入門その頃のバス

トロリーバス(ボディメーカー・電装品)

トロリーバス 戦後のトロリーバスには、バスと共通性の高いボディが架装されます。これは、初期にフレームレスモノコックボディを得意とするバスボディメーカーが製造を担当したことが一つの要因です。
その後、鉄道車両メーカーも加わりますが、これらはオリジナルのバスボディをもたないことや、公営交通の仕様書に従う必要性などから、鉄道車両と同じく事業者指定のスタイルで納品するという特徴があります。
(注1)

トロリーバスのボディメーカー



表9-5-1 戦後のトロリーバス(ボディメーカー別)
ボディメーカー京都市川崎市東京都大阪市横浜市関電/立黒合計両数
富士重工100形(4)
500形(2)
700形(4)
50形(21)
100形(3)
200形(24)
250形(14)
300形(25)
350形(8)
300形(4)100形(5)114
富士重工
(更新)
100形(4)
200形(2)
300形(4)
50形(21)
100形(5)
200形(35)
300形(20)
91
川崎航空機100形(8)
200形(15)
300形(18)
41
ナニワ工機100形(6)
200形(2)
300形(5)
300形(13)
100形(2)
200形(8)
300形(6)
200形(9)
300形(28)
79
宇都宮車輌200形(2)
300形(2)
4
広瀬車輌300形(2)2
東急車輌600形(3)200形(22)100形(15)40
川崎車輌200形(7)7
日本車輌250形(1)
300形(3)
4
帝国車輌200形(5)5
近畿車輌300形(12)12
大阪車輌工業200形(8)
300形(5)
100形(10)
200形(5)
300形(15)
8000形(6)
49
備考()内の数字は両数
シャーシ桃色=日野、緑色=三菱
特徴としては、バスボディメーカーと鉄道車両メーカーの両方が関わっている点が挙げられます。
バスボディメーカーでは、航空機製造をベースにフレームレスモノコックボディを得意とする富士重工と川崎航空機の2社がトロリーバスを製造しています。富士重工はその時期のバスボディと同じR5〜13型ボディを複数のユーザーに納車しています。川崎航空機は大阪市だけですが、1950年代のバスボディに準じたスタイルで納車しています。
鉄道車両メーカーは多岐に渡りますが、鉄道車両と同様に、ユーザー側のスタイルに寄せており、東京都には富士重工と同じ、大阪市には川崎航空機と同じスタイルで納車しています。1960年から参入した大阪車輌工業も、大阪市の標準スタイルになっていた川崎航空機系のスタイルを継承しています。



富士自動車工業(→富士重工)
東京都交通局 200形(208号)
トロリーバス

画像:所蔵写真(四谷三光町 1955.10.31)

(参考)大阪観光バス 民生BR331
BR331

画像:所蔵写真(1951頃)

富士自動車工業(1955年から富士重工)では、フレームレスモノコックボディのバスを製造する技術で、トロリーバスのボディも最大シェアを誇ります。東京都と川崎市で多く見られます。
ボディスタイルは、同時期に製造されているバスと同じで、リアエンジンバスでいうR5型からR13型までのスタイルが存在します。もっとも、モデルチェンジの時期には若干のずれがあり、川崎市では1962年からヒサシ付のR13型を導入していますが、東京都では1963年の新造車、1965年の車体更新車までR11型です。
写真は、R7型のトロリーバスと通常のバスです。

川崎航空機
大阪市交通局 100形(101号)
トロリーバス

画像:吉川文夫(1956)より

(参考)さくら観光 いすゞBA341
BA341

画像:所蔵写真(1956頃)

川崎航空機も、フレームレスモノコックボディの技術を生かし、大阪市にトロリーバスを納車しています。
100形は当初の前面窓は4枚が独立していましたが、写真ではバスと同じスタイルになっています。
1956年の200・300形からは、前面ガラスは連続窓になりました。この時のスタイルが、大阪市営の標準仕様となり、その後の関西電力にも引き継がれることになります。

宇都宮車輌
川崎市交通局 200形(202号)
トロリーバス

画像:「電気車の科学(1951-8)」より

宇都宮車輌では、1951年に4両のトロリーバスを川崎市に納車しています。
同社は、財閥解体により富士産業の宇都宮工場を基盤に設立された会社で、鉄道車両の製造・改造を行っています。結局、1955年にはバスボディ製造の富士自動車工業などとともに富士重工業に合併しています。
そのため、トロリーバス製造はこの4両にとどまりました。

広瀬車輌
川崎市交通局 300形(303号)
トロリーバス

画像:所蔵写真(川崎駅 1958.7.9)

広瀬車輌は、1950年に試作車1両を製造した後、川崎市の303号を納車。その後、試作車が川崎市の304号となっており、この2両のみの製造実績です。
当初は大阪市からの受注を目論んでいたものの、同市のトロリーバスの開業が遅れ、結果的に1952年に解散したそうです。(荻野基・宮武浩二(2017)による)

