入門その頃のバス

バスの商品名

ボディ+シャーシ 乗用車には魅力的な商品名が付けられて、テレビCMやカタログなどで消費者に強烈にアピールをしていますが、バスの商品名というのは、あまりメジャーではありません。それは恐らく、バスに商品名のない時代が長く続きすぎたせいではないかと思います。
昭和の初めに作られた国産のバスには、「スミダ」「ちよだ」「いすゞ」「ふそう」「六甲」などという名前が付けられていたようです。このうちのいくつかは、そのままメーカーの会社名になったものもあります。しかし、その後、第二次世界大戦の激化によるものなのか、商品名は影を潜め、「トヨタKC」など型式メインで呼ばれるようになりました。
終戦後の1950年代に一部のメーカーが箱型バスに商品名をつけたことがありましたが、その後1960〜70年代の長きに渡り、バスに商品名のない時代が続きました。そして1980年代になってようやく各メーカーのバスに商品名がつき始めましたが、一部を除きバス利用者はもちろんバス事業者にさえ浸透しませんでした。その後、1990年代に入って貸切バスが、2000年代に入って路線バスが、商品名で呼ばれるように徐々に変わってきたようです。
ここでは、そんなバスの商品名の歴史を辿ることにします。


1950年代 箱型バスの商品名

終戦後の1950年代には、民生、日野、日産の3メーカーが箱型バスに商品名をつけました。
ボンネットバスを標準形とするバス業界に、スタイリッシュで実用的な箱型バス(特にリアエンジンバス)が登場したことで、各メーカーがそれらの販売に注力するようになったわけですが、その一つの手法が商品名をつけることであったと考えられます。
しかし、その一方で、いすゞ、三菱、トヨタなどは、商品名をつけず「三菱R2」など型式名で呼ばせています。

民生コンドル号 1950 - 1959
コンドル号

画像:民生デイゼル工業公式カタログ(1954)表紙

民生デイゼル工業が1950年に発売したリアエンジンバスの中で、富士重工のボディを持つものに「コンドル号」の名前が付けられました。この名前は「Condor =南米の大型のタカ科の鳥」が由来で、車体正面にタカが羽を広げたような形のエンブレムも用意されています。
初期に「コンドル」を小型化した車両に「コンドル・ジュニア」(1951〜52年)の名前も付けられていました。
1960年に日産ディーゼル工業に会社名が変更となり、「コンドル」の名前も姿を消しました。
なお、1975年に日産ディーゼルが発売した中型トラックに「コンドル」の名前が復活しています。

民生イーグル号 1951 - 1958
イーグル号

画像:民生デイゼル工業公式カタログ(1956)表紙

民生デイゼル工業のリアエンジンバスの中で、新日国工業のボディを持つものには「イーグル号」の名前が付けられました。この名前は「Eagle =鳥のわし」が由来で、「コンドル号」と双璧をなすものということで名付けられたものと想像できます。
この時期の民生デイゼルでは、ボディメーカーによってシャーシの型式を変えていますが、同時に商品名も変えていたのです。見た目が違うものには違う商品名をつけるというのは、物を売るためには理に叶っています。
ある意味、バス業界はこういう柔軟性を持てなかったことで、長い間バスに商品名をつけることが出来なかったのではないかと思えます。

日野ブルーリボン号 1952 - 1962
日野ブルーリボン

画像:日野自動車公式カタログ(1958)表紙

日野自動車が1952年に発売したセンターアンダーフロアエンジン車には「ブルーリボン号」の名前が付けられました。「Blue Ribbon =青いリボン」と言う意味で、側面には青いリボンをデザインしたマークも用意されます。
ショートホイルベース車には「ブルーリボン・マイナー」(1956〜60年)の名前も付けられました。
しかし、1961年に発売されたリアエンジンバスの日野RBには商品名がつけられず、その後、生産量が減ったセンターアンダーフロアエンジン車が「ブルーリボン」と呼ばれる機会は大きく減りました。

