廃車体は生きている

その他のバスラーメン

「バスラーメン」と言うものが全国各地にあります。どうしてラーメン屋にバスを使うのか。その辺はよく分かりません。建物を建てるよりバスの廃車体を利用するほうが手軽だからなのか、バスの車体がラーメン屋の構造に向いているからなのか、固定資産税などの問題なのか、或いは庶民の味のラーメンと庶民の足の路線バスがイメージ的に合うからと言うような心理的な理由なのか。
そんな「バスラーメン」のいくつかです。

バスラーメン
R470

撮影:旅男K様(倉敷市 2012.5.19)

両備バス 三菱R470
R470

撮影:旅男K様(倉敷市 2012.5.19)

「おでん そば」と書いた行灯をつけていますが、敷地の道路側には「ラーメン」と言う看板もありますので、やはりバスラーメン。
1963〜64年式の呉羽ボディで、正面は連続窓ですが、後面2枚窓。この辺の年式のバスはバスラーメンに似合います。中ドアは建物用のドアに交換されています。これもバスラーメンでは定番です。
(撤去済み)

バスラーメン
R470

撮影:大府市(2008.5.4)

名古屋鉄道 三菱R470
R470

撮影:大府市(2008.5.4)

すべてがテントで覆われているため、近づかないとバスだと分からないラーメン店。
顔を出しているのは2分割の正面窓、後ろ側は丸型の2枚窓。ルーバー状のエンジン通気孔が特徴の三菱車です。
型式は中ドアより後ろの窓の数から考察、元所有者名は側面の広告をつける爪金具の形状から考察しました。

バスラーメン
MR470

撮影:旅男K様(都城市 2010.4.3)

鹿児島交通 三菱MR470,林田バス 三菱R470
MR470

撮影:旅男K様(都城市 2010.4.3)

バスを2台直角につなげたバスラーメン。入口は右側のバスのドアで、右側のバスにカウンター席、左側のバスに座敷があり、中でつながっているそうです。
屋根が付けられ、ボディが明るい色に塗られており、お昼時間も開いているバスラーメンです。
2台とも三菱の前ドア車ですが、ボディは左が富士重工製、右が呉羽自工製、年式の違いは10年くらいでしょう。鹿児島交通は前ドア横の表示窓、林田バスは前ドアの横向きの取っ手が根拠、型式は推定です。

バスラーメン
MR490

撮影:小矢部市(2005.3.20)

富山地方鉄道 三菱R490

バスラーメンになっている廃車体です。何回か塗り直されているようで、ピンク色の外装。ほとんど全体に屋根がかけられ、ボンネットバスのイラストを描いた電照看板も取り付けられています。
ボディスタイルはフロントガラスが2分割になっている1960〜63年までの呉羽車体です。この時代のボディで中ドア引き戸のワンマンカーというのは珍しい存在です。中ドア次位の窓に方向幕がついています。
(2018年9月現在、撤去済み)

元中華そば屋
BD14

撮影:大阪府(2007.5.19)

白浜急行バス 日野BD14

建物と一体化した廃車体で、「中華そば」の文字がありますが、今は営業していない模様です。前ドアのところに建物用のアルミ扉が付いており、ここが出入口として使われていたようです。
車両は帝国ボディのセンターアンダーフロアエンジン車。社紋から南海グループ入りする前の白浜急行バスと思われます。長距離急行バスに使用されていたのでしょう。
型式は推定です。

中華料理「バス」
RB10

撮影:三木市(2008.3.23)

芦有開発 日野RB10(1963年式)
RB10

撮影:播磨観光タクシー様(三木市 2012.7.16)

そのほとんどがテントで囲まれ、「バス」と書いてなければバスだとは気付かないような中華料理店。バスは中ドアツーマン車で、その位置が店の出入口になっているようです。
後面に残る社名から「芦有バス」であることが分かりました。芦屋と有馬温泉を結ぶバスで、芦有ドライブウェイを運営する「芦有開発」が経営していました。
右の写真は、障害物がなくなって非常口側が見やすくなっています。ライト周りはフォグランプをひとまとめにした特注ライトになっています。芦有と書いて「ろゆう」と読むため、社紋はRをデザインしています。
(播磨観光タクシー様によると、2012年8月現在撤去済み)
(注1)
バスラーメン
BA741

撮影:郡上市(2008.5.4)

岐阜乗合自動車 いすゞBA741

建物の間から窓だけをのぞかせた「バスラーメン」。辛うじて川崎ボディであることが分かります。正面窓下を覗いたらいすゞのエンブレムがありました。左右に尖ったエンブレムは1960年代前半のもので、リアの窓は3分割だと想像できます。
多くのバスラーメンがそうなのですが、バスの折り戸は日常的には使いにくいようで、アルミサッシの開き戸に交換されています。

