入門その頃のバス

観光バスの車格(ハイデッカー)

ボディ 「ハイデッカー」
バスに興味のある方ならたいてい聞いたことのある言葉だと思いますが、いざ説明しようと思うと、その定義には曖昧さが残るような気がします。
語源はDeckつまり床とか屋根とか言う意味で、それを高くした車両をさす言葉であろうと思います。1970年代から貸切バスのデラックス化の傾向の中で、そのハード面での対応策として登場したのが「ハイデッカー車」です。ソフト面では冷蔵庫、カラオケ、サロンなどの装備が一般化していきますが、そういった重装備と車両の大型化は表裏一体であったと考えられます。
ここでは、「ハイデッカー車」の発達過程の中で登場した様々な車格を整理してみたいと思います。呼び方については、メーカーによって異なりますし、同じメーカーでも時代によって名称を変えている場合があります。更にユーザー(バス会社)によっても呼び方が異なりますので、より一般的と思われるものを使用します。掲載の順番は、登場順ではなく、高さの低い順です。最初に出てくるのは、ハイデッカー車ではなく、基本形とも言うべき標準床車です。
用語注を参照。


標準床車

標準床(ひょうじゅんしょう)車、平屋根(ひらやね)車、平ボディ、スタンダードルーフなど色々な呼び方がありますが、路線バスと同サイズの断面を持つ観光バスの基本形。路線バスから派生した観光バスは、1970年代までは標準床車が基本でした。
1980年代に入り、スケルトンタイプのボディにモデルチェンジされる頃には、観光バスの標準は「ハイデッカー車」に移り、標準床車の生産は大幅に減少します。低断面トンネルを通過するための“上高地仕様”の貸切車や、近距離高速バス、及び自家用バスに限定されるようになり、メーカーカタログからも姿を消し始めます。
標準床車とは言うものの、この時代になると座席部分の床面を嵩上げするようになり、ユーザーによってはミドルデッカースタンダードデッカーなど、「ハイデッカー車」の1バリエーションと位置づけられることもあるようです。



日本国有鉄道 三菱B905N(1975年式)
B905N

撮影:鹿児島県(1987.3.10)

路線バスと断面が変わらない標準床の貸切バス。1970年代前半までは、シャーシともども路線系と観光系の区別が曖昧でした。
今で言えばツーステップバスに相当する床の高さです。開いたドアから2段ステップが見えます。

全高・・・3,100mm

諏訪バス いすゞP-LV219Q(1986年式)
LV219Q

撮影:諏訪市(1990)

スケルトンタイプのボディになると、標準床の観光バスは大幅に減少し、メーカーのカタログからも姿を消します。
写真はいわゆる“上高地仕様”と呼ばれる短尺車で、低断面で急カーブのある釜トンネルを通過できる仕様です。1980年代には、長野県内各社のほか、都市圏の大規模貸切会社で見られました。

瀬戸内海交通 三菱KL-MS86MP(2005年式)
MS86MP

撮影:今治桟橋(2016.5.29)

標準床の観光バスのニーズがなくなると、対応モデルも姿を消します。多くのボディメーカーが、標準床車は路線バスボディを基本とした自家用モデルに絞り込みます。
その中で、三菱はスタンダードデッカーという名称で、2005年まで標準床車の製造を続けました。自家用バスや中距離路線バスなどに導入されました。

全高・・・3,100mm

セミデッカー

標準床車から最初に派生した「ハイデッカー車」がセミデッカーです。早いものは1959年に国際観光の東京−箱根間に定期運行した車両が知られています。これは、川崎、富士重工などにより、米国GMCのグレイハウンドを範として作られたものですが、しばらくの間は、ごく一部の需要に対しての特注車の域を出ませんでした。
メーカーがオプション設定して普及し始めたのは1970年代です。標準床車の途中から屋根と床を段上げしたもので、外観上は屋根に明かり窓付きの段がつくためインパクトがあります。
三菱ボディ、呉羽ボディが早くから生産しており、1970年代に入ってから富士重工、帝国ボディ(→日野ボディ)などが加わっています。
フルデッカーなどの登場により上級感が薄れ、1980年代に入ると生産量は激減し、モノコックボディの終焉とともに姿を消しています。

元ケイエム観光 三菱MS513RA(1979年式)
MS513R

撮影:栗原市(2012.9.16)

第2柱(前ドア次位)から屋根を段上げしたセミデッカー。モノコックボディ時代の産物でもあるセミデッカーは、流線形のフォルムがスマートさを強調します。1973年からの設定です。
写真は、側面に固定式のカーブドガラスを採用し、高級感を増したもの。

