バス廃車体全国版

山梨県1(山梨交通・・・いすゞ)

山梨県で見かけた山梨交通関連の廃車体です。
山梨交通と言えば国際興業グループ入り以来いすゞのオリジナル車で増備が進められており、親会社の国際興業や後にグループ入りした岩手中央バスなどと車両の共通性は多く見られます。
今回、そんな山梨交通の過去の車両を、廃車体で振り返って見ます。なお、一部に隣接県のものもあります。

廃車体
BR351

撮影:He526様(山梨県 2021.5.30)

山梨交通 いすゞBR351(1961年式)
BR351

撮影:He526様(山梨県 2021.5.30)

山の中にある廃車体。中ドア車ですが、側面最前部の窓の形状が左右で異なるので、前ドア車を中ドア車に改造したものと想像できます。車内は三方シート。
国際興業グループに入って最初の頃の新車で、後面の通気孔は、同グループらしく角形。
車番はD107です。(注1)

廃車体
BA743

撮影:kj様(山梨県 2015.11.27)

山梨交通 いすゞBA743(1961年式)
BA743

撮影:山梨県(2004.11.6)

中ドア専用シャーシのBAです。BA741と比べると窓1個分くらい短いですが、ホイールベースは変わりません。後にBA10となったサイズです。
丸型のウィンカーや位置の低いヘッドライトなどから、最初期の1961年式と推察します。国際興業グループとなって間もない頃の新車でしょう。
車番はA196と読めます。

廃車体
BA743

撮影:長野県(2018.12.27)

山梨交通 いすゞBA743(1961年式)

建物とくっついているため、ドア側は見えませんが、非常口側の窓の数から、中ドア専用シャーシのBA743と分かります。
年式は推定です。
He526様によると、車番はA209
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)(注2)

廃車体
BA741

撮影:川上村(2005.9.17)

山梨交通 いすゞBA741(1961年式)

下の廃車体と同型で、BA741としては最初期のもの。上のBA743と同時期の車両で、前後のスタイルなども同一です。
採石場の休憩場所として使用されているようです。
(ストリートビューによると、2014年7月時点で撤去済み)

廃車体
BA741

撮影:kj様(山梨県(2015.11.27)

山梨交通 いすゞBA741(1961年式)
BA741

撮影:山梨県(2004.11.3)

BA741としては最初期のもの。側面最前位の横引き窓の後ろ側だけRが大きいのが初期のこのボディの特徴です。
青一色に塗られていますが、各部の特徴から山梨交通であることは間違いないと思います。

廃車体
BA741

撮影:ヒツジさん様(富士見町 2004.8.8)

山梨交通 いすゞBA741
BA741

撮影:ヒツジさん様(富士見町 2004.8.8)

塗分け線の形から元山梨交通と思われます。「スナックこうげん」に姿を変えていますが、それも既に廃業状態のようです。
上の車両と比べると、ヘッドライトの位置が高くなり、側面最前部の横引き窓の形も変っています。これらの特徴から1963年式くらいと思われます。
(2015年現在、Googleマップにより撤去を確認)

廃車体
BA741

撮影:山梨県(2013.7.27)

山梨交通 いすゞBA741(1965年式)

前中引き戸のワンマンカー。山梨交通の最初のワンマンカー運行が1966年ということなので、恐らく初代のワンマンカーと思われます。(注3)
国際興業との共通点として、側窓の大きさが揃っている点、エンジン通気孔が丸形でなく角形になっている点があります。ただし、後面に方向幕はなく、山梨交通の自社発注車だと分かります。
He526様によると、車番はC105

廃車体
BA20

撮影:kj様(山梨県 2021.3.10)

山梨交通 いすゞBA20
BA20

撮影:kj様(山梨県 2021.3.10)

黄緑色に塗られた短尺車。撮影者によると、前面方向幕に自動車学校というような文字があるとのこと。前ドアの窓が横1枚につながっているのは、ここが教官の席だったための改造かも知れません。
現在の所有者は砂利屋さんで、元は現場で倉庫として使用していたとのこと。ステイが大型化されたバックミラーなどを見ると、トラックと混じって敷地内を走行した経歴もあるのではないかと思えてきます。
屋根上の標識灯、縦型のウィンカー、中ドア上の方向幕などの特徴から、1967年式ではないかと思います。
He526様によると、車番はC137

廃車体
BA20

撮影:上九一色村(2004.9.26)

山梨交通 いすゞBA20(1968年式)
BA20

撮影:上九一色村(2004.9.26)

山梨交通ではワンマン化に際し、ショートホイルベースのBA20を多く導入していました。導入期間は、このボディスタイルのほぼ全期間に渡っているようです。こう言った点は、岩手中央バスが国際興業グループ化直後にBA30を大量導入したところと似ています。
社番はC169と読めました。テールライトの位置が低いのは1965〜1968年式の特徴。側面のエンジン通気孔の形状から1968年式と判断しました。縦に細いウィンカーの形状も特徴です。
(2015年に撤去を確認)

廃車体(山梨22あ4)
BA20

撮影:He526様(早川町 2015.3.29)

