観光バスの車格(ハイデッカー)
「ハイデッカー」バスに興味のある方ならたいてい聞いたことのある言葉だと思いますが、いざ説明しようと思うと、その定義には曖昧さが残ります。
語源はDeckつまり床とか屋根とかいう意味で、それを高くした車両をさす言葉です。1970年代から貸切バスのデラックス化に伴い、そのハード面での対応策として登場したのが「ハイデッカー車」です。接客設備では冷蔵庫、カラオケ、サロンなどの装備が一般化していきますが、そういった重装備と車両の大型化は表裏一体であったと考えられます。
ここでは、「ハイデッカー車」の発達過程の中で登場した様々な車格を整理してみたいと思います。呼び方については、メーカーによって異なりますし、同じメーカーでも時代によって名称を変えている場合があります。更にユーザー(バス会社)によっても呼び方が異なりますので、より一般的と思われるものを使用します。掲載の順番は、登場順ではなく、高さの低い順です。最初に出てくるのは、「ハイデッカー車」ではなく、基本形とも言うべき標準床です。
用語注を参照。
標準床
標準床(ひょうじゅんしょう)、平屋根(ひらやね)、平ボディなど色々な呼び方がありますが、路線バスと同サイズの断面を持つ観光バスの基本形。路線バスから派生した観光バスは、1970年代までは標準床が基本でした。
1980年代に入り、スケルトンタイプのボディにモデルチェンジされる頃には、観光バスの標準は「ハイデッカー車」に移り、標準床の生産は大幅に減少します。低断面トンネルを通過するための“上高地仕様”の貸切車や、近距離高速バス、及び自家用バスに限定されるようになり、メーカーカタログからも姿を消し始めます。
標準床(モノコックボディ)
日本国有鉄道 三菱B905N(1975年式)
撮影:鹿児島県(1987.3.10)
路線バスと断面が変わらない標準床の貸切バス。1970年代前半までは、シャーシともども路線系と観光系の区別が曖昧でした。
路線バスで言えば、低床化前のツーステップバスと同じ床の高さです。開いたドアから2段ステップが見えます。
全高・・・3,100mm(室内高・・・1,815mm)
標準床(スケルトンタイプ)
諏訪バス いすゞP-LV219Q(1986年式)
撮影:諏訪市(1990.1)
スケルトンタイプのボディになると、標準床の観光バスは大幅に減少し、メーカーのカタログからも姿を消します。
写真はいわゆる“上高地仕様”と呼ばれる短尺車で、低断面で急カーブのある釜トンネルを通過できる仕様です。1980年代には、長野県内各社のほか、都市圏の大規模貸切会社で見られました。
全高・・・3,100mm(室内高・・・1,850mm)
路線バスタイプ
1980年代後半頃から、観光バスの標準床のニーズが減少したため、標準床モデルを設定しないボディメーカーが増加します。
標準床(観光マスク)
仙台市交通局 日野P-HU276BA(1988年式)
撮影:左党89号様(南仙台営業所 1997.9.13)
日野車体では、標準床は路線バスボディに観光バスのマスクをつけた仕様を用意します。シャーシも路線バス用です。
三菱ボディでも、エアロスター(初代)では路線バスボディにエアロバスのマスクをつけた仕様があります。
全高・・・3,120mm(室内高・・・1,910mm)
標準床(路線マスク)
岩手県北自動車 日産デU-UA510LAN(1993年式)
撮影:左党89号様
富士重工では、1988年の17型ボディへの移行時に標準床の観光バスボディの設定はなくなり、路線バスの前面窓をルーフラインまで拡大した7Bと呼ばれるボディになりました。やはりシャーシも路線バス用です。
三菱ボディもエアロスター(2代目)では、前面窓を1枚の大型ガラスにした仕様を設定しています。
全高・・・3,195mm(室内高・・・1,895mm)
スタンダードデッカー
標準床の観光タイプの設定を1990年代以降も続けていたのは三菱のみで、これにはスタンダードデッカーという名称をつけています。
