入門その頃のバス

マツダ(小型バス)

ボディ+シャーシ 東洋工業(マツダ)のバス製造は小型バスのみで、1960〜1997年の間です。
1960年に小型2tトラックD1500をベースにしたセミキャブ型マイクロバスを発表、1965年に近未来的スタイルで「A型/C型ライトバス」が誕生し、評価を一気に高めます。その後、モデルチェンジにより「パークウェイ」という商品名が与えられました。1974年にはロータリーエンジンを搭載したモデルも加わり、独自の市場形成を目論みますが、これは1976年で生産終了。その後、1車型で小型バス製造を続けるものの、“マイクロバス”市場でのシェアは伸びず、1997年に製造を終了、バス市場から撤退しました。

表7-6 マツダ小型バスの系譜

系譜

マツダ マイクロバス 1960-1972

東洋工業は三輪トラックで知られたメーカーですが、1958年に四輪の1tトラック「ロンパー」を発売、改良を重ねながら2tトラック「D1500」につなげます。この「D1500」をベースにセミキャブ型のバスボディを架装したのが、マツダで最初のマイクロバスで、13人乗り、1960年から防衛庁向けを中心に生産されたそうです。このセミキャブ型はベース車に合わせて大型化を図りますが、1964年に一旦生産を終えます。(注1)
このサイズでのマイクロバスは、1969年に1tトラック「クラフト」をベースにした「クラフト・ライトバス」が発売されますが、1972年にはこれも生産を終えています。

表7-6-1 マツダ マイクロバス
年式1960-19611962-19641969-1972
原動機型式
(出力)
BC
(60PS)
VA
(81PS)
UA
(60PS)
軸距2495mm E2000
2600mm DUC9
2800mmD1500(DUA12)D2000(DVA12)
備考軸距2800mmはセミキャブ型
マツダ D1500(DUA12)マイクロバス
マツダD1500マイクロバス

画像:西日本鉄道パンフレット(1961頃)

マツダが1960年、当初「ロンバー」と呼ばれた小型トラックD1500のシャーシにセミキャブオーバーのボディを載せたマイクロバスを設定します。アメリカナイズのボディスタイルが特徴。
1962年にはベース車のモデルチェンジに伴い2,000ccのD2000(DVA12)となっています。

ベース車・・・2tトラックD1500
車長・・・5,200mm
車幅・・・1,835mm
乗車定員・・・13人
総排気量・・・1,484cc
ボディの組み合わせ・・・

マツダ クラフト・ライトバスDUC9
マツダクラフトライトバス

撮影:草ヒロ探検隊様(山梨県 2007.7)

マツダ クラフト・ライトバスDUC9
マツダクラフトライトバス

撮影:ポンコツ屋赤木様(身延町 2011.2.26)

1969年に登場した18人乗りの小型バスで、1tトラックの「マツダ・クラフト」をベースにしたため「クラフト・ライトバス」の名前がついています。
写真は発売当初の前照灯4灯の姿。1969〜70年式だと思われます。

マツダ クラフト・ライトバスDUC9
マツダクラフトライトバス

撮影:終点北藤根様(遠野市 2014.12.6)

クラフトのモデルチェンジに合わせ、1970年から角形2灯になっています。

ベース車・・・1tトラック「クラフト」
車長・・・4,980mm
車幅・・・1,840mm
乗車定員・・・18人
総排気量・・・1,484cc
ボディの組み合わせ・・・

マツダ ライトバス 1965-1972

表7-6-2 マツダ ライトバス
年式1965-19681969-1972
原動機型式
(出力)
VA
(81PS)
WA
(86PS)
XA
(77PS)
VA
(81PS)
WA
(86PS)
軸距3095mmAEVA-A/CAEWAAEXA-001/002AEVA-003/004AEWA
備考 
自家用 マツダAEVA(A型)
マツダAEVA

撮影:ねこも様(小岩井農場 2004.7)

自家用 マツダAEVA(A型)
マツダAEVA

撮影:草ヒロ探検隊様(長野県 2008.5)

マツダでは、1965年にAEVA型ライトバスを発売、川崎車体製のボディは四角いボディ断面に前後の大きな曲面ガラスが特徴の近未来的ボディで人気を呼びました。川崎製のこのボディはA型とよばれます。

ベース車・・・2tトラック「マツダE2000」
車長・・・5,995mm
車幅・・・2,025mm
乗車定員・・・25人
総排気量・・・1,985cc
ボディの組み合わせ・・・川崎

自家用 マツダAEVA(C型)
マツダAEVA

撮影:長谷川竜様(遠野市 2013.11.2)

小川タクシー マツダAEVA(C型)
ライトバス

撮影:キュービック様(岩泉町 2009.2.19)

西日本車体製のC型は、傾斜した大きな正面窓が斬新です。もっともA型と比較されると地味な存在になってしまいます。

ベース車・・・2tトラック「マツダE2000」
車長・・・5,985mm
車幅・・・2,050mm
乗車定員・・・25人
総排気量・・・1,985cc
ボディの組み合わせ・・・西工

