帰りを待っていた。
 変に霧亜に気を遣うよりそっちのほうがきっといいと思っていたからである。
 だからこうしてベッドに寝そべり、暇をもてあましていた。
(千里眼…使っちゃおうかな…)
 思って、真央はすぐにその考えを打ち消した。
 ”術”というのは難度によっていろいろあるが、千里眼の術は真央が習得している術の中でも極めてハイレベルな術の一つだった。
 優れた妖狐ともなれば文字通り千里先を当たり前のように見続けることができるのだが、まだまだ未熟でかけだしな真央などは数キロ先の学校を数分見ただけで極度の疲労に襲われ、場合によっては睡眠を必要とするほどに体に負担がかかるのだ。
 ともすれば、今そのように消耗してしまっては”万が一”の際に身を守れないのだ。
 勿論そんな事態はないと信じたかった。
 しかし、父、月彦の霧亜への警戒ぶりを見るとそれらの用心も用心ではないような、そう思えるところがあった。
「大丈夫、きっと父さまが守ってくれる…」
 真央は独り言を呟いて、月彦の匂いがするタオルケットを体に巻き付けるようにして横になった。
「………………………」
 ふいに、真央はその大きな耳を震わせて上体を起こした。
 そして耳を澄ませる。
 キィ…キィ…キィ………。
 微かに床が軋む音、階段を上がってくる音だ。
 階下に居た霧亜が階段を上ってくる―――真央は全身の毛を逆立てて警戒した。
 バクバクと心臓を暴れさせて、全神経をその狐のような耳に集中させる。
 キィ…キィ…キィ…。
 音は徐々に近づいてくる。
 きっと自分の部屋に戻るつもりなんだ―――真央は必死に自分にそう言い聞かせる。
 足音の主が凶器を携えた殺人鬼のようにも思えた。
 いや、実際にその可能性もあるのだ。
 月彦が居ない隙に自分を始末し、月彦には逃げたとか適当なことを言うつもりなのかもしれない。
 真央の頭の中に次から次へと”悪い未来”が浮かんでくる。
 キィ…キィ…。
 足音が丁度月彦の部屋の前で止まった。
 真央は咄嗟にベッドから腰を上げるとクッションを抱きしめたまま絶対に部屋の入り口から目を離さないようにしてベランダへと通じるガラス戸の方へとすり足で体を近づけていく。
「…っ!!」
 ふいに、コンコンとノックの音がした。
 それだけで真央は失禁しそうなくらい体を竦ませた。
「真央ちゃん、開けるわよ。いい?」
 続けて、霧亜の声がした。
 その意外なほど優しい声に真央は些か肩すかしを食らうが、返事はしなかった。
 それでも、ドアノブはゆっくりと音を立てずに回った。
「真央ちゃん、寝てる?」
 ドアが開かれ、タバコをくわえた霧亜がそっと上半身を除かせた。
 真央は咄嗟に、獣がそうするような荒々しい声でフーッ!と吠えた。
「あら、起きてるじゃない。……って、そんなに警戒しなくてもいいのに」
 霧亜は呆れたような声でぽりぽりと髪を掻く。
「言葉、分かるんでしょ?お菓子とかいろいろ買ってきたんだけど、一緒に食べない?」
 そう言って、霧亜はちょいちょいと誘うように手でおいでおいでをする。
 その優しそうな口調と、父、月彦の前ではとんと見せなかった優しそうな笑顔に真央は二度目の肩すかしをうけ、思わずきょとんとしてしまった。
「そうそう、何もしないから。下で一緒にお菓子でも食べよ?」




 ―――紺崎邸一階、リビング。
 真ん中に長方形の低いテーブル、そしてそれを囲うソファー。
 テーブルの上にスナック菓子からマシュマロ、スルメ系から飴、ガム、キャラメル等々かなりのジャンルのお菓子がぶちまけられていた。
 その量に圧倒されながら、真央は柔らかいソファーに腰を埋めていた。
 菓子の中には真央の大好物でもある、チョコレート菓子も混じっており、思わずごくりと生唾を飲み込んでしまう。
「真央ちゃん、ジュースがいい?それともお茶?」
 台所の方から霧亜の声がした。
 真央はギクリと狐耳を震わせて、
「あ、っと……お、お茶…で……」
 どぎまぎとした口調で答えた。
「暖かいのがいい?それとも冷茶?」
 するとすぐにそんな問いが返ってくる。
「え、えと…冷茶で…お願いします……」
「ん、OK」
 すぐに盆にコップを二つと冷茶入りの水差しを持った霧亜がリビングに戻ってきた。
 そして盆をテーブルの上に置くと真央と対面するようにソファーに腰を埋めた。
「真央ちゃんが何食べるか分からなかったから、手当たり次第に買ってきちゃった」
 霧亜はお菓子の山を見ながら照れるような口調で言った。
 月彦に対しての声とは明らかに異質なその優しい声に真央はつい気を許してしまいそうになりつつも、それでも警戒は解かない。
 何かあればすぐにその場から飛び退けるようにやや前屈み気味にソファーに座っていた。
「…んー…そんなに警戒しないで、って言ってもダメかな?月彦じゃないと気を許せない?」
 霧亜は尋ねながら、菓子の箱を一つ手に取ると封を開ける。
 そして中からチョコレートがまぶしてあるスティック状の菓子を取り出すとぽりぽりと囓った。
 その美味しそうな食べっぷりに真央は思わずゴクリと生唾を飲んでしまう。
「真央ちゃんも食べていーのよ?そのために買ってきたんだし」
 霧亜は真央を安心させるようににっこりと笑んで、チョコスティックを一本手に取ると真央の方に差し出した。
「ほら、毒なんて入ってないから」
 真央は恐る恐る手を伸ばして、そのスティックを摘んだ。
 そしてゆっくりと口に含んで、カリカリと囓る。
「…美味しい」
 口腔内に広がる甘い味に真央は思わず声を漏らした。
「ん、良かったぁ。他にも色々あるから遠慮せず食べて」
 霧亜も2本目のスティックを囓ると優しく真央に言った。
(なんか…違う、すごく…優しい……?)
 先ほど月彦と対峙していたときの顔とは比べるも無く、霧亜は別人のように優しい顔をしていた。
 たとえるなら『子供好きの優しいお姉さん』というような、初対面の時とはまったく別の印象が今の霧亜にはあった。
 もしかしたら怖い顔をしているのは月彦の前だけでこっちの顔が本来の彼女なのではないか―――そんな考えすら浮かんでくる。
 真央はほんの少しだけ、心を開くことにした。
「は、はい…。ありがとうございます…伯母さま」
「おばっ………」
 何気ない真央の一言に、霧亜は眉をピクリと跳ねさせて表情を強ばらせた。
 途端、真央は尻尾の毛を逆立てて、
「えっ…だ、だって……父さまの姉さまで……伯母さまじゃ……………」
 狼狽え、泣きそうな声を出した。
 霧亜はすぐに笑みを取り戻して、
「…そうなるのかもしれないけど、あたしはまだ二十歳よ。伯母さまなんて言われる年じゃないわ」
 諭すような口調で続ける。
「だから…そうね、私のことは姉さまって呼ぶの。分かった?」
「えっ…あ、はいっ。…わかりました………姉さま」
 真央は機嫌を伺うように上目遣いで恐る恐る言った。
 霧亜は呼称に満足したのか、再びにっこりと笑んだ。
「そうそう。あとはもう少し固さがとれたら言うことないんだけど、まだ会ったばかりだからそれはしょうがないかな。…隣、座ってもいい?」
「えっ、…えっ…?」
 真央が戸惑っている隙に、霧亜はすぅっ…と音もなく真央の隣にすり寄る。
「大丈夫、何もしないから」
 咄嗟に身体を引いて距離を取ろうとする真央の肩に手を回して、がっしりと霧亜は密着する。
「あ、のっ……姉さま…?」
 真央はうわずった声で全身を強ばらせた。
 くすっ、と真央の耳元で霧亜は笑みを零して、囁く。
「真央ちゃんってほんと可愛いわぁ。月彦の血が入ってるなんて信じられないくらい」
 優しい声。
 それでもどこか、何か別の感情が交じった声で囁かれて真央は思わず身を捩った。
「…あんな愚図じゃなくて、真央ちゃんみたいな妹だったらこんな風に可愛がってあげられるのにねぇ」
 霧亜のそのしなやかな指がさらりと真央の髪を撫でる。
 値踏みするような、どこかそんな気配があるその手つき。
 真央は途端に怖くなってきた。
 咄嗟に逃げようと足に力を込めるが―――
「だーめ、逃がさない」
「ひゃあッ!」
 刹那、その尻尾をキュッ、と握られて真央は脱力してしまう。
「可愛い声、やっぱり尻尾が弱点?」
 クスッ、と霧亜は囁いて、そしてあっさりと真央から体を離した。
「ほら、真央ちゃん。お菓子まだまだ一杯あるから、好きなだけ食べて」
「えっ……あ……はいっ……」
 真央は上気した頬の熱気を払うように首を振る。
「くすっ…ホント、食べちゃいたいくらい可愛いわよ、真央ちゃん」
 猫なで声で呟きながら、霧亜は獲物を狙う女狐のように目を細めた。