車体の高さはこれまでの標準床と変わらないものの、座席部分の床を段上げすることで、タイヤハウスの張り出しを減らし、かつアイポイントを上げています。
スタンダードデッカー
瀬戸内海交通 三菱KL-MS86MP(2005年式)
撮影:今治桟橋(2016.5.29)
三菱は1993年のエアロバスモデルチェンジ以降も、スタンダードデッカーという名称で、2005年まで標準床車の製造を続けました。自家用バスや中距離路線バスなどに導入されました。
全高・・・3,100mm(室内高・・・1,930mm)
中型バス・床段上げ
自家用 日野P-RJ172BA
撮影:長野県(2018.8.19)
日野の中型バスの観光タイプでは、「デラックス観光」という仕様で、標準床と同じ全高で床を段上げしたタイプを設定しています。その分、室内高が標準床より小さくなっています。また、外観上は、側窓の位置が高いことで区別できます。
全高・・・2,925mm(室内高・・・1,780mm)
セミデッカー
標準床車から最初に派生した「ハイデッカー車」がセミデッカーです。早いものは1959年に国際観光の東京−箱根間に定期運行した車両が知られています。これは、川崎、富士重工などにより、米国GMCのグレイハウンドを範として作られたものですが、しばらくの間は、ごく一部の需要に対しての特注車の域を出ませんでした。
メーカーがオプション設定して普及し始めたのは1970年代です。標準床車の途中から屋根と床を段上げしたもので、外観上は屋根に明かり窓付きの段がつくためインパクトがあります。
三菱ボディ、呉羽ボディが1960年代から生産しており、1970年代に入ってから富士重工、帝国ボディ(→日野ボディ)などが加わっています。
フルデッカーなどの登場により上級感が薄れ、1980年代に入ると生産量は激減し、モノコックボディの終焉とともに姿を消しています。
S型セミデッカー
元ケイエム観光 三菱MS513RA(1979年式)
撮影:栗原市(2012.9.16)
第2柱(前ドア次位)から屋根を段上げしたセミデッカー。モノコックボディ時代の産物でもあるセミデッカーは、流線形のフォルムがスマートさを強調します。
富士重工では、1973年からの設定です。写真は、側面に固定式のカーブドガラスを採用し、高級感を増したもの。
全高・・・3,300mm(室内高・・・1,915mm)
セミデッカー
伊那バス 日野RV531P(1979年式)
撮影:伊那本社(1988.11.27)
こちらは第4柱(1枚目の側窓次位)から屋根を段上げしたもの。写真は日野車体製で、やはり1973年の登場です。
富士重工、日野車体とも、屋根を段上げする位置については2種類を用意しており、ユーザーの好みで導入が分かれたようです。
全高・・・3,265mm(室内高・・・1,895mm)
ハイデッカーⅠ型
松電観光バス いすゞCRA580(1977年式)
撮影:松本営業所(1988.10.5)
1976年に登場した川重ボディのハイデッカーⅠ型。客席部分の車高は後に登場するフルデッカーと同じで、名称からもセミデッカーとは呼ばれていませんが、フォルムとしてはセミデッカーに分類できます。
全高・・・3,380mm(室内高・・・1,890mm)
中型バス・セミデッカ
松本電気鉄道 三菱K-MK116H(1981年式)
撮影:松本営業所(1988.5.25)
中型バスでセミデッカーを採用したのは三菱のみ。全高は標準床より80mmほど高くなっています。
カタログでの車格の表記はセミデッカです。当時はまだ表記方法は定まっておらず、三菱は「デッカ」と記載していました。
全高・・・2,910mm(室内高・・・1,765mm)
パノラマデッカー
セミデッカーに続いて、屋根の段差部分を盛り上がるような形状にしたパノラマデッカーが登場します。外観的にはセミデッカー以上のインパクトがありますが、車内の床高さはセミデッカーと変わらず、目玉の明かり窓も実用に値するものではありません。