日産コロナ 1954 - 1956
高松バス 日産コロナ
日産コロナ

画像:高松バスパンフレット

日産自動車が1954年に製造した中型サイズのリアエンジンバスは「コロナ」と名付けられました。この名前は、「Corona =太陽や月の光環」が由来で、英語を使った斬新なものでした。
写真を見ると、正面には「CORONA」と書いたオーナメントも付けられています。
この車両は、そう長くは生産されなかったそうですが、早くも1957年には同じ名前がトヨタ自動車の乗用車「トヨペット・コロナ」に使われています。

日産キャブスター 1956 - 1968
日産E590
キャブスター

画像:日産自動車公式カタログ(1957)

日産自動車が1956年に発売したキャブオーバーバスには「キャブスター」の名前が付けられました。「Cabstar」は恐らく造語と思われます。
「キャブスター」はレディメイドの自家用ユーザー向で、商品名をつけたのは、主要顧客がプロのバス事業者ではなく、購入のきっかけがプロモーションに左右される一般ユーザーであったからだと思われます。
1968年に日産の小型トラックに「キャブスター」の名前が使われるようになり、バスの方からはこの名前が消えて行ったようです。1970年頃のカタログには単に「ニッサンバス」という名前が使われています。

日産プラネット 1960
日産UR690
プラネット

画像:ジーゼルニュース(1959)

日産自動車が1960年に発売したリアエンジンバスには、発表時点では「プラネット」の名前が予定されていたようです。プラネットとは「惑星」という意味です。
しかし、同車の発売後にこの商品名を使用したカタログ等を見たことはありません。時期的には、子会社の民生デイゼルが日産ディーゼル工業に変わり、リアエンジンバスの商品名がつかなくなった時期であり、そのあたりの関連もあるのかも知れません。

1960〜70年代 バスの商品名がない時代

1960〜70年代にかけては、ほとんどのバスから商品名が消えた時代です。1950年代に商品名をつけていた日野や民生も、1960年代に入るや否やモデルチェンジとともに商品名のないバスに移行しました。この時代には「いすゞBU」など、型式を前面に出した呼称が一般的になります。
そうなった理由は二つ考えられます。一つは、バスを購入するのがバス事業者であり、性能や商品特性を十分理解しており、商品名によるプロモーションが購入の動機にはならないという点です。もう一つは、この時代には同じシャーシに複数のボディメーカーが架装しており、同じ商品でも見た目が全く違うというケースが多かったという点です。
ここでは、そんな時代に見られた数少ない商品名をご紹介します。

小型バスの商品名 1959 -
マイクロバス

画像:三菱自動車公式カタログ(1960)

1960年代に登場した小型バスは、当初は「ライトバス」などと種別をそのまま商品名としているものが多く見られましたが、次第に独自の商品名がつくようになります。
日産キャブオール(1959〜61)、三菱ローザ(1960〜)、日産エコー(1962〜71)、日野レインボー(1966〜)、トヨタコースター(1969〜)、いすゞジャーニー(1970〜)等が挙げられます。
大型バスから商品名がなくなった時代に小型バスには商品名がつき始めた理由は、小型バスが自家用ユースをメインとしており、競合他社との差別化を図る必要があったからと思われます。

いすゞジャーニーK 1972 − 1991
いすゞジャーニーK

画像:いすゞ自動車公式カタログ(1973年発行)

小型バス以外での命名例です。
いすゞでは、小型バスに「ジャーニー」の商品名を与え、サイズにより末尾にS,L,M,Qなどのローマ字をつけて区別していますが、中型バスにはそのバリエーションである「ジャーニーK」の名前が与えられました。「Journey =旅行」という意味です。
これは、初期の中型バスBKが小型バスと同様に自家用ユースを前提に作られていたことが理由と思われます。その後、中型バスも観光バスや路線バスに用いられることが多くなりますが、カタログなどを見ると、この名前を使うのは当初は観光バスのみでした。

