バス廃車体全国版

沖縄県2(730改造車)

沖縄県は戦後アメリカにより右側通行になっていましたが、1972年の日本復帰から6年後の1978年7月30日に日本本土と同じ左側通行に一斉に変更されることになりました。これを変更の日にちから730(ナナサンマル)と呼ばれます。
通行方式が変わると言うことは、運転席の位置も左ハンドルから右ハンドルに変えていくことにつながりますが、バスに関してはより複雑な変更が要求されます。乗客用の乗降口が片側にしかないため、これを右側から左側に移す必要があるのです。そして、それを一斉に実施することが求められました。
ここでは、そんな沖縄の歴史の生き証人でもある廃車体を紹介します。もっとも、そんな貴重な廃車体も例外なく姿を消し始めているようです。

廃車体
RE200

撮影:ちょご姉様(中城村 2004.7)

東陽バス 日野RE200(1975年式)
RE200

撮影:ちょご姉様(中城村 2004.7)

東陽バスの左ハンドル車として登場した車両。730で右ハンドルに改造された10両のうちの1両。日野の左ハンドル車は型式の数字がひとまわり上がるようです。
こちら側(右写真)は右側通行の時代は非常口があった側で、窓配置にその面影が見て取れます。右ハンドル改造時に客用扉は右から左に、非常口は反対側に移設されました。
東陽バスでの廃車後は、有償運送のスクールバスに転用、その際同じデザインで水色系に塗り替えられたとのことです。
この廃車体は撤去済みだそうです。

廃車体
RE200P

撮影:ちょご姉様(具志川市 2005.7)

那覇交通 日野RE200P(1975年式)
RE200P

撮影:ちょご姉様(具志川市 2005.7)

1975年の沖縄海洋博の際、那覇交通が35両を投入したうちの1両。通行方式変更を3年後に控えていましたが、輸送力増強の必要性から大量導入され、年式が浅いため730の際に右ハンドルに改造されたそうです。
日野ボディのセミデッカーですが、この年式で通常見られるスタイルに比べて丸みが大きく、側窓の大きさも独特です。左ハンドル車は、設計図を変えずに生産されていたのでしょうか。上の車両と同じく、730改造時に非常口窓はそのままの形状で残されています。
2007年に消滅が確認されています。

廃車体
RL

撮影:ちょご姉様(大宜味村 2006.8)

自家用 日野RL
RL

撮影:ちょご姉様(大宜味村 2006.8)

どこから見ても異様な風情の車両です。右ハンドルで右ドアと言う特殊な組み合わせ。恐らく左ハンドルで製造され、730では運転席のみ右に移設したのでしょう。路線バスでなければ、ドアのほうは右側のままでも支障がない場合もあります。
ドア位置は運転席移設を予期して前側につけなかったのか、中央と後部の2ヶ所。特に中央ドアは3枚折り戸のようです。
リアのプレートから日野RLであることは分かります。RL320と同じサイズのようです。破れた方向幕には「沖縄国際海洋博・・・」の文字があるとのことで、海洋博のポートバスに使われていたとの情報があるそうです。その後は自家用として、スクールバスなどの用途で使われていたとの撮影者の推察です。
(Kj様によると、2018年6月現在撤去済み)

廃車体
MR410L

撮影:ちょご姉様(佐敷町 2005.5)

沖縄バス 三菱MR410L(1975年式)

沖縄バスのバス窓車。三菱の左ハンドル車で、730で右ハンドルに改造された18両のうちの1両だそうです。型式の末尾のLは恐らく左ハンドルを表す記号だと思われます。
やはり旧非常口部分の窓はそのまま残っています。特にこの車両の場合、非常口そのものが左側に残っているように見えます。

廃車体
U20H

撮影:ちょご姉様(浦添市 2006)

琉球バス 日産デU20H(1975年式)
U20H

撮影:ちょご姉様(浦添市 2006)

琉球バスの富士重工製3Eボディ。日野REのライトベゼルを持つUD車は琉球バスの特徴です。よく似た車両は、1978年に右ハンドルで新製されたいわゆる730車にも見られました。
写真の車両は左ハンドルで登場し、730に合わせて右ハンドルに改造された車両ですが、前扉次位に方向幕がなく行き先表示板を使用するところが元左ハンドル車の特徴だそうです。非常口周辺は元からの右ハンドル車と変らない体裁ですが、丸長車体で新車同様の改造を受けたとのことです。
この廃車体も現在は撤去されています。

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