富士重工と三菱ボディが好んで生産していますが、やはりスケルトンタイプボディへの移行に伴い姿を消しています。
パノラマP型デッカー
岩手県交通 いすゞCRA580(1978年式)
撮影:河南営業所(1986.5.25)
富士重工では1976年に、セミデッカーをベースに明かり窓を大型化したパノラマデッカーを設定しました。丸みのあるモノコックボディならではの造形です。
全高・・・3,315mm(室内高・・・1,915mm)
パノラマデッカ
富士急行観光 三菱MS513N
撮影:双葉SA(1986.8.18)
三菱ボディのパノラマデッカも、セミデッカやフルデッカをベースに、大形の明り窓を付けた設定です。三菱ボディの場合、各種「ハイデッカー車」の床面高はすべて同じで、先頭部の形状のみを変えています。
全高・・・3,330mm(室内高・・・2,040mm)
ミドルデッカー
ミドルデッカーは標準床車とフルデッカーの中間で、日野独自の車格です。ブルーリボン第2期の1985年のモデルチェンジでスーパーミドルデッカーという呼び方になり、高床Ⅱ(セレガFS)などの区分で呼ばれながらセレガRの時代まで設定されていました。
スケルトンボディになってからは外観的に隣接車格との区別は難しく、ブルーリボン第2期でそれまでの標準床がなくなり、それに相当する車格がミドルデッカーと呼ばれるようになったため、分類には困難を極めます。用途としては、当初は上高地仕様の短尺貸切車として、後には廉価版の高速バスとして使用されることが多いようです。
ユーザー側としても、ミドルデッカーの呼び方を使うところもあれば、他メーカーとの関係の中でハイデッカーと呼んだり、また標準床という扱いであったりと千差万別のようです。
ミドルデッカー
九州国際観光バス 日野K-RV561P
撮影:板橋不二男様(1992.11.27)
標準床車とフルデッカーの中間に位置する車格のミドルデッカーの第1期生はモノコックボディ。屋根の段差がないセミデッカーと言えば分かりやすいかもしれません。写真の車両は、側面最前部の窓を下方に拡大しており、セミデッカーのコンセプトを引き継いでいるのが分かります。
ミドルデッカー
岩手県北自動車 日野P-RU638A(1985年式)
撮影:盛岡駅口(1985.5.3)
スケルトンボディになってからのミドルデッカー。外観的に標準床やフルデッカーとの区別はより難しくなりましたが、その分、普及率も高まりました。
全高・・・3,175mm(室内高・・・1,930mm)
スーパーミドルデッカー
弘南バス 日野P-RU608B(1986年式)
撮影:国鉄バス盛岡支所(1986.8.30)
ブルーリボン第2世代で、スーパーミドルデッカーと呼ばれます。
1990年のモデルチェンジ以降、高床Ⅱ(セレガFS)と呼ばれることになるクラスです。
全高・・・3,250mm(室内高・・・1,940mm)
ミドルデッカー
川中島バス 日野P-RU637BA(1986年式)
撮影:更埴営業所(1990)
1985年のモデルチェンジで、観光シャーシの標準床(スタンダード)がなくなり、それに代わるクラスがミドルデッカーとなりました。
1990年のモデルチェンジ以降、高床Ⅲ(セレガFM)と呼ばれることになるクラスです。
全高・・・3,180mm(室内高・・・1,940mm)
フルデッカー
フルデッカーは「ハイデッカー車」の中でも標準的なタイプで、室内のタイヤハウスをなくし、床下にトランクを備えています。セミデッカーなど他の車格との区別のためフルデッカーと呼ばれていますが、他の車格がなかったいすゞはハイデッカーという呼称を使っていました。更に1990年代以降には車格が整理されたため、フルデッカーという呼称は徐々に使われなくなり、ハイデッカーと呼ばれるようになっています。
1970年代にセミデッカーに続いて登場し、前面窓を上下に2枚に分割した斬新なスタイルと、前面窓を上に伸ばした面長なスタイルとの大きく2種類がありました。両方とも、これまでのバスに比べて背が高くなったことがよく分かるスタイリングで、川崎ボディや富士重工は両方のスタイルを用意していました。
