1981=S56版・那珂湊天満宮御祭礼(那珂湊八朔祭り)と古い街並み(残照) |
茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市。)の夏の名物・湊八朔祭りは、年々すたれる事もなく、なおますます盛んです。
S20年の戦災を免れた代わりに・S22年の大火により旧市街地の半分以上を焼失した際、奇跡的に屋台は無事だった町内も幾つかはありますが、古い山車・屋台をも焼失してしまった町内が多く、戦後・大火後の復興期に簡素に仮の屋台を造ったり、年番に当たって屋台を出さない町内の屋台を借りて曳き出したりして居ました。
が、S56年頃からにわかに屋台の新造ブームが湧き起こり、各町内競って屋台を立派に復旧・新造して行き、昭和末期〜平成になってからは各町内の屋台はあまり格差がなくなって来ました。
特に今年・平成15年8月末の大祭には、また数台の新作お披露目が加わり、おそらくは近年では最高水準の豪華さで全屋台が勢揃いする事になるでしょう。
この昭和56年版の湊八朔祭りの写真集は、各町内の屋台にまだ格差がはっきり見られた頃の姿ですが、それはそれで懐かしい記録映像でもありますし、何よりも、まだ那珂湊に古い街並みや土蔵などが随所に残って居た時代の夏祭りの姿ですので、その背景と一緒にお祭りの姿を情緒深く楽しんで頂けると幸いです。
最近の夏祭りは、各町内ともに屋台は立派に揃って来た代わりに、背景の古い街並み・土蔵の大半がその姿を消してしまったので、情緒は半減してしまいました。
古い街並み・土蔵・西洋館などもしっかりと保存し続けた状態で、なおかつ各町内の屋台が立派に出揃ったなら、どんなに素晴らしかった事でありましょう。両方は成り立たない、時代の流れと風潮とが、まことに残念であります。
ちなみに、日本全国の小京都や小江戸に勝るとも劣らない立派な町並みや土蔵を多数残して居た・故郷の那珂湊は、郷土民謡や郷土芸能や祭礼などはしっかりと保存・継承して来たのに、古い町並み・豪商宅・土蔵・西洋館などの保存意識は殆ど無く、私が小・中学生だった昭和40年代の情緒深い町並みも土蔵群も西洋館も、今では大半が取り壊され・無個性な現代住宅や駐車場や道路にその姿を変えてしまい、例えば小江戸・川越の蔵造り商家の前を祭りの山車が通過する写真や、水郷・佐原の古い町並みを祭り山車が通過する写真や、小京都・飛騨高山の古い町並みを祭り屋台が通過する写真やらと同じような背景では、那珂湊の祭り屋台の写真やビデオを撮れなくなってしまった事は残念でなりません。
那珂湊の、今は無き豪商宅や土蔵群や西洋館の写真を・子供の頃から撮り続けておいて本当に良かった(それらを背景にして撮ったお祭りの写真集も。)、今となっては貴重な記録映像と情緒・懐旧の源です。
祭礼二日目・例大祭・宵宮・前夜祭。元町みろく。 祭礼三日目。町渡し。明神町。小川町(新造。)。 |
祭礼三日目。町渡し(自由練行。)。 天満宮前へ挨拶に参集して来る各町内の屋台。明神町。泉町。 |
南水主町・柏屋前を通過する、明神町の屋台。 |
釈迦町の先代の屋台。 天満宮へと、元町を通過する、本四町目の屋台。 |
釈迦町の荒川町通り、磯崎本家・分家(那珂丸。)前を通過する、殿山町屋台(先代、借り物。)。 |
泉町から見た、五町目・那波屋裏手の土蔵群。本二町目付近。旧・仙台屋、現・大黒屋(大利支店。)。向こうは、佐野屋本店。 |
三町目仲通りを通過する、四町目屋台。木内家(大黒屋。)総本家・大土蔵付近。内直本店前。 大利支店の店先。 |
一町目本通り。祭典事務所は、大利本店。その向こうは、佐野屋支店。 |
二町目本通り。祭典事務所は、野上家。 手前の赤い旧式ポストは、佐野屋本店前の物。 |
