譲受車

いすゞ車(元国際興業)

岩手県交通の前身の3社のうち、盛岡地区を基盤としていた岩手中央バスが国際興業系列だった関係で、国際興業からの譲受車は岩手中央バス時代から存在しました。
中央バス時代から県交通成立後の1978年まで国際興業カラーのままで使用されるケースが見られました。
その後2〜3年の間はなぜか国際興業からの転入車はありませんでしたが、1982年からBU06が大量に転入を開始し、以降、路線バスの譲受は国際興業の車両に完全に一本化されました。

いすゞBU10(1965年式)
岩22か796
岩22か796

撮影:滝沢営業所(1983.3.3)

岩22か796
岩22か796

撮影:滝沢営業所(1983.3.3)

国際興業から譲受した丸型車体を持つBU10です。岩手中央バス時代から岩手県交通成立後まで譲受が続いており、盛岡市内線を中心に相当数が活躍していました。
最初の譲受は1971〜72年ごろで、岩手中央バスカラーに塗り替えられて入りました。この時はまだ経年が浅く、国際興業グループ入りした岩手中央バスの支援の意味があったのではないかと想像します。
その後、1976年に譲受された車両は国際興業カラーのまま転入しており、これらが1983年まで盛岡市内に残存していました。写真の車両は、屋根部の濃いグリーンがなくなっています。岩手入りした後の補修のせいか、こういう変形デザインの車両もあったという記録です。
なお、この写真は1983年に1回盛岡市を訪れたときに撮影したもの。まだこの手の車両が大きな顔をして活躍していましたが、残念ながらこれだけしか撮影していません。

いすゞBU10(1966年式)
岩22か1282
岩22か1282

撮影:盛岡駅(1984.5.26)

岩22か1282
岩22か1282

撮影:盛岡駅(1984.5.22)

このスタイルのBU10は岩手中央バス時代から岩手県交通成立後まで転入しているため、岩手中央バスカラー、国際興業カラー、岩手県交通カラーの3種類のカラーがありました。
最初の転入は1973年で、岩手中央バスカラーに塗り替えられています。経年が浅い時期での転入です。その後に時期をあけて、1977〜78年ごろに転入した車両は国際興業カラーのままで就役しています。ただし、この時期の後半に就役した車両の中で、盛岡地区以外に配置された車両は岩手県交通カラーに塗り替えられていました。
この写真の車両は「KKK」の文字こそ消されていますが、社名文字は旧社名の上から貼ってあります。さらに、前ドアに「2203」、後部に「2179」という数字が残っていますが、国際興業時代の社番でしょう。前ドアは交換したということのようです。
この岩22か1282号車は国際興業カラーで残った最後の車両で、1984年にこの写真を撮った直後に廃車になりました。

岩22か1334
岩22か1334

撮影:北上営業所(1985.8.17)

岩22か1412
岩22か1412

撮影:水沢営業所(1984.7.1)

国際興業からのBU10のうち比較的遅く、1979年に転入したもののうち、盛岡エリア以外に配置された車両は県交通カラーになっていました。
県南部の北上営業所から一関営業所、そして沿岸部の釜石営業所にも配属されていました。
後部のエンジン通気孔の右側が小さくなっていますが、これは尾灯を移設した跡のようです。製造時は、尾灯が下のほうにありました。なお、この移設痕も車両によって形状が異なります。

岩22か1413
岩22か1413

撮影:釜石営業所(1985.8.10)

国際興業からの譲受車のうち、後部のエンジン通気孔の形が異なる車両です。
右の2つが網ではなくルーバー状になっているタイプで、川重のBUでは年式の若い車両に見られたタイプです。
(注1)

いすゞBU06(1972年式)
岩22か1819
岩22か1819

撮影:黒石野営業所(1986.4.20)

岩22か2002
岩22か2002

撮影:盛岡駅(1985.7.23)

1982〜84年の間に国際興業から大量に転入した低床車。いすゞの都市用低床試作車の量産仕様で、正面スタイルが大型の平面ガラス2枚を使ったヨーロッパ風になりました。また前ドアの幅も広くなっています。後部はこれまでのスタイルを継承していますが、低床式のため、車体裾が在来車より低いのが特徴です。
一部が花巻営業所に配属されたのを除くと、盛岡市内線に集中配置され、一時期は盛岡市内の大半を占める車両でした。 1988年には早くも廃車が始まっています。

いすゞBU04(1973〜74年式)
岩22か2187
岩22か2187

撮影:矢巾営業所(1985.7.30)

岩22か2189
岩22か2189

撮影:花巻営業所(1985.8.27)

BU06に続いて、1984年からBU04が大量に転入してきました。 盛岡地区だけでなく、県南部から沿岸部まで、エリア全域に配属されました。
1973年式は中向き座席が主体となっていますが、一関営業所に配属された車両は、廃車になった車両の前向きシートを取り付けて座席定員を増やしていました。1974年式は最初から前向き座席になっています。
このタイプの車体は、オリジナル車にも数多くありましたが、東京からの転入車は後部に方向幕をもつため、後面の窓が小さく、一見すると違うスタイルに見えます。

整備を待つ譲受車
元国際興業BU04

国際興業で廃車になり、岩手県まで回送されて来たBU04です。改装工事を待つため、各営業所に置かれていました。同じ頃、北上営業所にも置いてありました。
国際興業からは廃車になったBU04が相次いで転入してくるため、毎年このような光景が展開されまていました。もっとも、“その頃”に転入してくるのは、年式の違いこそあれ見た目は全く変わらないBU04ばかりで、面白みには欠けていました。

撮影:矢巾営業所(1984.6.12)

(注1) 53様によると、この「岩22か1413」も1966年式だとのこと。後部の点検蓋は何らかの理由で交換されたと考えられる。
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80s岩手県のバス“その頃”