「………………っ!」
 突然全身にぞわぞわと言いしれぬ悪寒が走って月彦は思わず声を漏らしそうになった。
 6限目、最期の授業、数学。
 初老の講師が呂律のハッキリしない声で説明をしながら黒板に小難しい数式をカッカッとチョークの粉を飛ばしながら書き加えていく。
 月彦は徐に咄嗟に周囲を見回してみる―――が、特にこれといって異常はないように思えた。
「…どうした?月彦」
 斜め後ろの席の和樹がヒソヒソと声をかけてくる。
「んや、何でもない」
 月彦は同じく小声で返し、左手の腕時計を見た。
 あと3分―――それでこのクソつまらない授業ともオサラバだ。
 授業が終わったらHR。
 それが終われば晴れて帰宅だ。

 程なく、古ぼけた壁付のスピーカーからやや音割れした鐘の音のようなチャイムが流れた。
 続いて初老の男がもごもごと授業終了を告げて教室から出て行く。
 途端に教室内に活気が満ち、伸びをする者席を立つ者大声を上げる者それぞれ騒ぎ始める。
「あー…やっと終わったなぁ月彦」
 ぽむ、と和樹がその長い腕を伸ばして月彦の肩を叩いた。
「そうだな。つっても俺は1時間しか授業は出てないか」
 昼から登校し、5限目の国語は昼寝でサボったから実質は6限目だけ出たことになる。
「なあ月彦。今日帰り俺ンちこねーか?久々にアレやろうぜ」
 和樹がパントマイムで銃を構え、引き金を引く。
「悪ぃ、今日は速攻で家帰らねーとヤバいんだ」
「なにぃぃっ!お前っ、勝ち逃げする気か!?俺がどんだけ猛特訓したと思―――」
 刹那。
 ガラガラと教室の戸が開いて、和樹は言葉を飲んだ。
 いや、和樹だけではない、クラス中のほぼ全員がピタリと動きを止め、戸口の方を見た。
「紺崎っ、紺崎月彦はいるかァ」
 おそらくは教師の中でも1,2を争う嫌われ者、”生徒指導”担当の松本は無用に大きな声で教室内に怒鳴りちらした。
「おいっ、呼んでるぜ」
 警戒を促すような声で和樹が耳打ちした。
 言われるまでもなく、月彦は手を挙げ、起立した。
「紺崎ですけど」
「お前が紺崎か。HRが終わったら生徒指導室に来い。いいな」
 松本はそれだけ言うとガラガラと締まりの悪い戸を叩きつけるように閉じて教室を後にした。
 程なく、ざわざわと月彦を中心にクラス中がざわめき立つ。
「お前、何かやったのか?」
「…いや、多分…何もやってない…筈……」
 和樹に問いに月彦は記憶をたぐり寄せるようにして思い返してみた。
 心当たりが全くないわけではないが、それでもいきなり生徒指導室に呼び出されるようなことは―――少なくと学校に迷惑がかかるようなことはやってないと思った。
「ま、でもこれで対戦の話はお流れだな。命拾いしやがって」
 和樹が悔しそうな、それでいて呼び出しを食らった月彦を哀れむような顔をする。
「…まさか、朝の遅刻の件……じゃないよな…」



 HRが終わって、月彦は足早に”生徒指導室”を目指した。
 そもそも月彦は特にこれといって問題児などではなかった。
 故に殆どそういった部屋には縁がなく、初めは場所すら分からなかったところを何とか探り当てた。
「紺崎です。失礼します」
 軽くノックをして月彦は引き戸を開けた。
 生徒指導室というからどんな所かと想像していたが実際入ってみるとなんのことはない。
 仕置き用の三角木馬や吊り具やそろばん板があるわけでもなし、ただ普通に机とパイプ椅子が置いてあるだけだった。
 どこかテレビドラマの取調室を彷彿させるその室内に、やや意外な人影があった。
「貴方が紺崎君ね。座って」
 月彦に座るように促す相手は先ほど月彦を怒鳴りつけたゴツいジャージ姿の松本ではなく、まだ20代前半だと思われる若い女性だった。
 灰色のスーツを着た、一見どこかの大企業の社長秘書のようにも見える女性はそっと笑みを零して月彦に言った。
 月彦は言われるままにパイプ椅子に腰掛ける、そして女性も同じようにパイプ椅子に腰掛けた。
 丁度2人、机を挟んで対面する恰好になった。
「あの…松本先生は…?」
 月彦は思わず尋ねてしまった。
 眼前の女性はクスッ、と笑みを漏らして、
「松本先生はもっと凶悪な、血なまぐさい生徒が担当なの。そして私はキミみたいな”一見”普通の生徒担当の雛森よ。納得いった?」
 スーツの女―――雛森は雅な唇を踊らせて”一見”の所を強調して言った。
「早速だけど紺崎君、今日はなんで呼ばれたのか分かる?」
「いえ…さっぱりなんですけど」
 月彦は率直に答えた。
 時間が一刻も惜しかった。
 そわそわと落ち尽きなく時計を見たり、戸口を見たり。
 月彦のそんな様子に雛森はくすっと笑みを漏らして、
「紺崎君、今朝は何をしてたのかな?」
 まるで教育番組のお姉さんのような口調で尋ねてきた。
「えー…あ……っと、家で寝てましたけど…。」
 やっぱり遅刻の件か―――しかしそんなことくらいで生徒指導室に呼ばれるなんて月彦は聞いたことがなかった。
 雛森は続けて聞いてくる。
「学校は楽しい?」
「へ…?……いあ、まあ…そこそこ…かな」
 月彦が答えると、雛森はふむふむと納得するように頷いた。
「実はね、さっきお姉さんから電話があったのよ」
「へ………?」
 月彦は思わず情けない声を出してしまった。
 さらに、雛森は続ける。
「紺崎君の様子が最近おかしいって。夜中に大声出したり、部屋で暴れたり、暴力を振るったりして学校へも行きたがらないって。学校で何かあったんじゃないかって心配してるみたい」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!それって…その電話をしたのって本当にうちの姉なんですか?」
「ええ、紺崎霧亜さん…紺崎君のお姉さんでしょう?」
 雛森は確かめるように尋ねてくる。
 月彦は頷いて、
「で、でも俺そんな……むしろ俺の方が暴力と嫌がらせに悩んでるくらいで―――」
「やっぱり悩みがあるのね!」
 刹那、雛森は目を輝かせて身を乗り出した。
 まってましたと言わんばかりの嬉しそうな声もおまけに。
「え、あ…いや…でも別に先生に相談するようなコトじゃなくて家庭内の問題というか―――」
「いいのいいの、何でもいいから悩んでることは全部先生にぶちまけちゃって。こう見えても色々経験豊富なんだから」
 雛森は生徒に頼ってもらうのが嬉しくてしょうがないとばかりに嬉々とした様子でさあさあと月彦に自白強要ならぬ悩み事の告白強要を迫ってくる。
(…何なんだこの先生は……)
 熱血。
 もはや死語と言っても過言ではないその言葉が似合うような人だと月彦は思った。
 そしてどことなく目の前の人物とは長期戦になりそうな、そんな予感を感じた。
 勿論それは現実となるのだった。