南水主町・柏屋前を通過する、六町目の獅子(ささら。)。 |
四町目屋台(芸者囃子。)のかどづけ。真横90度向け。 進行方向・正面向け。 斜め45度向け。 |
四町目屋台・正面向け。 二町目・大利支店前にさしかかる。 |
一町目本通りを行く、小川町の新造屋台。 奥が大利本店。 手前が佐野屋支店。 |
二町目本通り・佐野屋本店前にさしかかる、小川町の新造屋台。 |
一町目本通り・佐野屋支店前を通過してのち、二町目本通り・佐野屋本店前にさしかかる、泉町の屋台。 |
二町目本通り・大利支店前、小川町屋台。明神町・八百長前、殿山町屋台。明神町詰所へ集合して来た、明神町屋台、泉町屋台。 |
祭礼三日目の夕刻〜宵の口〜夜、御神輿の御神幸(おさがり。お浜下り。)に供奉する為、明神町詰所へ集合して来た、各町風流物。 泉町屋台(現役。)。 七町目屋台(先代。)。 殿山町屋台(先代。借り物。)。 龍之口町から借用。 |
牛久保町屋台(先代。)。 明神町屋台(現役。)。磯節保存会。 一町目屋台(先代。)。 |
釈迦町屋台(先代。)。 六町目屋台(獅子も出すが、屋台も所有して居る。)。 田中町屋台(先代。借り物。)。 笠間の芸妓衆。 地元・那珂湊の芸妓衆。 五町目から借用。 |
四町目屋台(現役。最古の彫刻屋台。)。 小川町屋台(この年、新造。現在は、更に立派に彫刻足しふやし。)。 水戸・谷中の芸妓衆。 |
二町目本通り・佐野屋本店前を通過する、露払いの・六町目の獅子(ささら。)と、正装で・神聖な・御神輿(天満宮。)。 |
水門町・糀屋前を行く、町印と、元町の弥勒(でぼみろく。)。 海辺のお仮殿(お旅所。)へ入る、御神輿。 |
祭礼四日目の早朝に、和田町の若い衆達によって・お浜入り(太平洋の荒波の中での、海中渡御、洗い清め。)後、午前中10時迄、街中を揉み歩きされる、シンプルで・ラフな姿の・御神輿。 |
お仮殿近くの、のぼり旗と、御神燈。 元町のみろく。 |
御神輿の移動のお供に、和田町仲通り(網元家の街。)詰所に参集した、屋台以外の風流物(屋台の代行は町印。)。 |
和田町の火消し組(まとい。)。この年、年番町に当たった、和田町の責任役員達の正装と、手古舞姿の娘達(金棒引き。)。 |
御神輿の前後を警護するのは、馬に乗った神官と(御神輿の前。)、馬に乗った神主さん(御神輿の後ろ。)。 |
六町目の獅子(ささら。)。 和田町の火消し組(まとい。)。 年番・和田町の・手古舞姿の娘達。 |
七町目・仲通り・笹島家付近を通過する、年番・和田町の、役員達と・手古舞娘達。 四町目を通過する、元町の弥勒。 |
三町目、江戸時代を通じて・水戸藩随一の豪商・木内家・土蔵。二町目、明治期の豪商・佐野屋本店の構え。御殿町、大丸屋本店。 |
祭礼四日目・最終日、夕刻〜宵の口、二町目本通り・佐野屋本店前にさしかかる、還御(おかえり。)の大行列。 |
年番・和田町の役員と手古舞が先導を。 天満宮の御神木と御神旗と御幣。 |
乗馬した神官、正装に戻った御神輿、乗馬した神主。 六町目の獅子(ささら。)。 |
六町目の獅子(ささら。)とお囃子。 和田町の火消し組(まとい。)。 |
裃姿の、年番・和田町の・責任役員達。 各町内の町印と・責任役員達。 |
元町の弥勒(でぼみろく。)。 |
夜祭り・曳き別れ。 泉町の屋台。 明神町の屋台。 四町目の屋台。 |
マキの、高校の卒業文集、「真夏の夜の幻想曲」(散文詩)の末尾に添えた、反歌一首。 曳き別れ 名残り惜しやな 山車屋台 ゆらりゆらりと 散りゆく囃子 |
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