歴史は、作為的に作りかえられる。
話題のイエスの秘密を暴いた「ダビンチ・コード」は、聖書を時の権力者が自分の統治しやすくするために、信仰者を欺く書き換えをしたり削除したという話を別な解釈でサスペンスにした物語だ。その後の聖書は間違った(?)解釈の元に人間イエスを神として崇め世界中に伝わったという。 忠臣蔵の討ち入蕎麦は、ストーリー性を重んじたために作られた話だ、歴史は都合の良い形にして伝えられることがよくある。正しいものや本当のことを知らなければ、常に虚無の危険にさらされている事が解かる。
昨秋から始まった「めん類飲食店の標準営業約款」の登録制度の登録条件の中にそば粉7割以上の蕎麦を提供することとある。 それは「そば粉」10割の生粉打ちが絶対であり、5割の同割はそばの紛い物であるかのようだ。
江戸に始まる蕎麦食文化。 よく二八そばということばを耳にする。粉の配分量だとする解釈が世間に多く語られているので、質問すればほとんどの人はそう答えるが間違ってはいない。 しかし当時は、小麦粉が大変な高級素材だった為に、おいそれと使えなかったという事実もある。2×8で16文というそば銭のことなどとする説などもあり、そばはそうあるべきのものという定義は、一概には言えそうに無い。
今や、そば粉も小麦粉も輸入物にたよらなくては、国内需要に追いつかない状況下で、小麦粉は蕎麦粉の1/3以下の価格で入荷される。そこから、そば粉は高級、小麦粉は低級というレッテルが貼られてしまった。
また、江戸時代には勿論蕎麦打ち機械などは無い。そば切りを作る方法は手打ちでしかない。その当たり前のだれでも出来る。田舎のおばぁさんにでも打てる蕎麦打ちを職人芸に変えて、さも技をひけらかすようにそのそば打ち技術に段位まで設定した。
庶民の食べ物として蕎麦切りの文化は始まった、ファーストフードの草分けであるべき蕎麦が高級食となり庶民の「そば食堂」が低俗な蕎麦として格差をつけられてしまったのだ。
いまや、どちらかといえば町場のそば食堂の方が伝統文化を継承しているといっても過言ではない
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