「姉さま、どこに電話してたんですか…?」
「ん、ちょっとね」
 霧亜はクスッ、と笑みを漏らして電話の子機を充電装置の上に戻した。
「月彦、帰り遅くなるみたいだから、先にお風呂でも入っちゃおうか」
「え…お風呂…ですか…?」
 はたと真央は壁掛け時計に目を走らせた。
 時計の針は4時をやや過ぎた辺りを指している。
 真央の中にある”人間界の一般常識”に照らし合わせてみても少し風呂に入るのは早すぎる気がした。
「そそ、お風呂。真央ちゃん入ったことある?」
「シャワーなら…朝、父さまと……」
 真央は上目遣いに言うと、霧亜が微かに舌打ちをするのを見逃さなかった。
「…あのエロ餓鬼、人が寝てる間にそんなことしてたのか」
「あっ、でも…父さまは別に…そういうコトは…」
 真央は咄嗟に弁解をしようとする。
「…ま、いっか。別にお風呂は一日に何回入ってもいいものだし」
 霧亜は再び、優しい口調で真央の肩にそっと手を添えると、その狐耳に囁きかける。
「女同士、裸で親睦を深めよっか」
「えっ…もしかして、一緒に…ですか?」
 真央はぎくりとして聞き返してしまう。
「勿論。それともなに?男の月彦とは一緒に入れても女の私とは一緒に入れないっていうの?真央ちゃん?」
 霧亜は意地悪な言い方をしてそれとなく真央の首に手を這わせてくる。
 途端に真央はゾクリと背筋を凍らせて動けなくなってしまう。
 何か…違う―――真央は思った。
 優しいけど、何か違う。
 やっぱり怖い人だ―――獣の本能的な直感、尻尾の毛がゾクゾクと逆立つ感触に真央は思わず身もだえした。
「あ、の…わたし、やっぱり父さまが帰ってきてから一緒に―――」
 真央が話し終わる前に霧亜は音もなく真央の背後に回ると、今度は両手で真央の体を抱きすくめてくる。
「いいじゃない、真央ちゃん。どうせ月彦が帰ってくるまで暇でしょ?」
 ふぅっ…と狐耳に息を吹きかけるように囁きかけてくる。
「ひっ……ぁっ……」
 真央はそれだけで肌を上気させ、呼吸を荒くする。
 霧亜はクスッと笑んで、
「真央ちゃんってホント敏感なんだ…?ふふっ、可愛いっ」
 逃がさないぞとばかりにぎゅ〜っと抱きしめてくる。
「じゃ、早速お風呂場行こっか。実はお風呂はもう既に沸かしてあるのよ」
 可愛がってあげる―――霧亜は狐耳を舐めるように囁いて、更に一言そう付け加えた。



 なし崩しに真央は脱衣所に連れてこられた。
 逃げられる状況でもなかった。
 そもそも霧亜はただ一緒に風呂に入ろうと言っているだけなのだ、それだけでは逃げる理由としても弱かった。
 故に、真央は今こうして脱衣所に居た。
 脱衣所とはすなわち衣類を脱ぐところである。
 真央は観念して、ゆっくりと一枚一枚服を脱いだ。
「へえ…真央ちゃんって…意外に出るところ出てるんだ…?」
 その白い肢体を、霧亜が値踏みするような視線でたっぷりと嘗め回してくる。
 真央は咄嗟に身を捩って両手で胸元を隠した。
「っ…やっ、そんな……見ないで下さい…」
「別に隠さなくてもいいじゃない。女同士なんだから」
 霧亜は言葉の通りに何の迷いもなく着ていた衣類を洗濯籠に放り込むと真央の背中を押すように浴室に進んだ。
 真央は母親以外の”大人の女性”の裸を見るのは初めてだったが、霧亜の体はグラマーというよりスリムという言葉が似合う体型だなと思った。

「じゃあ真央ちゃん、お湯かけるから、耳伏せててね」
「はい…」
 真央は言われたとおりにぴたっ、と狐耳を伏せた。
 霧亜は真央を風呂椅子に座らせて洗面器にお湯を汲むとそろそろとその肩、背中、髪に駆けていく。
 少し熱めのお湯が皮膚をチクチクと指すような感覚を残して絹のような肌を滑り、排水溝へと流れていく。
 続いて液体シャンプーを髪の毛に塗り塗り、わしゃわしゃと爪を立てるようにして洗っていく。
「真央ちゃん痛かったら言ってね」
「んっ…大丈夫です…」
 少し痛かったが、真央は我慢した。
 程なく再度お湯がかけられて泡が流され、続いてリンス。
 朝、父さまと一緒に入ったときはこれはしなかったな―――真央はそう思ったが口には出さなかった。
「さて、次は体ね」
 心なしか、少しだけ嬉しそうな声を霧亜は出して液体状のボディソープを手に出すとにゅりにゅりと泡立てる。
「あ、あのっ…姉さま、体は自分で……ひゃあっ!!」
 予想もしなかった場所への突然の刺激で真央は悲鳴の様な声を上げた。
「尻尾は大事なんでしょ?念入りに洗ったげる」
 意地悪めいた口調で言うと、霧亜はさらに扱くように真央の尻尾を両手で擦った。
「あっあぁっ、ぁっ…姉さまっ……そこっ、やっぁ……!」
 真央は背を丸め、押し殺すような声で制止を訴える。
 勿論、霧亜はやめる気はない様で、こしゅこしゅわしゃわしゃと尻尾の先から根本まで何度も擦り、撫で、扱き上げる。
 ビリビリと電流が走るような快感が尻尾の付け根からわき上がってきた。
「ひ、んっっ……ぁっ、ぁっ……姉さまっ…あっ、ぁっあっ……!」
 ハァハァと真央は吐息を荒くして悶え、それでも両手で口元を押さえて必死に喘ぎを押し殺した。
 それでも霧亜はそんな真央の努力をあざ笑うように尻尾への愛撫を強め、付け根をごしごしと扱いてくる。
「あっあっあっ…!…姉さまっ…やっ……ぁっ…………ッ!!」
 真央が達しそうになった刹那、霧亜の指がにゅるりと尻尾から離れた。
「はい、尻尾はおしまい。真央ちゃん、痛かった?」
 ぺちんっ、と真央の背中を叩いて霧亜が意地悪っぽい声で言う。
「えっ………ぁっ…………」
 イきそうになったのを直前で愛撫を止められて、真央は蕩けたような声を出してしまう。
 その顔に霧亜は満足そうに口元を綻ばせ、尚かつ真央の心中など知らないという顔をする。
「さっ、次は背中ね」
 霧亜は淡々とした手つきでボディソープをスポンジに塗ると少し優しめの強さでごしごしと真央の背中を擦る。
 そのまま腕、足と真央が敏感そうな場所はあえて避けるようにしてスポンジで擦り、ソープを塗りたくっていく。
 真央は先ほどの尻尾への愛撫の余韻で全身の感度が上がっていてそれだけでも達しそうになってしまうも、霧亜の微妙な焦らしで”おあずけ”を食らってしまう。
「ひっ…ぁっ………んぅ………ぁ………」
 切なそうに声を漏らして、ハァハァと肌を上気させる。
 そんな真央の後ろ姿を見て、霧亜はぺろりと唇を濡らすと、再びボディソープを自らの手のひらににゅるりと出す。
「真央ちゃん、大事な所は直接手で洗ってあげるわね」
「えっ…あっ…ひゃあんんっ!!!」
 刹那、にゅるりと蛇が這うような感触で霧亜の両手が真央の双乳を捕らえ、にゅむりとその弾力を楽しむように揉み捏ねる。
 人差し指と中指でピンピンに固く尖った乳首を摘み、くりくりと転がすように愛撫した。
「ひゃっ…あひっ…ぃはぁッ!…ね、さま…ひん…ぅ…」
「真央ちゃんおっぱい気持ちいいんだ?もっと触ってあげる」
 霧亜はそう狐耳に囁くとにゅむにゅむと両側から寄せ、搾るようにして丁寧に乳肉を捏ねていく。
 真央が声を高くし、達しそうになると途端に手を滑らせ、お腹や脇腹、背中などを撫でるように愛撫して焦らした。
「ふぁぁっ…やっ……ぁ………ぅっ……」
 真央は焦れったそうに声を漏らして、太股を擦り合わせる。
 そんな真央の動作に霧亜はクスッ、と笑みを零すとその指先をするりと真央の太股の辺りに這わせた。
 つつつと足の付け根に向かうように指を滑らせて、局部へ到達する直前にすっ、と指を戻し、その愛撫を繰り返していく。
「真央ちゃん、触って欲しい?」
 ボソッと震える耳に悪魔のように囁きかける。
 途端に真央は顔を真っ赤にして霧亜の方を振り向いた。
「触って欲しいんでしょ?」
 霧亜はもう一度囁きかけた。
 真央は顔を赤くしたまま、無言で静かにコクリと頷いた。
 刹那、霧亜の指がぬるりと這い、秘裂を優しく撫でる。
「はぁんッ!」
 それだけで真央は思わず浴室に響くような高い声を上げてイッてしまいそうになった。
「真央ちゃんのここ、すっごくぬるぬるしてるわよ?」
 霧亜はあえて真央に自覚させるように言った。
 続けて、さらに真央を焦燥させるようににゅるにゅると淫裂を優しく撫でるだけの焦れったい愛撫を続ける。
「ぁっ……ぁっ……姉さまっ…やっ…、強…く……」
 真央は思わず自分の口を押さえた。
 懇願の声―――理性の壁を突き抜けて漏れた本音。
 勿論霧亜は真央のその一言を聞き逃さず、クスリと口元を綻ばせる。
「真央ちゃん、イきたい?」
 そして、さらなる問い。
 無理矢理犯すのではなく、あくまで自分の意志で体を許したと真央に認識させるための残酷な問い。
「……っ……」
 真央は唇を噛むようにして押し黙った。
 途端、霧亜はその指先の僅かな動きさえも止めてしまう―――耐え難い焦燥。
「答えないと、ずっとこのままよ?真央ちゃん」
 ツ…と左手で真央の乳房を撫でるだけの愛撫をする。
 それに弾かれたように、真央は凝視していないと分からないくらい小さく、コクリと頷いた。
「だめ、今度はきちんと口で言いなさい」
 霧亜はクスクスと淫魔のように笑みを零しながら真央の狐耳に囁きかける。
 真央の顔がかあっと上気した。
「…ッ…姉さまの…指で、…真央を、イカせて…ください……」
 そして絞り出すような声で言った。
「くすっ…真央ちゃんはおねだり上手ね。御褒美よ」
 霧亜は囁くと、ぎゅっと人差し指と親指で真央の淫核を摘み、ぐちゅっ!と中指と薬指を膣口にねじ込んだ。
「はひぃッ!」
 真央は悲鳴の様な声を上げて弓のように背を反らせた。
 そのとき、背後の悪魔は確かに囁いた。
「くす…。イッちゃえ、インラン狐ちゃん」
 途端、膣口にねじ込まれた指が肉壁を擦り上げるように暴れ、淫核が包皮を向かれて擦り上げられた。
「あぁあッ!あぁあッあぁーーーーーッ!!」
 真央の絶叫が浴室中の壁に反響した。
 全身を震わせて、真央は霧亜に凭れるように仰け反った。
 どっ…と霧亜の手に熱い飛沫の感触。
 真央はあまりの快感に失禁していた。
「あらあら…真央ちゃん漏らしちゃうくらい気持ちよかったんだ…?」
 霧亜は恍惚の笑みを浮かべて、絶頂の余韻で震える真央を抱きしめる。
「ふぁっ…ぁっ…ごめ、んなさい…姉さまぁ……」
 真央は呂律の回らない舌で謝ってくる。
 霧亜は聖母のような笑顔でそれを受け止めて、さらにその唇を踊らせた。
「大丈夫よ、真央ちゃん。真央ちゃんがお風呂場でおしっこ漏らしちゃったこと、月彦には黙っといてあげるから」
 幼子をあやすような口調で優しく語りかける。
 そして、最期に一言悪魔の笑みで付け加えた。
「その代わり、今夜月彦が寝たらこっそり私の部屋に来なさい。いいわね?」

