譲受車

日野2

日野の車両のうち、RERCといった型式の車両をまとめました。転入は1976〜77年で、やはり県南バスエリアに多く入っています。三菱車に比べると日野の譲受車は数多く入りましたが、それでも1978年以降の転入がなくなったのは、新車のケースと同じです。

日野RE100P(1968年式)
岩22か913
岩22か913

撮影:水沢営業所(1985.8.22)

岩22か913
岩22か913

撮影:一関駅(1985.8.17)

元岩手県北自動車。1977年に登録しています。
県交通が県北バスから中古車を譲受するというのはちょっと不思議な話ですが、県交通の前身3社のうち花巻バスに県北バスの資本が入っていた関係で、設立当初の県交通にも県北バスの資本が入っていたと推測できます。
一関を中心にした県南地区に配属されていました。元は前ドアの貸切車で、ハイバックシートを装備しています。中ドアの増設は、県北バス時代に行われていたようです。
(注1)

岩22か914
岩22か914

撮影:一関営業所(1985.1.17)

上の車両と同じタイプですが、正面のライトベゼルが一般型と同じに改造されています。

廃車体(岩22か1106)
岩22か1106

撮影:千厩営業所(1986.9.24)

元岩手県北自動車。帝国ボディ製のもので、上の金産車体のものと比べると増設扉の位置が異なります。正面スタイルも、ライト周りや2枚ガラスだったりする点が異なっていました。
千厩営業所に配属されていましたが、撮影時には廃車になっており、営業所の隅に置かれていました。

日野RC300P(1968年式)
岩22か1007
岩22か1007

撮影:釜石営業所(1985.8.10)

元日立電鉄。1978年ごろに2両が転入しています。この年式の帝国ボディは通常ではバス窓ですが、この車両はサッシになっています。前所有者がサッシ窓を好んだためだと思われます。
2両とも釜石営業所の配属で、写真は結局この1枚だけしか撮れませんでした。

日野RE100(1968年式)
岩22か977
岩22か977

撮影:盛岡バスセンター(1984.4.9)

元神奈川中央交通のRE100。写真では前ドアが開いていますので、逆ヒンジということが分かります。
紫波営業所の車両で、このあとまもなく廃車になってしまいました。

岩22か1064
岩22か1064

撮影:千厩営業所(1985.8.11)

元神奈川中央交通。車体は金産製です。前ドアの形状が、通常の金産の車両とは違っています。
このとき既に1両しかなく、それも千厩営業所の所属だったため、このような角度の写真が1枚あるだけです。

日野RE100(1969年式)
岩22か1055
岩22か1055

撮影:北上営業所(1985.9.27)

元神奈川中央交通。車体は帝国製です。正面の系統幕や側面の出入口表示窓の幅が広い点が特徴です。
ウィンカーの形が古いタイプです。細部に違いの見られる車両もありました。
他の日野の転入車と同様、県南バスエリアで多く見られましたが、盛岡地区に配属された車両もある程度あったようです。

岩22か1085
岩22か1085

撮影:大船渡営業所(1985.8.25)

上の車両と同じく元神奈川中央交通ですが、こちらはウィンカーの形状が五角形になっています。

日野RE100(1968年式)
岩22か1120
岩22か1120

撮影:一関営業所(1985.8.11)

岩22か1120
岩22か1120

撮影:一関駅(1985.8.17)

元横浜市交通局。側面方向幕が前ドア次位にあり、正面窓上が水切りになっているのが特徴です。
県交通成立直後の1978年の転入で、様々な前歴を持つ車両がある中でも特徴のある車両です。一関営業所に1両がありました。

日野RE120(1970年式)
岩22か1156
岩22か1156

撮影:釜石東前(1985.9.25)

元茨城オート。日野のシャーシに富士重工のボディの組み合わせ。
正面窓が下方に長い視野拡大窓で、前扉の窓も1枚ガラスという特徴ある車両です。数ある転入車の中でも目立つ車両でした。
1978年の登録で、釜石営業所に2台がありました。

(注1)岩手県北バスにこのタイプの2ドア車があった証拠写真を、昭和40年代の岩手日報をめくっていて目にしている。いつの日付で、何の記事だったかはまったく覚えていないが、雪の盛岡市内を走っている写真だった記憶がある。
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80s岩手県のバス“その頃”