日野スケルトン 1977 − 1982
日野RS120P
RS120P

画像:日野自動車公式企業案内(1995年)

日野自動車がシャーシとボディを一体開発した日本初のスケルトン構造の大型観光バスには、その構造そのままの「スケルトン」の商品名がつけられました。「Skeleton =骨格構造」を表します。
このボディスタイルは観光バス業界に衝撃を与え、他のメーカーも相次いで窓の大きな角張ったバスへとモデルチェンジを図るなど、大きな影響を与えました。
しかし、日野自動車にとって誤算であったかもしれないのは、この「スケルトンバス」という呼び方が、あまりにもインパクトが強すぎて、日野のバスだけでなく、角張ったバス全般を示す一般名詞のように浸透してしまったことでした。

1980年代 商品名がほとんどの車種につけられる

日野の「スケルトンバス」の影響も無視できませんが、バス会社や旅行会社などバス関係者に商品名を浸透させることに初めて成功したのは、三菱の「エアロバス」だと思われます。
「エアロバス」と前後して、観光バスを主体にしてバスに商品名をつける動きは加速します。残念ながらこの時期には、「エアロバス」以外に商品名が認知された例はほとんどありませんでしたが、それでも1980年代終わりまでに路線バスを含めてほとんどの車種に商品名がつけられたのは事実です。
そろそろ、ボディメーカーも整理され、車種と見た目が一致する時代に入っていたことも、その理由の一つだったのかもしれません。

日野レインボー 1981 − 
宮崎交通 日野P-RJ172BA(1987年式)
RJ172BA

撮影:宮交シティ(2018.11.27)

1981年のスケルトンタイプへのモデルチェンジと同時に、日野自動車の中型バスは、小型バスの「レインボー」と同じ商品名を与えられました。小型バスと中型バスに同じ商品名をつける例はいすゞにも見られましたが、日野の場合は、中型バスが観光バス、路線バス用途に多用されるようになってからの命名であり、また、路線バスタイプにも商品名の露出を積極的に行っている点で、異なります。
小型バスの名称は1995年に「リエッセ」に、中型観光バスの名称は1999年に「メルファ」に変更となり、「レインボー」の名前は最終的には中型路線バスにのみ残されています。

日野ブルーリボン 1982 − 
富士急行 日野P-RU638A
RU638A

撮影:双葉SA(1986.8.18)

日野自動車は1982年のモデルチェンジに合わせ、「ブルーリボン」の名前を復活させました。しかし、その後車格を表す「グランデッカ」「グランジェット」などの名前が加わり、当時はそちらの方が受け入れられていた感があります。
1990年の「セレガ」登場により、観光バスの名前としては姿を消しますが、路線バスの名前としてはその後も使用され、「ブルーリボン・シティ」(2000〜)、「ブルーリボン2」(2004〜)などの商品名として息長く使われています。

三菱エアロバス 1982 − 
福島交通 三菱U-MS726S(1992年式)
エアロバス

撮影:ソルティドッグ様(郡山駅 2014.4.26)

三菱では1982年にエアロダイナミクスと呼ばれる流線形のボディの観光バスを開発、「エアロバス」という商品名をつけて発売しました。この名前は、外観のインパクトと相まって、バス事業者のみならず旅行業者などの関係者に深く浸透することとなりました。バスの商品名が、バスユーザーに一般的に使われるようになった初めての成功例ではないかと思います。

エアロバス・シリーズ
エアロバス・シリーズ

その後、2階建てバスの「エアロキング」、スーパーハイデッカーの「エアロクィーン」、中型バスの「エアロミディ」、路線バスの「エアロスター」など、三菱ではエアロバスファミリーと呼ばれるバリエーション展開を行っています。

いすゞキュービック 1984 − 2000
いわさきバスネットワーク いすゞKC-LV280L(1999年式)
いすゞキュービック

撮影:鹿児島中央駅(2015.8.1)

