バス廃車体全国版

山梨県1(山梨交通)

山梨県で見かけた山梨交通関連の廃車体です。
山梨交通と言えば国際興業グループ入り以来いすゞのオリジナル車で増備が進められており、親会社の国際興業や後にグループ入りした岩手中央バスなどと車両の共通性は多く見られます。
今回、そんな山梨交通の過去の車両を、廃車体で振り返って見ます。なお、一部に隣接県のものもあります。
廃車体
FY

撮影:海さん様(川上村 2011.7.10)

山梨交通 トヨタFY(1951年式)
FY

撮影:海さん様(川上村 2011.7.10)

山の中の沢沿いに放置された終戦直後のボンネットバスの廃車体。
フェンダと一体化したボンネットと丸みのあるフロントグリルが採用されたトヨタFY。ボディはトヨタ車体の前身の刈谷車体製です。
1951年式なので、非常口は製造当初からあったと思われますが、リア面と側面最後部の2ヶ所にあります。どちらかは後の増設なのかもしれません。
側面に残る社紋から元山梨交通であることが分かりますが、どこかに転用されたのか「自家用」表記も残ります。
(2011年11月に保管のため搬出されました)

廃車体
RS85

撮影:山梨県(2006.7.31)

山梨交通 民生RS85(1955年式)
RS85

撮影:栗原大輔様(山梨県 2015.6.21)

日産ディーゼルの前身である民生の初期リアエンジンバス「イーグル」の廃車体。独特の丸い車体は新日国工業製です。
型式はショートサイズの中ドア専用シャーシであることからの推定。
この廃車体、それなりに有名なようですが、公道から見るとこんな感じです。2015年に右写真を追加しました。隣の林の木々が伐採され、よく見えるようになっていました。
なお、前歴が山梨交通であることは、段々と下地のカラーデザインが見えるようになって、明白になりました。
(注1)

廃車体
RF91

撮影:ちょご姉様(身延町 2005.9.3)

山梨交通 民生RF91

富士重工製ボディを持つ民生「コンドル」。1957〜60年式くらいと思われます。この後、民生は日産ディーゼルと名前を変え、フレームレスモノコックボディの4R系へ進化してゆきます。
おでこに残る塗分け線の痕跡から元山梨交通と推測します。国際興業グループ入り以前の購入です。
なお、奥にいる川崎ボディとともに富士急行の廃車体のところでも別角度の画像が見られます。

(グリン様によると、2011年5月現在撤去済み)

廃車体
AR470

撮影:北杜市(2007.2.3)

山梨交通 三菱AR470
AR470

撮影:北杜市(2007.2.3)

珍しい山梨交通の三菱車。三菱ボディの前ドア車で、元は貸切車と思われますが、最後は乗合に使用されていたようです。(注2)
ガラスはほとんどが割られてしまい、錆も進んでいますが、何とか元の山梨交通カラーを判別することができます。
情報提供:長野の廃バスまにあん様

廃車体
BA743

撮影:kj様(山梨県 2015.11.27)

山梨交通 いすゞBA743(1961年式)
BA743

撮影:山梨県(2004.11.6)

中ドア専用シャーシのBAです。BA741と比べると窓1個分くらい短いですが、ホイールベースは変わりません。後にBA10となったサイズです。
丸型のウィンカーや位置の低いヘッドライトなどから、最初期の1961年式と推察します。国際興業グループとなって間もない頃の新車でしょう。
車番はA196と読めます。

廃車体
BA741

撮影:川上村(2005.9.17)

山梨交通 いすゞBA741(1961年式)

下の廃車体と同型で、BA741としては最初期のもの。上のBA743と同時期の車両で、前後のスタイルなども同一です。
採石場の休憩場所として使用されているようです。
(キュリアス編集室(2018)「廃バス見聞録2」によると撤去済み)

廃車体
BA741

撮影:kj様(山梨県(2015.11.27)

山梨交通 いすゞBA741(1961年式)
BA741

撮影:山梨県(2004.11.3)

BA741としては最初期のもの。側面最前位の横引き窓の後ろ側だけRが大きいのが初期のこのボディの特徴です。
青一色に塗られていますが、各部の特徴から山梨交通のツーマン車であることは間違いないと思います。

廃車体
BA741

撮影:ヒツジさん様(富士見町 2004.8.8)

山梨交通 いすゞBA741
BA741

撮影:ヒツジさん様(富士見町 2004.8.8)

塗分け線の形から元山梨交通のツーマン車と思われます。「スナックこうげん」に姿を変えていますが、それも既に廃業状態のようです。
上の車両と比べると、ヘッドライトの位置が高くなり、側面最前部の横引き窓の形も変っています。これらの特徴から1963年式くらいと思われます。
(2015年現在、Googleマップにより撤去を確認)

