バス廃車体全国版

山梨県3(富士急行)

山梨県と言えば、山梨交通と富士急行の2社がエリアを分担して営業しています(最近は分社により、2グループと言ったほうが正確ですが)。こう言った部分は、岩手県における岩手県交通と岩手県北バスの関係によく似ています。
そう考えてみると、国際興業グループでいすゞの都市仕様車の多い山梨交通と、観光路線を多く持ち日野車が多い富士急行という対比は、車両面や路線設定でも岩手県の2社と影がダブる気がします。
いささかこじつけ気味ではありますが、そんな富士急行の廃車体です。なお,一部に隣接県のものもあります。
廃車体
BT51

撮影:He526様(山梨県 2021.11.6)

富士急行 日野BT51(1967年式)
BT51

撮影:He526様(山梨県 2021.11.6)

森の中に置かれたセンターアンダーフロアエンジン車のワンマンカー。この時期に日野の短尺車を選択すると、こういう車種になりました。
側面に方向幕はなく、サボで対応していたようです。車内は三方シート。前面に「工」マークが残るので、どこかの国鉄駅に乗り入れていたのだと思いますが、それが甲府駅なのか大月駅なのか、はたまた御殿場駅なのかは分かりません。

廃車体(静岡2か740)
BT71

撮影:静岡県(2004.11.3)

富士急行 日野BT71

センターアンダーフロアエンジン車「ブルーリボン」のBT系の中でも珍しい中ドア専用シャーシ。それも中ドア引き戸と言う仕様です。短くても車体の一番後ろまで客席として使えるメリットが、センターアンダーを選択した理由でしょう。
画面端に見える牛たちに見守られている廃車体でした。
(登録番号は、ポンコツ屋赤木様より)

廃車体
BT71

撮影:一関市民様(長野県 2008.10.5)

富士急行 日野BT71
BT71

撮影:長野県(2005.9.17)

高原のレタス畑に置かれた廃車体。上の廃車体と同型車ですが、富士急のイメージを残しつつ新たなカラーに上塗りされています。
非常口は丸型の時までは後面にありましたが、このスタイルになってから側面最後部に移りました。独特の配置です。

廃車体
RB10

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

富士急行 日野RB10(1967年式)
RB10

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

オートキャンプ場で「ゲームバス」と書かれた帝国ボディのRB10。いまでは使用されていないようです。富士急行の社名やT2790という車番が残っています。
元々は前ドア車だったものに中ドアを増設したもので、中ドアはRE100などにみられる窓の大きいものになっています。
(2011年7月に撤去を確認)

廃車体
RB10

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

富士急行 日野RB10

一見メトロ窓車に見えますが、ここに運ばれてから建物に使われるアルミサッシに交換したようで、元はバス窓の車両です。もっとも今ではそのアルミサッシも外れて、廃墟と化しています。
増設中ドア付近の形状から、上の車両と同じ形だと思われます。
(2011年7月に撤去を確認)

廃車体
RB10

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

富士急行 日野RB10
RB10

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

ゲームバスの仲間ですが、こちらのほうが奥にあるせいか良い状態で残っています。
上の車両と異なり、中ドアがRB系オリジナルの小さな窓で、中ドア上に方向幕があり雨樋が下がっています。また、テールランプが3連になっています。
(2011年7月に撤去を確認)

廃車体
RB10

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

富士急行 日野RB10(1967年式)
RB10

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

金産車体のRB10。富士急行では帝国車体が主でしたが、金産車体もある程度の数があったような気がします。
この車両も前中折戸で、中ドアは増設のようです。車番はS2652です。
(2011年7月に撤去を確認)

廃車体
RB10

撮影:鳴沢村(2004.9.26)

富士急行 日野RB10

こちらは川崎ボディの日野車。1964〜65年のボディスタイルです。スタンディーウィンドウの上に雨樋があるのは、このボディの中では日野車やいすゞBUなど一部です。
この車両も前中折戸で、中ドアは増設のようです。
(2011年7月に撤去を確認)

廃車体
RB10

撮影:なおたん様(山梨県 2013.5.3)

富士急行 日野RB10

茂みの中に埋もれるような日野RB10。富士急行には数多く存在しましたが、この角度からではドア側は見えません。

廃車体
RB10

撮影:山梨県(2006.7.31)

富士急行 日野RB10

帝国ボディのワンマンカー。富士急行には数多く存在したタイプです。
全体的に深緑色に塗りつぶされていますが、屋根の周辺に黄色が見えています。

廃車体
RB10

撮影:山梨県(2017.12.30)

富士急行 日野RB10

建設会社敷地に置かれたRB10のワンマンカー。このタイプも、現役時代の両数が多かったせいもありますが、廃車体の発見率も高いようです。
物置に使われているようですが、その使い勝手のためか、残念ながら正面窓下がごっそり取り払われています。
(2021年4月に撤去を確認)

廃車体
RB10

撮影:静岡県(2006.10.28)

富士急行 日野RB10

廃車ヤードに置かれたRB10のワンマンカー。
ヤード内なのでこれまで未掲載としていましたが、同じ場所に現存していて、かつ外からは見えにくくなっているなどの情報をお聞きした中で、蔵出ししてみることにしました。

廃車体
RB10

撮影:静岡県(2006.6.4)