山梨交通 いすゞBA20(1971年式)

C214の車番が残るBA20。ワンマンカーの拡大期に大量に増備された短尺車です。
非常に状態のいい廃車体ですが、2022年6月時点で撤去済みだそうです。

廃車体
BU05

撮影:上九一色村(2004.11.3)

山梨交通 いすゞBU05(1968年式)
BU05

撮影:上九一色村(2004.11.3)

昭和40年代に入ると、旅客の増加に伴いツーマン車両は大型化されていきます。
テールライトの独特の位置から、1968年式と推察しました。また、縦に細いウィンカーの形状も独特ですが、山梨交通には多く見られました。
社番はA323です。このAと言う記号がツーマン車を示すそうです。
(ポストカード様によると、2023年現在撤去済み。ストリートビューでも2023年4月時点で撤去済み)

廃車体
BU05

撮影:身延町(2004.11.6)

山梨交通 いすゞBU05(1968年式)

恐らく上の写真の車両と同じと思われるBU05。緑色1色に塗られて、プラモデルのようになっていました。

廃車体
BU05

撮影:甲府市(2004.10.16)

山梨交通 いすゞBU05(1970年式)
BU05

撮影:甲府市(2004.10.16)

1969年ごろからワンマンカーも大型車へ移行を図り始めたようです。ドア側は見えませんが,並行増備された上のBA20と同じく前中引き戸です。
BU05と言う型式は短尺車で、国際興業や岩手県交通で多く見られたBU10と比べると、非常口前の窓が小さいのが区別できる点です。
社番はC223です。この後1972年には低床量産タイプのBU06が入っていますが、廃車体は見つけられませんでした。

廃車体
BU05

撮影:山梨県(2013.2.23)

山梨交通 いすゞBU05(1971年式)

いすゞBU05の中では最終期の車両で、テールライトが3連式となりました。
国際興業グループの山梨交通にこのスタイルのバスがあったため、私は岩手県で初めて元北海道中央バスのBU10Dを見たとき、岩手県交通オリジナルだと思い込んでいたと言うのも、懐かしい思い出です。
He526様によると、車番はC266

廃車体
BU05

撮影:山梨県(2015.10.18)

山梨交通 いすゞBU05(1972年式)
BU05

撮影:山梨県(2015.10.18)

道路脇にたたずむBU05は3連テールライトで、側面最後部の雨樋縦管が直角に交わる1971〜72年式。後面のおでこには広告枠がありますが、方向幕はありません。
車番の部分がちょうど錆びてしまっていて、読み取れませんでしたが、He526様によるとC311
(情報提供:Kj様)

廃車体
BU05

撮影:畦道ノスタルジィ様(山梨県 2020.11.22)

山梨交通 いすゞBU05(1972年式)

民家の庭にあるという山梨交通。車番はC313で、銘板から製造は1972(昭和47)年9月だそうです。
立地的にかなりの好コンディションで残されています。
初めてお目にかかった廃車体です。

山梨交通 いすゞBU04(1974年式)
BU04
山梨県(2013.5.25)

山梨交通 いすゞBU05(1971年式)
BU05
山梨県(2013.5.25)

山梨交通 いすゞBU04(1974年式)
BU04
山梨県(2013.5.25)

国道沿いの斜面に3台の山梨交通が並んでいました。何回か通った道なのに全く気付きませんでしたが、冬には見えるけれど、葉が茂ると見えなくなるという代物。しかも、冬には雪やぬかるみで接近できず、春になると葉が伸びて見えにくくなるという厄介な廃車体です。
一番後ろは後面通気孔のあるBU04で、屋根と後面が緑色に塗られています。何かに活用していたのでしょう。車番はC365だそうです。
真中はBU05で、こちらは正面が緑色に塗られています。車番はC237だそうです。
一番先頭もBU04で、「指定区間自由乗降バス」という札をさしています。車番はC364だそうです。
(車番等はキュリアス編集室(2018)「廃バス見聞録2」によります)

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2006.3.4)

山梨交通 いすゞBU04(1973年式)
BU04

撮影:山梨県(2006.3.4)

最初期のBU04の廃車体がありました。正面の方向幕に幅広の枠がつくタイプで、斬新な平面ガラスと合わせて、新型車両であることを誇示していた当時を思い出させます。
今ではゲートボール場の集会所となり、さび防止のためか銀色1色になっています。
He526様によると、車番はC320
(Kj様から2021年3月に撤去報告あり。ストリートビューを確認すると2019年7月時点で撤去済み)

廃車体
BU04

撮影:上九一色村(2004.9.26)

山梨交通 いすゞBU04(1973年式)
BU04

撮影:上九一色村(2004.11.3)

山梨交通では一時期BU04が大型車の主力車種でした。こう言った点は親会社の国際興業と共通性を感じますが、方向幕の位置や後面スタイルなどが異なります。
前ドアの脇に「整理券車・運賃後払」のシールがついています。出入口表示も、前ドアが「出入口」で中ドアが「しめきり」。つまりこの当時のワンマンカーは前乗り前降りだったと言うことです。側面方向幕の位置の謎が解けました。
社番はC305と読めましたが、黒く上塗りされているので、正確ではありません。正面方向幕の枠がなくなってからの増備車。
(2013年7月に撤去済み)

