バス廃車体全国版

和歌山県1(南海電鉄)

南海電気鉄道の廃車体。
南海電鉄は大阪に本社を置く鉄道会社ですが、2001年にバス部門を南海バスに分社しています。路線エリアは南海電車の沿線である堺市、岸和田市、泉南市、河内長野市など、大阪府内が中心です。
南海電鉄時代の1976年に和歌山市内を、新設した子会社の和歌山バスに譲渡しています。
ここでは、南海電鉄及び和歌山バスの廃車体の中で、和歌山県内にあるものをまとめて掲載します。

廃車体
RB10

撮影:和歌山県(2018.7.31)

南海電気鉄道 日野RB10
RB10

撮影:和歌山県(2007.5.19)

緑色の南海カラーを残す前後ドアの廃車体。後面の方向幕の上に、いかついバックカメラが載っています。前面には南海の社紋も健在。
側面中央部だけ激しく錆びている理由は分かりませんが、2枚の写真の11年の隔たりの間、ペンキで描かれたいたずら書きはすでに薄れ、それでも元カラーがしっかり残っている現状から、バスの塗装がそれだけしっかりしていることが分かります。

廃車体
BA10N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(和歌山県 2023.7.8)

南海電気鉄道 いすゞBA10N
BA10N

撮影:和歌山県(2018.7.31)

中ドア専用のナロー車。山間部の狭隘路線に使われていたものと思われます。
側面の窓ガラスに「南海電鉄」と書かれていたので、元所有者が分かりました。

廃車体
BU10

撮影:和歌山市(2010.11.3)

和歌山バス いすゞBU10

川崎車体の視野拡大窓車。南海電鉄には多く見られた仕様です。前後ドア車で、非常口は中央部にあります。
1970〜72年式くらいなので、南海時代の購入ですが、1976年に和歌山バスに移籍したものと思われます。
(ストリートビューによると、2015年3月時点で撤去済み)

廃車体
RE100

撮影:和歌山県(2022.1.20)

和歌山バス 日野RE100
RE100

撮影:和歌山県(2022.1.20)

団地の集会所として使用されていたと思われる廃車体。側窓に「南海電鉄」と「和歌山バス」の切り文字跡がありますので、南海から和歌山バスに移籍した車両。1971年式くらい。
後面の通気孔が2枚あり、RCのターボ車を連想しますが、後ろドアが引き戸だとこのような配置になります。
前面方向幕右側の小窓には、系統番号ではなく「ワンマン」の文字が貼られています。

廃車体
BU10

撮影:和歌山県(2018.7.31)

和歌山バス いすゞBU10(1973年式)
BU10

撮影:和歌山県(2018.7.31)

和歌山バスの初期カラーの廃車体。正面の塗り分けは南海バスと同じですが、緑色部分が朱色になり、側面は上下2色に単純化されています。南海時代も和歌山地区はこのカラーだったそうです。
南海から和歌山バスへの移管が1976年ですので、この車両は元は南海の車両だったと思われます。

廃車体
RC381

撮影:和歌山県(2010.11.3)

和歌山バス 日野K-RC381

和歌山バスのカラーを残す廃車体。大型方向幕ですが、正面窓は普通の大きさで、後部のエアコンのエバポレーターも高さがあるようなので、下の廃車体よりも古い車両です。

廃車体    和歌山バス 日野K-RC381
RC381

撮影:和歌山市(2010.11.3)

河川敷に置かれた廃車体で、緑色1色に塗られています。窓という窓には物々しく網が掛けられていますが、これは飛んでくるボールからガラスを守るためと思われます。
屋根の上のいくつかの突起は、現役時代に屋根上広告を付けるために設置されていた広告枠。
正面窓は視野拡大窓に見えます。
(ストリートビューによると、2014年12月時点で撤去済み)

廃車体
B623E

撮影:和歌山県(2023.5.13)

和歌山バス 三菱B623E(1973年式)
B623E

撮影:和歌山県(2023.5.13)

和歌山バスの中型ワンマンカー。まだ中型バスを路線バスに使用するケースが少なく、後面方向幕も側面方向幕も取って付けた感があります。
後部の屋根に飛び出たバックカメラも大きさも、時代を物語ります。

廃車体
B623E

撮影:和歌山県(2022.1.20)

和歌山バス 三菱B623E(1973年式)
B623E

撮影:和歌山県(2022.1.20)

団地の中に置かれた和歌山バスカラーの中型バス。前後ドアのワンマンカーで、メトロ窓はこの時期のメーカー標準仕様。後ドアは引き戸で、側面方向幕はその前の屋根肩についています。
年式は推定。

廃車体
DV30N

撮影:マーブル様(和歌山県 2011.8.10)

南海電気鉄道 ダイハツDV30N
DV30N

撮影:マーブル様(和歌山県 2011.8.10)

ダイハツ製の29人乗りライトバス。1965〜69年の間のモデルです。
撮影者が聞き込んだところによると、鉄道の保線作業員を現場まで輸送するための車両で、運行はバス部門が請け負ったとのこと。当時は路線バスと同じカラーリングだったそうです。側面後部に「保線課」の文字が残ります。
ボディは尾張車体製で、リアガラスはレントゲン車がベースになっているとのこと。
1976年まで保線課で使用された後、中ドア後方に方向幕を付け、1985年まで路線バスとして使われたそうです。

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