1980年代にスケルトンタイプのボディになると、いずれのメーカーもフルデッカーを標準とした設計になり、縦長なイメージは姿を消します。
上下2枚分割窓
R1型フルデッカー
花巻観光バス 日産デRA50T(1979年式)
撮影:宮野目営業所(1985.8.27)
富士重工では、1977年にR1型フルデッカーを登場させます。ネオプランを意識したという上下2分割窓のフロントスタイルが特徴で、これまでにない斬新さが人気を呼びました。
このような前面ガラスのフルデッカーは、三菱車体(フルデッカⅠ)、川崎車体(ハイデッカーⅢ型)も追随しています。
全高・・・3,300mm(室内高・・・1,845mm)
左右2枚ガラス
フルデッカー
岩手県北自動車 日野P-RV561P(1982年式)
撮影:盛岡営業所(1986.5.2)
標準床車を縦に伸ばしたようなスタイルをした日野のフルデッカー。室内のタイヤハウスを完全になくし、床下に大型トランクを備えています。
このような前面ガラスのフルデッカーは、富士重工(R2型フルデッカー)、川崎車体(ハイデッカーⅡ型)でも見られます。ユーザーによって好みは分かれたようです。
全高・・・3,330mm
スケルトンタイプ
フルデッカー
士別軌道 三菱P-MS725S(1987年式)
撮影:本社営業所(2016.6.11)
いずれのメーカーもスケルトンタイプになると、フルデッカーを標準とした設計になり、外観の違和感はなくなりました。
写真は1982年に登場した三菱のエアロバス。
全高・・・3,250mm(室内高・・・2,030mm)
フルデッカー(バリエーション)
後部段上げ(ロイヤルデッカー)
西鉄観光バス 三菱KC-MS829P(1999年式)
画像:西日本車体工業公式カタログ(2001)
フルデッカーをベースに後部の屋根を高くしたタイプが、1982年から西日本車体で作られています。ちょうどサロン室のスペースに相当する位置がハイルーフになります。C-Ⅱ型と呼ばれました。
同様の構造は、呉羽自工でも存在したようです。
なお、西鉄グループがこれをロイヤルデッカーと呼称していたほか、類似形態を持ついすゞの小型バス「ジャーニーQ」の後部段上げタイプがロイヤルデッカーの商品名だったこともあり、このタイプをこの名称で呼ぶことは多いようです。
全高・・・3,460mm
スーパーハイデッカー
スーパーハイデッカーは、フルデッカーよりさらに車高を高くしたもので、概ね3.5m以上の車高を持っています。
ダブルデッカーブーム直後から登場し、やがて高速バスや貸切バスの主流になります。当初は、2階建てバスから1階部分をなくしたという意味で「2階だけバス」などと呼ばれたこともあります。「中2階バス」という呼称もあります。
アイポイントが高いため眺望に優れているほか、車体下トランクの容量も大きく取れます。高速バスの場合には、車体下にトイレや乗務員仮眠室が設置できるなどのメリットもあり、1980年代後半からの高速バスブームとともに生産量を大きく伸ばしました。
ダブルデッカーを基本にした正面2枚窓のものと、フルデッカーを基本に正面窓を縦に伸ばしたスタイルのものとがあり、メーカー、ユーザー、並びに使用目的によって多種多様のバリエーションがありました。
ユーザーの名称はスーパーハイデッカーが普通だったようですが、一部にダブルデッカーと呼ぶユーザーも見られたようです。
上下2枚ガラス
エアロクィーンK
阿寒バス 三菱U-MS729S(1991年式)
撮影:釧路駅(2016.6.12)
ダブルデッカーからのアプローチである前面窓2分割のスーパーハイデッカー。
写真は、複数のバリエーションを持つ三菱のスーパーハイデッカーの中で、呉羽自工が製造した「エアロクィーンK」。日野の「グランジェット」、富士重工のHDⅡなども同様の2枚ガラスでした。
