入門その頃のバス

日産自動車(小型バス)

ボディ+シャーシ 日産自動車の小型バスは、1959年登場の日産「キャブオール」をベースに、日産「エコー」を経て日産「シビリアン」に名前を変えて現在に至ります。
一方、富士精密工業(1961年からプリンス自動車工業)では、1958年登場の「プリンス・クリッパー」をベースに、「プリンス・ライトコーチ」の生産を始めますが、1966年に日産自動車に合併され、その後もしばらくはプリンスブランドでの生産が続くものの、1976年に生産を終了しています。
小型自動車メーカーとして、21〜26人乗りクラスの“マイクロバス”に絞ったラインナップは、トヨタとも共通しています。
なお、2021年に日産自動車は小型バスの製造を中止しました。
表7-4 日産小型バスの系譜

系譜

プリンス マイクロバス 1960−1966

プリンスでは、2tトラック「クリッパー」をベースにした14人乗りの「プリンス・マイクロバス」を1960年に設定します。これは、ルートバンと同じボディに客席を設置した小型バスでした。

表7-4-1 プリンス マイクロバス
年式1960-19611962-19631964-1966
原動機型式
(出力)
GA4
(70PS)
GB4
(91PS)
G2
(91PS)
軸距2345mmAQVH-2MBQVH-2MB631
備考  
プリンス マイクロバス(1960年)
プリンス・ライトコーチ

画像:プリンス自動車販売公式カタログ(1960年)

1958年に登場した小型トラック「プリンス・クリッパー」をベースにした“マイクロバス”で、スタイルは「クリッパー」と同じ。
1966年の日産自動車との合併により、生産を終えたようです。

ベース車・・・2tトラック「クリッパー」
車長・・・4,690mm
車幅・・・1,695mm
乗車定員・・・14人
総排気量・・・1,484cc
ボディの組み合わせ・・・

プリンス ライトコーチ 1959−1976

プリンスでは本格的小型バスとして、「マイクロバス」より一回り大きい21人乗りの「プリンス・ライトコーチ」も設定します。こちらは新目黒車体の独特なボディスタイルが標準です。
1966年にプリンスは日産自動車と合併しますが、「プリンス・ライトコーチ」は引き続きプリンスブランドで生産が続けられます。1976年にベース車のクリッパーが生産中止になると同時に、こちらも生産中止となりました。

表7-4-2 日産(プリンス)ライトコーチ
年式1960-19611962-19631963-19671968-19731973-1976
原動機型式
(出力)
GA4
(70PS)
GB4
(91PS)
G2
(91PS)
SD22
(65PS)
H20
(92PS)
SD22
(65PS)
H20
(92PS)
軸距2345mmAQTI-2BQVH-2L     
2790mm BQBAB-2B632B    
3070mm  B654B658B657B  
3100mm   B665B664BGYHT40
GYHWT40
GHT40
GHWT40
備考
第1期(1959〜63)
頸城鉄道 プリンス ライトコーチ(1959年式)
プリンス・ライトコーチ

画像:頸城自動車(1993)「レール&バス」

最初期のプリンス製のライトバス。この時点でカタログモデルだったかどうかは不明。
新目黒車体製の独特な前面グリルの形状が特徴。後面は丸形の2枚窓。同時期の「日産ジュニア・マイクロバス」とほぼ同じボディです。

プリンス ライトコーチ AQTI-2(1960年)
プリンス・ライトコーチ

画像:プリンス自動車販売公式カタログ(1960年)

プリンス ライトコーチ BQBAB-2(1962年)
プリンス・ライトコーチ

画像:プリンス自動車販売公式カタログ(1962年)

1960年に、本格的な小型バスとして、車幅1.9m、定員17人乗りのライトコーチが登場します。この時期のライトバスと呼ばれるバスは、大型バスをイメージさせるためか、正面に方向幕のような窓がつくのが特徴です。
車体は新目黒車体製で、後面窓は3分割の連続窓になっています。
1962年には車長を長くした21人乗りが登場します。

ベース車・・・2tトラック「クリッパー」
車長・・・5,175mm、5,720mm
車幅・・・1,900mm
乗車定員・・・17人、21人
総排気量・・・1,484cc、1,862cc
ボディの組み合わせ・・・新目黒車体