いすゞでは1984年に路線バスをフルモデルチェンジした際に、「キュービック」の商品名を与えました。その角張った外観とインパクトのある正面スタイルに相応しい名前でした。
しかし、この名前はユーザーに浸透したとは言いがたく、メーカー側の宣伝物等を見ても「いすゞLV」という型式名のほうを前面に押し出しているように受け取れます。実際に、バス関係者にも「いすゞLV」と言う呼び方が浸透していました。
なお、この名前は、実物の販売終了後の2000年代以降になって、インターネットの普及やバス趣味の拡大に伴い、若いバス趣味者から使われるようになってきたように思います。

日産ディーゼル スペースウィング 1985 − 
スペース・シリーズ
スペース・シリーズ

日産ディーゼルでは、1984年発売の2階建てバスに「スペースドリーム」の名前をつけていましたが、1985年発売のスーパーハイデッカーに「スペースウィング」、ハイデッカーに「スペースアロー」の名前を、1988年に中型バスに「スペースランナー」の名前をつけてつけ、宇宙を表すと見られる「スペース」を冠した名前をシリーズ化しました。
一時期は、大型9mサイズ路線バスRP(スペースアロー)、中型路線バスRM/JP(スペースランナー)にも同様の商品名を流用したものの、1995年のモデルチェンジで路線バスからは商品名が外されました。
いずれにせよ、この「スペースシリーズ」も、認知度は高くはなかったようです。

いすゞスーパークルーザー 1986 − 1996
一畑バス いすゞU-LV771R
U-LV771R

撮影:米子空港(2016.5.28)

いすゞが1986年に発売したスーパーハイデッカーにつけた名前が「スーパークルーザー」です。観光バスに名前をつける傾向は強まっていましたが、まだ車格の区別のための名前が主流だったため、この名前もそういうニュアンスが読み取れます。語源は「Cruiser =巡航する乗り物」のような意味と思われます。
翌年に登場したハイデッカーも同じ商品名であり、車格ではなく一連のシリーズにつけられた商品名であることが分かりますが、それほどの浸透は見られず、1996年に後継の「ガーラ」にモデルチェンジされています。

1990〜2000年代 商品名が浸透する時代

バスの商品名が、バス事業者だけでなく、一部のバス利用者も含めて広く浸透するようになるのは、観光バスでは1990年代、路線バスでは2000年代のことと思われます。
まず、観光バスの日野「セレガ」(1990年〜)がその先鞭を切りますが、これまでの“バスっぽい”ネーミングから、乗用車にも近いネーミングセンスとプロモーションにより、ユーザーへの浸透に成功しました。
これに続き、観光バスでは、いすゞ「ガーラ」(1996年〜)が、路線バスでは、いすゞ「エルガ」(2000年〜、エルガミオは1999年〜)が商品名を押し出しています。
なお、この時期は、当サイトの守備範囲からは逸脱するため、代表的な車種のみを取り上げます。

日野セレガ 1990 − 
京福リムジンバス 日野セレガ
セレガ

撮影:本社営業所(2018.9.2)

日野の観光バスは1990年のフルモデルチェンジに合わせ、伝統ある「ブルーリボン」の名前を捨て、新たに「セレガ」の名前がつきました。「Selega」は「セクシー(Sexy)」と「エレガンス(Elegance)」を合わせた造語だそうです。
外観も女性をイメージした独特の曲線を持つ個性的なスタイルですが、プロモーションもこれまでのバスとは一線を画していたようで、私見ですがトラックのプロモーションに近いものを目指していたようです。つまり、バスドライバーに支持されることがバス事業者への支持につながるというような仮説があったのではないかと感じます。

日野リエッセ 1995 − 
頸北観光バス 日野KK-RX4JFEA
リエッセ

撮影:本社営業所(2016.9.3)