「だからね、私はそこで言ってやったのよ。『校長先生、どうして生徒指導は男性にしか出来ないって決めつけるんですか?』ってね。そしたらあの油ハゲなんて言ったと思う?」
 ばんっ!と雛森教諭は思いきり生徒指導室のテーブルを叩きつけ、月彦を睨むように見た。
「さ、さぁ……なんて言ったんですか?」
 月彦は完全に気圧され、引きつった笑みで聞き返した。
「『生徒の中には危ない生徒も居ますから、女性の先生方だと万が一のことがあったときに責任が―――』って言うのよ。結局は学校側の体裁とメンツしか考えてないのよ、あの油ハゲは」
 雛森は鼻息荒く息巻いて腕を組んだ。
 月彦はちらりと腕時計を見る―――7時だった。
 もうかれこれ3時間も彼女と話をしている。
 それもその殆どが彼女の愚痴だったり、世間話だったりするのだからたまらない。
 一体なんのために自分はここにいるのだろう―――月彦は首を捻りたくなった。
「生徒を指導するのに男か女かなんて関係ないのよ。男には男の、女には女のやり方があるんだから。紺崎君もそう思うでしょ?」
「そ…うですね。俺もどっちかっていうと松本先生みたいなのより雛森先生みたいな人に指導してもらったほうがいいですかね」
 月彦は少しだけ本音を交えて話を合わせた。
 しかし、雛森は露骨に表情を曇らせる。
「ダメ、紺崎君。全然分かってない。私が言ってるのはそういうコトじゃなくて、あーもう…なんて言えばいいのかなあ…」
 雛森は苛立つようにタンタンと長い指先でテーブルを弾く。
「…あの、先生。もう大分外も暗いですし…今日の所はそろそろ………」
 月彦は恐る恐る申し出た。
 雛森はフゥと一息つくと、
「そうね、喉も渇いたし。少し休憩入れましょうか」
「そうですよ、休憩―――…って休憩!?」
 月彦は大声で尋ね返した。
 雛森は心外そうな顔をして、
「だって、さっきから私の話ばっかりで全然紺崎君の話してないじゃない。問題が解決しない以上まだ帰すワケにはいかないでしょ」
「そんなっ……俺今日は早く帰らないと……」
「大丈夫、帰りは私の車で送ったげるから。安心して腹を割って話し合いましょ」
  どうやらこの先生、生徒と会話をするのが楽しくてたまらないらしい――月彦はそんな印象を覚えた。

 …
 ………
 ………………
 結局、その日の帰宅は9時近くになった。
 どの運動部も既に帰宅し、校舎もその殆どが闇に包まれてから漸く月彦は雛森から解放されたのだ。
 ただの話し好きなのか、それともよほど職場に不満があるのか、生徒思いなのか或いはその全部なのか。
 雛森と一緒に居た時間のその8割方は彼女のおしゃべりに費やされてしまったのだ。
 その口が良く回ることといったら文字通り舌を巻くほどの饒舌ぶりだった。
 それでも決して早口というわけではなく独特の心地の良い綺麗なリズムの発音と発声なので聞いている分にはとても心地が良いのだ。
 きっと生徒指導などではなく、英語教師や音楽教師などをやればもっと生徒に親しまれるだろうに―――月彦は雛森の声を聞きながらそんなことを思った。

「じゃあね、紺崎君。もうお姉さんに心配かけちゃだめよ?」
 赤いスポーツカーのカーウインドウから顔を覗かせて雛森は軽くウインクするとブォンとアクセルを吹かし、リアタイヤをブレイクさせながら紺崎邸の前から走り去った。
 結局数時間にも及ぶ話し合いによって得られた成果といえばとてつもなく微妙な結論だったと言わざるをえない。
 いや、あれは話し合いと言うよりも回りくどい自己紹介だったと思う方が正しいかも知れない。
 月彦は自分のコトは殆ど話させてもらえなかったのに、雛森のコトは聞いてもいないのに一方的に教えられるのだ。
 本名は雛森雪乃、24才独身、つき合っている男は無し。
 身長は168センチ、体重は秘密、スリーサイズも秘密。
 好きな色は赤、嫌いな色は緑。
 好きな食べ物はグラタン(海鮮グラタンが一番好きらしい)、嫌いなのはキノコ料理。
 現在学校付近のアパートに一人暮らし、家賃は月2万6千+駐車場料金2千円。
 今一番欲しいものは新車と彼氏、そしてエンゲージリング………らしい。
 他にも職場の不満、学生時代の体験etc...。
 月彦は家族以外の女性のことをここまで深く知ったのは生まれて初めてだった。
「……疲れた…」
 月彦はガックリとうなだれながら自宅のドアノブを引いた。
「………母さん帰ってきてるのか」
 玄関に見慣れた靴が揃っていた。
 そしてなにやら台所の方からはにぎやかな声が聞こえてくる。
 月彦も早々に靴を脱ぐとカバンを玄関に放って早足に台所の方に向かった。