第2期(1963〜76)
日産 ライトコーチ
ライトコーチ

画像:所蔵写真(日産自動車公式写真 1973)

日産プリンス ライトコーチ
ライトコーチ

撮影:終点横川目様(北上市 2007.5.12)

1963年のモデルチェンジで、窓が大きい流線型ボディに生まれ変わりました。プリンスの高級車グロリアをイメージさせるライト周りが高級感を演出します。前側の写真はカタログカラーです。このバスのスタイルをより際立たせているようにデザインされたようです。
プリンスは1966年に日産に合併されましたが、その後もプリンスブランドのまま生産が続けられました。

ベース車・・・2tトラック「クリッパー」
車長・・・5,800mm
車幅・・・1,990mm
乗車定員・・・21〜24人
総排気量・・・1,862cc
ボディの組み合わせ・・・

日産ジュニア マイクロバス 1959-1961

1956年に登場した日産の1.75t小型トラック「ニッサン・ジュニア」をベースに、1959年に小型バスが作られています。
日産の純正ボディとは異なり、新目黒車体製の箱型ボディを持つものです。

日産ジュニア・マイクロバス(1959年)
ジュニアバス

画像:三栄書房(1959)「モーターファン1959-4」

ジュニアバス

画像:三栄書房(1959)「モーターファン1959-4」

新目黒車体が架装した大ぶりな箱型ボディを持つ小型バスで、補助席3席を加えて17人乗り。
大型バスと同じイメージのボディで、室内高は大きくとられています。後面は丸形の2枚窓で、その下はエンジンルームではなく、荷物室になっています。

日産ジュニア・マイクロバス(1959年式)
キャブオール・マイクロバス

画像:国際文化情報社(1959)「画報科学時代(10号)」

ほぼ同じ新目黒車体製ボディですが、側窓の縦寸法が拡大され、客用扉と高さを合わせた量産タイプと思われるスタイル。
なお、前面にはキャブオールのロゴも入っています。

日産ジュニア・マイクロバス(1960年)
ジュニアバス

画像:三栄書房(1960)「モーターファン1960-3」

ジュニアバス

画像:三栄書房(1960)「モーターファン1960-3」

新目黒車体は、1960年には、前面窓の上辺や後面窓の形状が変わりました。同年のプリンス・ライトコーチと同様の変化です。後面窓については、プリンスはピラーが2本ある3枚ガラスですが、こちらはピラー1本の2枚ガラスになっています。
また、前面グリル形状も曲線的になっています。

ベース車・・・1.75tトラック「ジュニア」
車長・・・5,140mm(1959年)、5,500mm(1960年)
車幅・・・1,820mm(1959年)、1,980mm(1960年)
乗車定員・・・17人
総排気量・・・1,489cc
ボディの組み合わせ・・・新目黒車体

日産キャブオールマイクロバス 1959-1962

1959年に2tトラックの日産キャブオールをベースにして、キャブオール・マイクロバスが登場、1960年には17人乗りサイズでバスらしいボディを持った車両も加わります。これは当初は同じキャブオール・マイクロバスを名乗っていましたが、1962年にはエコーの名前がついた模様で、次世代への橋渡しになりました。
なお、14人乗りサイズのキャブオール・マイクロバスはその後も引き続き生産されています。
表7-4-4 日産キャブオールマイクロバス
年式1959-19601960-19611962
原動機型式
(出力)
1H
(57PS)
G
(71PS)
G
(71PS)
H
(85PS)
軸距2390mmKC42KC/GC140KC/GC140KC/GC141
備考  
日産キャブオール・マイクロバス(1962年式)
キャブオール・マイクロバス

画像:日産自動車公式カタログ(1962年)

2tトラックの日産「ジュニア」をベースにキャブオーバータイプにしたのが日産「キャブオール」で、1958年の登場後、1959年から特装車として「マイクロバス」がカタログに加わります。キャブの部分はトラックと同じで、客室を設けたワンボックスタイプ。定員は初期の10名から14名に増加しています。

