石倉家住宅
Ishikura



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国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定)
旧所在地・福井県南条郡南越前町鯖波
指定範囲/主屋・土蔵・馬屋・表門

中山道の鳥居本宿から分岐して琵琶湖東岸を北上し、日本海沿岸を新潟まで辿る北陸道の鯖波宿の本陣職を務めた石倉家の住宅である。近江から国境となる栃ノ木峠を越えて越前に入り山道を暫く下ると嘗て旅籠55軒、茶屋15軒に及んだ今庄宿に着く。鯖波宿は次の大宿となる府中宿(現在の武生市)に至る中間地に所在する小宿である。嘗ての住所表示は福井県南条郡南条町鯖波、現在は南越前町鯖波である。現在の鯖波は閑散とした街村の趣で、当住宅が昭和42年に株式会社百萬石文化園「江戸村」に移築されて以降は、当地が宿場町であったという痕跡は皆無に等しい状況である。さて江戸村に移築された当住宅は、その後江戸村の閉園に伴い、金沢市の手により現在地に再移築され現在に至っている。建物配置は当初地にあった姿を方角のみを変えてそのまま踏襲し、南面する主屋を中心に東北方向に本陣座敷棟、西に馬屋、北西方向に二階建の土蔵がある。(旧所在地では主屋は西面していた) 当住宅の主屋は梁間6間、桁行7.5間で切妻造桟瓦葺きの中規模なものであるが、実際には街道に面した妻面を虹梁や海老虹梁、舟肘木といった一般の民家建築にはお目に掛かることのないような建築部材で飾り、まるで寺院の庫裡を思わせるような意匠で観る者を圧倒する迫力に満ちた建物である。また急角度に反った大屋根は威容ですらある。ところで主屋の建築年代については確証はなく、土蔵の牛梁受板に文化4年(1807)、近在の宮谷邑の彦右衛門から買い受けた旨の記述があり、恐らく土蔵の移築前後に建てられたものと推測されているが、本陣座敷棟が明治天皇行幸時に改築された以外は殆ど改築されることなく旧態を留めていたらしい。当家は本陣職の他に人馬継立問屋を営むとともに、酒造や荒物販売までを手掛け、村内で抜きん出た存在であったとのことである。当住宅はそのことを証明するに相応しい建前である。

 

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