前面窓2分割のスタイルは、大きいバスに見せることで商品価値を上げる必要がある貸切バスに多く見られました。
全高・・・3,535mm(室内高・・・1,960mm)
1枚ガラス
スーパークルーザーSHD
岩手県交通 いすゞU-LV771R(1994年式)
撮影:盛岡バスセンター(2016.7.9)
フルデッカーなどと共通イメージを持たせた正面1枚ガラスのスーパーハイデッカー。
写真はIKコーチの「スーパークルーザー」ですが、三菱の「スーパーエアロⅡ」、日野の「グランデッカ」なども同様の1枚ガラスのスタイルでした。
高速バスには1枚ガラスが好まれたようです。
全高・・・3,660mm(室内高・・・1,985mm)
スーパーハイデッカー(バリエーション)
シアタータイプ
グランシアター
日野P-RU638BB
画像:日野自動車公式カタログ(1987年)
後部に行くに従って高くなる斜床を採用し、後ろの席でも前方の眺望が効く劇場型の観光バスは、国産車では日野自動車が1986年に設定した「グラン・シアター」が唯一の存在です。セレガにモデルチェンジした後の1994年まで設定がありました。
輸入車では、ドレクメーラー・コメットの例もあります。
後部2階建て
富士交通 ボルボKC-B10MD
撮影:左党89号様(仙台駅)
リアオーバーハングを2階建て構造にしたスーパーハイデッカーが、1987年に登場しています。これは、富士重工がボルボのシャーシにボディを架装したもので、「アステローペ」の名前が付けられています。ミッドシップエンジンのため、後部を客室として活用することが可能でした。2001年まで生産されています。
この時期に伸長が著しかった都市間高速バスへの導入例も目立ちました。
UFCタイプ
スーパークルーザーUFC
いすゞP-LV771R
撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.6.8)
客席が最前部まであり、運転席がその下にあるというUFC(アンダー・フロア・コックピット)タイプは、1980年にドイツのネオプランの輸入車が上陸したのが最初ですが、国産では1990年代に設定がありました。
ダブルデッカーのなかったいすゞは、1989年に「スーパークルーザーUFC」を、三菱は1993年に「エアロクィーンⅢ」をそれぞれ新設しました。
フラッグシップ車としての導入が主で、生産量は多くなく、いすゞは1996年まで、三菱は2005年までの設定でした。
ダブルデッカー
本格的なダブルデッカー(2階建てバス)の時代は輸入車から始まりました。1980年代にその数が急増し、ブームの様相を呈する中で、国内メーカーも相次いでダブルデッカー市場に参入、いすゞ以外の3メーカーが商品化しています。
ダブルデッカーは車体が大型化したことなどから3軸シャーシとなり、またボディスタイルも各メーカーが新しい技術を競って導入したこともあり、その後の観光バススタイルの基本を先取りする形になっています。
外観上のインパクトは大きいため、貸切バスのフラッグシップとしての役割は充分でした。しかし、限られた高さの中で2フロアを設置するため天井が低いなど居住性に問題があり、それ以上に普及することはなく、スーパーハイデッカーの登場とともに、量産はそちらに移っています。日野と日産ディーゼルは早くに市場から撤退し、三菱のみが製造を続けました。1990年代に入り、席数確保が必要な夜行高速バス用のニーズが見いだされましたが、これも量産に結びつくものではありませんでした。
エアロキング
京阪バス 三菱U-MU525TA改(1993年式)
撮影:京都駅(2012.6.10)
国産のダブルデッカーは1985年から3メーカーで販売されましたが、日産ディーゼルと日野は早くに撤退、三菱のみが断続的に2010年まで生産を続けました。
後部にはエンジンと後輪があるため、1階客席は前半分です。これは高さに制限のある日本のダブルデッカーの宿命でした。
同一ブランド内のバリエーション例
