廃車体は生きている

交通公園のバス

交通公園の中に置かれている遊具代わりのバスをご紹介します。
子供に乗り物に親しんでもらうため、公園の中に乗り物を置くことは各地で行われています。蒸気機関車や路面電車に始まり、消防車やバスなどがその代表例でしょうか。これらはその多くが遊具という位置づけであるため、管理者がいる場合も時を経るにつれ老朽化が進み、最悪廃棄される場合もあります。特にバスの場合は鉄道車両と異なり、その車両でなければいけないという必然性がないため、車両代替されやすいようです。
(注1)

交通公園のバス

交通公園のバス
BU04

撮影:板橋交通公園(2018.12.17)

東京都交通局 いすゞBU04V(1975年式)
BU04

撮影:板橋交通公園(2005.1.29)

大塚営業所所属というような車体表記もそのままで、地元付近の板橋区で余生を送っている都営バス。局番はG-C457です。
一部に破損はありますが、表示物などもよく残っており、状態は良好です。正面は系統幕は残されているものの、方向幕は埋められています。破損してしまったためでしょうか。後面の方向幕は2005年時点では中身がありませんでしたが、2018年時点では中身を入れ直した痕跡があり、しかし外れかけていました。

交通公園のバス
RE101

撮影:城北交通公園(2018.12.17)

東京都交通局 日野K-RE101LF(1982年式)

大型方向幕の日野車。モノコックボディとしてはほぼ最終期の車両です。正面方向幕には「王78 大和町」という実物が入っており、K458という局番も確認できます。塗装はイラストバスの姿のままです。
ここも囲いや門がめぐらされて、管理が行き届いているので安心です。

交通公園のバス
UA440HSN

撮影:朝霞台様(新宿交通公園 2007.2.11)

東京都交通局 日産デU-UA440HSN(1993年式)

三菱MP107Kに代わり、2006年からこの場所に置かれた都営バス。先代がそんなに汚れていなかっただけに交代はちょっと残念です。また、これらの公園でも10数年ごとに車両が入れ替えられることがやはり証明されてしまいました。

交通公園のバス
JP250NTN

撮影:府中交通遊園(2012.1.14)

京王バス東 日産デKC-JP250NTN(1999年式)

2011年に府中交通遊園のバスが更新されて、ワンステップバスになりました。A902という車番が残っており、都心部で使用されていた車両。前乗り中降りの表示ですが、方向幕はこの場所に来る路線のものが付けられています。
京王グループがバリアフリー化を推し進めるために日産ディーゼル+西日本車体の組み合わせを導入し始めたのは1990年代中盤のことですが、今はシャーシ、ボディともに過去のバスメーカーになってしまいました。

鬼太郎バス
リエッセ

撮影:調布市子ども交通教室(2024.2.17)

京王バス 日野KK-RX4JFEA(2004年式)

「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげる氏が1959年から調布市在住だったことから「鬼太郎バス」と名付けられたコミュニティバスが走っていましたが、廃車になるに伴い、2020年9月から子ども交通教室に展示されました。
車番はL20407
日にちを決めて公開されています。

ちゅうバス
RX6JFBA

撮影:府中交通遊園(2018.9.8)

京王バス中央 日野BDG-RX6JFBA(2008年式)
RX6JFBA

撮影:府中交通遊園(2018.9.8)

地元府中市の「ちゅうバス」に使われていた日野リエッセが加わりました。方向幕は側面行き先表示板もそのままです。ここに来る本物の「ちゅうバス」と間違えないようにという配慮か、「展示車両」という張り紙を貼っています。
車番はB20803です。
中ドアには車椅子用リフトがあり、後部には「環境への負荷が少ない天然ガス自動車」という文字がある通り、CNG車です。

過去の車両

交通公園のバス
BU04

撮影:萩中公園(2005.1.29)

東京都交通局 いすゞBU04V(1976年式)

このページの中では最悪な状態。子供が怪我をしないようにという配慮からか、ガラスやサッシなどあらゆる部品を撤去した状態です。ここには他に都電や消防車もありますが、皆同じ状態です。管理者もいないようなので、他人に荒らされるよりましかもしれませんが。
(2007年に撤去を確認)

交通公園のバス
MP107K

撮影:新宿交通公園(2005.1.22)

東京都交通局 三菱K-MP107K(1982年式)

子供が交通について学ぶための公園に、元都営バスの三菱車が利用されています。
都営カラーのままで、方向幕には公園の名前のシールが張られ、子供たちのよき遊び場になっています。
(2006年に日産デU-UA440HSNに置き換えられました)

交通公園のバス
BR20

撮影:のむ様(府中交通公園 1982頃)

いすゞ BR20
BR20

撮影:のむ様(府中交通公園 1982頃)

1980年代に府中交通公園に置かれていたバス。府中市の自家用バスを転用したもので、いすゞで帝国ボディの組み合わせ。1963年式くらい。
当時のバスの寿命から考えると、1973年頃に廃車になってここに置かれ、1983年頃に後継車(写真はありませんが、府中市の日野RV)に代替されたのだと思われます。

交通公園のバス
LV314N

撮影:府中交通公園(2005.1.29)

京王電鉄 いすゞP-LV314N(1987年式)

方向幕には「健康センター」とあり、かつては路線バスとしてこの地へ乗り入れていたバスのようです。B18706という車番も残っています。
1999年に京王電鉄から寄贈されたという記載があります。過去の遺物となりつつある3扉車が選ばれたことは、賞賛に値するのではないでしょうか。
(2011年に撤去)

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」という趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1) 公園内に置かれている乗り物が保存車であるか単なる遊具であるかは、意見が分かれる可能性がある。蒸気機関車や路面電車などは「この車両でなければならない」という代替不可能性があるため、保存車に分類されることが多い。しかし、バスの場合はそういった必然性はなく、「バスであればいい」というケースが多い。事実、老朽化が進むとためらいなく代替されている。従って、本稿ではこれら公園内のバスについては廃車体として扱っている。
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80s岩手県のバス“その頃”