バス廃車体全国版

北海道(道南)1(函館バス)

道南地区は函館市などの周辺エリアで、渡島、檜山などと呼ばれる地区を指します。
このエリア全域を運行するのが、函館市に本社を置く函館バスです。1957年から東急グループになっており、銀色に赤帯の東急カラーの車両が中心です。
2001〜2003年にかけて函館市交通局からの移管を受け、同時に東急資本から地元資本に変っています。

日野
廃車体
RB10

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日野RB10

函館バスカラーの下から山吹色の帯が見え、そこにひ84という車番が見えるので、元神奈川中央交通だと分かります。側面の方向幕は、中ドア次位に移設されています。
銀色の部分には、213という車番が見えますので、これが函館バスの車番の一部です。

廃車体
RB120

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日野RB120

日野と富士重工の組み合わせによる長尺車。多分、中ドア引き戸のツーマン車。

廃車体
RC300P

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日野RC300P

日野の観光形ですが、後面窓が路線バスタイプ。北海道ではよく見られる仕様です。
ライト周りのマスクは、1973年以降の標準的なスタイルになっています。
型式は推定。

三菱
廃車体(函22あ281)
B805L

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 三菱B805L(1976年式)

函館バスで長万部や江差などに向かう中距離路線に使用されていたブルー系カラーの廃車体。前ドアの高出力エアサス車。
車番は3167

廃車体
MP117N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 三菱MP117N(1977年式)
MP117N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バスの長尺ワンマンカーで、呉羽ボディですが、後面がルーフラインまでの大型窓になった仕様です。新し目に見えるこの仕様ですが、屋根の丸みがそのまま窓の形につながって、古い観光バスのように見えてしまいます。
車番は、3168で、上の車両とは続き番号。

廃車体
MP117N

撮影:北海道(2012.4.21)

函館バス 三菱MP117N(1977年式)

上の車両と同型車です。畦道ノスタルヂィ様により、車番が続き番号の3169であることが分かりました。函館バスではメーカーごとに車番を付番しています。三菱は千の位が3で、下3桁は続き番号となります。

廃車体
MP118N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 三菱K-MP118N(1981年式)
MP118N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

1981年から函館バスも大型方向幕を採用します。側面方向幕は、まだ中ドア上にありますので、1981年式と思われます。

廃車体
MP118K

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.8)

函館バス 三菱K-MP118K

草むらの向こうに見える三菱MP。同じような外観の車両は函館市営にもありますが、銀色なので函館バスだと思われます。後面窓上についた広告枠も特徴的。
元東京急行電鉄。(注1)

廃車体(函館22か47)
MS513R

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 三菱MS513R(1979年式)
MS513R

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

三菱のフルデッカⅠで、1977〜79年のスタイル。東急のデラックス観光バスカラー。
登録番号が10年ほど後のものなので、譲受車と想像しましたが、元帝産観光バスとのことです。車番は、3260
(注2)

日産ディーゼル
廃車体
U20H

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デU20HA(1975年式)
U20H

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

富士重工3Eボディで、側面方向幕がなかったり、「出口」表示が紺色地に黄色文字であったりの特徴から、元東急バスと分かります。
函館バスでは後のりなので、出口表示は前ドア脇に付け替えられています。(注1)

廃車体
U20H

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デU20HA(1977年式)

やはり側面方向幕のない元東急。側面最後部の窓形状が変わった1977年式。(注1)
車番は4180

廃車体
U20N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デU20N

富士重工3Eボディの長尺車。中ドアの戸袋前に横引き窓がありますが、ここにあった方向幕を中ドア次位に移設し、車掌台窓と交換した結果です。つまり譲受車。
同じような窓配置は神奈中と京浜急行で見られますが、前面の標識灯や側面の出入口表示窓などの特徴から、元神奈川中央交通だと思われます。
車番は4132

廃車体(函館22か412)
U31K

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デK-U31KA(1980年式)

大型方向幕を採用した富士重工3Eボディ。東急バスからの譲受車のようです。
この年式だと、戸袋窓はまだはめ込み式。

廃車体
U31K

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デK-U31KA

恐らく上の写真と同型車。

廃車体
U31N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デK-U31N(1981年式)

富士重工3Eボディで大型方向幕。側面方向幕は中ドア上部なので、過渡期の仕様でしょうか。

廃車体
U31N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デK-U31N(1981年式)

前面がよく見えませんが、大型方向幕。側面の方向幕は、中ドア次位にあります。
前ドア脇にUDマークがある自社発注車。
車番は4109

廃車体
UA32N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(北海道 2019.6.7)

函館バス 日産デP-UA32N(1987年式)

富士重工5Eボディの廃車体。長尺車で、側面方向幕が中ドア次位にあるのは函館バスのオリジナル仕様。更にエアサスです。
車番は4148。1987〜88年式。

注意事項
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(注1)
バスラマ81(2004)P.55によると、東京急行電鉄からの移籍車は、三菱K-MP118Kは1980年式と1982年式と合わせて8両、日産デU20Hは1975〜79年式が計26両あるという。
(注2)
函館22か47の年式、元事業者名は、北海道バス総合研究所による。
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