大手鉄道メーカー(川崎車輌・近畿車輌・帝国車輌・日本車輌)
東京都交通局 200形(223号)
トロリーバス

画像:川崎重工業(1959)「川崎ニュース19」

鉄道メーカーもトロリーバスボディに参入しますが、オリジナルのバスボディがないことから、ユーザーでの標準スタイルに合わせたボディを製造します。これは、鉄道業界では常識的なことですが、バスの側から見ると多少の違和感を感じます。
画像は川崎車輌が東京都に納品した車両ですが、富士重工のR7型ボディと同形です。日本車輌も富士重工と同形車を納車しています。

大阪市交通局 300形(331号)
トロリーバス

画像:近畿車輌(1962)「会社概況」

大阪市には、近畿車輌、帝国車輌、東急車輌製がありますが、いずれも大阪市の基本スタイルである川崎航空機製と同形車になっています。

大手鉄道メーカー(東急車輌)
横浜市交通局 100形(102号)
横浜市100形

画像:横浜市交通局パンフレット(1959)

東急車輌は、川崎市600形と横浜市100形に関しては、オリジナルのボディを両局共通で製造しています。
川崎市では傾斜角が大きい前面窓、横浜市では傾斜角が小さい前面窓となっています。後面は、川崎市は2枚窓ですが、横浜市は非常口がつくため3枚窓になっています。
なお、大阪市200形では、大阪市標準の川崎航空機と同形のボディを架装しています。

メンドーサ向 トロリーバス
メンドーサ

画像:東急車輌製造パンフレット(1962)

東急車輌がアルゼンチン・メンドーサ向けに製造した左ハンドルのトロリーバス。電装品は東芝のようです。
横浜市や川崎市に納車されたオリジナルスタイルとは異なり、どちらかといえば川崎航空機ベースの大阪市交通局向けと似たスタイルです。

ナニワ工機
京都市交通局 200形(201号)
トロリーバス

画像:所蔵写真(梅津車庫 1969)

ナニワ工機もトロリーバスボディでは大きなシェアを持ち、特に京都市では戦後のすべての車両がナニワ工機製となっています。
京都市に納入されたボディは独自のスタイルで、特に1958年から製造の300形は、幅の広い側窓を持つ斬新なスタイルです。

東京都交通局 200形(216号)
トロリーバス

画像:所蔵写真(四谷三光町 1955.10.31)

東京都交通局 200形(217号)
トロリーバス

画像:所蔵写真(1959.6.4)

同じナニワ工機でも、東京都と大阪市では、他の鉄道メーカーと同様に、それぞれ富士重工、川崎航空機に合わせたスタイルで納車しています。
写真は、東京都の200形で、富士重工R7型ボディと同じスタイルになっています。もっとも後面窓のカーブがオリジナルの富士重工とは異なります。

大阪車輌工業
関西電力 200形(215号)
(左:前面、右:後面)
トロリーバス

撮影:ポンコツ屋赤木様(1989.8.10)

(参考:川崎航空機製)
富士山麓電鉄 いすゞBA341
BA341

画像:所蔵写真(1956頃)

大阪車輌工業は、1960年に新三菱重工業と提携を行い、大阪市交通局のトロリーバスのボディ製造を開始しました。大阪市の標準であった川崎航空機のスタイルで製造されました。そして、同型車を関西電力に納品する際も、そのボディスタイルを継承しました。
前面スタイルは、連続窓になったり、水切りがなくなったりと、変化が見られますが、共通プレスの後面スタイルには、川崎航空機の面影が残ります。

関西電力 300形(309号)
トロリーバス

撮影:ポンコツ屋赤木様(黒部ダム駅 2018.9.28)

1993年に関西電力が100形・200形の置き換え用に導入したトロリーバスは、20年ぶりの新造トロリーバスとなりましたが、継続して大阪車輌工業が担当しました。
バスボディの20年間の進化を反映した鋼製フレーム付スケルトン構造の角張ったボディです。側面は、上部引き違い窓など最新バスボディの特徴を採り入れていますが、前面は大形特種車のような顔つきです。

トロリーバスの電装品メーカー

表9-5-2 戦後のトロリーバス(電装品メーカー別)
電装品メーカー京都市川崎市東京都大阪市横浜市関電/立黒合計両数
東芝100形(4)
500形(2)
600形(3)
50形(21)
250形(1)
350形(4)
200形(50)
300形(47)
100形(10)
200形(5)
300形(15)
8000形(6)
168
三菱電機100形(6)
200形(2)
300形(5)
300形(13)
300形(4)200形(10)300形(9)49
東洋電機200形(2)
700形(4)
100形(5)11
日立200形(25)
250形(6)
300形(26)
350形(3)
100形(20)80
日本車輌200形(4)
250形(8)
300形(8)
350形(1)
21
GE100形(8)
200形(9)
300形(11)
28
備考()内の数字は両数
シャーシ桃色=日野、緑色=三菱
トロリーバスにとって、電装品はその性能を左右する重要なパーツです。川崎市では、電装品メーカーによって形式を区分しています。また京都市や横浜市では、電装品メーカーを統一しています。
一方、東京都では同じ形式に複数の電機品メーカーを採用しており、その性能と車両との関連性は重視していないようです。