「あら、月彦。遅かったのね、ご飯もう食べちゃってるわよ」
 台所に入るなり、母、葛葉のおっとりとした声が耳に飛び込んできた。
 見るとキッチンのテーブルの上にはなにやらぐつぐつと芳香を漂わせている鍋―――スキヤキだろうか―――そしてそれを囲う3人の娘達。
「父さまっ、お帰りなさいっ」
 とたたっ、と真央が椅子から飛び出して月彦に抱きついてくる。
「た、ただいま………って、これは一体……」
「ヨーコちゃんの歓迎会よ。月彦も早く手を洗ってきなさい」
 月彦の疑問に葛葉がおっとりとした口調で答える。
「ヨーコ…?歓迎会…?」
「もう、母さん…。名前がヨーコなんじゃなくて、妖狐の真央ちゃん。何度言っても間違えるんだから」
 と、缶ビールを既に数本空けている霧亜がめんどくさそうに諭す。
 途端、月彦は思い出したように声を上げた。
「…姉ちゃん、今日学校に変な電話しただろ」
 月彦が睨むように言うも、霧亜はぷいとしらんぷりをする。
「おかげでこんな時間まで居残り食らったんだぞ!」
「そうなの。おかげで母さんへの真央ちゃんの説明も楽だったわ」
 霧亜は淡々とした口調で言って、ぐいとさらに缶ビールを煽る。
「…真央の説明って……つまり―――」
「父さまっ、私ここに住んでもいいんだって」
 真央がギュウと抱きつきながら嬉しそうに声をあげた。
 月彦は目をぱちくりさせながら鍋奉行をしている葛葉を見た。
「娘が一人増えたみたいでいいじゃない。ね、真央ちゃん」
 葛葉は笑みを零さずににっこりと真央に微笑みかける。
「……姉ちゃん、一体母さんにどんな説明したんだ?」
 月彦は怪訝そうな顔をして小声で霧亜に耳打ちした。
「どんなって、そのまま。ありのまま。包み隠さず」
「包み隠さずって…」
 月彦は顔をひきつらせながらそっと葛葉の方に視線を走らせた。
「私もこの年で孫の顔が見れるなんて思わなかったわぁ。月彦も隅に置けないわねぇ」
 葛葉は終始おっとりとした様子で静かに笑うとちょいちょいと真央に手招きして、その髪を優しくなでつける。
 真央は心地よさそうに耳を震わせてまるで実母に甘えるように葛葉に体を預ける。
「義母さま、大好きっ」
「ふふっ…、甘えん坊ね、真央ちゃんは」
 よしよしと葛葉は真央の背中を撫でて、頭を撫でた。
 どこからどう見ても仲むつまじい親子のワンシーンのように見えた。
「…あ、の………母さん?」
 月彦は思わず声を出した。
「なぁに?」
「その…お金のこととか、いろいろ問題はあるんじゃないの?そんな簡単に―――」
「あら、お金なら父さんが残してくれたのがいっぱいあるじゃない。真央ちゃん一人くらい増えたってどうってことないわよ?」
 葛葉はあっさりと答えた。
 そして意味深な笑みを浮かべて月彦を見ると、
「なんなら、もう2,3人くらい増えた方がにぎやかでいいかもねぇ」
 冗談とも本気ともとれる、ある種の期待すら籠もったような口調でそう付け加えた。
「………もう2,3人て…」
 月彦は葛葉のお気楽思考に絶句した。
 真央のことにしろ、こんなに簡単で良いのか―――と、月彦はかえってコトがうまく進みすぎて気味悪く感じた。
「ほら、月彦。早く手を―――」
「あ、ああ…分かってるって、着替えてくる」
 月彦は飛び出すようにして台所を後にした。
 その夜の晩餐はいつになくにぎやかで楽しいものになった。

「ふぃー……食った食ったぁぁ………」
 ごろり、と月彦は自室のベッドに大の字になった。
 久々のご馳走に少しベルトを緩めようかと思うほどに腹は膨れあがり、体の内側から食物が圧迫してくる。
 胃に血が集中するためか、心地の良い脱力感と眠気がじわりじわりと襲ってきた。
 刹那―――
「父さまぁっ♪」
「おォフッ!!」
 その胸元及び腹に真央がフライングダイブをぶちかましてくる。
 月彦は体をくの字に曲げながら悲鳴を上げ、胃液の逆流を堪えた。
「あれっ…父さま、痛かった…?」
 すぐさま真央が飛び退き、心配そうな顔でのぞき込んできた。
 月彦は脂汗を滲ませながら笑顔を作り、
「だ、大丈夫…。ちょっと腹が苦しかったから……」
「父さま、お腹苦しいの?」
 真央が心配そうな声を出して、そっと服の上から月彦の腹をやさしく撫でた。
 心なしかそれだけで、月彦は徐々に苦痛が和らいでいくのを感じた。
「ふぅ…ありがとう、真央。大分楽になったよ」
 月彦は笑顔を返し、そっと真央の頭を撫でた。
 真央は心地よさそうに狐耳を震わせ、すりすりと月彦にすりよるようにして横になる。
「真央、今日は大丈夫だったか?」
「えっ…?」
「いや、ほら…昼間姉ちゃんと2人だけだったろ?何かイジめられたりしたんじゃないのか?」
 あの姉のことだから―――と月彦は少し真面目な面持ちで聞いた。
 真央は少し戸惑うような顔をすると、再び笑みを浮かべて、
「そんなことないよ。姉さますっごく優しくて、お菓子とか一緒に食べたり…あと、お風呂とかも…」
「お菓子って…ちゃんと市販品か?食べた後変な気分になったり頭痛になったりとかはしなかったか?」
 月彦はやや大げさに、それでも真剣な面持ちでさらに追求してくる。
「心配しすぎだよ、父さま。私も初めは怖い人かなって思ったけど……」
「…それならいいんだが…………」
 そういえば女子高時代は結構後輩とかにモテてたなぁ―――月彦はふとそんなことを思い出した。
 意外に”年下の女の子”の面倒見はいいのかもしれない。
 それならそれで真央に危害は加えないだろうから大丈夫だろう、月彦は頷いた。
「まっ、とにかくこれで真央は晴れて家族の一員になったってことだな。改めてよろしくな、真央」
 きゅっ、と月彦はやや軽く真央を抱きしめ、囁く。
「あっ………父さまっ…」
 真央はそれだけで微かに声を震わせて、顔を赤くした。
 月彦はその頬に軽くキスをすると真央から離れ、体を起こした。
「風呂はいるけど、真央も一緒に入るか?」
 月彦は悪戯っぽく言うと、真央は少しすまなさそうな顔をして、
「えと…義母さまと一緒に入る約束しちゃったから……」
「そっかぁ…。まあ、しょうがないかな」
 月彦は苦笑すると制服を脱ぎ、衣装ダンスから着替えを取り出して部屋を出た。
 思わず綻んでしまう口元を手で押さえつけるようにして必死に直した。
 危惧したような衝突もいざこざも無く、すんなりと真央が家族の一員として迎え入れられたのが嬉しくてたまらなかった。
 
 風呂に入って、そして割と早い時間に月彦はベッドに入った。
 傍らには真央を抱いて、睡魔は割とすぐにやってきた。

 ―――深夜。
 ドアの隙間から灯りが僅かに漏れる霧亜の部屋に、コンコンと控えめなノックが鳴り響いた。
 程なく、がちゃりとそのドアノブが開かれ、霧亜が顔を出した。
「こんばんわ。真央ちゃん。月彦はもう寝たの?」
「…はい」
 真央は強ばった声で答えた。
 微かにその体が震えていた。
「入って、散らかってるけど」
 霧亜はそう言って真央を自分の部屋に招き入れた。
 霧亜の部屋は本当に散らかっていた。