日野の小型バスは1995年のモデルチェンジの際、「セレガ」のイメージを踏襲したライト回りを持つ「リエッセ」に変わりました。商品名のイメージも「セレガ」との共通性を感じます。
この時期、そろそろ自治体によるコミュニティバスが各地に生まれ始める時期で、「リエッセ」と言う商品名が、バスを購入する自治体の担当者にも浸透していきました。この現象は、その後の「ポンチョ」(2002年〜)でも顕著に現れており、バスの商品名が一般化する時代に入ったことを実感しました。

いすゞガーラ 1996 − 
一畑バス いすゞKL-LV774R2(2001年式)
ガーラ

撮影:出雲市駅(2016.5.28)

いすゞの観光バスは1996年に「ガーラ」にフルモデルチェンジします。前世代車両に近いスクエアなボディだった「スーパークルーザー」から、売れている先行メーカーの商品に近い丸みを帯びたボディにライト周りを強調したスタイリングに変わりました。
商品名「GALA」の由来は、「お祭り・陽気な」(英語・仏語)「花形・華麗な」(スペイン語)のGALAXYから、「明るく楽しい旅を期待させるバス」「銀河を走り回るような美しく、壮大な旅へ導いてくれるバス」を意味するそうです。

いすゞエルガ 2000 − 
山陽バス いすゞKL-LV280L1(2003年式)
エルガ

撮影:垂水駅(2016.3.5)

いすゞの路線バスには、2000年のフルモデルチェンジに合わせ「エルガ」の商品名がつけられました。中型バスについては1年前の1999年に先行してモデルチェンジが行われ、「エルガミオ」の名前が付けられています。
路線バスの名前としては、異例の普及を見せた気がしますが、そろそろこの時期、バスに商品名をつけることが浸透してきたことが大きな理由であると思われます。さらに、富士重工や西日本車体などの車体バリエーションが減り、「このスタイルのバスは“エルガ”」という分かりやすさも後押ししました。
商品名「ERGA」は、ラテン語で「〜に向かって」という意味で、「新たな時代に向かって走り始めた新しい路線バス」をイメージしているそうです。

戦前のバスの名前
1920年代の黎明期のバスにも名前はありました。
最初の国産バスとして名前がついたのは東京石川島造船所(1929年に石川島自動車製作所として独立)が1927年から製造を開始した「スミダ」だと思われます。
一方、日野自動車の前身である東京瓦斯電気工業は「TGE」という名前で自動車を生産していました。会社名の英語の頭文字をとった車名だと思われます。これは1931年に「ちよだ」という名前に変わります。この名前は、親会社の千代田瓦斯会社からとったものと思われます。
1934年には、商工省標準形式自動車として「いすゞ」が複数メーカーの共同で作られます。この名前は車名懸賞募集によるもので、伊勢神宮に流れる五十鈴川に由来するものです。この車両に係る協力メーカーが合併し1937年に東京自動車工業が成立しますが、これが後のいすゞ自動車の前身になります。
このほかにも、三菱造船が1932年から製造を始めた「ふそう」、川崎造船所が1932年から製造を始めた「六甲」などの車名を見ることができます。また、トヨタ自動車工業は「トヨタ」、日産重工業は「ニッサン」という車名を使っています。
このように、戦前のバスには車名がありましたが、その多くが会社名そのままであったり、或いはその後車名を会社名にしたりという経過をたどります。
  1. ここでは、同種の一連のバス車両につけられた名前について「商品名」と言う用語を用います。
  2. 「商品名」については、「ペットネーム」「車名」「愛称」「ブランド名」などという呼び方も見られますが、混同を防ぐため、表現を統一しました。
  3. 商品名は、バスのカタログや広告物に用いられたものを基本にして記述しています。必ずしもバス車体に商品名が書かれているとは限りません。
  4. 呉羽自工の「サンシャインデッカー」や日野「シアター」など、車格に対してつけたと思われる名前については、ここでは除外しています。
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80s岩手県のバス“その頃”