ラーメン店
RL320

撮影:富山市(2016.9.3)

日野RL320

「ラーメン」という看板が立っており、簡易トイレも併設されていますが、バスのドアは半開き。フロントガラスから車内を覗くと丸椅子や割り箸は綺麗なのですが、破損状態のひどい長椅子も放置されており、営業しているのかどうかはよく分かりません。

中華料理店
BR20

撮影:静岡市(2008.6.14)

静岡鉄道 いすゞBR20

テント状の屋根とすだれ、生垣に囲まれてバスがだいぶ隠れてしまっているラーメン店です。
よく見ると、富士重工製のR13型ボディで中ドアのツーマン車であることが分かります。場所柄元ユーザーは静岡鉄道ではないかと思いますが、全く根拠はありません。
しかし、多くのバスラーメンが昼間は営業せず、夜間営業になっているのは、やはりその存在感が常連向であるからなのでしょうか。

呑み喰い処 望
BR20

撮影:米澤様(静岡市 2012.1.26)

静岡鉄道 いすゞBR20
BR20

撮影:米澤様(静岡市 2012.1.26)

中華料理店の「萬珍楼」は、オーナーが変わり、綺麗なオレンジ色に塗られ、「呑み喰い処 望(のぞみ)」に生まれ変わりました。これまで隠れていた部分もちょっと顔をだし、ヘッドライトとフォグランプの位置関係や丸いウィンカーなどの形状から、1961〜1963年式であることも分かりました。
また撮影者によると、元静岡鉄道で間違いないそうです。
なお、型式はBR351と呼ばれていた時期の可能性もあります。
(撮影者によると、2016年現在、撤去済み)

ラーメン屋
RE120

撮影:樋口一史様(栄町 2004.6.11)

山形交通 日野RE120

国道沿いのラーメン屋になっている日野車の廃車体。フロントオーバーハングが長い1973年式以降の後期型です。前中折戸で、前ドアの下のほうに特徴があるので、元山形交通ではないかと推察します。
茶色に塗りつぶされており、下から明るいブルーが見えていますが、これは現役時代のカラーとは関係ないようです。
(撤去済み)

バスラーメン
RE120

撮影:射水市(2008.6.28)

北陸鉄道 日野RE120
RE120

撮影:射水市(2008.6.28)

深緑とオレンジの独特の色に化粧直しされたバスのラーメン屋。窓の多くは張り替えられていますが、側面最後部の窓から金産ボディであることが分かります。
ホイールには三菱のマークがあるのですが、側面のエンジン通気孔の大きさから三菱車ではなく日野車と判断しました。
外観の手の加え方に比べ、車内にはハンドルやメーター類等バスの雰囲気をわざと残してあり、懐かしい気持ちが呼び起こされます。現役時代の登録番号は石2う1452です。

居酒屋・ラーメン「バス停」
BU04

撮影:甲斐市(2005.8.27)

山梨交通 いすゞBU04

山梨交通の廃車体としては最も多いのではないかと思われる、3連テールのBU04を利用したお店です。残念ながらもう営業はしていないように見えます。
屋根の上にはまだ看板が健在。
(2006年6月に撤去を確認)

バスラーメン
BU04

撮影:稲沢市(2007.11.17)

岐阜市交通部 いすゞBU04DV

今はなき岐阜市交通部の路線バスがラーメン屋になっています。後部に建物を増設し、側面にも屋根を掛けてあるので、よく見ないとバスだとは気づかないかもしれません。
岐阜市交通局は、早くも1973年には方向幕を大型化しています。中ドア左上の屋根上に見える側面方向幕も他では見られないくらい大型です。その側面方向幕に店名が表示されており、あるものをうまく利用していると感心します。

中華そば
B907S

撮影:阿波市(2013.3.2)

大川自動車 三菱B907S

大川自動車が高徳特急バスに使用していたセミデッカーが、中華そば屋になっていました。
カラーは特急バスの専用塗装のままですが、中央部に大きな扉が開けられ、お店の入口になっています。

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1) 芦有開発公式サイト(50周年アニバーサリー)(現在終了・リンク切れ)に掲載されている開通当時の路線バスがこの廃車体と同型車です。「8台のロマンスシートカーでスタートした」と書かれています。なお、ポルト出版(2002)「金産ボデーのアルバム」によると金産ボディでは2台のみの製造ですので、他の6両は別メーカーの車両だったと思われます。なお、芦有開発のバス事業は後に阪急バスに譲渡されています。
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80s岩手県のバス“その頃”