東芝
日野 TR20形試作車
東芝

画像:電気車の科学(1950-7)広告

東芝では国鉄の電車や電気機関車の電気機器を製造していましたが、1950年に日野ヂーゼル工業、富士重工とともに、トロリーバスの試作を行いました。その後、同型車が東京都や川崎市に納車されたほか、大阪市でも採用されたことから、関西電力にも採用され、トロリーバスで最も大きなシェアを誇る電機メーカーとなっています。

表9-5-3 東芝の主電動機
製造会社型式出力主な使用車両
東芝SE-506100kW川崎市100形、東京都50形
SE-519100kW大阪市200形、300形
SE-521100kW東京都250形、350形
SE-575120kW関西電力100形、200形
SEA-335120kW関西電力300形、立山黒部8000形
三菱電機
広瀬車輌 HB-9000-C型試作車
三菱電機

画像:電気車の科学(1951-11)広告

三菱電機では、1950年に広瀬車輌が試作したトロリーバスの電機品を担当します。
その後、京都市がすべての車両で三菱電機製を採用しているほか、写真の試作車を含む川崎市の300形が三菱電機製です。
なお、写真の広告で「三菱トロリーバス」と謳っていますが、あくまでも電機品を担当した三菱電機を指します。バスメーカーである三菱日本重工業はこの車両には関与していません。

表9-5-4 三菱電機の主電動機
製造会社型式出力主な使用車両
三菱電機MB-1003-A50kW川崎車両試作車
MB-1004-A75kW京都市100形、川崎市300形
MB-1005-A100kW京都市200形
MB-1005-BF2100kW東京都200形
MB-1442-N2100kW京都市300形、大阪市300形
日立製作所
日立製作所 TB-L-40型試作車
日立製作所

画像:電気車の科学(1951-5)広告

日立製作所では1950年に試作車を製造しており、50kW、75kW、100kWの3種類の主電動機が用意されました。結果的には100kWの試作車のみが製造され、されも量産されずに終わりました。
電機品に関しては、その後、東京都と横浜市の車両で採用されています。

表9-5-5 日立製作所の主電動機
製造会社型式出力主な使用車両
日立製作所HS-506-Arb100kW東京都200形
HS-506-Brb100kW東京都300形
HS-506-Drb100kW横浜市100形
HS-506-Grb100kW東京都250形、350形
東洋電機
東京都交通局 100形(104号)
東京都100形

画像:江戸川区看板

東洋電機のシェアは大きくはありません。

表9-5-6 東洋電機の主電動機
製造会社型式出力主な使用車両
東洋電機TDK75kW川崎市200形
TDK-133-A100kW東京都100形
TDK-134-1-B100kW川崎市700形
日本車輌

日本車輌では、戦前からトロリーバスの試作車を送り出していますが、電装品は他のメーカー品を使用していました。
戦後に東京都交通局に納車された車両の一部に、日本車輌の電装品が使用されています。この場合も、車体と電装品は別々の受注で、車体・電装品が揃って日本車輌製だったのは、300形のうちの3両だけです。

表9-5-7 日本車輌製造の主電動機
製造会社型式出力主な使用車両
日本車輌製造NE100-D100kW東京都200形、300形
NE100-F100kW東京都250形、300形
NE100-G100kW東京都250形、350形
GE(ゼネラル・エレクトリック)
大阪市交通局 200形(203号)
大阪市交通局

画像:毎日グラフ(1958-7-27)P.22

アメリカのGE製の電装品を採用したのが大阪市交通局です。同局では市電でもGE製の電機品を使用していたこともあり、信頼性の高いメーカー品を選択したということのようです。
ただし、GE製品の採用は1957年までで、それ以降は東芝が主体になっています。

表9-5-8 G.E.の主電動機
製造会社型式出力主な使用車両
G.E.GE-1213-J100kW大阪市100形、200形、300形
(注1)
フレームレスとフレーム付については、複数の記述が見られる。
まず試作車については、島村武一(1950)「無軌條電車概説」と秀平一夫(1950)「トロリーバスの試作車を見て」(いずれも電気車の科学1950-7)によると、日野製はバスシャーシにボディを架装、広瀬製はフレームレスであるという。
また、横浜市交通局発行の100形車両カタログによると、同車(三菱TB14)はセミモノコック構造である。
大阪市営に関しては、荻野基ほか(2017)によると、100形(日野TR24)はフレームレス、200・300形(三菱TB12・日野MC40)はセミフレームレスであるという。

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