全高・・・3,300mm

伊那バス 日野RV531P(1979年式)
RV531P

撮影:伊那本社(1988.11.27)

こちらは第4柱(1枚目の側窓次位)から屋根を段上げしたもの。写真は日野車体製で、やはり1973年の登場です。
富士重工、日野車体とも、屋根を段上げする位置については2種類を用意しており、ユーザーの好みで導入が分かれたようです。

全高・・・3,265mm

松電観光バス いすゞCRA580(1977年式)
CRA580

撮影:松本営業所(1988.10.5)

1976年に登場した川重ボディのハイデッカーⅠ型。客席部分の車高は後に登場するフルデッカーと同じで、名称からもセミデッカーとは呼ばれていませんが、フォルムとしてはセミデッカーに分類できます。

全高・・・3,380mm

パノラマデッカー

セミデッカーに続いて、屋根の段差部分を盛り上がるような形状にしたパノラマデッカーが登場します。外観的にはセミデッカー以上のインパクトがありますが、車内の床高さはセミデッカーと変わらず、目玉の明かり窓も実用に値するものではありません。
富士重工と三菱ボディが好んで生産していますが、やはりスケルトンタイプボディへの移行に伴い姿を消しています。

岩手県交通 いすゞCRA580(1978年式)
CRA580

撮影:河南営業所(1986.5.25)

富士重工では1976年に、セミデッカーをベースに明かり窓を大型化したパノラマデッカーを設定しました。丸みのあるモノコックボディならではの造形です。

全高・・・3,315mm

富士急行観光 三菱MS513N
MS513N

撮影:双葉SA(1986.8.18)

三菱ボディのパノラマデッカーも、セミデッカーやフルデッカーをベースに、大形の明り窓を付けた設定です。三菱ボディの場合、各種「ハイデッカー車」の床面高はすべて同じで、先頭部の形状のみを変えています。

全高・・・3,330mm

ミドルデッカー

ミドルデッカーは標準床車とフルデッカーの中間で、日野独自の車格です。ブルーリボン第2期の1985年のモデルチェンジでスーパーミドルデッカーと言う呼び方になり、高床Ⅱ(セレガFS)などの区分で呼ばれながらセレガRの時代まで設定されていました。
スケルトンボディになってからは外観的に隣接車格との区別は難しく、ブルーリボン第2期でそれまでの標準床がなくなり、それに相当する車格がミドルデッカーと呼ばれるようになったため、分類には困難を極めます。用途としては、当初は上高地仕様の短尺貸切車として、後には廉価版の高速バスとして使用されることが多いようです。
ユーザー側としても、ミドルデッカーの呼び方を使うところもあれば、他メーカーとの関係の中でハイデッカーと呼んだり、また標準床という扱いであったりと千差万別のようです。

九州国際観光バス 日野K-RV561P
RV561P

撮影:板橋不二男様(1992.11.27)

標準床車とフルデッカーの中間に位置する車格のミドルデッカーの第1期生はモノコックボディ。屋根の段差がないセミデッカーと言えば分かりやすいかもしれません。写真の車両は、側面最前部の窓を下方に拡大しており、セミデッカーのコンセプトを引き継いでいるのが分かります。

岩手県北自動車 日野P-RU638B(1986年式)
RU638B

撮影:岩手町(1986.5.5)

スケルトンボディになってからのミドルデッカー。外観的に標準床車やフルデッカーとの区別はより難しくなりましたが、その分、普及率も高まりました。
なお、写真の車両はブルーリボン第2世代で、スーパーミドルデッカーと呼ばれます。1990年のモデルチェンジ以降、高床Ⅱ(セレガFS)と呼ばれることになるクラスです。

全高・・・3,250mm

日本国有鉄道 日野P-RU638B(1986年式)
RU638B

撮影:岩手町(1986.5.5)

1985年のモデルチェンジ以降ミドルデッカーと呼ばれるクラスは、それまで標準床車であったクラスに近く、従来のミドルデッカーより車高が低くなっています。1990年のモデルチェンジ以降、高床Ⅲ(セレガFM)と呼ばれることになるクラスです。