 どれくらい…と言われれば極度の散らかりようとしか言いようがなかった。
 まず、床に散乱したCDケースやらdvdケースやらで足の置き場がほとんど無い。
 少し大きめのPCラックには黒塗りのタワー型PCと21インチ液晶ディスプレイが静かな駆動音を鳴り響かせ、その周りにはプリンターやスキャナ、マイク、スピーカー等々が所狭しと設置されていた。
 配線はタコ足も良いところで、埃が積もりいつ発火が起きてもおかしくないような状態だった。
 挙げ句の果てに部屋の隅には監視カメラのようなものまで設置されている。
 PCの知識がない真央ですら、この部屋は異常だと容易に認識できた。
「ケース踏まないように気をつけてね」
 霧亜は器用に床が見えている場所を足がかりにしてひょいひょいと飛ぶようにしてベッドの上に飛び乗る。
 そして、ちょいちょいと真央に手招きをした。
 真央もそれに習って飛び、ベッドに飛び込むようにして着地する。
「ん、上手よ、真央ちゃん」
 するりと蛇のように霧亜の腕が背後から絡んできて真央の体を抱きしめる。
 そのままちゅっ、と軽く吸い着くようなキスを頬に重ねてきた。
「あっ、ね、姉さま…?」
「なぁに?」
 霧亜はまるで巨大なぬいぐるみでも抱くような手つきで真央を抱きしめ、そのままもろともごろりとベッドに横になる。
「えとその…用件…は……」
「用件?」
 霧亜は意外そうな声を出して真央に聞き返してくる。
「と、父さまが寝たら…部屋に来なさいって……」
「んー…別に用という用はないんだけど…、しいて言えば」
 キュッ、と霧亜が締め付けるように腕の抱擁を強くする。
「…もう少し、真央ちゃんのコト…知りたいかなぁ」
「わ、わたしの…コト…?」
 真央が聞き返すと、霧亜はゆっくりと頷いてその右手をすっと真央のシャツの下に滑り込ませてくる。
「ひゃっ……」
 真央がくすぐったそうな声を上げると、霧亜はさらに指を滑らせ、ヘソの周りをゆっくりとなで回してくる。
 その指先を下へ、ショーツの中へと滑り込ませていく。
「やっ……ね、姉さまっ…そこっ、だめっ…」
 真央が咄嗟に抵抗をするような素振りを見せると、霧亜は当然の様に余っている左手でキュッ、と真央の尻尾の付け根を握りしめた。
「やんっ…!」
 途端に真央はビクリと体を震わせて抵抗を止め、ぐったりと体の力を抜いてしまう。
 その隙に霧亜は右手を更に滑らせ、真央の薄めの恥毛を優しく撫でた。
「あら…真央ちゃん、少し湿ってる…?」
 そして意地悪く、震える狐耳に背後から囁きかけてくる。
 真央はかあぁと頬を火照らせてぴんっ、と言葉から逃げるように狐耳を伏せた。
「くすっ、私の部屋に来る前に、昼間の…お風呂場でのコト思い出した?」
 つっ…と中指だけを湿る水源に僅かに触れさせ、すぐに離す。
 微かに糸を引くその粘質の液体の感触を真央自身にも自覚させるように。
「ね、さま……やっ……やめ、て…くださ、い……」
 真央は震える声で制止を訴える。
 だが明らかに艶を帯びたその声に説得力は皆無だった。
 霧亜はショーツの中から右手を引き抜くと、その指先を紅色の舌でぺろりと舐めた。
「なら、大声出してみる?月彦は隣の部屋で寝てるんだし」
「ぇ…そん、な…」
 躊躇。
 真央は瞳を泳がせて、口を噤んだ。
 精一杯自分の”本心”に気が付かないフリをして。
「真央ちゃん?」
 霧亜が雅な声で真央の名を呼ぶ。
 両手でその顔を自らの方に振り向かせ、笑んだ。
「ちょっと、タバコの味がするかもしれないけど、我慢してね?」
「え…んんぅっ!?」
 刹那、唇が重なった。
 ずるりと霧亜の舌が口腔内に侵入してきて、びちゃびちゃと淫らな音を立てながら暴れ回る。
 獣の様に尖った真央のその犬歯の先を撫でるように、擦るように。
 互いの唾液を交換するようにじゅるりと吸い上げ、送り込んでくる。
「んはっ…ぁっ…」
 漸くのことで霧亜が唇を離した。
 真央は苦しげに息をつくも、すぐにまた唇を塞がれ、さらに舌が奥まで入り込んでくる。
「んんんっ!」
 ぶちゅぶちゅと口筋から唾液を溢れさせながら真央は声を荒げた。
 月彦としたキスとは違う、荒々しい、嬲るようなキスだった。
 霧亜の舌は真央の口腔内を荒し、その舌を犯すように絡みついてくる。
 真央が昔、母親に教えてもらったキスの技術とは明らかに違う種類の舌使い。
 相手を興奮、感じさせるためのキスではなく、屈服を強いるようなキスだった。
「っはぁッ……ふう……真央ちゃん、結構キス巧いじゃない?」
 じゅるりと糸を引いて真央の口腔内から舌を引き抜き、霧亜が恍惚の笑みを漏らした。
「誰に教わったの?まさか月彦―――じゃないか、あの愚図にはそんなテクないわね」
 霧亜は一人で納得すると、するりと真央のシャツの中に両手を潜らせて、にゅむりとその柔肉を掴み、催促をするように指先で突起をこね回した。
「あンッ…か、母さま…に………」
「母さま…月彦を襲ったっていう妖狐?」
 キュッ、と強めに両方の乳首を摘み、引っ張る。
「きゃぅんっ!……は、はい……母さまに、キスは………」
 真央は甘い息を吐きながら、蕩けた声で漏らした。
「ふぅん…真央ちゃん達って親子でそういうことするんだ…?案外月彦と真央ちゃんも関係があったりして…?」
 霧亜が冗談っぽく言うと、真央は微かに体を強ばらせた。
 勿論、そんな微かな変化すらも見逃されず、
「もしかして図星?」
 嬉々とした口調で霧亜が尋ねてくる。
 真央は顔を真っ赤にして必死に目をそらせた。
「真央ちゃん、答えなさい。月彦とシたの?」
 するすると霧亜の右手が再び腹を、そしてショーツの中へと潜り込んでいく。
 今度はそこで止まらず、人差し指と中指がジットリと濡れそぼった膣口にツプリと埋没した。
「はぁ…ンッ!」
 真央は思わず声を漏らして、身を捩った。
 それでも霧亜は指を止めず、ずぷずぷと肉を裂くようにして指を埋没させていく。
「…真央ちゃん?」
 少し威圧を含めた声で霧亜が再度催促した。
「ぁっ…ぅ……す、少し…だけ……」
 真央はその冷たい声に怯えるように答えた。
 さらに霧亜は真央の膣内に埋めた指を微かに折り曲げ、
「少し、じゃ分からないわよ。具体的にどこまでシたのか説明して?」
「ぁんッ…そ、んなっ…姉さまっ…ぁあんッ!」
 ぐっ、と真央の膣内で霧亜の指が曲がり、コの字を描く。
「答えなさい。」
 くちゅじゅぷと軽く膣壁を引っ掻くように指を出し入れして、再度震える狐耳に囁いた。
「ぅっ…あんっっ、…き、キス………だ、け…」
 真央は震える声で答えた。
 刹那、霧亜の指先が淫核をギュッ抓り上げた。
「あひぃッ!!!」
 真央は悲鳴を上げてビクンと体を跳ねさせる。
「…真央ちゃん、嘘はダメ。本当は?」
 霧亜はクスッ、と優しい笑みを零してチロチロと蛇のよう真央の頬にそっと舌を這わせた。
「ぁ、ぅ……さ、最期、まで………」
「具体的に、何をどうされたの?」
 つ…とその指先が再び淫核を捕らえ、脅すようにまとわりついてくる。
 真央は観念するように目を閉じた。
「父さまの…を、……真央の…に………」
 消え入りそうな声で答える。
「親子なのにシちゃったんだ?始めに誘ったのはどっち?月彦?」
 くちゅくちゅと膣内に入った指が音を立てて出入りする。
 それもまるで真央の弱いところを知り尽くしているかのように責め、嬲ってきた。
「ぁ、ぅ………ま、真央…です……」
「そうよね、あの愚図に女の子襲う度胸があるとは思えないし」
 クスッ、と霧亜は嘲笑する。
「真央ちゃん、もしかしてそれが初めて?」
 真央は無言でゆっくりと頷いた。
「そっかぁ…残念ね。折角私が食べちゃおうと思ったのに」
「えっ…食べる……って………?」
「真央ちゃんの”初めて”に決まってるじゃない」
 ギュッ、と霧亜の左手が尻尾を強く握ってくる。
「ひゃっっ…………」
「真央ちゃん、月彦とシた時、イッた?」
「え……はい……」
 消え入りそうな声で答える。
「何回?」
「ぇ…と……よ、4回…です……」
「初めてなのにそんなにイッちゃったんだ…?」
 クスッ、と霧亜はあざ笑うように笑みを零して、ずっ…とさらに指を奥に押し込んでくる。
「あっっ…姉さまっっ…」
「あの愚図相手に4回もイけるなんて、真央ちゃんってすごい敏感か淫乱のどっちかね。自覚してる?」
「やっっ…ぁ……ねぇ、さま…、淫乱って…言わないで……」
 真央は身を捩って霧亜に懇願する。
 それでも、霧亜は口もとに悪魔の笑みを浮かべると真央の狐耳にキスをするように唇を寄せて、
「インラン狐。」
 まるで命名をするように威圧的に、冷たい口調で囁いた。
「ひっ…いやぁぁっ…」
「くすっ、真央ちゃん…気づいてる?”淫乱”って言うと、真央ちゃんのここ、ビクッて凄く締め付けてくるわよ」
 ぐいっ、と霧亜は膣内の指をチョキをするように押し開く。
 そしてまた一言、
「ホントは凄く好きなんじゃないの?淫乱って言われるの」
「ひっ、ん……いやっ…そんなこと、ない…………言わないで…姉さま…」
「ほら、またギュッ…て、言われて嫌なことで悦ぶなんて…真央ちゃんマゾ?」
 霧亜は愉悦の笑みを浮かべて、ずっ…と一旦指先を膣口から抜け落ちそうなくらい引き抜くとぐぷりと根本まで埋没させた。
「きゃぅうッ!ぁっ………ね、えさまっ…あんッ!ぁっ…ひぁッ!」
 同時に左手が真央の尻尾の付け根を扱き上げる。
 右手の人差し指と中指は狭い膣口をこじ開けるように折り曲げられ、押し開かれ、膣壁を擦りながら何度も出入りをする。
「くすっ…」
 声を、吐息を徐々に荒げていく真央を見て、霧亜は含み笑みを漏らした。
 まるで琴か何か、楽器でも奏でるようなそんな容易い手つきで眼前の子狐の局部を弄る。
「あぁッ!あッ、あッあぁっ!あっ…姉さまっ姉さまっやっ…ひ、ぁっ、ああああぁあぁーーーーッ!!!」
 敏感な部位への荒々しい愛撫で、真央は仰け反り、絶叫とも悲鳴ともつかない声を上げて達した。
 ぐったりとベッドの上に四肢を投げ出し、胸を激しく上下させて荒々しく息を吐いた。
「真央ちゃんがイク時の声、すごく可愛いけど…ちょっと大きすぎかな。次からはもう少し押さえてね、じゃないとめんどくさいのが起きちゃうから」
 霧亜はそっと真央の頬にキスをするとショーツの中から愛液でべっとりと濡れた右手を引き抜いた。
「え…つ、次って…………あんむぅっ!」
 それを真央の頬になすりつけ、さらに口の中にねじ込み、自らの恥蜜の味を教え込むように舌に擦りつける。
「そう、次。会ったばかりの父親に処女を捧げて、しかも4回もイッちゃうような淫乱マゾ狐の真央ちゃんにお仕置きしなきゃいけないでしょう?」
 霧亜は雅に嗤うと、ベッドの側から黒い布きれのようなものを取り出し、慣れた手つきで真央の両手を後ろ手に縛ってしまう。
「さあ…真央ちゃんの可愛い声、いっぱい聞かせてね。…夜は短いわよ?」