これまでは、車格別に大きな区別を眺めてきましたが、最後に、同じブランド内での車格のバリエーション展開の一例を取り上げます。
メーカーごとに、或いは時代によって、その区分の仕方に変化が見られることを、年代ごとの実例を示すことで解読してみます。
三菱MS(1970年代)
一つ目は、三菱MSで、モノコックボディ時代のバリエーションです。車両の高さは変えずに先頭部の形状で車格を分けている事例です。
スタンダード
三菱K-MS615N
画像:三菱自動車公式カタログ(1982)
三菱MSでは、1977年の登場時に、4タイプのバスボディを設定しました。
その中で、標準床であるスタンダードは、ベースとなるボディスタイルです。
全高・・・3,065mm(室内高・・・1,835mm)
セミデッカ
三菱K-MS615N
画像:三菱自動車公式カタログ(1982)
「ハイデッカー車」は3種類設定されましたが、先頭部以外の高さや形状はいずれも同じです。つまり、三菱では、高さではなく先頭形状で車格を分類しているわけです。
全高・・・3,330mm(室内高・・・2,040mm)
パノラマデッカ
三菱K-MS615N
画像:三菱自動車公式カタログ(1982)
パノラマデッカは、先頭部の屋根に盛り上がりがありますが、全高はベンチレーターの高さ部分で決まるため、他の「ハイデッカー車」と全高に差異はありません。
また、側面最前部の窓が一段下がっていますが、この部分も床の高さに違いはないようです。
全高・・・3,330mm(室内高・・・2,040mm)
フルデッカ
三菱K-MS615N
画像:三菱自動車公式カタログ(1982)
三菱のフルデッカは、最前部まで屋根が高いという意味でのフルデッカーであることが分かります。前面スタイルは、富士重工のR1型フルデッカーと共通しています。
全高・・・3,330mm(室内高・・・2,040mm)
フルデッカⅡ
三菱K-MS615S
画像:三菱自動車公式カタログ(2002)
1980年から、観光バスのスケルトンタイプ化への進化に対応して、フルデッカⅡを新設しています。前構を完全にモデルチェンジし、1981年には後構も直線的にモデルチェンジしています。基本的に全高は変わりませんが、室内高は拡大されています。
全高・・・3,320mm(室内高・・・2,060mm)
日産ディーゼル「スペースアロー」(1980年代)
日産ディーゼルの観光バスは、富士重工ボディを標準としていますが、ボディメーカーの富士重工の呼称であるR3型フルデッカーなどとは異なる呼称が、1982年以降のカタログには書かれています。これらは、時期ごとに変化するようですが、1985年頃のカタログを元に分類をご紹介します。
スタンダード(標準車)
日産ディーゼルP-RA53N
画像:日産ディーゼル公式カタログ(1986)
富士重工でいう13型Bで、この時期までは観光バスに標準床のボディを架装していました。
全高・・・3,120mm(室内高・・・1,880mm)
ハイデッカⅠ
日産ディーゼルP-RA53TE
画像:日産ディーゼル公式カタログ(1986)
フルデッカータイプには、グレードにより数字が付けられています。このハイデッカⅠは、富士重工でいうR2型フルデッカーに相当するものと思われます。
1985年のカタログによると引き違い窓が基本になるようですが、この写真では「特別仕様」として上部固定窓となっています。
全高・・・3,390mm(室内高・・・1,965mm)
ハイデッカⅡ
日産ディーゼルP-RA46T
画像:日産ディーゼル公式カタログ(1985)
フルデッカーの中で、前面1枚ガラス、側面最前部の窓が斜めにカットされているタイプがハイデッカⅡに分類されるようです。全高、室内高ともにハイデッカⅠとは変わりません。富士重工でいうR3型フルデッカーに相当します。特別仕様にはカーブドガラスも選択できます。
全高・・・3,390mm(室内高・・・1,965mm)
ハイデッカⅢ
日産ディーゼルP-RA53TE