富士急行 日野RB10

金産ボディのワンマンカー。車掌台がありませんが、この仕様の車両の現役時代は三島などで見たことがあります。
情報提供:ちょご姉様

廃車体
RB10

撮影:身延町(2004.11.6)

富士急行 日野RB10
RB10

撮影:身延町(2004.11.6)

川崎車体の1966年モデルのワンマンカー。日野RB10と言えば、帝国ボディや金産ボディに見られる丸型ボディが一般的ですが、1966〜67年式で川崎車体を選択すると近代的になります。逆に川崎車体の立場から見ると、このボディで2灯というのは違和感があります。
ところで奥にいる富士重工製ボディですが、エンジンルームの形状等から民生(後の日産デ)車と推察できます。正面に「コンドル」のエンブレムの形跡があるように見えてきますが、錯覚でしょうか。塗装はかなり褪色しているのですが、おでこに3本線が残っており、場所柄山梨交通ではないかと思います。
(グリン様によると、2011年5月現在撤去済み)

廃車体
RC300

撮影:山梨県(2017.12.30)

富士急行 日野RC300

富士山麓の住宅裏で余生を過ごす富士急行のワンマンカー。帝国ボディの前中折り戸車ですが、車掌台窓の四隅が角張っているので、後の改造だと推察します。つまり、前ドア車に中ドアを増設してワンマン改造したもののようです。
肝心の中ドア部分がシャッター付の出入口に改造されており、どんな扉がついていたのかはよく分かりません。
He526様によると、車番はR2823。ただしPRに書き換えた跡があるので、富士吉田から都留に転属した可能性があるとのこと。
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)

廃車体
RC300

撮影:山梨県(2011.7.23)

富士急行 日野RC300(1968年式)

帝国ボディの前中折り戸車ですが、中ドアが金産ボディのものになっていて、車掌台窓も帝国ボディオリジナルとは異なるので、前ドア車両に中ドアを増設したものと推察します。
車番はP2828です。
型式は元前ドア車ということで強力形と推定。

廃車体
RC300

撮影:ポンコツ屋 赤木様(富士宮市 2014.2.2)

富士急行 日野RC300

青く塗られた廃車体。前中折り戸のワンマンカーで高出力仕様。前のフェンダに縁取りがないので、前期型の1968〜72年式。
非常口前の二つ並んだ小さな窓が、この長さのタイプの特徴です。
(撮影者によると、2018年現在撤去済み)

廃車体
RE100

撮影:静岡県(2006.10.28)

富士急行 日野RE100(1968年式)

川崎ボディの日野車。前中引き戸のワンマン仕様で、後面に方向幕があるのはRE100の中でもごく初期のものと思われます。
He526様によると、車番はD2859

廃車体
RE100

撮影:南巨摩郡(2004.11.3)

富士急行 日野RE100(1969年式)

川崎ボディの日野車。前中引き戸のワンマン仕様で、テールライトが丸型の3連式になっているのが特徴です。富士急行の日野車は帝国ボディの方が主力でしたが,特に静岡県内で川崎や金産のボディが多く見られたような記憶があります。なお、富士急行のこのボディは、非常口の窓が2段になっています。
社番はE2978

廃車体
RE100

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

富士急行 日野RE100(1970年式)
RE100

撮影:富士河口湖町(2004.9.26)

オートキャンプ場の一員で、川崎ボディの日野車も2両ありました。角型のライトべゼルが日野車の証しです。
富士急行は日野車の多い会社でしたが、川崎ボディも好んで導入していたようです。この時期までの川崎ボディでは、逆にいすゞ車というのは見たことがありません。
テールライトは3連式です。富士急行では一般路線タイプもこの頃から3連式で、なぜかレベルの高い車両に見えたものでした。
(2011年7月に撤去を確認)

廃車体
RE100

撮影:ポンコツ屋 赤木様(富士宮市 2014.2.28)

富士急行 日野RE100

高校のグランド脇に置かれていたという川崎ボディのRE100。緑色1色に塗りつぶされていますが、剥げたところから富士急行の黄色が見えて来ています。
3連テール灯や非常口の2段窓が富士急行の面影を伝えます。後ろのほうの雨どい縦管が直角に降りていますので、1971〜72年式。
(撮影者によると、2015年現在撤去済み)

廃車体
RV100P

撮影:山梨県(2013.5.25)

富士急行 日野RV100P

富士急行系列のホテルマウント富士の名前の入った廃車体。側面に富士急行カラーが残りますので、元々は富士急行の貸切バスだったと思われます。
正面のライトはなくなっていますが、釣り橋状のマスクがついていた跡は残されています。

廃車体
BU04

撮影:富士宮市(2008.6.14)

富士急行 いすゞBU04D(1975年式)

沼津にいたと思われるいすゞの前後ドア車。川重の平面ガラスのボディで、富士急では少数派だったと思います。車番はE5551。車内にまでツタが生えている状態ですが側面方向幕は健在です。
(2013年に撤去を確認)

自家用
HT273BA

撮影:御殿場市(2013.7.28)

富士急行 日野P-HT273BA(1986年式)
HT273BA

撮影:御殿場市(2013.7.28)

廃車体ではありませんが、元富士急行の車両が、地元の居酒屋の送迎バスとして第2の人生を送っていました。
短尺ですが高出力車で、御殿場営業所に配置されていました。ブロンズ色のサッシ窓で、前後ドア車。テール灯は、貸切車では標準だったクローバー配置です。

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本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
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80s岩手県のバス“その頃”