バス廃車体全国版

長野県9(その他)

長野県内のその他の会社、または長野県外の会社、及び自家用バスの廃車体です。

廃車体update
LV318M

撮影:tomo1960様(長野県 2019.6.30)

自家用 いすゞP-LV318M
LV318M

撮影:tomo1960様(長野県 2019.6.30)

富士重工5Eボディの前ドア車。この写真を見たときは、前ドアでサブエンジン冷房という特徴から「JRバスだ!」と思ったのですが、ベンチレーター類の形状が異なります。
撮影者が検索したところ、付近の山岳ホテルの送迎バスと判明。そういえばこんなカラーで、国鉄バスっぽい送迎バスの現存情報を以前に聞いていました。再検索すると、2017年までは現役だったようです。
ポンコツ屋赤木様からの追加情報だと、前所有者は東京拘置所とのこと。窓上のカラーが、その当時のままのようです。
今頃になって、「どうして現役時代に撮りにいかなかったんだろう」と考えたりしましたが、とりあえず廃車体が残っていたことは、幸運でした。もっとも、この場所は廃車ヤードなので、いつまでも存在するとは限りません。
型式は推定。

廃車体update
RC300

撮影:長野県(2018.7.10)

日野RC300
RC300

撮影:長野県(2018.7.10)

金産ボディの前ドア車です。前面、後面とも2枚ガラスで、屋根の突起から扇風機付と思われますので、貸切車だったのでしょうか。ドア側の窓配置には「中扉枠」もあり、地域的には信南交通の可能性が高いのですが、確証はありません。
集会所か休憩所のようで、電気も引かれています。
型式は推定。
情報提供:ポンコツ屋赤木様

廃車体update
RJ170AA

撮影:長野県(2018.12.27)

川上村営 日野K-RJ170AA(1982年式)

牛舎の脇に置かれた川上村営バスの初代車両の廃車体。村営バススタート時に新車導入された中型車で、モデルチェンジされたばかりの日野RJ。色々な意味でインパクトが大きかったものと思われます。
同村営バスは、今でも同じカラーリングで運行中です。
情報提供:ポンコツ屋赤木様

廃車体update
B620B

撮影:YS様(長野県2019.1.7)

自家用 三菱B620B
B620B

撮影:YS様(長野県2019.1.7)

畑に置かれた三菱の中型バス。車体には、この地区のバス会社が兼業していたホテル名が書かれており、送迎バスだったと思われます。
ウィンカーの形状から、1970〜72年式のB620と推察。もっとも、同時期には低出力タイプとして従来のMR620も並行生産されており、外観上の区別はつきません。山岳エリアのホテルの名前も書いてあることから、高出力車と推定。

廃車体update
MK103H

撮影:YS様(長野県 2019.6.25)

自家用 MK103H

河川敷に置かれた自家用バスの廃車体。後面の通気孔が2枚で、おでこが丸いのは1974〜76年の間の製造。この時期の長尺車は、低出力車が従来からのB623Eで、高出力の新系列としてMK103Hが登場しています。通気孔が右側なのは後年のMKと同じ特徴です。
もっとも、通気孔が右側のMKは1976年に登場の、直噴エンジンの車両で、後面窓がルーフラインまで大型化された時期の製造です。MK103Hは予燃焼室式エンジンです。従って、型式の推定には若干の疑問を持ちながらの仮の結論とさせて頂きます。

廃車体update
BU20KP

撮影:長野県(2018.7.18)

いすゞBU20KP

ライトグリーン1色に塗られた観光バスの廃車体。この色を見た限りでは、川中島バスの1980年代カラーだろうと思ったのですが、側面のDeluxeの切り文字がついている半面、「川中島観光」の文字を付けた形跡が見当たらないことなどから、色は似ているけれど関係のない自家用バスと推察。しかし、生まれはどこかの観光バス会社でしょう。

廃車体
ボンネットバス

撮影:南佐久郡(2006.3.21)

ボンネットバス
ボンネットバス

撮影:南佐久郡(2006.3.21)

戦前か終戦直後のものと思われるボンネットバスの残骸です。方向幕と両脇の明かり窓から時代が分かります。ただ、ボンネットや後面窓部分は失われているようです。よく見ると、神奈川中央交通の薪バス「三太号」のボディともよく似ています。
側窓下の帯のところに文字痕が見えるので、元ユーザーの特定は可能かもしれません。
しかし、物置としても老朽化が激しく、持ち主の判断次第では、いつ撤去されてもおかしくない状況です。

廃車体
DB95

撮影:ヒツジさん様(松本市 2004.6.26)

自家用 トヨタDB95(1960年式)

トヨタのボンネットバスにしてはロングサイズですが、1960年からカタログに加わったDB95です。川崎航空機の旧ボディなので1960年式と推察します。
(この廃車体は、2007年に福山自動車時計博物館に運ばれました)

廃車体
BD14

撮影:ポンコツ屋赤木様(塩尻市 2010)

岐阜市交通部 日野BD14P(1959年式)

国道沿いのバイク屋さんの車庫に保管されていたというセンターアンダーフロアエンジン車。屋根下なので、状態は悪くありません。
スタンディウィンドウの丸みがなくなっているものの、運転席窓の上で雨樋が下りているので、1959年式くらいだと思います。腰板のカラーデザインから、岐阜市営の貸切バスだと思われます。そうなると、該当車両は1台しかないようです。(注1)
(国道拡張に伴う区画整理により、2010年に撤去)

