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そば粉とつなぎ粉の関係


蕎麦粉とつなぎ(小麦粉)の割合そば粉の持つ味と香りを最大限保ちながら、麺としてつなぐためのつなぎ(小麦粉など)をどの割合にするかはそばを打つ場合の大切な要素となる。
そば粉8につなぎ2を合わしたのが八割りそば(一般的に二八そばとかいう)七割りそばなら7と3だ。(内2、内3 うちに・うちさんと言うこともある)
また、そば粉10に対しつなぎ2や3という配合比率にしたのを、外二(そとに:10+2)外三(そとさん:10+3)などと言う。
従って、そばを打つ粉の総量を仮に1キロとしてそば粉800gと小麦粉200gが八割そば(内二八そば)で、1キロのそば粉に200gの小麦粉を加えた場合は外二(そとに・そとにはち)である。
もっとも江戸時代はつなぎ粉となる小麦粉は高級品で商いとなると、同割りとか一杯一杯などと言ってそば粉とつなぎの量が同じというケースも多かった。
現在市販されている多くのそば製品(乾麺や茹麺)やコンビニのそばなどの現状をみると、そば(麺)の主原料はあくまでもそば粉であり、原材料を表示する場合、そば粉・小麦粉の順に記載される筈であるが、おおかたは原材料名が小麦粉・そば粉・(食塩)の順になっていて、どうみても主原料は小麦粉になっている。
また、そばは黒いという先入観があって黒い芽粉などを使って黒いそばのようにしているケースがおおい。いうまでもなく外皮を除いたそば粉は黒くなく白色系でなければならない。
ちなみに、日本農林規格(JAS)では、重量比でそば粉の配合率が30%以上であれば食品としての分類は「そば」となり、生めん類の表示に関する公正競争規約でも「そば」とはそば粉3割以上となっている。言い換えると70%以下の割合であれば小麦粉の方が多くても「そば」という表示で良いとされている。


蕎麦粉のブレンドについて


蕎麦粉をブレンドして当店のオリジナルを・・・・ 「ブレンド米」というのを知っていますか。昔から米屋さんが、年間を通じて同じ食味や値段のコメを販売するために作ったそうです。 ブレンド米は、「銘柄」「生産地」「収穫された年」などを組み合わせ、うまく合えば古米や有名銘柄でないコメでも食味が増し、値段も抑えられます。しかし今の消費者は、有名銘柄志向が強くブレンド米は、不作時の需要をまかなう「混ぜ物」のイメージが抜けない。そこで「お米マイスター」なる称号を設け豊富な知識と精米などの技術を持つお米屋さんが集まり「お米マイスターが仕立てた逸品」として販売することにしたそうです。 これは、お米に限ったことではありません  蕎麦粉や小麦粉にも当てはまることだと思います。蕎麦を打つには、そば粉のざらざら感を喉越しの良いものにするために「割り粉」と呼ぶ小麦粉を何割か混合し、その割合から二・八蕎麦などしますが、( 機械打ち蕎麦には、「つなぎ粉」と称して同割り蕎麦なんてものもある ) そば粉自体にもピンからキリまであり、最高級とされている国内産。日本のほとんどをまかなう大陸もの最近は、オーストリア産も出回っています。国内産の中でも産地は、いろいろありますが。その中でも比較的北海道産を各社いいものとしているようです。 そのそば粉を挽く作業にしても、それぞれの特徴があるようで、問屋に聞いたところ、石臼の「目立て」に企業秘密があるということでした。石臼挽きの良いところは、挽く作業時、蕎麦粉に熱を持たさないということで品質を保つ上でとても重要なことで、そして時間の大変かかる作業です。 したがってその蕎麦粉は、かなりの高額となります。日本の蕎麦消費量からいえば国内産は、ほんの数パーセントにすぎず、出荷時に海外産と混合されています。その作業は蕎麦粉問屋の良心に任せるとして、とはいえ日本全国には、数100社に及ぶ蕎麦粉商社がありその中から自分の好みを選び出すのは、至難の業といえるでしょう。また商社あたりでも各店の好みに合わせた色合いに仕上げてくれるところもあるようです。 その中であえて当店は、蕎麦粉のオリジナルブレンドを考えてみました。石臼挽きされた蕎麦粉を「ふるい」にかけるのですがその目(メッシュ番号で数種類あります)ひとつでも味は、まったく違うものになりました。そこで当店は、いくつかの候補を絞り出し、2社を選びました。まだまだ研究の余地は、ありますが現時点では、自慢できるものに 仕上がっていると思います。是非ご賞味いただいて感想などをいただければ幸いです。                 蕎麦マイスター

何故石臼挽きなのか?

