入門その頃のバス

日産自動車

シャーシ 日産自動車のバス製造への関与は、トヨタ自動車と極めて近いものがあります。すなわち、ガソリンエンジンの中型サイズのリアエンジンバスから始まり、ディーゼルエンジンの大型バスの製造を始めるものの、サイズやパワーなどから一部のユーザーにとどまり、大型ディーゼル車メーカーとの系列化の中で、自らは大型バス製造を中止しています。
日産自動車の場合、当初からディーゼルエンジンは民生デイゼル(後の日産ディーゼル)から供給を受けており、日産ディーゼルの大型バスの下位モデルの位置づけでした。


表4-6 日産自動車大型バスの系譜

系譜

日産BU系 コロナ 1954 - 1956

表4-6-1 日産BU系
年式195219541955-1956
原動機型式
(出力)
NA
(85PS)
NB
(95PS)
KE5
(85PS)
NC
(105PS)
KE21
(90PS)
軸距4200mmBU90BU90MBU90BU92MBU92
備考緑文字=中ドア専用シャーシ、※=1952年製は試作車
日産BU90
日産コロナ

画像:日産自動車公式カタログ(1954)

日産BU90
日産コロナ

画像:日産自動車公式カタログ(1954)

日産自動車では1954年にリアエンジンバスBU系「コロナ」を発売しています。全長8.5mほどの中型サイズで、ボディは新日国が架装しています。民生「イーグル」と同じ流線型ボディですが、サイズの違いで区別できます。
同時期の日産ボンネットバスと同様、ガソリンエンジン車と、三菱のディーゼルエンジンを使用した車両とが存在したようです。前者はBU、後者はMBUと名乗ったようです。
ただし、詳細は不明です。(注1)

日産UR系 1958 - 1968

表4-6-2 日産UR系
年式1958-19591960-19621963-19661967-1968
原動機型式
(出力)
UD3
(110PS)
UD3
(120PS)
UD3
(123PS)
UD3
(130PS)
軸距4300mm
(フレーム付)
UR591
NUR591
UR690
NUR690
UR690
NUR690
UR690
NUR690
4300mm
(フレームレス)
  JUR690
JNUR690
JUR690
JNUR690
備考緑文字=中ドア専用シャーシ、下線=フレーム付
UR591系(1958〜1959)
江ノ島鎌倉観光 日産UR591(1958年式)
UR591

所蔵:BA10-2407291様(藤沢営業所)

1958年に、民生デイゼルから提供を受けたUD3型ディーゼルエンジンを用いてUR系が製造開始されました。
9mサイズのフレーム付ボディで、ボンネットバスのU591をリアエンジンにアレンジしたものと思われますが、製造台数は多くないようです。

江ノ島鎌倉観光 日産NUR591(1959年式)
NUR591

所蔵:BA10-2407291様(藤沢営業所 1959)

江ノ島鎌倉観光 日産NUR591(1959年式)
NUR591

所蔵:BA10-2407291様(藤沢営業所 1961.4)

中ドア専用シャーシは、NURを名乗ります。
後部のエンジンルームの形状は、同時期の民生デイゼル製のリアエンジンバスRFなどに近いようで、通気孔の形状がよく似ています。側面の通気孔は縦置きエンジンのせいか少し高め、後面の点検蓋は中央に1枚です。

UR690系(1960〜1968)
初期(1960〜1962)
江ノ島鎌倉観光 日産NUR690(1960年式)
NUR690

所蔵:BA10-2407291様(場所不詳)

岩手県北自動車 日産自NUR690
NUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.4.6)

1960年にUR690にモデルチェンジされました。
当時の資料によると、日本で初めて前照灯4灯を採用したそうです。(注2)
初期の車両は、エンジンルームの形状がUR591と変わらないようです。後面の通気孔は中央の点検蓋に1枚です。(下図参照)

江ノ島鎌倉観光 日産NUR690(1961年式)形式図
NUR690

所蔵:BA10-2407291様

中期・後期(1963〜1968)
自家用 日産UR690(1967年式)
UR690

撮影:BA10-2407291様(東京都 1986.11)

自家用 日産UR690(1967年式)
UR690

撮影:BA10-2407291様(東京都 1986.11)

中期、後期の車両は、日産ディーゼル4R系とエンジンルームの形状に共通性があり、点検蓋、通気孔の形状も類似しています。中央の点検蓋の幅が広いのが相違点です。
富士重工ボディの場合、左側面の通気孔がなく、後面中央部の通気孔が小さくなっているのも相違点です。(注3)
UR系はUDエンジンの中でも最小出力で、車両サイズも全長9mサイズであるため、系列である日産ディーゼルの4R系の下位モデルのような位置づけでした。1965年に日産ディーゼルの4R82が登場すると、次第に需要はそちらに移り、日産自動車の大型バスは1968年にその幕を下ろしました。

