バス廃車体全国版

新潟県1(新潟交通・・・北村ボディ)

新潟交通の廃車体です。新潟交通は、地元のボディメーカーである北村製作所製のボディが以前は多く見られましたが、その傾向は廃車体を見ても同じです。
もっとも、信濃川や阿賀野川の河川敷に数多く存在したそれらの廃車体も、数を減らしてきています。

廃車体           新潟交通 日産E690・三菱MR490
E690

撮影:樋口一史様(五泉市 2004.5.8)

右は北村製作所製のキャブオーバーバス。
4灯なので最初は1966〜70年の間に製造されたいすゞBF30かと思いましたが、方向幕両脇の窓や側面最前部の窓にRがないことなどから1960年以前のボディのようなので、日産キャブスターかもしれません。キャブスターは1960年から4灯でした。
奥にいるのは、1965年までの丸型ボディ。この角度ではよく分かりませんが、前ドア次位の細い固定窓などから、三菱MR490の前後ドア車のようです。
(ストリートビューによると2011年10月時点で撤去を確認)

廃車体
MR490

撮影:樋口一史様(新津市 2004.5.8)

新潟交通 三菱MR490
MR490

撮影:樋口一史様(新津市 2004.5.8)

北村製作所の丸型ボディ。初期MRの特徴か後部のエンジン通気孔がルーバー状になっています。
なお,撮影者が所有者に撮影許可を頂く際,貴重な話を聞くことが出来ました。新潟の河川敷に廃車体が多いのは,以前は河川敷に建造物が許可されなかったためバス廃車体が重宝された時期があったと言うことだそうです。今ではこれが順次撤去されていると言う事です。
(撤去済み)

廃車体
BR20

撮影:樋口一史様(中条町 2008.6.1)

新潟交通 いすゞBR20(1966年式)

北村製作所製の丸型ですが、それまでの2枚独立窓から3枚連続窓に変わった過渡期の車両。このスタイルは台数的にもごく少数だったと思われますので、この廃車体は貴重な存在です。
周囲は木に覆われており、長さやドア配置などはよく見えませんので、型式は推定。

廃車体
BA30

撮影:新潟県(2018.7.1)

新潟交通 いすゞBA30(1967年式)

運送会社の倉庫となった廃車体。中ドアのみのツーマン車です。
中ドアの前あたりに「等学校」の文字が見えますので、高校のスクールバスとして使用されていたと思われます。
昔の都バスのようなカラーになっていますが、中ドア上に方向幕を持ち、その部分の雨樋がちょっと下がっている仕様は新潟交通だと思われます。

廃車体
4R94

撮影:樋口一史様(阿賀野市 2004.6.11)

新潟交通 日産デ4R94
4R94

撮影:樋口一史様(阿賀野市 2004.6.11)

北村製作所の1966年以降のボディ。後部のエンジン通気孔の位置から分かるように日産ディーゼル車です。ヘッドライトが2灯なので1968年までの車両です。
この頃の北村ボディは,いすゞだけでなく,日産ディーゼルや三菱にも架装していました。台形の側面最後部の窓は日産デ車に多く見られました。
塗装は変わっていますが、側面方向幕の位置から考えて元新潟交通でしょう。
(ストリートビューによると2011年10月時点で撤去を確認)

廃車体           新潟交通 日産デ4R94・いすゞBA30
4R94

撮影:樋口一史様(豊栄市 2004.5.15)

河川敷に置かれた2両の同じような廃車体。窓配置も似ていますが、向こう側は後部の丸いエンジン通気孔から分かるようにいすゞBA30。こちらは日産ディーゼルの4R94です。
本来は屋根上のダクトの位置が左右異なるのが見分けられる点なのですが、屋根が掛けられて見えません。しかし、側面最後部の台形の窓の前の窓柱が太いのが4R94なので、手前がそれであることが分かります。なお、ライトベゼルの形状は新潟交通の初期のUD車はいすゞと同形だったようで、見分けがつきません。
(ストリートビューによると2012年10月時点で撤去を確認)

