バス廃車体全国版

山梨県5(その他)

山梨県で見かけた廃車体の中で、自家用バスなどです。

廃車体
BA341

撮影:He526様(山梨県 2021.5.30)

自家用 いすゞBA341(1960年式)

方向幕のガラスに「中学校」の文字跡が見えるので、スクールバスだったと思われる廃車体。
いすゞのマークがある富士重工ボディですが、側面最後部窓はスタンディウィンドウ付の横引き窓。この窓配置だと、BA700系より古い車両かも知れない。そう思っていたところ、畦道ノスタルヂィ様が後日の調査で銘板を確認できたとのこと。型式、年式ともに判明しました。

廃車体
RB10

撮影:身延町(2004.11.6)

日野RB10
RB10

撮影:身延町(2004.11.6)

色が塗り直されているので前歴はよく分かりませんが、金産車体の前ドアRB10です。ドアの辺りを見ると,腰板の上下に青い帯が2本ずつ入っているようでした。
正面窓が小さく、後面が3分割窓なので、年式は1961〜63年です。
(グリン様によると、2011年5月現在撤去済み)

廃車体
RC100P

撮影:kj様(山梨県 2015.11.27)

日野RC100P
RC100P

撮影:山梨県(2004.12.12)

金産車体のロングボディの貸切車。前ドアメトロ窓で、当時のそれなりのデラックス仕様だったはず。最後は自家用で使われていた文字痕があります。
中央部の開口部は非常口です。1960年代のリアエンジンバスは、非常口が中央部にあるのが普通でした。

廃車体
E690

撮影:笛吹市(2006.3.4)

自家用 日産E690

新日国ボディの末期のスタイルを持つ廃車体。中ドアでキャブオーバー専用シャーシのE690「キャブスター」。色は日野ブルーリボンのカタログカラーとよく似た細線のあるデザイン。県内で自家用として使用されていたようです。
「キャブスター」は自家用バスとしての市場を狙った廉価なキャブオーバーバスで、あまり数の出ていない最終期の新日国ボディ(→日産車体)を標準としています。

廃車体
RD100

撮影:笛吹市(2006.3.4)

自家用 日野RD100

日野の9mサイズの車両で、自家用にも相当数出ていたので以前なら見過ごしていましたが、さすがに21世紀にバス窓を見ると足が止まります。
細かい窓割などから金産ボディであることが分かります。また、ヘッドライトベゼルが外れた痕からオーバル形ライトの形状が見えるのですが、この型式は4灯になったのが遅いので、オーバル形ライトの時期があったのかどうかは不明です。

廃車体
CLM470

撮影:山梨県(2017.12.30)

自家用 いすゞK-CLM470

スクールバスのステッカーが貼られた自家用バスカラーの廃車体。
山梨交通などの廃車体集積エリアの一角にありました。
(情報提供:Kj様)

廃車体
UA440HAN

撮影:山梨県(2021.4.24)

自家用 日産デU-UA440HAN

草むらに埋もれた富士重工。フロントガラスが大きい7Bと通称されるボディスタイル。中ドアは路線バスのような4枚折り戸です。
短距離の送迎用バスだったのでしょうか。
ナンバープレートはついていましたが、この状態が長いようなので、事実上の廃車体の仲間です。

廃車体
馬匹車

撮影:笛吹市(2005.9.10)

馬匹車

呉羽ボディの馬匹車。セミデッカー風のボディが、かつての馬匹車の特徴でした。実際はバスではなくてトラックなのですが、ボディがバスの顔をしているので、箸休め程度にご覧ください。
「馬匹」は「ばひつ」と読み、馬そのものを表す言葉だそうです。
この廃車体、乗馬クラブの看板代わりになっています。

廃車体
コンマース

撮影:富士吉田市(2013.2.23)

日野コンマース

当サイト的にこれをバスと呼べるかどうかは微妙ですが、発売当時「ミニバス」とも称されたと言う日野コンマースの廃車体を掲載します。
正面の屋根上にスピーカーが見えますので、バスと言うより宣伝車として或いは移動販売車として使われたのかもしれません。
それなりに有名な廃車体とのことです。
(天野様によると、2015年2月に撤去されたそうです)

廃車体
ライトバス

撮影:上九一色村(2004.11.3)

ダイハツライトバス

さびた塊のようになっています。そのもののスタイルがどこを探しても見つからないのですが、1965年頃のダイハツのライトバスを少し古くした感じのような気がします。
(ポンコツ屋赤木様によると、2016年3月現在撤去済み)

廃車体
BM400

撮影:山梨県(2018.12.10)

日野BM400
BM400

撮影:山梨県(2018.12.10)

日野の小型バスBM320とよく似ていますが、右側にドアがあります。つまり左ハンドルの輸出仕様車。
これは、1965〜74年の間に、ビルマやキューバなどに向けて輸出された左ハンドル車BM400の系列だと思われます。国内用と異なり前照灯2灯、日本では定員30人未満のバスには必要のない非常口が左側面についています。ハイルーフになっているのは、後期の製造だと想像できます。
リア面には、スペイン語でフックの荷重についての注意書きプレートがあります。
(注1)

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1) ぽると出版(2002)「金沢ボデーのアルバム」を参考に記載しました。基本的には輸出車なので日本には存在しないはずですが、サンプルカーなどでメーカーに残っていた車両があったのかも知れません。
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80s岩手県のバス“その頃”