マツダ パークウェイ 1972-1997

1972年にマツダの小型バスはフルモデルチェンジが行われ、18人乗りと26人乗りが統合の上、「パークウェイ」という商品名が与えられました。西日本車体製のボディに統一されましたが、これまでの前衛的なスタイルは影を潜め、1970年代の“マイクロバス”の一般的な傾向に則った地味なスタイルになりました。
サイズにより「パークウェイ18」と「パークウェイ26」があります。また1974年にはマツダの得意なロータリーエンジンを搭載した「パークウェイ・ロータリー」も発売されています。

表7-6-3 マツダ パークウェイ
年式1972-19771977-19811981-19841984-19901990-1995
原動機型式
(出力)
XA
(81PS)
VA
(92PS)
RE13B
(135PS)
HA
(86PS)
HA
(90PS)
SL
(105PS)
SL
(105PS)
軸距2600mm EVK15     
3285mmAEXCAEVBTA13LTA3H 4F   
3335mm    K-WVLSFP-WVL4BU-WVL4B
備考ピンク文字=ロータリーエンジン(TA13Lパークウェイロータリーは1974〜76年)
マツダ パークウェイ18 1972-1974
マツダ パークウェイ EVK15
パークウェイ18

画像:東洋工業公式パンフレット(1973年発行)

1972年のモデルチェンジで、これまでの「クラフト・ライトバス」の延長上にあるモデルとして「パークウェイ18」が登場します。外観は、主力の「パークウェイ26」よりも窓1個分ほど短いスタイルです。
生産数はそれほど多くなかった模様です(注2)

ベース車・・・1.5tトラック「タイタン」
車長・・・5,090mm
車幅・・・1,865mm
乗車定員・・・18人
総排気量・・・1,985cc
ボディの組み合わせ・・・西工

マツダ パークウェイ26(初代) 1972-1981
自家用 マツダ パークウェイ26
パークウェイ

撮影:旅男K様(北見市 2012.6.24)

自家用 マツダ パークウェイ26 AEXC
パークウェイ

撮影:草ヒロ探検隊様(長野県 2008.5)

1972年に2tトラック「タイタン」をベースにモデルチェンジを行い「パークウェイ26」となりました。
1974年に13B型ロータリーエンジンを搭載した「パークウェイ・ロータリー26」を発売しました。低公害ロータリーエンジンの搭載は小型バスで初めてで、当時の国内の排出ガス規制値を大幅に下回る優れた環境性能を実現した(マツダ公式サイトより)そうです。しかし、燃費経済性でディーゼルエンジンに劣ることから販売台数は伸びず、1976年で販売は中止されました。

ベース車・・・2tトラック「タイタン」
車長・・・6,195mm
車幅・・・1,980mm
乗車定員・・・26人
総排気量・・・1,985cc
ボディの組み合わせ・・・西工

マツダ パークウェイ26(2代目) 1981-1997
自家用 マツダ パークウェイ
パークウェイ

撮影:山梨県(2013.2.23)

1981年に中型トラック「タイタン」をベースにモデルチェンジを行いました。キャブの部分はほとんど「タイタン」そのままで、客室部分のボディを西日本車体で架装しています。そのため助手席用のドアもあります。ディーゼルエンジンのみの設定です。
西日本車体の親会社である西日本鉄道が路線バスに採用したことから、ハイルーフ、方向幕付の路線バス仕様も多く製造されました。
1987年にタイタンに合わせてヘッドライトが角型4灯になるマイナーチェンジが行われています。

ベース車・・・2tトラック「タイタン」
車長・・・6,180mm
車幅・・・1,995mm
乗車定員・・・26人
総排気量・・・3,455cc
ボディの組み合わせ・・・西工

商品名の由来

・クラフト(craft)・・・技能、技巧、船舶。
・パークウェイ(parkway)・・・樹木や芝生を植えた大通り。乗用車専用道路。
(以上、直訳)

マツダの系譜
  • 1920(大正9)年 東洋コルク工業として創立
  • 1927(昭和2)年 東洋工業と改称
  • 1931(昭和6)年 三輪トラックの生産開始
  • 1960(昭和35)年 D1500型マイクロバス製造開始
  • 1984(昭和59)年 称号をマツダに変更
  • 1997(平成9)年 「パークウェイ」の生産終了により、バス製造終了

(注1)
13〜18人乗りクラスのマツダのバスでは、1965年に発売された1tトラック「マツダ・クラフト」をベースにした小型バスを西日本車体が試作をしている(ポルト出版(2010)「西工の軌跡」P.55、P.85)。キャブ部分を流用し、ルートバンタイプのボディを継ぎ足したタイプで、その時期は不明。
(注2)
「パークウェイ18」については、生産終了年は不明。「自動車ガイドブック」によると、1973年版には掲載されているものの、写真は先代の「クラフト・ライトバス」のまま。ただしスペックの数値は変更されているので、実際はモデルチェンジされている。1975年版には掲載されていない。
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