「ふぁああっああぁあッ!ねえ、さまっ…やっ…イ、イクッゥ……!!!」
 真央は震える尻を高く持ち上げ、マクラに顔を埋めて声を押し殺してイッた。
「あらあら…またイッちゃったのね。もう5回目よ、真央ちゃん」
 霧亜はクスクスと笑みをもらしながら弄ぶように真央の尻尾を握り、軽く擦り上げた。
 裸にされ、後ろ手を縛られ、大事な部位を全て霧亜の前に晒されての仕置き。
 しかも霧亜は”おしおき”が始まってから尻尾以外の場所は殆ど触っていなかった。
 ただ尻尾だけを撫で、さすり、擦り、扱き、徹底的に刺激して何度も何度も真央を高みに連れて行く。
 淡々と押しつけられる快感と、それに伴う絶頂。
 それは聞き分けのないペットに誰が主人かを思い知らせるような、そんな行為に似たものがあった。
「真央ちゃん、ほら…お漏らししたみたいになってるわよ?」
 高々と持ち上げられた真央の下半身、その泉の真下には大きなシミが出来ていた。
 尻尾に一方的に与えられる快感に真央が声を上げてイき、恥蜜を迸らせた結果である。
「ひっ…ぁ……ね、さま…もう、…許…してェ…」
 真央はぐったりとそのマクラに涎を零して、ピクンッ、と尻尾を痙攣するように跳ねさせて懇願した。
「…許して欲しい?」
 霧亜は可愛らしく震えるその尻尾をやわやわと揉むように撫でてぼそぼそと真央の狐耳に囁きかけてくる。
 一瞬、今まで濁った光を示していた真央の目に希望の色が入り交じる。
 が―――
「だーめ、まだ許してあげない」
 霧亜は残酷な笑みを浮かべると、真央の肩を掴んでくるりと仰向けに転がした。
「っきゃッ…!」
「ほら…真央ちゃんのココもまだ足りないって言ってるでしょ?」
 霧亜は指先で溢れる恥蜜をトロリとすくい上げるとそれを真央の太股、腹、乳房へと塗りつけていく。
「掬っても掬っても溢れてくるわね。淫乱な真央ちゃんのイヤラシイお汁」
「っ……!」
 淫乱。
 その言葉を聞く度に真央は体を震わせ、息を荒げる。
「興奮するんでしょう?淫乱って言われると」
 ぐちゅっ、と恥蜜が飛び散るほど荒く霧亜の指が膣口にねじ込まれる。
「きゃッあンッ!!っ……ち、がう……」
「何が違うの?」
 ぐちゅっ!にちゅっ!ぎゅちゅっ!
 容赦のない責め。
 恥蜜を飛び散らせて霧亜の指が暴れた。
「はひぃいいッ!ひぃいいっ!っ…!…ね、姉さまっ………ィはぁアッ!!!」
 真央はブリッジをするように腰を跳ねさせ、腰をくねらせる。
 霧亜はにゅと…と糸を引いて秘裂から指を引き抜くと、そのヌラついた手でそのまま真央の胸をねっとりと捏ねた。
「どう?真央ちゃん…そろそろ認めたら…?」
 にゅるり…にゅるっ。
 恥蜜を真央の体に塗りつけるようにして手を這わせ、さらにそれを舐めとるようにぞわりと舌を這わせていく。
「え………ぁ……きゃんッ?」
 真央が蕩けた目で霧亜を見上げると、その胸の頂をキュッと摘み、引っ張り上げた。
「『私は淫乱でマゾな牝狐です』…でしょ?」
 伏せっぱなしの真央の狐耳をくいと持ち上げ、罪人に取り憑く悪魔のような口調で霧亜が囁きかける。
「やっ……姉さまっ…そんなコト…言えなっっ…きゃひぃいッッ!!」
 霧亜は無言で真央の最も敏感な部位を指先で弾く。
 真央はそれだけで稲妻に撃たれた様に体を震わせ、恥蜜を吹いた。
「『言えない』じゃないの。『言う』の。わかった?」
 強制。
 笑顔のまま虐げてくる霧亜の圧力に、真央はゾクリと背筋を震わせた。
「………ッ…わ、わたし…は………」
 自分の意志とは無関係なところで唇が踊った。
 ゾクゾクと体の芯が燃えるような興奮を覚えて、真央は辿々しく続ける。
「私は……淫乱…な…牝、狐…ですっ……―――あうぅん!!!」
 再び、淫核が弾かれる。
「淫乱でマゾな、でしょう?」
「い、淫乱…で、マゾ…な…牝狐…ですっ……ッ…」
「『どうか霧亜様のペットにしてください』…続けて?」
 はむっ…と霧亜の唇が耳を食んでくる。
 拒絶は―――できなかった。
「……どうか、霧亜様の…ペットにしてください……」
 切なげに吐息を漏らしながら、真央は言った。
 ゾクゾクとわき上がる興奮を霧亜に悟られぬ様に、出来るだけ無関心を装って。
「…可愛い、最高よ…真央ちゃん。本当に『ペット』にしたいくらい」
 霧亜は少し吐息を荒げながら、愉悦の笑みを浮かべて幼子を褒めるような手つきで真央の頭を撫でた。
「可愛い真央ちゃんに御褒美…あげなきゃね」
 霧亜は微笑むと真央の両太股を両手で抱え込む様にしてその谷間に顔を埋めた。
「ぇ……姉さま…そこっ…はっ……」
「特別サービスよ。真央ちゃんに『天国』見せてあげる」
 霧亜は眼下の、蜜を蓄えた果実を見下ろしてぺろりと舌なめずりをする。
「やっ姉さまっ…そんなところッ……ひゃあっァアアッ!!!」
 ジュルッ!ジュルッジュルッ!ブチュッ!
 パックの底に僅かに残ったジュースをストローで無理矢理啜るような音を立てて霧亜が恥蜜を啜りあげる。
 ずるりと舌がドリルのように膣口をこじ開け、ねじ込まれてくる。
「あハァッ!やヒッ…あぁああッ!!!」
 真央は陸に打ち上げられた人魚のように腰を跳ねさせる。
 霧亜の舌は特別だった。
 ある時は固く、まるで男性器の様に膣口を裂いてきて犯した。
 ある時は柔らかく、ぴちゃぴちゃと汚らしく音を立てて蜜を啜った。
 まるで真央の体がその刹那に求める刺激をあらかじめ予知でもして知っているかのように的確に、弱いところばかり責め上げてくる。
「んっ…じゅるっ……じゅっ……っぱぁっ!……真央ちゃん、気持ちいい?」
 ヒクヒクと痙攣するそこに吐息を吹きかけながら、霧亜は尋ねる。
 真央は涙目で口をパクつかせ、頷いた。
「そう、じゃあ今度は指も使ってあげるはね。…真央ちゃん敏感だから…『天国』まで持つかな?」
 クスッ、と霧亜は悪魔笑みをするとその長くしなやかな指をじゅぷりと根本まで埋めた。
 同時に、勃起した淫核を露出させると吸い付くようにしてキスをして、吸引しながら舌先で丁寧に嘗め回す。
「ひァアッ!!ぁああっあッ!ね、さまっ…やっ……だめっ、だめっッ、ッッきゃッあぁァアアッ!!」
 ビクンッ、ビクンッ。
 痙攣をするように真央の足が跳ねる。
 膣内に入り込んだ指はまるで自らの意志があるようにうねり、狭い膣口を広げ、軽く引っ掻き、出入りする。
 真央の弱い部位は徹底的に責め、そして適度の焦らし。
 勃起した淫核にはちゅぱちゅぱと吸い上げるようなキス。
 咥えこみ、強烈に吸い上げて離す。
 時折歯で軽く食み、舌先で弾くように舐め、再び吸った。
「んー…じゅぱっ…んちゅっ、じゅっぱっ…んふっ……んー……ッぱっ…ふふっ…『天国』見えてきた?淫乱マゾ狐の真央ちゃん」
 霧亜が態と”淫乱”のアクセントを強くして言った。
「ッひゃっ…ふっ、ひんッ、あひぃぃいいッ!ね、さまっ…やっ…変…、イキッぱなし、で…くひぃッ!!」
 真央は涎まみれの媚声を上げて悶えた。
 下半身はもう殆ど痺れるように感覚が薄れ、強烈な快感だけが絶えず送りつけられてきた。
 手も足も痺れたまま、背骨を突き上げてくる電気の様な快楽にビクンビクンとバネ人形の様に痙攣を繰り返すだけだった。
 思考が止まりかけていた。
 頭の中に白い霧がかかったようにハッキリしない。
 世界から重力が消えて、フワフワと宙に浮いているような錯覚が襲ってくる。
「あっ!、あっ!、あぁ!っあぁあっあッ!、あっ…姉、さまっ!…ああっあっあっ!やっ…もぉ…らめっ…止めてっ!……死んじゃうっ!死んじゃうゥ!!!!」
 真央は泣き叫ぶようにして懇願した。
 未知の感覚に恐怖した。
 途端、全ての愛撫が止まった。
「…ふぁ―――…?」
 部屋中に木霊していた濁った水音も消えた。
 無人の世界に突然一人だけ放り出されたようなそんな気すらした。
 真央は精一杯体を起こして、見た。
 意地悪な笑みを浮かべた霧亜が見えた。
「『天国』、見せてあげる」
 一瞬の時間差攻撃だった。
 チュッ…とその唇が再び淫核を捕らえて、きつく締まって、キュウッ、とネジを締めるように捻られた。
「あぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」
 真央は絶叫を上げて、そして失神した。