ボディの組み合わせ・・・富士、金産、北村、呉羽、西工ほか

中期・後期のエンジン通気孔形状の考察

1963年以降のUR690のエンジン通気孔形状については、日産ディーゼル4R系とよく似ているものの、上記富士重工ボディのように若干の相違点があるというのが、文献等でも明らかにされていました。
しかし、ボディメーカーによっては、異なる形状のものも存在するため、その形状のバリエーションについて考えてみます。

金産自工

金産自工のフレームレスJURの一例です。1964〜65年式。
左側面の通気孔がないのは、富士重工製と同じですが、後面中央部のエンジン通気孔もなくなっています。

岩手県北自動車 日産JUR690
JUR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.11.25)

呉羽自工

呉羽自工の一例です。1964年式と思われ、奥で後ろ姿が覗いているのが1963年式と思われます。
左側面の通気孔がないのは、富士重工製と同じですが、後面中央部のエンジン通気孔は日産ディーゼル4R系と同じ大形です。

岩手県北自動車 日産自UR690
UR690

撮影:終点横川目様(岩手県 2007.12.8)

北村製作所(1)

北村製作所製ボディで、1966年までの丸形ボディ。
左側面のエンジン通気孔は、細長いものが残されています。この形状は、1965年のカタログに描かれた日産車体のイラストでも見られます。(自動車ガイドブック(1965-66)P.213)
後面の通気孔は大形です。

八戸市交通部 日産UR690
UR690

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.13)

北村製作所(2)
自家用 日産UR690
UR690

撮影:樋口一史様(五泉市 2005.6.9)

自家用 日産UR690
UR690

撮影:樋口一史様(五泉市 2005.6.9)

北村製作所製の1966年以降のボディを架装した事例です。
上の写真より新しいボディですが、左側面のエンジン通気孔が存在します。
後面の通気孔も大形です。
UDエンジン搭載なのでUDエンブレムをつけており、外観上は日産ディーゼル4R系との区別は困難です。

川崎航空機
京王帝都電鉄 日産NUR690
NUR690

所蔵:BA10-2407291様

京王帝都電鉄 日産NUR690
NUR690

所蔵:BA10-2407291様

川崎車体製の1964年頃のNUR690と思われる写真。
北村製作所製同様、左側面の通気孔が存在し、後面の通気孔は点検蓋の大きさともに4R系と変わりません。4R系に中ドア専用シャーシが存在しないので、NUR690であることはほぼ間違いないのですが、両系列の見分け方についての問題提起となる事例です。


日産自動車の系譜
  • 1933(昭和8)年 自動車製造設立
  • 1934(昭和9)年 日産自動車と改称
  • 1937(昭和12)年 ニッサンバス90型製造開始
  • 1944(昭和19)年 日産重工業と改称
  • 1949(昭和24)年 日産自動車と改称
  • 1950(昭和25)年 民生デイゼル工業に資本参加
  • 1966(昭和41)年 プリンス自動車工業と合併
  • 1968(昭和43)年 大型バスの製造を中止
  • 1999(平成11)年 フランスのルノーと資本提携



(注1)
日産コロナについては、信頼性のある記述があまりなく、下記の文献等の記述を参考にした。
  1. 飯沼信義(2012)「思い出バス120景」によると、日産コロナは1952年にガソリンエンジンのBU90型5両が試作されたのち、1954年に第1回モーターショーで発表され、正式販売されたとのこと。試作時は2段窓、正式販売時はバス窓で、いずれも新日国ボディ。
  2. 車史研(1987)「1960年代のバス」の巻末表に、ボンネットバスの項目で1954年にBU90/MBU90の型式がある。また、1955〜56年にMBU492の型式がある。
  3. 佐藤信之(2010)「昭和のバス名車輛」には、MBU92の写真、図面が掲載されている。説明文としてNC型ガソリンエンジン搭載とあるが、製造年が1948年と記載されているなど、説明文の信頼性は低い。
(注2)
ジーゼルニュース社発行の「Diesel News」(1959年11月)による。なお、UR690/NUR690は発表時「ニッサンプラネット」という商品名がついていた。
(注3)
日産UR690の左側面の通気孔がない点は、鈴木文彦(1999)「日本のバス年代記」P.94では「後期には」と書かれており、キュリアス編集室(2018)「廃バス見聞録2」P19では後面中央の通気孔が小さい点とともに、「(UD3エンジンで)発熱量が少ないためか」と考察している。
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