バス廃車体全国版

長野県2(川中島バス)

長野県の廃車体のうち、川中島バスのものを集めました。
川中島自動車は、長野市を中心に、北は新潟県妙高高原町、西は小谷村、東は上田市までかなり広いエリアを運行していました。1983年の会社更生法適用後、川中島バスに社名変更、1985年に松電グループ入りし、2011年に合併によりアルピコ交通となって現在に至ります。
川中島自動車時代には、川崎ボディの車両を多く導入しており、シャーシメーカーの組み合わせもいすゞ、日野、トヨタ、三菱の4メーカーに渡ります。販社との資本関係の影響か、トヨタ車を多く導入していたのも特徴です。
写真には、一部に隣接県のものもあります。

廃車体
BD34

撮影:長野市(2006.5.24)

川中島自動車 日野BD34

昭和30年代前半の川崎ボディ。ツーマン専用シャーシです。
一見するといすゞのBA351ですが、よく見るとエンジン通気孔や向こう側側面の非常口がなくリアエンジンバスではないことが分かります。後面には丸型のウィングマーク痕がありました。
年式は1958〜59年と推察します。このボディスタイルでの日野ブルーリボンと言うのは初めて見ました。
(2010年に撤去を確認)

廃車体
BR20

撮影:ヒツジさん様(長野県 2005.5.7)

川中島自動車 いすゞBR20

川中島バスの旧カラー。後面3枚分割ガラスの1961〜63年式。中ドアのツーマン車です。後面に方向幕があるので、元からの路線車のようです。

廃車体
RB10

撮影:ヒツジさん様(長野市 2004.7.31)

川中島自動車 日野RB10
RB10

撮影:ヒツジさん様(長野市 2004.7.31)

川中島バスの旧カラー。川崎車体の日野車です。前ドア車ですので、元々は貸切車だったと思われます。
年式は1961〜63年式。上のいすゞBAとは同時期のボディですが、雨樋がスタンディーウィンドウの上にあります。日野車の場合はこのような仕様が多かったようです。
(2011年7月に撤去を確認)

廃車体
RB10

撮影:新星急行様(長野県 2021.5.15)

川中島バス 日野RB10(1963年式)
RB10

撮影:新星急行様(長野県 2021.5.15)

倒木のせいか、屋根が大きくへこんでしまっていますが、川中島バスの1960年代カラーを残します。日野車ながら川崎ボディ。
前ドア車を中ドア車に改造したようで、側面最前部の窓が横引き窓ではなくバス窓になっています。

廃車体
RB10

撮影:大町市(2003.6.18)

川中島バス 日野RB10

まだこのサイトを始めて間もない頃、しばらくこういう写真からは卒業していましたが、気になる廃車体を通り道に何台か撮ったものの一つです。
大町スキー場の向かいにあったそれなりに有名な物件で、前ドア車に中ドアを増設したワンマン化改造車。中ドアは帝国ボディのものが付けられています。
(2006年頃にはすでに撤去)

廃車体
RB10

撮影:ヒツジさん様(豊田村 2005.4.11)

川中島バス 日野RB10

川崎ボディの日野車。ヘッドライト2灯なのがRB10である証しです。 元は貸切車で前ドア車でしたが、路線格下げで中ドアが増設されました。その後ろの方向幕も増設のためちょっと形がおかしいです。
(畦道ノスタルヂィ様によると、2022年5月時点で撤去済み)

廃車体
DR15

撮影:ヒツジさん様(長野市 2005.4.15)

川中島バス トヨタDR15(1968年式)

川崎ボディのトヨタ車。川中島バスには相当数があり、いずれも川崎ボディでした。いすゞのBA20とは同サイズで1967年以降は後面のエンジン通気孔の位置も同じになったため、一見区別に迷います。この車両の場合は、四角いテール灯と後面のトヨタのマークでトヨタ車と分かります。
川中島バス初期のワンマンカーで、前後ドアです。
(2010年7月に撤去を確認)

廃車体
BA30

撮影:長野県(2018.7.18)

川中島バス いすゞBA30(1968年式)
BA30

撮影:長野県(2018.7.18)

川中島バスの前後ドアのワンマンカー。この手の車両は、それなりの数の廃車体が見られたと思いますが、いつの間にか撤去が進んでしまいました。
車内いっぱいに枯草が詰まったようになっていますが、これは枯草を詰めたわけではなく、隙間から入り込んだ草が育った結果、結果的に枯れたのだと思います。
年式は、ウィンカーの形状からの推定です。
情報提供:Kj様

廃車体
RC320

撮影:ポンコツ屋赤木様(大町市 2014.9.9)

川中島バス 日野RC320(1968年式)
RC320

撮影:Kj様(大町市 2015.4.16)

川中島バスの前中折り戸の長尺ワンマンカーで、日野と川崎ボディの組み合わせで、長野〜上田間の国道上田線という当時の幹線に投入されていたことで有名な車両。ウィンカーの形から年式を推察しましたが、この仕様の車両としては最初期の車両でしょう。
廃車体としてはこれまで存在は知られていませんでしたが、道路から見えるようになり、すぐに二つに分割されてしまったことで、急激に有名になり、そして間もなく撤去されてしまったとのことです。
2014年の写真は形を保っていたころ。2015年の写真は分割後に撤去されるまでの最後の姿です。
(2015年に撤去)

廃車体
BU10D

撮影:畦道ノスタルヂィ様(長野県 2020.6)