ベース車・・・2tトラック「キャブオール」
車長・・・4,580mm
車幅・・・1,675mm
乗車定員・・・10〜14人
総排気量・・・1,488/1,883cc
ボディの組み合わせ・・・

日産キャブオール・エコー
キャブオール・エコー

撮影:和歌山県(2018.6.24)

1960年に新日国工業製のバス型ボディを架装した17〜20人乗りサイズへと変わります。正面に方向幕窓を持ち、客用扉は折り戸になるなど、路線バスを意識したスタイルです。側面窓下にモールがつくのが特徴。
当初は「キャブオール・マイクロバス」のままでしたが、1961年に「キャブオール・エコー」、1962年に「ニッサン・エコー」と呼ばれるようになったようです。

ベース車・・・2tトラック「キャブオール」
車長・・・5,100mm
車幅・・・1,850mm
乗車定員・・・17〜20人
総排気量・・・1,488/1,883cc
ボディの組み合わせ・・・新日国(日産車体)

日産エコー 1963-1971

ライトバンの日産キャブオールをベースにして、1,900mm幅のフレームレスモノコックボディを架装した「キャブオールマイクロバス」は、1963年から「エコー」と名前を変えました。
日産車体による直線基調のボディから、1967年にモデルチェンジを実施、1971年まで生産されました。

表7-4-5 日産エコー
年式1963-19651965-19661967-1971
原動機型式
(出力)
SD22
(60PS)
H
(85PS)
SD22
(65PS)
H20
(92PS)
SD22
(65PS)
H20
(92PS)
軸距2390mmCQC141GC141CQC142GC142  
2500mm    GQC240GC240
2990mmGHQC141GHC141GHQC142GHC142  
3100mm    GHQC240GHC240
備考  
第1期(1963〜67)
日産 エコー
日産エコー

撮影:終点北藤根様(奥州市 2013.3.31)

日産 エコー
日産エコー

撮影:終点横川目様(釜石市 2009.6.1)

初期のボディは鉢巻状の雨どいを持ち、正面に方向幕のような窓を備えた“バスらしい”スタイルでした。モノコックボディに電気溶接を採用した新設計の車体です。
写真は1964年のマイナーチェンジ後のスタイルで、側面のコルゲートの帯が正面のヘッドライトにつながるようにデザインされています。さらに1965年には正面窓が1枚ガラスになりました。

ベース車・・・2tトラック「キャブオール」
車長・・・5,190mm
車幅・・・1,850mm
乗車定員・・・20〜24人
総排気量・・・1,883cc
ボディの組み合わせ・・・日産車体

第2期(1967〜71)
日産 エコー
エコー

撮影:終点北藤根様(花巻市 2012.12.1)

日産 エコー GC240W
日産エコー

撮影:草ヒロ探検隊様(遠野市 2006.7)

1967年にフルモデルチェンジが図られ、近代的な角張ったボディスタイルに変わりました。やはり日産車体が架装しています。
1970年にフロントグリルとヘッドライトを一体化するマイナーチェンジを実施しています。(写真はマイナーチェンジ前)

日産 エコー GC240W
日産エコー

撮影:終点北藤根様(遠野市 2012.9.16)

こちらは短尺車です。窓半個分ほど短くなっています。
写真の車両はダブルタイヤのため、型式末尾にWがつきます。

ベース車・・・2tトラック「キャブオール」
車長・・・5,300mm、6,210mm
車幅・・・1,930mm
乗車定員・・・21〜26人
総排気量・・・1,982cc
ボディの組み合わせ・・・日産車体

日産シビリアン 1971-1999

日産のマイクロバスは「エコー」に代わり、1971年から「シビリアン」と名前を変えました。
日産シビリアン(1代目) 1971 - 1982
表7-4-6 日産シビリアン(1代目)
年式1971-19731973-19761976-19791979-1982
原動機型式
(出力)
SD22
(65PS)
H20
(92PS)
ED30
(85PS)
H20
(92PS)
ED30
(85PS)
H20
(92PS)
ED30
(85PS)
ED33
(96PS)
H20
(92PS)
軸距2500mmGQC240GC240  GYC340GC340  K-GC341
3100mmGHQC240GHC240 GHC240GHYC340GHC340K-GHYC341K-GHMC341
(1980年〜)
K-GHC341
備考  
日産シビリアン
シビリアン