廃車体
BA741

撮影:北杜市(2013.7.27)

山梨交通 いすゞBA741(1965年式)

前中引き戸のワンマンカー。山梨交通の最初のワンマンカー運行が1966年ということなので、恐らく初代のワンマンカーと思われます。(注3)
川崎車体のこのスタイルの中ドアが引き戸になると、その部分の雨樋が中途半端な高さになります。

廃車体
BU05

撮影:山梨県(2004.11.3)

山梨交通 いすゞBU05(1968年式)
BU05

撮影:山梨県(2004.11.3)

昭和40年代に入ると、旅客の増加に伴いツーマン車両は大型化されていきます。
テールライトの独特の位置から、1968年式と推察しました。また、縦に細いウィンカーの形状も独特ですが、山梨交通には多く見られました。
社番はA323です。このAと言う記号がツーマン車を示すそうです。

廃車体
BU05

撮影:身延町(2004.11.6)

山梨交通 いすゞBU05(1968年式)

恐らく上の写真の車両と同じと思われるBU05。緑色1色に塗られて、プラモデルのようになっていました。
岩手県交通ではこの手のツーマン車といえば,花巻電鉄のBU10と岩手県南バスのBU05がありました。岩手県南バスのBU05はこの車両とほぼ同型です。

廃車体
BA20

撮影:上九一色村(2004.9.26)

山梨交通 いすゞBA20(1968年式)
BA20

撮影:上九一色村(2004.9.26)

山梨交通ではワンマン化に際し、ショートホイルベースのBA20を多く導入していました。導入期間は、このボディスタイルのほぼ全期間に渡っているようです。こう言った点は、岩手中央バスが国際興業グループ化直後にBA30を大量導入したところと似ています。
社番はC169と読めました。テールライトの位置が低いのは1965〜1968年式の特徴。側面のエンジン通気孔の形状から1968年式と判断しました。縦に細いウィンカーの形状は、上のBU05と同じです。
(2015年現在、撤去を確認)

廃車体
BU05

撮影:甲府市(2004.10.16)

山梨交通 いすゞBU05(1970年式)
BU05

撮影:甲府市(2004.10.16)

1969年ごろからワンマンカーも大型車へ移行を図り始めたようです。ドア側は見えませんが,並行増備された上のBA20と同じく前中引き戸です。
BU05と言う型式は短尺車で、国際興業や岩手県交通で多く見られたBU10と比べると、非常口前の窓が小さいのが区別できる点です。
社番はC223です。この後1972年には低床量産タイプのBU06が入っていますが、廃車体は見つけられませんでした。

廃車体
BU05

撮影:山梨県(2013.2.23)

山梨交通 いすゞBU05(1971年式)

いすゞBU05の中では最終期の車両で、テールライトが3連式となりました。
国際興業グループの山梨交通にこのスタイルのバスがあったため、私は岩手県で初めて元北海道中央バスのBU10Dを見たとき、岩手県交通オリジナルだと思い込んでいたと言うのも、懐かしい思い出です。

廃車体
BU05

撮影:山梨県(2015.10.18)

山梨交通 いすゞBU05
BU05

撮影:山梨県(2015.10.18)

道路脇にたたずむBU05は3連テールライトで、側面最後部の雨樋縦管が直角に交わる1971〜72年式。後面のおでこには広告枠がありますが、方向幕はありません。
車番の部分がちょうど錆びてしまっていて、読み取れませんでした。
(情報提供:Kj様)

山梨交通 いすゞBU04(1974年式)
BU04
山梨県(2013.5.25)

山梨交通 いすゞBU05(1971年式)
BU05
山梨県(2013.5.25)

山梨交通 いすゞBU04(1974年式)
BU04
山梨県(2013.5.25)

国道沿いの斜面に3台の山梨交通が並んでいました。何回か通った道なのに全く気付きませんでしたが、冬には見えるけれど、葉が茂ると見えなくなるという代物。しかも、冬には雪やぬかるみで接近できず、春になると葉が伸びて見えにくくなるという厄介な廃車体です。
一番後ろは後面通気孔のあるBU04で、屋根と後面が緑色に塗られています。何かに活用していたのでしょう。車番はC365だそうです。
真中はBU05で、こちらは正面が緑色に塗られています。車番はC237だそうです。
一番先頭もBU04で、「指定区間自由乗降バス」という札をさしています。車番はC364だそうです。
(車番等はキュリアス編集室(2018)「廃バス見聞録2」によります)

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2006.3.4)

