バス廃車体全国版

長野県4(諏訪バス)

長野県の廃車体のうち、諏訪バスの廃車体です。
諏訪自動車は諏訪市、茅野市を中心とした諏訪地区を営業エリアとしており、1963年に松電グループ入りしています。1981年に社名を諏訪バスに改称し、2011年に合併によりアルピコ交通になっています。
導入車両の特徴やボディカラーは松本電鉄と同じで、やはり北村製作所製ボディが多く見られました。

廃車体
BR20

撮影:新星急行様(長野県 2019.6.23)

諏訪自動車 いすゞBR20(1963年式)
BR20

撮影:新星急行様(長野県 2019.6.23)

いすゞ・川崎ボディの中ドアツーマン車。車番は221。前面に社名表示窓のようなものがありますが、元々路線バスのようで、この窓がどのように使用されていたのかは分かりません。(注1)
なお、この廃車体、前面屋根上の標識灯が緑色に見えます。バスの場合、トラックのような速度表示灯は存在しないので、なぜこの色になっているかは不明です。

廃車体
BXD50

撮影:長野県(2011.7.10)

諏訪自動車 いすゞBXD50(1964年式)

安全車体がボディを架装したボンネットバス。ちょっと深めの屋根のカーブなどに特徴があります。
諏訪バスが松電グループになってからのピンストライプカラーですが、ボンネットバスの場合は裾のブルーが斜めラインを描いているのが特徴。車番の206が残ります。

廃車体
BA351

撮影:茅野市(2007.2.3)

諏訪自動車 いすゞBA351

後ろの方だけ切り取られた川崎ボディの廃車体。傾斜の強いスタイルから、初期のBAであることが分かります(型式は推定)。錆が出てはいますが、側面のリブと、青色の諏訪自動車カラーが残されています。
どうしてこのような形状で置いてあったのかは分かりませんが、撮影したことも長らく忘れていました。しばらく前に思い出して、これがあった辺りを走ってみましたが、見つけられませんでした。恐らく撤去済みです。

廃車体
R370

撮影:ヒツジさん様(長野県 2004.5.22)

諏訪自動車 三菱R370
R370

撮影:ヒツジさん様(長野県 2004.5.22)

諏訪自動車が松電グループ入りする前のブルー系のカラーデザインを残す廃車体。三菱車体に近いスタイルとなった呉羽ボディです。
シャーシは,後面のエンジン通気孔が小さいものが二つという形態から、1956〜59年のR200・R300系列と思われます。1959年式くらいのR370と推察してみました。
正面窓は当時の主流だった2分割窓。窓上に日よけがついていますが、これは新三菱ボディと共通の特徴です。

廃車体(松本2あ410)
BU20E

撮影:新星急行様(長野県 2019.10.6)

諏訪バス いすゞBU20E(1969年式)
BU20E

撮影:新星急行様(長野県 2020.9.29)

1969年に10両が作られた長尺、高出力のワンマンカー。諏訪バスで前中引き戸という仕様は珍しく、岡谷〜上諏訪〜茅野を国道20号線を通って結ぶ「本線」用に入れられたものと推察します。中央本線と並行しているにもかかわらず、人口の多い区間を結ぶ路線なので、混雑は激しかったと聞きます。内側に開く折り戸ではドアも閉められなかったのかも知れません。
前面以外白く塗りつぶされていますが、車番の336は読み取れます。

廃車体
5RA110

撮影:原村(2005.11.5)

諏訪自動車 日産デ5RA110(1969年式)

諏訪バスの日産ディーゼル観光車。車番は800。この車両、一時期松電グループの看板車両だったトイレ付貸切車で、ドア側最後部にトイレがあり、この画像ではよく見えませんが、その部分の窓は固定窓です。
情報提供:ちょご姉様
(2010年に撤去を確認)

廃車体
BH20P

撮影:諏訪市(2003.2)

諏訪バス いすゞBH20P(1970年式)