【粉焼けがない】
石臼の回転スピードは石臼の周辺で秒速0.5〜1メートル、中央部ではこれよりはるかに小さい。それにたいして高速製粉機はその10〜100倍の速度である。粉砕物にかかる粉砕エネルギーは速度の自乗に比例するから、石臼の100〜1000倍という驚くべき値になる。このエネルギーは瞬間的に穀粒の局部に集中し粉砕が行われるが、穀粒が割れるのに必要なエネルギーは実質上その1パーセント以下で、あとは歪エネルギーとして穀粒の局部に拡がり、その結果、局部には著しい高熱を発生する。
【閉じ込め粉砕】
石臼面に閉じ込めた状態で粉砕するから、香りが飛ばず、粉塵発生もない。
【プレンディング効果】
石臼は粉砕と同時に石臼面で粉を練る機能を持っている。石臼で粉砕した粉を顕微鏡で見ると、大きい粒のまわりに微粒子がまぶされた状態になっていることが分かる。これはソバを練るときによい効果をもつと考えられる。
【ペンチレーション効果】
臼面の溝、とくに上臼の溝は通気性がよいから臼面に熱がこもるのを防いでいる。
【磨砕効果】
一般に角がとれた丸い粒子になる。
【剪断粉砕効果】
叩くよりも剥がしてゆくような作用で粉砕するのが繊維状物質の繊維自体を粉砕しない粉砕に適する
【石の粗面効果】
石特有の微細表面構造が摩擦係数を一定に保つ作用をする。


「手打ちそば」「機械打ちそば」
現在、そば麺造りを大きく分けて「手打ちそば」と「機械打ちそば」がある。
本格派高級店や老舗そば店が「手打ち」で、町場のそば食堂が「機械打ち」だとして、それがそのまま蕎麦店のランク付けや差別化の意味で使われているようだが、そば食堂店でも最近は、蕎麦粉を7割以上の配合にして水回しまでは、手作業で行うなど、それなりに工夫をし、良い蕎麦を提供するような努力はしているようだ。

また、「そば」を造る機械とはいえ、手打ち風の麺打ち機も開発され、アルバイトの素人でも包丁によるそば切りが簡単に出来るような装置もあるという。
蕎麦粉10割の生地を「ところてん」の様に筒から押し出して麺にするという機械まで開発されているそうで、機械打ちイコール品質の低い蕎麦とは一概にはいえないようだ。

「蕎麦切り」発祥の頃から江戸時代初期くらいまでは、蕎麦切りはすべて蕎麦粉だけの生粉打ちだった。「きそば」とは本来、生粉打ち・生粉そばまたは「十割そば」と言われて「そば粉だけで打った蕎麦」を指し、これこそが蕎麦の本筋という。

 寛延4年(1751)江戸時代における蕎麦の名著で、現代の手打ち蕎麦界の師 。片倉康雄氏が「蕎麦の道を究めた書」としても知られる日新舎友蕎子の『蕎麦全書』の中で『当時はまだ、そばを商っていても「うどん屋」と呼ばれる店がけっこうあった。そばの人気が高まるにつれ、そばの品質に問題のある店が増えている』と苦言を呈している。
天明年の頃は、江戸の食文化が「うどん」から「そば」に代わり、そば屋が江戸市中を席巻し、そば屋同士の競争が激しさを増していた。うどん屋からそば屋に鞍替えする店も多く。
 「そば粉とつなぎ(小麦粉)の割合を普通は小麦粉4・そば粉1の割にするが、3対1にしてそばの品質を高めたと自慢するそば屋があるのには呆れた。そば屋ではなくうどん屋と呼ばれるのもそのせいだ」
と、それらのそば店について『蕎麦全書』では、批判的に書かれている。

そうしたそば屋の風潮の中で登場したのが、「手打ち」という言葉だ。
もちろん、製麺機など想像もできない時代のことで、そばに限らず麺類はすべて手で打ってはいたが、それでもあえて「手打ち」としたのは、「うどんそば屋」に対する差別化の意思表示だろう。この「手打ち蕎麦屋」のことは、天明7年(1787)に刊行された江戸買物案内書『七十五日』に、50数店のそば屋を「手打ち」ないしは「手打生蕎麦」として紹介している。

そして、そばの品質に問題のある店を総称して「二八そば屋」と呼んだいう。当時、夜泣きそば売りの看板には必ずといって「二八蕎麦」の文字が記されていたところから、「二八そば」は「駄そば」の代名詞のように呼ばれていたようだ。
 宝暦頃からは、夜泣きそば売りも従来の「夜鷹そば」だけでなく、清潔感としっぽく(今で言う種物)を売り物にした「風鈴蕎麦」と呼ばれるそば屋が登場し、幕末の頃には、かつて粗悪そばの代名詞とされた「二八そば屋」も手打ちや生蕎麦を名乗り、「風鈴そば」も「夜鷹そば」も見分けがつかなくなったという。
そば打ち麺機の歴史製麺機の原型は明治16年春、佐賀県出身の真崎照郷が考案した木製の木綿糸繰機をヒントに、麺生地ををロールの間に通し、薄く延ばしたものを切り歯にて切断するというもので、現在使用されている製麺機の基礎となっている。
明治21年3月30日特許が交付され、36年に開かれた大阪の博覧会に出品した。
当初の製麺機は価格が高く、はずみ車を使った手回し式で、動かすのにかなりの重労働を必要としたが、この博覧会をきっかけとして全国各地で製麺機械に対する関心が急激に高まった。
その後、各地で新規製麺機の特許申請が相次いで行われ、メーカーが次々と生まれる。大正時代になると製麺機械が実用化、そして全盛を迎え、麺食文化は食品産業の重要な柱になっていった。
昭和に入ると動力がモーターに変わり、麺産業界はさらに大きく発展していくことになる。
一方そば店においても戦後復興から数年後昭和30年代には大きな需要による大量生産が急務となり軽量小型化が進み価格も手ごろになった「そば麺機」は、個々のそば店に必需品となり急速に普及していくことになる。



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