全高・・・3,180mm

フルデッカー

フルデッカーは「ハイデッカー車」の中でも標準的なタイプで、室内のタイヤハウスをなくし、床下にトランクを備えています。セミデッカーなど他の車格との区別のためフルデッカーと呼ばれていますが、他の車格がなかったいすゞはハイデッカーという呼称を使っていました。更に1990年代以降には車格が整理されたため、フルデッカーという呼称は徐々に使われなくなり、ハイデッカーと呼ばれるようになっています。
1970年代にセミデッカーに続いて登場し、前面窓を上下に2枚に分割した斬新なスタイルと、1枚窓を上に伸ばした面長なスタイルとの大きく2種類がありました。両方とも、これまでのバスに比べて背が高くなったことがよく分かるスタイリングで、川崎ボディや富士重工は両方のスタイルを用意していました。
1980年代にスケルトンタイプのボディになると、いずれのメーカーもフルデッカーを標準とした設計になり、縦長なイメージは姿を消します。

花巻観光バス 日産デRA50T(1979年式)
RA50T

撮影:宮野目営業所(1985.8.27)

富士重工では、1977年にR1型フルデッカーを登場させます。ネオプランを意識したという上下2分割窓のフロントスタイルが特徴で、これまでにない斬新さが人気を呼びました。
このような前面ガラスのフルデッカーは、川崎車体(ハイデッカーⅢ型)、三菱車体(フルデッカⅠ)も追随しています。

全高・・・3,300mm

岩手県北自動車 日野P-RV561P(1982年式)
RV561P

撮影:盛岡営業所(1986.5.2)

標準床車を縦に伸ばしたようなスタイルをした日野のフルデッカー。室内のタイヤハウスを完全になくし、床下に大型トランクを備えています。
日野車体のフルデッカーはこのタイプだけですが、富士重工、川崎車体は正面1枚窓と上下2分割窓の両方を用意していました。ユーザーによって好みは分かれたようです。

全高・・・3,330mm

士別軌道 三菱P-MS725S(1987年式)
MS725S

撮影:本社営業所(2016.6.11)

いずれのメーカーもスケルトンタイプになると、フルデッカーを標準とした設計になり、外観の違和感はなくなりました。
写真は1982年に登場した三菱のエアロバス。

全高・・・3,265mm

フルデッカー(バリエーション)
後部段上げ(ロイヤルデッカー)
西鉄観光バス 三菱KC-MS829P(1999年式)
MS829P

画像:西日本車体工業公式カタログ(2001)

フルデッカーをベースに後部の屋根を高くしたタイプが、1982年から西日本車体で作られています。ちょうどサロン室のスペースに相当する位置がハイルーフになります。C-Ⅱ型と呼ばれました。
同様の構造は、呉羽自工でも存在したようです。
なお、西鉄グループがこれをロイヤルデッカーと呼称していたほか、類似形態を持ついすゞの小型バス「ジャーニーQ」の後部段上げタイプがロイヤルデッカーの商品名だったこともあり、このタイプをこの名称で呼ぶことは多いようです。

全高・・・3,460mm

スーパーハイデッカー

スーパーハイデッカーは、フルデッカーよりさらに車高を高くしたもので、概ね3.5m以上の車高を持っています。
ダブルデッカーブーム直後から登場し、やがて高速バスや貸切バスの主流になります。当初は、2階建てバスから1階部分をなくしたという意味で「2階だけバス」などと呼ばれたこともあります。「中2階バス」という呼称もあります。
アイポイントが高いため眺望に優れているほか、車体下トランクの容量も大きく取れます。高速バスの場合には、車体下にトイレや乗務員仮眠室が設置できるなどのメリットもあり、1980年代後半からの高速バスブームとともに生産量を大きく伸ばしました。
フルデッカーを基本に正面窓を縦に伸ばしたスタイルのものと、ダブルデッカーを基本にした正面2枚窓のものとがあり、メーカー、ユーザー、並びに使用目的によって多種多様のバリエーションがありました。
ユーザーの名称はスーパーハイデッカーが普通だったようですが、一部にダブルデッカーと呼ぶユーザーも見られたようです。

岩手県交通 いすゞU-LV771R(1994年式)
LV771R

撮影:盛岡バスセンター(2016.7.9)

フルデッカーなどと共通イメージを持たせた正面1枚ガラスのスーパーハイデッカー
写真はIKコーチの「スーパークルーザー」ですが、三菱の「スーパーエアロⅡ」、日野の「グランデッカ」なども同様の1枚ガラスのスタイルでした。
高速バスには1枚ガラスが好まれたようです。

全高・・・3,660mm

阿寒バス 三菱U-MS729S(1991年式)
MS729S

撮影:釧路駅(2016.6.12)

