金沢湯涌江戸村
石川県金沢市湯涌荒屋町35-1

松下家住宅 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定)
旧所在地・石川県金沢市泉新町
建築年代/江戸時代(19世紀中頃)
用途区分/商家(種物販売・茶店)
移築建物/主屋
金沢の南郊・泉新町(現在の金沢市泉2丁目付近)に所在した商家建築である。旧北陸道に面し、近郷の農民相手に種物商を営むとともに、旅人相手の茶店を兼業していたという。住宅の規模は桁行4間、梁間8間半と、間口が狭く、奥行きの深い小規模な町家建築で、屋根は石置きの板葺とし、正面に霧除け付の板葺き小庇を設える素朴な外観となっている。また表の店構えは4間とも引揚戸となっており、店ノ間は開放的で古式を残す形式である。しかし内部においては、比較的洗練された造作となっており、流石に加賀百万石の城下町にあった町家建築と思わせる建前である。
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石倉家住宅 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定)
旧所在地・福井県南条郡南条町鯖波 (現・南越前町鯖波)
建築年代/江戸時代(19世紀初頭)
用途区分/商家(鯖波宿本陣・人馬継立問屋)
移築建物/主屋・土蔵・馬屋・表門
旧北陸道の鯖波宿の本陣職を務めた住宅である。近江から栃ノ木峠を越えて越前に入ると最初の宿場町が今庄宿。鯖波宿は次の大宿となる府中宿との中間地に所在する小宿である。当家は本陣以外にも人馬継立問屋や酒造や荒物販売までを手掛け、富裕な存在であったことは屋敷からも窺え、南面する主屋を中心に東北方向に本陣座敷棟、西に馬屋、北西方向に二階建の土蔵がある。主屋は梁間6間、桁行7.5間で切妻造桟瓦葺きの中規模なものであるが、街道に面する妻面を虹梁や海老虹梁、舟肘木といった一般の民家建築にはお目に掛かることのないような建築意匠で飾り、まるで寺院の庫裡を思わせるような建前である。
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園田家住宅  国指定民俗文化財
旧所在地・石川県金沢市
建築年代
用途区分
移築建物/主屋






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山川家住宅 石川県指定文化財 (昭和47年1月25日指定)
旧所在地・石川県金沢市竪町
建築年代/天保元年(1830)
用途区分/商家(質屋・酒造業)
移築建物/主屋
山川家は、天保年間(1830年頃)に石川郡割出村から分家し、金沢の中心街の竪町に「米出屋」の屋号で、蔵宿(武士相手の金融業)・米仲買商を始め、直ぐに金沢有数の大商人に成長した家である。当住宅は、その頃に初代・甚兵衛が建てたと考えられる。この家の特徴は、通庭から中の間の上部に見られる広い吹き抜けで、大きく架け渡した梁の上に束を立て、数多くの貫を交叉させた構造は、「準棟纂冪」(ジュントウサンペキ)と名付けられ、金沢と高山の上質の町家にしかみられない造りである。
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平家住宅  石川県指定文化財 (昭和50年10月7日指定)
旧所在地・石川県鳳珠郡能登町柳田村字柳田
建築年代/江戸時代(18世紀中頃)
用途区分/農家
移築建物/主屋







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高田家住宅 石川県指定文化財 (昭和47年1月25日指定)
旧所在地・石川県金沢市湯涌河内町
建築年代/江戸時代中期(18世紀前半)
用途区分/山村農家
移築建物/主屋
当住宅は、医王山の麓に所在した肝煎屋敷である。蛤刃の痕が残る手斧仕上げの古い柱が残されていることから、建築年代は江戸中期にまで遡ると推定されている。元は肝煎を務めた川村家の住居であったが、昭和3年(1928)に高田家の所有となり、小屋として使用されていた。住宅は東面し、入母屋造、茅葺、妻入り、両側面板庇付き。間取りは、前に馬屋・台所のある奥行2間の土間ニワを取り、次に梁間いっぱいに奥行き2間のオイ、そして後ろに奥行2間半のオクノマとネドコの2室を並べて置くという、オイ+2室の加賀型の素朴な造りの家である。
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永井家住宅 金沢市指定文化財 (平成22年9月1日指定)
旧所在地・石川県金沢市中主計町(菊川2丁目)
建築年代/江戸時代末期
用途区分/武家(足軽)
移築建物/主屋
当住宅が所在した金沢市中主計町は足軽組地であった場所で、幕末の足軽屋敷を明治年間に永井家が取得、大正期から昭和初期に立憲民政党の政治家として活躍した永井柳太郎の生家となった歴史的に貴重とされる建造物である。






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【メモ】当民家園は平成9年に閉園した旧江戸村の民家群等を再移築して開園。上記以外に市指定文化財「野本家住宅」を既に移築済。
今後は市指定文化財「平尾家住宅」が移築される予定。

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