バス廃車体全国版
岐阜県5(その他バス事業者)
岐阜県で見かけたその他のバス事業者の廃車体です。廃車体

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2024.11.11)
北陸鉄道 三菱U-MP218N

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2024.11.11)
馬匹車と並んで置かれた北陸鉄道。
横引き窓、4枚折り戸、ハイバックシートというデラックス仕様で、後面窓もルーフラインまでガラスのある特別仕様です。
型式は推定。
北恵那交通
廃車体

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2020.3.9)
北恵那鉄道 三菱MR480

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2020.3.9)
三菱のエンブレムのつく前ドア車ですが、今となっては珍しい新日国ボディ製。新日国工業は1961年に日産車体となっており、三菱との組み合わせでボディを製造していたのも、その前後までと思われます。
元カラーは明らかに名鉄カラーで、特注のライトベゼルがつくものの、青色の標識灯から乗合車だったと分かります。つまり、長距離路線バスだったと想像できます。前事業者は一旦、地元の北恵那鉄道と推定。
シャーシは、フレームの有無、エアサスの有無で型式は変わりますが、ノーマルなフレームレスと推定しておきます。
濃飛乗合自動車
廃車体

撮影:岐阜県(2018.5.12)
濃飛乗合自動車 日野BD15(1961年式)
恐らく物置としての活用だと思いますが、屋根が付けられて、非常に良い状態で残されています。
カラーデザインから濃飛バスであることが分かります。クリーム色の流雲はもう1列ありましたが、一番下は茶色で塗りつぶされ、若干手が加えられています。
雨樋やスタンディウィンドウの形状から、金産ボディのこのスタイルでは最終形。
廃車体

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2017.5.5)
濃飛乗合自動車 三菱MR410(1977年式)

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2017.5.5)
濃飛バスの前ドア車で、前面はこの手のボディでは最末期の大きめの2枚ガラスになったスタイル。後面のエンジン点検蓋の形状から、最末期のMRであることが分かりますので、1977年式と推定。
濃飛バスは、前ドア車を主体にしていたものです。
近畿日本鉄道
廃車体

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2020.11.1)
近畿日本鉄道 日野RC100P

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2020.11.1)
高校の送迎バスになっていたという車両ですが、デラックスな観光仕様。おまけに側面に流雲形の塗り分けが見えるように、元近鉄のようです。前面のバンパーも独特で、近畿車輌製の高速バスを思わせる形状が見て取れます。
廃車体

撮影:畦道ノスタルヂィ様(岐阜県 2022.4.3)
日野RC100P
民家の敷地内で輪切りになった廃車体。後ろ側が残っており、丸みのあるスタイルは、昭和40年前後の高速バスタイプ。川崎ボディの“オバQ”が有名ですが、これは側面のメトロ窓が斜めになっていないので“オバQ”ではなく、帝国ボディ。
型式は窓配置からの推定。近鉄には同型車がありました。
廃車体

撮影:畦道ノスタルヂィ様(本巣市 2012.11.18)
近畿日本鉄道 日野RC320P
金産ボディの観光タイプで、これも近鉄風の塗り分け線が見える気がします。
と書いていたところ、撮影者から、過去に近鉄の文字があったとの情報で、近鉄で確定です。
(撮影者によると撤去済み)
その他のバス事業者
廃車体

撮影:畦道ノスタルヂィ様(安八町 2019.1.1)
元東京都交通局 いすゞP-LR312J(1988年式)
いすゞの中型バスで飛行機を模した大改造を施した車両。屋根の翼や操縦席の装飾のほか、前照灯もバンーパーに移植されています。「貸切」と書かれているので、営業用だったのでしょうか。
幹アキいーろく様によると、岐阜県の各務原航空宇宙博物館のシャトルバスとして改造され、同県の大安建設に移籍した後、廃車になったとのこと。現在は、宮城県にあるそうです。元事業者名も幹アキいーろく様によります。