廃車体
RB10P

撮影:佐久市(2015.10.24)

西武バス 日野RB10P(1963年式)

採石場の奥に置かれた西武バス。場所柄かなり傷んでいます。
前ドアのバス窓車で、正面窓上に明かり窓がある仕様です。日野ウィングマークの下に方向幕があり、側面に「一般乗合」の文字が見えることから、軽井沢地区で観光路線に使われていたデラックス車両だと想像します。
車番は、3-20というところまでは解読できました。型式は推定。
(2018年4月に撤去を確認)

廃車体
4R94

撮影:ヒツジさん様(長野県 2004.7.19)

上田交通 日産デ4R94(1968年式)

富士重工製ボディの2ドア車の廃車体。中ドアは折戸で、前ドアは増設したようです。車番はN-6811となっており、番号の一部が年式を示すようです。

廃車体
BA05N

撮影:長野県(2005.9.17)

星野温泉 いすゞBA05N(1972年式)

ナローボディのいすゞBA。いすゞでは、狭隘路線用にナローサイズのバスを作り続けていました。それは、モノコックボディの最終期まで続いています。
星野温泉は軽井沢町の温泉リゾートで、限定免許で営業ナンバーのバスを運行していました。グリーン地にテントウムシのデザインが往時を偲ばせます。

廃車体
BA741

撮影:ヒツジさん様(真田町 2004.4.3)

国際興業 いすゞBA741
BA741

撮影:ヒツジさん様(真田町 2004.4.3)

かなり錆が出ていますが、後部のKKKのロゴから元国際興業だということが分かります。 ヘッドライト2灯、後面3枚分割窓なので、1961〜62年式くらいだと思われます。
車内は薪の置き場になっているようですが、律儀に詰め込んだ奥のほうからどのように取り出すのでしょう。
(2010年7月に撤去を確認)

廃車体
RC300P

撮影:長野県(2018.4.14)

日野RC300P

採石場で頭にベルトコンベアを載せているオバQバス。前ドアが外れている以外は、ここからの角度だとそれほどの痛みはありません。
屋根上のダクトの位置などから日野車で、3連テールなので1970年以降の最終期の車両だと思われます。外れたテール灯の跡から、水色に細い白線のカラーが見えます。
情報提供:ポンコツ屋赤木様

廃車体
BH20P

撮影:明科町(2003.6.18)

遠州鉄道 いすゞBH20P(1970年式)

オバQバスの廃車体。オバQ特有のマスクがなく、社名表示が通常より高い位置にあります。またウィンカーも特有の丸型でなく、一般型です。
カラーは褪色したのかグレー系の濃淡。最後は自家用だったと思われるローマ字名が車体側面に描かれています。
(2010年頃に撤去を確認)

(注2)
廃車体
CCM410

撮影:ヒツジさん様(立科町 2004.5.22)

群馬バス いすゞCCM410(1979年式)

群馬バスの中型車の廃車体。
それにしても、この廃車体は社名表記や東急グループのマークがそのまま残り、まだ走り出しそうな感じです。社番は、63217と書かれています。
(畦道ノスタルヂィ様によると、2019年5月現在、撤去済み)

廃車体
BA741

撮影:ヒツジさん様(本城村 2004.7.4)

自家用 いすゞBA741
BA741

撮影:ヒツジさん様(本城村 2004.7.4)

川崎の丸型ボディの前ドア車。後部が連続窓ですが前照灯が2灯なので、1964年の過渡期の車両と思われます。
車体の文字やカラーデザインから推察して自家用バスだったようです。
バスの手前に置いてある日産クリッパーが気になる方もいるかもしれません。
(2018年に、撤去を確認)

廃車体
BT100H

撮影:ヒツジさん様(須坂市 2004.3.27)

検診車 日野BT100H
BT100H

撮影:ヒツジさん様(須坂市 2004.3.27)

北村製作所製の車体を持つ成人病検診車。特装車なのでその希少度は不明ですが、一般のバスではほとんど聞かない日野シャーシと北村ボディの組み合わせです。
BT100Hという型式は正統派「ブルーリボン」を継承するセンタアンダーフロアエンジン車で、1969〜75年ごろには路線バスへの導入例がありますが、その後は特装車専用シャーシになっていたようです。
この北村ボディのスタイルは、正面窓の縦寸法が大きいものの、折戸の窓は小さいことから、1975〜77年式くらいと思われます。
(2010年7月に撤去を確認)

廃車体(すずらん号)
RE100

撮影:ポンコツ屋赤木様(駒ケ根市 2017.9.5)

自家用 日野RE100(1975年式)
RE100

撮影:ポンコツ屋赤木様(駒ケ根市 2017.9.5)

伊那農業協同組合の移動スーパーの廃車体です。前後ドアの路線バスタイプですが、「最大積載量」の記載もある貨物車扱いだったようです。車内には、きちんと棚が用意されており、地元民の話だと、雑貨や食料品を並べていたとのこと。車体に「No.2」の文字があるため、少なくとも2台以上で営業していたということです。
バス窓ですが、車内の銘板は日野車体工業だったとのこと。帝国自工から日野車体に切り替わった最初期の製造です。

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1)
ぽると出版(2002)金沢ボデーのアルバムの巻末表による。
(注2)
この廃車体の前所有者情報は長野の廃バスまにあん様(掲示板2006.12.5)によります。また、年式はその情報を元に参考文献で調べました。
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80s岩手県のバス“その頃”