諏訪湖畔にはかつては相当数のバス廃車体が点在していたとの話ですが、私が気付いた頃には、ほとんど残っていませんでした。中でも、かなり遅くまで存在したと思われる諏訪バスのオバQバス。1970〜72年の間に、松本電鉄、松電観光バスとともに同形車が複数納入されたBH20Pの1両です。車番は352
この時はすでに落書きされてしまった状態でしたが、間もなく姿を消しました。

廃車体
BU20EP

撮影:長野県(2019.5.3)

諏訪バス いすゞBU20EP(1970年式)

別荘地の中で見かけたオバQ。後部のエンジン通気孔からいすゞBUであることが分かりますが、松電グループのオバQでBUは1970年式の5両のみ。
車番は355と読めます。
(情報提供:Kj様)

廃車体(松本22あ156)
B800L

撮影:山梨県(2019.5.3)

諏訪バス 三菱B800L(1972年式)

霧ケ峰、白樺湖などの山岳観光路線に使用されていた高出力車。車内には、枕部分に突起のある2人掛けのハイバックシートが残ります。補助椅子は一人掛けで、同時期の松本電鉄の山岳観光路線車より居住性では勝る仕様だったようです。
車番は19です。
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)

廃車体
CLM470

撮影:山梨県(2019.5.3)

諏訪バス いすゞK-CLM470(1980年式)

窓ガラスがすべて失われた鋼体のみのような状態の廃車体です。いすゞ、川崎ボディが1980年にモデルチェンジした車両で、前後ドアの短尺車。
正面の塗り分けは登場時のままの曲線。これよりちょっと古いBU04は1989年に直線塗り分けにリファインされていますが、この車両は塗り替えずに廃車になったようです。
車番は204です。
(情報提供:ポンコツ屋赤木様)

廃車体
CCM410

撮影:ヒツジさん様(松本市 2005.5.7)

諏訪バス いすゞCCM410(1977年式)

川崎ボディの初期のCCM、正面方向幕周りに初期の特徴が見られ、また、メトロ窓仕様となっています。小さめに見えるこのボディですが、この仕様だと落ち着いて見えるような気がします。
この車両、松電グループの旧カラーですが、諏訪バスでは塗分けを変更してイメージチェンジをしています。
(横軽対策様によると、2012年7月現在撤去済み)

廃車体(松本22あ629)
CCM410

撮影:長野県(2019.4.27)

諏訪バス いすゞCCM410(1978年式)
CCM410

撮影:Kj様(長野県 2015.6.22)

諏訪バスの中型バスの同形車2台が並んでいます。北村製作所製の角張った中型バス。丸っこい川崎ボディとどちらを入れるかは好みの問題かと思いますが、諏訪バスでは前年は川崎ボディ、この年は北村ボディを入れました。初期の中型バスは、路線バスでもメトロ窓が多く見られました。自家用仕様が多かった中型バスの傾向からそうなったのでしょう。
前側の諏訪バスカラーが残っている方の車番は397
(情報提供:Kj様)

廃車体(松本22あ814)
CCM410

撮影:ヒツジさん様(白州村 2004.8.8)

諏訪バス いすゞK-CCM410(1981年式)

中型車の世界では、北村製作所は1976年にはキュービックスタイルのボディを登場させており、中途半端なスタイルが多かった中型車の中ではピカ一の存在でした。
諏訪バスでは、大型車に北村製作所製ボディを多く導入していたせいか、中型車でも川崎ボディとともに北村ボディを採用していました。
車番は207
(ストリートビューによると、2014年8月時点で撤去済み)

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1) 河村かずふさ(2007)「思い出色のバス2」P.34〜35に、これと同形車の写真があります。車番は2番違いの219で、登録番号は長2あ3582です。1965年の撮影で松電カラーになっていますので、諏訪自動車が1963年に松電資本になってからの新車と推察します。また、この時点で標識灯は青色で、路線バスに使用されており、前面下部の表示窓には何も入っていません。
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”