画像:日産ディーゼル公式カタログ(1986)
車体断面が変わったフルデッカーで、富士重工でいうHD-ⅠがハイデッカⅢと呼ばれます。
諸元表上の全高は前2車種より低いのですが、このタイプはベンチレーターがないため、実質的には同程度と思われます。
全高・・・3,280mm(室内高・・・1,995mm)
日野セレガ(1990年代)
最後は、「ハイデッカー車」成熟期に登場した日野セレガです。1985年以降の日野ブルーリボンの車格を継承し、細かい高さの違いで車格を分けている事例です。
スタンダード(標準車)
新東海バス 日野KC-HU3KMCA(1998年式)
撮影:修善寺駅(2016.6.4)
観光バスの日野セレガには標準床はありませんが、路線バスボディにセレガの顔を付けた車両が存在します。シャーシも路線バス用です。
全高・・・3,150mm
セレガFM(高床Ⅲ)
仙台市交通局 日野U-RU1FTAA(1992年式)
撮影:左党89号様(仙台駅 2007.3.11)
セレガFMは、先代のブルーリボンではミドルデッカーと呼ばれていた車格で、標準床とほとんど変わりません。
なお、1995年にマイナーチェンジで、この車格は廃止されています。
全高・・・3,165mm(室内高・・・1,940mm)
セレガFS(高床Ⅱ)
富士急シティバス 日野KC-RU3FSCB(1998年式)
撮影:新宿(2016.5.3)
セレガFSは、先代のブルーリボンではスーパーミドルデッカーと呼ばれていた車格で、セレガFMより若干高いはずですが、外観上の区別は容易ではありません。
自家用や近距離高速バスなどに使用される廉価版という位置づけです。
全高・・・3,235mm(室内高・・・1,915mm)
セレガFD(高床Ⅰ)
黒沢観光 日野U-RU2FTAB
撮影:長谷川竜様(宮城県 2017.6.3)
セレガFDは、先代のブルーリボンのフルデッカーです。ハイデッカー車では最も標準的な車格といえます。
フェンダの縁が大きく、ドアの上のスペースも大きいことから、ミドルデッカーとは外観が大きく異なります。
全高・・・3,340mm(室内高・・・1,915mm)
セレガGD
阿寒バス 日野U-RU3FSAB
撮影:釧路駅(2021.6.6)
セレガGDは、先代のブルーリボンではグランデッカと呼ばれていたスーパーハイデッカーです。
全高は同じながら、床が傾斜しているセレガGT(グランシアター)もありましたが、1994年のマイナーチェンジの際に廃止されました。
全高・・・3,640mm(室内高・・・1,915mm)
セレガGJ
中鉄バス 日野U-RU3FTAB
撮影:岡山駅(2016.11.23)
セレガGJは、先代のブルーリボンではグランジェットと呼ばれていたスーパーハイデッカーで、前面窓が上下2分割で、2階建てバスのイメージを持つ車両。客室部分はGDと変りませんが、運転席位置は低くなっています。
全高・・・3,640mm(室内高・・・1,915mm)
用語注
- ここで言う「ハイデッカー車」とは様々な種類のハイデッカータイプを総称する広義の語句として使っています。
- 車格というのは、セミデッカーやスーパーハイデッカーなど「ハイデッカー車」の中での車両の格のことを指します。タイプという言葉も使っています。
- 各タイプの名称は太字で表しています。当時一般的に使用された名称を記しています。
- メーカーやユーザーにより、名称には様々な相違があります。ここで示したものは一例に過ぎず、またハイデッカーの分類にかかわると思われる名称のみに触れています。
- 考え方や解釈により異なる部分があろうかと思いますが、ご容赦ください。
- 「モノコックボディ」「スケルトンタイプ」という言葉は、構造を表す用語として使用しているのではなく、外観のスタイルを区別する意味で使用しています。
- 文中の「全高」は諸元表上の数値で、屋根上のベンチレーター等も含みますので、相対的な高さの比較には必ずしも一致しない場合があります。