廃車体
BA30

撮影:樋口一史様(豊栄市 2004.5.15)

新潟交通 いすゞBA30

上の写真で向こう側に見える廃車体。前中引き戸で、戸袋の上に側面方向幕があります。
なお、この車両は正面上部に標識灯があります。
(ストリートビューによると2012年10月時点で撤去を確認)

廃車体
BA30

撮影:新潟県(2018.7.1)

新潟交通 いすずBA30
BA30

撮影:新潟県(2018.7.2)

北村製作所製の前後ドア車で、かつては何ヵ所かで廃車体として残っていたタイプですが、今ではこの1台のみになるのでしょうか。
中央部に車掌台窓があり、その上に側面方向幕があるという新潟交通独特の仕様。車番は43-1 田と読めます。新発田営業所の車両でしょうか。ウィンカーやテール灯の形状から、1970年式くらいだと思います。
砂利取り場の休憩室として、屋根を付けた状態で置かれており、周辺で代替や撤去が相次ぐ中、唯一旧型バスの残る場所になっているようです。
(2019年6月に撤去を確認。ストリートビューによると、2018年7月に撤去された模様)

廃車体
BA30

撮影:樋口一史様(小須戸町 2004.5.15)

新潟交通 いすゞBA30

やはり河川敷にある屋根がついた廃車体。新潟県にはこのような形で残された廃車体が多数あります。
こちらは前後ドアになっています。新潟交通では、側面方向幕を中央部の屋根肩に付けるのが特徴でした。更にその部分の窓が車掌台窓になっています。
(現地確認できていませんが、恐らく撤去済み)

廃車体
BA30

撮影:栗原大輔様(新津市 2006.8.13)

新潟交通 いすゞBA30
BA30

撮影:栗原大輔様(新津市 2006.8.13)

上の車両と同じタイプです。後面の丸いエンジン通気孔が特徴のBA30です。1970年頃まで、非常口は中央部にありました。
新潟交通では、早いうちから後部に方向幕を設置していました。
(ストリートビューによると2011年10月時点で撤去を確認)

廃車体
BU04D

撮影:樋口一史様(新潟県 2004.6.11)

新潟交通 いすゞBU04D(1974年式)

北村製作所製のバス窓車としては末期の車両。BU04では側面最後部の三角窓がかなり小さいのが特徴。もっとも、間もなくサッシ窓にモデルチェンジされるため、この形はあまり多くはありません。

廃車体
BU04DV

撮影:樋口一史様(新潟市 2004.5.15)

新潟交通 いすゞBU04DV(1979年式)

サッシ窓になった北村ボディ。車体断面はずっと変わっていないと思うのですが、サッシ窓の北村ボディは屋根がやたら丸く見えてしまうのは錯覚でしょうか。
側面方向幕はまだ中央部にありますが、正面は視野拡大窓で、前ドアも幅広になっており、時代とともに仕様は進化しているのが分かります。
(現地確認できていませんが、恐らく撤去済み)

廃車体
CJM470V

撮影:樋口一史様(阿賀野市 2004.5.15)

新潟交通 いすゞK-CJM470V

上の写真とほとんど同じ形の車体ですが,エンジン通気孔の形からCJMであることが分かります。
新潟交通ではこのボディを1984年まで導入。写真の廃車体はまだ側面方向幕が中央部にあります。
なお,新潟交通ではこの頃から廃車体を出す際に,青帯を消しているようです。銀色一色になれば,どこの会社のバスだったか分からない・・・事もないようですが。
(現地確認できていませんが、恐らく撤去済み)

廃車体
CJM470V

撮影:樋口一史様(新潟県 2004.5.8)

新潟交通 いすゞK-CJM470V

ビニールハウスの枠の中にぴったり納まったバス廃車体。エンジン通気孔の形からCJMであることが分かります。
前後ドアで中央部の屋根肩に側面方向幕のある独特の仕様。
(現地確認できていませんが、恐らく撤去済み)

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