譲受車

いすゞ車(1980年代の転入車)

岩手県交通では、岩手中央バス時代から引き続いて国際興業からの譲受車が多く見られましたが、1980年代初頭に一時期それが途絶えた時期がありました。
その時期に主に盛岡市内線に転入した車両には、北海道中央バス、西武バス、神奈川中央交通、京浜急行からの中古車両が見られます。ここではそれらを県交通入りした順番を基本に並べてみます。

いすゞBU10D(1971年式)
岩22か1560
岩22か1560

撮影:滝沢営業所(1986.1.17)

岩22か1562
岩22か1562

撮影:滝沢営業所(1986.4.25)

元北海道中央バス。1980年に5両を譲受しています。
一見、県交通によくあるBU10ですが、車内が鮮やかな朱色の前向きシートで、後部に方向幕がなく、3連のテールライトになっているあたりが特徴です。
全車両が滝沢営業所に配置されていましたが、1986年に廃車となりました。
(注1)

いすゞBU04D(1973年式)
岩22か1630
岩22か1630

撮影:黒石野(1984.10.7)

岩22か1611
岩22か1611

撮影:矢巾営業所(1985.7.21)

西武バスから1981年に譲受した都市低床車。西武バスがいすゞ車を一掃するため、早めに廃車となったものを購入したため、購入年度の割には若い車齢です。
後に入った国際興業からの譲受車とは、正面、側面、後面の方向幕の形状などが異なります。川重のこのモデルの初期の方向幕は、幅広の枠がついているのが特徴でした。
全車両とも盛岡周辺の営業所に配属されていましたが、国際興業からの同年式車より早く1986年には廃車となりました。

岩22か1605
岩22か1605

撮影:盛岡バスセンター(1985.6.17)

西武バスからの譲受車はフォグランプがありませんでしたが、この1両だけはなぜかフォグランプの増設が行われていました。配属は矢巾営業所です。

岩22か1631
岩22か1631

撮影:滝沢営業所(1986.2.27)

岩22か1604
岩22か1604

撮影:盛岡市内丸(1985.6.23)

西武バスからの譲受車のうち、方向幕に枠のないタイプです。
正面の方向幕に枠がないのは、「岩22か1631」1両だけの存在でした。製造銘板を見たところ、この車両は1973年9月の製造で、他の車両(1973年4月、7月)より若干新しいことが分かりました。
一方、後の方向幕に枠のない車両は何両がありました。後ろは1973年7月から枠がなくなっているようでした。

廃車体
BU04D

撮影:矢巾営業所(1986.8.31)

元西武バスのBU04Dは、意外に早く1986年には廃車になりました。この時まだ国際興業からは1974年式のBU04を譲受している時期です。転入年が早かったとはいえ、都市低床車の早い廃車は残念でした。
隣には、同じ頃に廃車になった元神奈川中央交通の富士重工車体が見えます。

西武バス時代の写真
BU04D
西武バス いすゞBU04D(1973年式)

西武バス時代の姿を、東京の立川駅で撮影していました。写真の「多摩22か626」は岩手県交通では上の「岩22か1630」になったそうです。見比べてみると、ほとんどそのままの姿です。細かいことを言えば、車外スピーカーが移設されています。

撮影:立川駅(1977)

いすゞBU10D(1971〜72年式)
岩22か1594
岩22か1594

撮影:黒石野営業所(1985.7.20)

岩22か1600
岩22か1600

撮影:盛岡バスセンター(1985.7.12)

神奈川中央交通からの譲受車で、車体は富士重工です。
方向幕の形や位置、赤い座席、横幅の広い出入口表示幕などが特徴です。
1981年に登録していますが、最初に入った数両は上半分が神奈中のカラーのままで、下半分を岩手中央バスカラーに塗り替えただけで使用していました。しかし、1981年といえば既に岩手県交通成立後で、ほかの車両は岩手県交通カラーに塗られています。まだ岩手中央バスカラーの車両がたくさん走っていたため、上半分の塗り替え費用を節約するために旧カラーにしたのでしょうか。それにしても、青い帯のところの社名も、岩手中央バスからの引継ぎ車両と同じように張り紙になっている車両があります。真相はよくわからないままです。

岩22か1644
岩22か1644

撮影:滝沢営業所(1986.9.30)

岩22か1643
岩22か1643

撮影:矢巾営業所(1986.5.12)

上の岩手中央バスカラーと同じタイプですが、1981年の後半からは県交通カラーに塗られています。
すべて盛岡市内におり、滝沢、黒石野などに配属されていましたが、“その頃”はいずれも白百合学園スクール専用になっており、一般路線にはほとんど入りませんでした。
年式はあまり変わらない陣容ですが、初期の年式のものは出入口表示窓の幅が広くなっています。また1971年式の非常口窓は2段窓ですが、2両だけ存在した1972年式では固定窓になっていました。

いすゞBU10D(1972年式)
岩22か1733
岩22か1733

撮影:黒石野営業所(1985.7.19)

神奈川中央交通からの譲受車のうち、1982年に入った2両は川重車体製でした。
方向幕の形や位置、赤い座席など神奈中の特徴はそのままです。また写真で分かるとおり、折戸が後ろ側に折れるようになっています。(通常のバスは前に折れます)
2両とも黒石野営業所に配属されていましたが、1986年に廃車となりました。1両(岩22か1730)は最後の最後に滝沢営業所に転属しました。

いすゞBU10D(1972年式)
岩22か1732
岩22か1732

撮影:滝沢営業所(1985.11.14)

岩22か1731
岩22か1731

撮影:滝沢営業所(1985.8.1)

京浜急行からの譲受車で、2両ありました。車体は富士重工製でワンマンタイプの顔を持つ3Eタイプというボディで、“その頃”の岩手県交通にはこの2両だけの存在でした。
神奈中からの中古と同時に登録されていますが、座席が青いモケットであることなどから、神奈中出身でないことが分かりました。
当初は河南営業所に配属されていましたが、後に滝沢営業所に移り、1986年に廃車となっています。

(注1) kuri様(掲示板2007.6.21)によると、北海道中央バスの1969〜71年式のBU10Dには、天井に採光窓があったとのこと。1971年式は全部で53両(前期33両、後期20両)があったが、後期空知車(札22あ164〜173)10両だけは採光窓がなかったとのこと。従って、岩手県交通に譲渡されたのは、この10両のうち5両だと思われる。
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80s岩手県のバス“その頃”