「真央ッッ!!!!」
 突然、月彦は叫ぶような声を上げて飛び起きた。
 全身をジットリと嫌な汗に濡らして、きょろきょろと周囲を見渡した。
 薄暗い室内にはガラス戸から早朝の弱い陽光が降り注ぎ、それがまだ起きるには早すぎる時間であることを示していた。
「…父さま?大丈夫…?」
 傍らに寝ていた真央が咄嗟に声をかけてくる。
「あ―――、……いや…大丈夫…また、嫌な夢見ただけだ……。クソッ…これで3日連続だ…」
 月彦は愚痴を言って、安心させるように真央に笑みを零した。
「…どんな夢だったの?父さま」
「ん、あ…いや、…ちょっと、人に言えるような夢じゃないかな…ははっ……」
 夢は夢だ―――月彦は頭を振って記憶を消そうとした。
 姉、霧亜に好きなように体を弄られる真央の夢―――考えただけでもゾッとした。
 シャワーでも浴びるかな―――寝汗の嫌な感触に月彦は決心するとベッドから飛び起きた。
「そうだ、真央も一緒にシャワーどうだ―――…ってあれ…?真央…?」
 月彦はふいに違和感を感じた。
 真央の髪が微かに湿り気を含んでいるように見えたからだ。
「あ、うん…よく眠れなくて…さっき一人で浴びちゃった……」
 真央はそう言うと、照れくさそうに笑った。
「そ、そうか………しょうがない、一人で行ってくる」
 月彦は些か不自然に感じつつも深く考えないようにした。
 着替えを手に、部屋を後にする―――丁度、髪を拭きながら階段を上ってくる霧亜と鉢合わせた。
「あれ…姉ちゃんも朝シャンか…?」
「ん、月彦か」
 霧亜はまるでつまらないものでも見てしまった時のような、うんざりするような声を出して月彦に視線を走らせた。
 …相変わらずゴミでも見るような目で人を見る女だ―――月彦もうんざりするような顔をした。
 霧亜はキィキィと階段を上り、月彦の間近に来たところでふと思い出したように声を出した。
「月彦、お手」
「は…?」
 月彦が素っ頓狂な声を上げると、霧亜は手のひらを見せてもう一度、
「お手。」
 と言った。
 また何かロクでもないコトを考えてるな…とは思いつつもそこは幼い頃から刷り込まれた姉と弟の習性で手を乗せてしまう。
「ん、」
 霧亜は月彦の手を裏返すと、その手のひらに今の今まで自分が咥えていたタバコをじゅっ、と押しつけた。
「あぢぃッ!!!」
「…灰皿見つかんなかったの。助かったわ。テキトーに捨てといてね」
 悶絶する月彦に霧亜は淡々と言う。
「いきなり何すんだよ!このクソ姉―――」
「ああもう、朝っぱらから大声出さないで。うざいから」
 霧亜はげしっ、と容赦のない蹴りで月彦を階段から突き落とした。
「あだっ!あだだだっ痛だああッ!」
 ガタガタガタ、ドンッ!と大げさな音を立てて月彦は床まで転がるようにして落ちた。
「あーあー…落ちる時までうるさいんだから」
 霧亜がため息混じりに階段を上ると、月彦の悲鳴を聞いて部屋から出てきた真央とばったりと出くわした。
「あっ…姉…さま…」
 途端、真央は顔を真っ赤にしてその場に立ちつくしてしまう。
「ん、おはよう。真央ちゃん」
 霧亜はそっと、月彦には絶対見せないような笑みを零し、真央の肩に手を回して抱き寄せた。
「あっっ………」
 咄嗟に身を引こうとする真央の尻尾を握り、震える狐耳にそっと口づけをした。
「…くす、また今度、部屋にいらっしゃい。可愛がってあげる」

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