バス廃車体全国版
長野県10(自家用)
長野県内にある自家用バスの廃車体です。廃車体

撮影:ヒツジさん様(松本市 2004.6.26)
自家用 トヨタDB95(1960年式)
トヨタのボンネットバスにしてはロングサイズですが、1960年からカタログに加わったDB95です。川崎航空機の旧ボディなので1960年式と推察します。
(この廃車体は、2007年に福山自動車時計博物館に運ばれました)
廃車体

撮影:ヒツジさん様(本城村 2004.7.4)
自家用 いすゞBA741

撮影:ヒツジさん様(本城村 2004.7.4)
川崎の丸型ボディの前ドア車。後部が連続窓ですが前照灯が2灯なので、1964年の過渡期の車両と思われます。
車体の文字やカラーデザインから推察して自家用バスだったようです。
バスの手前に置いてある日産クリッパーが気になる方もいるかもしれません。
(撤去されたと思っていましたが、2020年7月に新星急行様から現存報告)
廃車体

撮影:ヒツジさん様(須坂市 2004.3.27)
検診車 日野BT100H

撮影:ヒツジさん様(須坂市 2004.3.27)
北村製作所製の車体を持つ成人病検診車。特装車なのでその希少度は不明ですが、一般のバスではほとんど聞かない日野シャーシと北村ボディの組み合わせです。
BT100Hという型式は正統派「ブルーリボン」を継承するセンタアンダーフロアエンジン車で、1969〜75年ごろには路線バスへの導入例がありますが、その後は特装車専用シャーシになっていたようです。
この北村ボディのスタイルは、正面窓の縦寸法が大きいものの、折戸の窓は小さいことから、1975〜77年式くらいと思われます。
(2010年7月に撤去を確認)
廃車体(すずらん号)

撮影:ポンコツ屋赤木様(駒ケ根市 2017.9.5)
自家用 日野RE100(1975年式)

撮影:ポンコツ屋赤木様(駒ケ根市 2017.9.5)
伊那農業協同組合の移動スーパーの廃車体です。前後ドアの路線バスタイプですが、「最大積載量」の記載もある貨物車扱いだったようです。車内には、きちんと棚が用意されており、地元民の話だと、雑貨や食料品を並べていたとのこと。車体に「No.2」の文字があるため、少なくとも2台以上で営業していたということです。
バス窓ですが、車内の銘板は日野車体工業だったとのこと。帝国自工から日野車体に切り替わった最初期の製造です。
廃車体

撮影:tomo1960様(長野県 2019.6.30)
自家用 いすゞP-LV318M(1989年式)

撮影:tomo1960様(長野県 2019.6.30)
富士重工5Eボディの前ドア車。この写真を見たときは、前ドアでサブエンジン冷房という特徴から「JRバスだ!」と思ったのですが、ベンチレーター類の形状が異なります。
撮影者が検索したところ、付近の山岳ホテルの送迎バスと判明。そういえばこんなカラーで、国鉄バスっぽい送迎バスの現存情報を以前に聞いていました。再検索すると、2017年までは現役だったようです。
ポンコツ屋赤木様からの追加情報だと、前所有者は東京拘置所とのこと。窓上のカラーが、その当時のままのようです。
型式は推定。年式はトニー様から。
(トニー様によると、2021年5月31日に撤去)
廃車体

撮影:長野県(2020.8.8)
自家用バス 日野RL300
行き止まりの山道に、中型バスの廃車体。
営林署のバスで、No.171の車番が残ります。
廃車体

撮影:長野県(2020.12.12)
自家用 三菱B620E

撮影:長野県(2020.12.12)
人知れず空地化したグランドに置かれた自家用バスの廃車体。
三菱初期の中型バスです。
廃車体

撮影:長野県(2020.8.8)
自家用 三菱B620E(1971年式)
真っ赤に塗られた中型バスですが、これまで何回か場所を変えていた車両。私自身は、今回ようやく自分で撮影することができました。
側面に色褪せていない楕円形の痕跡が見えますが、かつてビーナスライン沿いのお店の看板代わりだった時の名残り。
年式は、ポンコツ屋赤木様の調査によります。
廃車体

撮影:ポンコツ屋赤木様(茅野市 2016.8.19)
自家用 三菱B620E(1971年式)

撮影:ポンコツ屋赤木様(茅野市 2016.8.19)
2016年に赤木さんが捉えた場所は、それまで置いてあった場所からかなり麓に降りた場所にある国道沿い。前後左右から撮影できる好立地だったようです。さながら保存車のようにきれいに整備された廃車体に見えます。
廃車体

撮影:YS様(長野県2019.1.7)
自家用 三菱B620B

撮影:YS様(長野県2019.1.7)
畑に置かれた三菱の中型バス。車体には、この地区のバス会社が兼業していたホテル名が書かれており、送迎バスだったと思われます。
ウィンカーの形状から、1970〜72年式のB620と推察。もっとも、同時期には低出力タイプとして従来のMR620も並行生産されており、外観上の区別はつきません。山岳エリアのホテルの名前も書いてあることから、高出力車と推定。
廃車体

撮影:YS様(長野県 2019.6.25)
自家用 MK103H
河川敷に置かれた自家用バスの廃車体。後面の通気孔が2枚で、おでこが丸いのは1974〜76年の間の製造。この時期の長尺車は、低出力車が従来からのB623Eで、高出力の新系列としてMK103Hが登場しています。通気孔が右側なのは後年のMKと同じ特徴です。
もっとも、通気孔が右側のMKは1976年に登場の、直噴エンジンの車両で、後面窓がルーフラインまで大型化された時期の製造です。MK103Hは予燃焼室式エンジンです。従って、型式の推定には若干の疑問を持ちながらの仮の結論とさせて頂きます。
(撮影者によると、2020年10月現在、撤去済み)