バス廃車体全国版

沖縄県1(730車)

沖縄県は戦後アメリカにより右側通行になっていましたが、1972年の日本復帰から6年後の1978年7月30日に日本本土と同じ左側通行に一斉に変更されることになりました。これを変更の日にちから730(ナナサンマル)と呼ばれます。
通行方式が変わると言うことは、運転席の位置も左ハンドルから右ハンドルに変えていくことにつながりますが、バスに関してはより複雑な変更が要求されます。乗客用の乗降口が片側にしかないため、これを右側から左側に移す必要があるのです。そして、それを一斉に実施することが求められました。
ここでは、その1978年に大量にまとめて導入された右ハンドルの新造車の廃車体をまとめます。

廃車体
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

那覇交通の730車。レインボーカラーで後面に方向幕がないので、前ドアだと思われます。
那覇交通では、前ドア車と前後ドア車がありましたが、いずれも非常口は中央部にありました。

廃車体(沖22か1244)
BU04

撮影:Kj様(豊見城市 2018.6)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:Kj様(豊見城市 2018.6)

那覇交通の730車で、やはり前ドア車。レインボーカラーの部分が白く塗りつぶされて、全体が白くなっています。車内には社名と登録番号のついた氏名札差があり、現役時代の番号が分かりました。
(撮影者によると、2021年11月時点で撤去済み)

廃車体(沖縄22か755)
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2019.1.21)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)

重機屋さんの敷地内に置かれた銀バス。後ろの方向幕がなく、窓が大きいので、前ドア車だと思います。
この奥にももう1台同形車があるそうです。

廃車体
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

これも那覇交通の730車で、前後ドア車。銀バスカラーで、リアにも「銀バス」と書かれています。
車屋さんの敷地内にあり、オーナーから許可を頂いた上での撮影とのこと。わざわざこれを撮りに来る人はほかにもいたとは、そのオーナーからの情報です。

廃車体
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)

フロントガラスがなく、エンジンも抜かれている銀バスの廃車体。

廃車体
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2016.2.12)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)

那覇交通の730車はいすゞの川重車体。銀バスカラーの冷房車です。正面窓は曲面ガラスが用いられています。
植木屋さんの物置として使用中。

廃車体
BU04

撮影:Kj様(豊見城市 2016.2.12)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:Kj様(豊見城市 2016.2.12)

那覇交通の730車。前後ドアで、前ドアに入口、後ろドアに出口の表示が残ります。銀色に青い太帯の入ったカラーデザインで、ローマ字で大きく「GIN BUS」と書かれています。
電気が引き込まれているようですが、飲み会の会場として使われているそうです。
(撮影者によると、2021年11月時点で撤去済み)

廃車体
BU04

撮影:Kj様(具志営業所 2016.2.12)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:Kj様(具志営業所 2016.2.12)

那覇交通が730の際に新車で導入した前後ドア車。この時すでに大型方向幕を導入し、側面も中型サイズの方向幕となっています。また、オバQバスと同じ大型のバンパーや、3連テールも特徴です。
当初は那覇交通(銀バス)の銀バスカラーでしたが、最期はピンストライプカラーになって廃車になったようです。

廃車体
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2019.1.21)

那覇交通 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:Kj様(沖縄県 2019.1.21)

那覇交通の730車。銀バスカラーの前後ドア車。ただし、前ドア脇に「ワンマン出入口」表示があるため、前ドア乗降で使われていたようです。
後面の方向幕は、埋められたような痕跡がありますが、これは現役時代からのものか、それとも廃車になってからのものでしょうか。
廃業したらしいバイク屋さんの敷地で余生を送っているそうです。

廃車体(沖22か1323)
U20H

撮影:Kj様(沖縄県 2016.2.12)

琉球バス 日産デU20H(1978年式)

琉球バスが730に向けて新車で導入した日産ディーゼルの前ドア車のうちの1両。短尺車です。
今は個人宅で物置として使われているそうです。
(撮影者によると、2019年1月現在、撤去済み)

廃車体
U20H

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

琉球バス 日産デU20H(1978年式)
U20H

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

トタンの建物にビルトインされた廃車体。後ろ側は色が剥がれて来ており、琉球バスのカラーが見えています。
UD車なのに日野のライトベゼルを持つ沖縄特有の仕様。前ドアの730車だと思われます。
電気が引かれているなど、住居として使われているように見えます。

廃車体
MP117K

撮影:Kj様(読谷村 2016.2.10)

沖縄バス 三菱MP117K(1978年式)

沖縄バスの730車は三菱の前ドア車でした。呉羽ボディでの導入なので、1978年式ながらちょっと古めに見えます。
(撮影者によると、2021年11月時点で撤去済み)

廃車体
MP117K

撮影:Kj様(沖縄県 2019.1.21)

沖縄バス 三菱MP117K(1978年式)

店舗兼自宅に合体し、非常口側がかろうじて見えているふそう車。白1色になっていますが、撮影者によると、沖縄バスの730車だとのこと。

廃車体
MP117K

撮影:Kj様(沖縄県 2018.6)

沖縄バス 三菱MP117K(1978年式)
MP117K

撮影:Kj様(沖縄県 2019.1.21)

沖縄バスの三菱の前ドア車。元々は住宅の庭に置かれていたそうですが、2ヵ月ほど前に道路に引きずり出され、そのまましばらく放置されているという状態です。引きずり出す時に重機で乱暴に扱ったようで、後ろの方は大きくつぶれています。
しかし半年後には、なぜか元の場所に戻されていたとのこと。破壊してまで引き出しておいて、元の場所に戻したのはなぜでしょう。

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