廃車体
BU04

撮影:He526様(早川町 2016.10.23)

山梨交通 いすゞBU04(1974年式)

採石場の奥に隠れていたBU04。実は私も2004年に初めてこの場所を訪れたとき、遠くから目にしています。しかし、その後姿が見えなくなったため、消えたと思っていましたが、角度を変えて存在していたようです。
車番はC377
残念ながら、2022年6月時点で撤去済みだそうです。

廃車体
BU04

撮影:南アルプス市(2004.10.2)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)
BU04

撮影:南アルプス市(2004.10.2)

上の車両とほぼ同じタイプ。車番はC387です。
方向幕が入ったままなので、まるで現役車両のようです。幕の内容は「甲府駅経由十五所鰍沢」。正面窓下には「自由乗降バス」の表示も。

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2004.9.26)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)
BU04

撮影:山梨県(2017.12.30)

こちらは後面に通気孔のないタイプ。テールライトは3連です。
この手の車両が新車だった頃、首都圏のバスを見慣れていた私にとって、後面大型窓で3連テールのこの車両は路線バスとしては破格のバスに見えたものです。今から思うと、後面大型窓は方向幕がない場合のメーカー標準だったわけですが、3連テールは同じ県内の富士急行の影響ではないかと思ったりします。
He526様によると、車番はC392

廃車体
BU04

撮影:南アルプス市(2015.10.18)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)

廃車体の近くには廃車体があるという法則を地で行く一例でした。11年前には通り過ぎていましたが、今回は、Googleマップによる予習の際に発見できました。山梨交通の廃車体では最も多いタイプであるという贅沢は言いません。
向かいにはアパートが何軒かあります。そんなアパートに住んで、毎朝BU04が拝めたら、幸せかもしれません。
車番はC393
(YS様によると2020年7月に撤去され、解体工場にて目撃)

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2015.10.18)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)

前にここに来たのは11年前になります。これを見かけたものの、「また同じような車両か・・・」と思い、簡単に撮ってサイトにも載せませんでした。しかし、現存するのを見て、ホッとしました。
車番はC399

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2017.12.30)

山梨交通 いすゞBU04

緑色一色に塗られたいすゞBU04ですが、外向きに設置されたフォグランプなどの仕様から、山梨交通だと分かります。
実は2004年に初めてこの地を訪れたとき、この廃車体を見ているのですが、「また同じBU04か」と思ってスルーして、その後辿りつけなくなっていました。
He526様によると、車番はC411
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)

廃車体
BU04

撮影:山梨県(2018.5.12)

山梨交通 いすゞBU04(1975年式)

斜面の一角の資材置き場のような場所に置かれた廃車体。後輪のすぐ後ろの地面が崩れかけていて、この車体もいつまでもつのか心配です。
車両は、県内各地で最も多いのではないかと思われる1975年式のBU04。車番はC412です。
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)

廃車体
BU04

撮影:南アルプス市(2015.10.18)

山梨交通 いすゞBU04(1976年式)

山梨交通のBU04は1976年ごろから前ドアのガラスが通しガラスになります。同じ頃に冷房車も登場していますが、この車両は非冷房車のようです。そして、テールライトは一般型に戻ってしまいました。
この車両は、1988年以降のカラーに塗り替えられています。無彩色だった旧カラーに比べると同系列の色ながらメリハリがついています。
車番はC432

廃車体
BU15P

撮影:長野県(2015.10.24)

山梨交通 いすゞBU15P
BU15P

撮影:長野県(2015.10.24)

山林の中に忘れられたように置かれたオバQ。だいぶ錆びてしまっていますが、国際興業貸切カラーであることが分かります。
後面の窓が大きく、エンジン通気孔の小さい二つが網状であることから、1966年式ではないかと思います。
He526様によると、車番はB164

廃車体
CCM410

撮影:山梨県(2021.4.24)

山梨交通 いすゞCCM410(1979年式)

道路を走っていたらCCM410が見えたので、ローカル路線バスの待機中かと思って通り過ぎたのですが、21世紀にそんなことがあるわけないと気付き、戻って撮影しました。
車番はC473。年式は推定です。

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」という趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1)
BJエディターズ(2006)「山梨交通60年史」P.67に、この車両の前ドア時代と思われる写真があります。車番はB10X(Xは解読不能)。今回の廃車体の車番の記号Dの意味は不明ですが、貸切車(B)をツーマン路線車(本来A)に格下げする際、Aに編入すると数字が変わり、導入年の順番と数字との関係が分かりにくくなるため、新たなD区分を新設し、数字をそのまま据え置いたものと想像します。
(注2)
ポンコツ屋赤木様によると、この車両はA209ではないかとのこと。
(注3) 山梨交通のワンマンカー運行開始は、BJエディターズ(2006)「山梨交通60年史」によると、1966年5月からとのことです。
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80s岩手県のバス“その頃”