ダブルデッカーからのアプローチである前面窓2分割のスーパーハイデッカー
写真は、複数のバリエーションを持つ三菱のスーパーハイデッカーの中で、呉羽自工が製造した「エアロクィーンK」。日野の「グランジェット」、富士重工のHDⅡなども同様の2枚ガラスでした。
前面窓2分割のスタイルは、大きいバスに見せることで商品価値を上げる必要がある貸切バスに多く見られました。

全高・・・3,535mm

スーパーハイデッカー(バリエーション)

居住性や操作性の面で短命に終わったダブルデッカーのウィークポイントを解決したのがスーパーハイデッカーですが、それに新たな付加価値を加えた車両も開発されました。

シアタータイプ
日野P-RU638BB
RU638B

画像:日野自動車公式カタログ(1987年)

後部に行くに従って高くなる斜床を採用し、後ろの席でも前方の眺望が効く劇場型の観光バスは、国産車では日野自動車が1986年に設定した「グラン・シアター」が唯一の存在です。セレガにモデルチェンジした後の1994年まで設定がありました。
輸入車では、ドレクメーラー・コメットの例もあります。

後部2階建て
ボルボB10M(1987年式)
B10M

画像:富士重工業公式カタログ(1987年発行)

リアオーバーハングを2階建て構造にしたスーパーハイデッカーが、1987年に登場しています。これは、富士重工がボルボのシャーシにボディを架装したもので、「アステローペ」の名前が付けられています。ミッドシップエンジンのため、後部を客室として活用することが可能でした。2001年まで生産されています。
この時期に伸長が著しかった都市間高速バスへの導入例も目立ちました。

UFCタイプ
いすゞP-LV771R
LV771R

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.6.8)

客席が最前部まであり、運転席がその下にあるというUFC(アンダー・フロア・コックピット)タイプは、1980年にドイツのネオプランの輸入車が上陸したのが最初ですが、国産では1990年代に設定がありました。
ダブルデッカーのなかったいすゞは、1989年に「スーパークルーザーUFC」を、三菱は1993年に「エアロクィーンⅢ」をそれぞれ新設しました。
フラッグシップ車としての導入が主で、生産量は多くなく、いすゞは1996年まで、三菱は2005年までの設定でした。

ダブルデッカー

本格的なダブルデッカー(2階建てバス)の時代は輸入車から始まりました。1980年代にその数が急増し、ブームの様相を呈する中で、国内メーカーも相次いでダブルデッカー市場に参入、いすゞ以外の3メーカーが商品化しています。
ダブルデッカーは車体が大型化したことなどから3軸シャーシとなり、またボディスタイルも各メーカーが新しい技術を競って導入したこともあり、その後の観光バススタイルの基本を先取りする形になっています。
外観上のインパクトは大きいため、貸切バスのフラッグシップとしての役割は充分でした。しかし、限られた高さの中で2フロアを設置するため天井が低いなど居住性に問題があり、それ以上に普及することはなく、スーパーハイデッカーの登場とともに、量産はそちらに移っています。日野と日産ディーゼルは早くに市場から撤退し、三菱のみが製造を続けました。1990年代に入り、席数確保が必要な夜行高速バス用のニーズが見いだされましたが、これも量産に結びつくものではありませんでした。

京阪バス 三菱U-MU525TA改(1993年式)
MU525TA

撮影:京都駅(2012.6.10)

国産のダブルデッカーは1985年から3メーカーで販売されましたが、日産ディーゼルと日野は早くに撤退、三菱のみが断続的に2010年まで生産を続けました。
後部にはエンジンと後輪があるため、1階客席は前半分です。これは高さに制限のある日本のダブルデッカーの宿命でした。

用語注
  1. ここで言う「ハイデッカー車」とは様々な種類のハイデッカータイプを総称する広義の語句として使っています。
  2. 車格と言うのは、セミデッカーやスーパーハイデッカーなど「ハイデッカー車」の中での車両の格のことを指します。タイプと言う言葉も使っています。
  3. 各タイプの名称は太字で表しています。当時一般的に使用された名称を記しています。
  4. メーカーやユーザーにより、名称には様々な相違があります。ここで示したものは一例に過ぎず、またハイデッカーの分類にかかわると思われる名称のみに触れています。
  5. 考え方や解釈により異なる部分があろうかと思いますが、ご容赦ください。
  6. 「モノコックボディ」「スケルトンタイプ」と言う言葉は、構造を表す用語として使用しているのではなく、外観のスタイルを区別する意味で使用しています。
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”