川中島バス いすゞBU10D

1980年頃に川中島バスが神奈川中央交通から譲受した車両。側面の方向幕が、中ドア次位の車掌台窓と入れ替えられています。

廃車体
BU10D

撮影:ヒツジさん様(長野市 2004.4.9)

川中島バス いすゞBU10D

川崎のいすゞ車で、ドア側は見えませんが後部に方向幕がある前中引き戸車。屋根上にクリーム色が見えるので、元神奈川中央交通のBU10Dだと思われます。
(2015年6月に撤去を確認)

廃車体
BU10D

撮影:ヒツジさん様(大岡村 2004.4.21)

川中島バス いすゞBU10D(1973年式)
BU10D

撮影:ヒツジさん様(大岡村 2004.4.21)

長野県内各社では、それまで川崎車体の導入は少なくなかったのですが、この平面ガラスになると同時にぱったりと見られなくなりました。
ヘビーユーザーだった川中島バスも、このボディスタイルの期間の新車は1台もなく、これは神奈川中央交通からの譲受車です。裾の赤い波型が見えてきています。側面方向幕は川中島バス転入時に移設されました。
(2010年7月に撤去を確認)

廃車体(長岡22か61)
RE101

撮影:長野県(2020.12.12)

川中島バス 日野RE101(1978年式)
RE101

撮影:長野県(2020.12.12)

中ドアの向かい側にスキーを立てて置くスペースを増設したため、屋根に突起があるという川中島バス妙高営業所の名物仕様の車両が残っていました。
元は長野市内線用に新造された車両ですが、早いうちに妙高に移動し、スキー置き場を取り付ける改造をしたものと思われます。
情報提供:畦道ノスタルヂィ様

廃車体
RC100P

撮影:長野県(2021.2.23)

川中島自動車 日野RC100P(1967年式)
RC100P

撮影:長野県(2021.2.23)

川中島バスの観光バス。前面は路線タイプですが、後面は流線形の高速タイプ。側面の斜めのメトロ窓の四隅のRが小さくなっていますので、このタイプでは最終年式と推察します。
川中島バスの1972年からのカラーデザインで、窓下に朱色の細線が入るのは、初年度のみの特徴。
木々に守られているせいか、破損はほとんどありません。
情報提供:新星急行様

廃車体
RC320PT

撮影:Kj様(長野県 2015.1.26)

川中島バス 日野RC320PT(1970年式)
RC320PT

撮影:長野県(2013.5.6)

こちらは日野のオバQ。正面のマスクは端っこが上に上がった「笑い顔」。写真などで見ると川中島バスの日野のオバQは大体下向きの「へ」の字形なのですが、こういうのもあったんですね。
後面の通気孔からターボ付ということが分かりますが、このタイプは1969年と1970年に入っており、年式は推定。
また、カラーは1970年代に塗り替えられたままで、「青虫」にはなりませんでした。

廃車体(長野22あ17)
B905N

撮影:上田市(2012.6.2)

川中島バス 三菱B905N(1971年式)
B905N

撮影:上田市(2010.7.3)

三菱のオバQで、夏になると草木に埋もれて保護色になってしまい、よくこのカラーデザインを指して言われる「青虫」そのもののような存在になっていました。
登場時は両端が上側にカーブした「笑った顔」のマスクでしたが、1980年頃にこのカラーに塗り替えられる際に、下側にカーブした普通のオバQ顔に変わりました。
この地を訪れるときは、いつもその安泰を確認していたのですが、2014年に撤去されました。(注1)
(2014年に撤去を確認)

廃車体
B905N

撮影:ヒツジさん様(千曲市 2005.7.24)

川中島バス 三菱B905N(1971年式)

三菱のオバQ。川崎ボディがいすゞ以外に架装した最終期の車両です。
エンジンルームの中にスピーカーがありますが、何に使われているのでしょうか。
上田市菅平の物件とはよく似ていますが、異なる個体です。
(2015年にGoogleマップにて撤去を確認)

廃車体
RL100

撮影:新星急行様(長野県 2021.5.13)

川中島バス 日野RL100(1973年式)

川中島バスが狭隘路線のワンマン化のために導入した初期の中型バス。バンパーの中央にカーブランプがつくというのも面白い仕様。
年代の割には状態のいい廃車体です。

廃車体
RL320

撮影:長野市(2015.3.15)

川中島バス 日野RL320(1975年式)

河川敷の野球グランドの倉庫として置かれている中型バス。川中島バスには大量にあったタイプです。
窓には球が当たっても割れないようにすべての窓に網が貼られています。
ボディは緑1色に塗りつぶされていますが、屋根の茶色が見えてきています。
(2018年7月に撤去を確認)

廃車体
RL320

撮影:長野県(2018.7.18)

川中島バス 日野RL320

作業場の駐車場の屋根下に置かれた中型バス。もう使われていないようですが、草木に埋もれて、生きながらえていました。

廃車体
MS615S

撮影:高崎市(2006.3.21)

川中島バス 三菱K-MS615S

短期間に終わった川中島バスの80年代カラーの貸切車で、元遠州鉄道。サンダーカットと丈の高いスィングドア、ひさしの深い富士重工R3フルデッカーは、個人的な印象ですが当時はサロンバスのイメージと密接に結びついていました。
(ストリートビューによると、2012年7月時点で撤去済み)

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1)
登録番号の「長野22あ17」は、キュリアス編集部(2018)「廃バス見聞録2」による。
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”