撮影:長谷川竜様(遠野市 2014.6.28)

1971年に日産のマイクロバスは愛称名をシビリアンに変えました。外観は屋根肩部分のエッジが取れた以外はあまり変わりません。

ベース車・・・2tトラック「キャブオール」
車長・・・6,2450mm
車幅・・・1,930mm
乗車定員・・・26人
総排気量・・・1,982cc
ボディの組み合わせ・・・日産車体

自家用 日産シビリアン
シビリアン

撮影:お台場旧車天国会場(2015.11.22)

日産シビリアン
シビリアン

撮影:草ヒロ探検隊様(茅野市 2010.9)

昭和54年排ガス規制に対応し、1979年にマイナーチェンジが行われました。型式にはK-が付きます。
外観的には、正面窓上にあった通気孔がなくなりました。
短尺車は、窓半個分ほど短くなっています。写真の短尺車は特装車のようです。

日産シビリアン K-GHC341
シビリアン

撮影:上田市(2018.8.5)

1980年からは、助士席側側面にセイフティウィンドウが付きました。
写真の車両は、1979年から設定されたハイルーフ仕様になっています。

日産シビリアン(2代目) 1982 - 1999
表7-4-5 日産シビリアン(2代目)W40系
年式1982-19881988-19901990-1993
原動機型式
(出力)
ED33
(96PS)
Z22
(105PS)
FD33T
(120PS)
ED33
(96PS)
TD42
(135PS)
ED35
(100PS)
TD42
(135PS)
軸距3310mmN-MW40M-UW40P-FW40N-MW40U-RW40U-BW40U-RW40
3690mmN-MGW40 P-FGW40N-MGW40U-RGW40
U-RYW40
U-BGW40U-RGW40
U-RYW40
備考  
第1期(1982〜88)
岩手県北自動車 日産N-MGW40(1983年式)
岩22あ70

撮影:盛岡駅(1986.9.27)

自家用 日産シビリアン
シビリアン

撮影:富士河口湖町(2011.7.30)

1982年にフルモデルチェンジが図られました。全体的にスクエアなデザインになり、左側面最前部にセイフティウィンドウを兼ねた縦長の窓を配置し、アクセントとしています。ハイルーフの場合は、屋根の途中から上がるセミデッカー風のデザインとしています。
グレードの高いGLとDXは角目、グレードの低いCTと幼児バスは丸目です。また、車体長は標準とロングの2種類ですが、全体的に長くなりました。

第2期(1988〜95)
自家用 日産シビリアン(クーラーDX)
シビリアン

撮影:飯山市(2013.5.5)

自家用 日産シビリアン(GLタイプU)
シビリアン

撮影:千曲市(2015.12.23)

1988年にマスク形状を変更するマイナーチェンジが行われ、同時にガソリンエンジンがなくなりました。また、平成元年排ガス規制に対応しています。
固定窓、スィングドアの最上級車種、スーパーリムジンが加わるなど、全体的にハイグレードにシフトしています。なお、1988年当時のカタログによると、標準ルーフ車はこれまでのマスクのままでした。
写真は標準ボディ(つまりショートサイズ)とロングボディです。

東磐交通 日産シビリアン
シビリアン

撮影:長谷川竜様(一関市 2014.7.13)

1993年にハイルーフの形状変更が行われ、またいすゞへのOEM供給が始まりました。
写真はクーラー付のロングボディ。

第3期(1995〜99)
自家用 日産シビリアン
シビリアン

撮影:長野県(2016.7.18)

1995年には前照灯が大型2灯に変わり、そのスタイルで1999年まで製造されました。

ベース車・・・3tトラック「アトラス」
車長・・・6,810mm
車幅・・・1,995mm
乗車定員・・・29人
総排気量・・・3,298cc
ボディの組み合わせ・・・日産車体

商品名の由来

・エコー(echo)・・・こだま
・シビリアン(CIVILIAN)・・・「市民」の意。
(シビリアンは日産自動車公式サイトより)
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