山梨交通 いすゞBU04(1973年式)
BU04

撮影:山梨県(2006.3.4)

最初期のBU04の廃車体がありました。正面の方向幕に幅広の枠がつくタイプで、斬新な平面ガラスと合わせて、新型車両であることを誇示していた当時を思い出させます。
今ではゲートボール場の集会所となり、さび防止のためか銀色1色になっています

廃車体
BU04

撮影:上九一色村(2004.9.26)

山梨交通 いすゞBU04(1973年式)
BU04

撮影:上九一色村(2004.11.3)

山梨交通では一時期BU04が大型車の主力車種でした。こう言った点は親会社の国際興業と共通性を感じますが、方向幕の位置や後面スタイルなどが異なります。
前ドアの脇に「整理券車・運賃後払」のシールがついています。出入口表示も、前ドアが「出入口」で中ドアが「しめきり」。つまりこの当時のワンマンカーは前乗り前降りだったと言うことです。側面方向幕の位置の謎が解けました。
社番はC305と読めましたが、黒く上塗りされているので、正確ではありません。正面方向幕の枠がなくなってからの増備車。
(2013年7月現在撤去済み)

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2004.9.26)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)
BU04

撮影:山梨県(2017.12.30)

こちらは後面に通気孔のないタイプ。テールライトは3連です。
この手の車両が新車だった頃、首都圏のバスを見慣れていた私にとって、後面大型窓で3連テールのこの車両は路線バスとしては破格のバスに見えたものです。今から思うと、後面大型窓は方向幕がない場合のメーカー標準だったわけですが、3連テールは同じ県内の富士急行の影響ではないかと思ったりします。

廃車体
BU04

撮影:南アルプス市(2004.10.2)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)
BU04

撮影:南アルプス市(2004.10.2)

上の車両とほぼ同じタイプ。車番はC387です。
方向幕が入ったままなので、まるで現役車両のようです。幕の内容は「甲府駅経由十五所鰍沢」。正面窓下には「自由乗降バス」の表示も。

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2015.10.18)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)

廃車体の近くには廃車体があるという法則を地で行く一例でした。11年前には通り過ぎていましたが、今回は、Googleマップによる予習の際に発見できました。山梨交通の廃車体では最も多いタイプであるという贅沢は言いません。
向かいにはアパートが何軒かあります。そんなアパートに住んで、毎朝BU04が拝めたら、幸せかもしれません。
車番はC393

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2015.10.18)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)

前にここに来たのは11年前になります。これを見かけたものの、「また同じような車両か・・・」と思い、簡単に撮ってサイトにも載せませんでした。しかし、現存するのを見て、ホッとしました。
車番はC399

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2017.12.30)

山梨交通 いすゞBU04

緑色一色に塗られたいすゞBU04ですが、外向きに設置されたフォグランプなどの仕様から、山梨交通だと分かります。
実は2004年に初めてこの地を訪れたとき、この廃車体を見ているのですが、「また同じBU04か」と思ってスルーして、その後辿りつけなくなっていました。
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2018.5.12)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)

斜面の一角の資材置き場のような場所に置かれた廃車体。後輪のすぐ後ろの地面が崩れかけていて、この車体もいつまでもつのか心配です。
車両は、県内各地で最も多いのではないかと思われる1975年式のBU04。車番はC412です。
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)

廃車体
BU04

撮影:南アルプス市(2004.10.2)

山梨交通 いすゞBU04(1976年式)

山梨交通のBU04は1976年ごろから前ドアのガラスが通しガラスになります。同じ頃に冷房車も登場していますが、この車両は非冷房車のようです。そして、テールライトは一般型に戻ってしまいました。
この車両は、1988年以降のカラーに塗り替えられています。無彩色だった旧カラーに比べると同系列の色ながらメリハリがついています。
車番はC432

廃車体
BU15P

撮影:長野県(2015.10.24)

山梨交通 いすゞBU15P
BU15P

撮影:長野県(2015.10.24)

山林の中に忘れられたように置かれたオバQ。だいぶ錆びてしまっていますが、国際興業貸切カラーであることが分かります。
後面の窓が大きく、エンジン通気孔の小さい二つが網状であることから、1966年式ではないかと思います。

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
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(注1) この車両の年式は、笠倉出版社(2012)「終末車輌」に掲載の写真によります。
(注2) キュリアス編集室(2018)「廃バス見聞録3」によると、車番はD125だそうです。Dの記号の示す意味は分かりません。
(注3) 山梨交通のワンマンカー運行開始は、BJエディターズ(2006)「山梨交通60年史」によると、1966年5月からとのことです。

80s岩手県のバス“その頃”