三菱自動車(MKの詳細)
三菱MKは1974年から生産されている中型バスで、1988年以降は「エアロミディ」という名称で販売されています。当初は、B6系と同様に自家用バスをベースにしたボディが基本でしたが、路線バスのダウンサイジングが進む中で、路線バスとしての需要も次第に増えてきています。1981年に日野に続きスケルトンタイプのボディにモデルチェンジを図り、以降、自家用バス、貸切バス、路線バスともに中型バスの中では人気車種となっています。
ボディは一貫して呉羽自工が架装しています。
三菱MK 路線バスタイプ
路線バスタイプ 第2期(1976-1979)
宇部市交通局 三菱MK115H(1977年式)
撮影:宇部駅(1980.4.1)
コトデンバス 三菱MK115H
撮影:OKMR様
まず路線バスタイプについて、製造時期順に説明します。
1974年のMK103Hには路線タイプのボディはありませんでしたので、1976年からの第2期を路線バスタイプのスタートと考えます。
1976年に追加された直接噴射式エンジンのMK115からサッシ窓の路線バス専用ボディが用意されます。この時後面スタイルがルーフラインまで窓のあるスタイルになりました。後面方向幕つきの場合、窓が小さくなります。
路線バスタイプ 第3期(1979-1981)
宮城交通 三菱K-MK116H(1981年式)
撮影:一関駅(1986.8.24)
新潟交通 三菱K-MK116H(1981年式)
撮影:樋口一史様(阿賀野市 2004.5.15)
1979年に昭和54年排ガス規制に対応するマイナーチェンジを行いました。外観では、後部屋根上の風取口を側面に移すため、側面最後部窓の傾斜がなくなりました。もっとも、写真の車両のように屋根上に風取口を残したままの車両もあります。
この時にB6系は生産中止になりましたが、予燃焼室式エンジンを持つMK102がその後を継ぎました。
路線バスタイプ 第4期(1981-1988)
千曲バス 三菱K-MK116F(1983年式)
撮影:山本小屋(1989)
立川バス 三菱K-MK116J(1982年式)
撮影:国立駅(1983.1.9)
1981年にエンジンはそのままでボディのモデルチェンジを行いました。窓が大きく角張ったスケルトンタイプのボディになりました。正面は大型方向幕が収まる幕板サイズとなり、屋根の丸みも少なくなりました。このとき、後面のエンジン通気孔がなくなりました。
同時に、長尺車の全長が若干長くなり、型式末尾の記号がHからJに変わりました。
1984年に昭和58年排ガス規制に対応して規制記号がP-に変わりますが、このときエアサス車が設定されています。ボディスタイルは変わりません。
路線バスタイプ 第5期(1988-1993)
羽後交通 三菱P-MK117J(1989年式)
撮影:左党89号様(湯沢営業所 1997.6.15)
宮崎交通 三菱U-MK517J(1992年式)
撮影:宮崎駅(2018.11.27)
1988年にボディが全体的に丸みを帯びた形にモデルチェンジされ、型式もMK117/517に変わりました。前面ガラスに方向幕を一体化したスタイルで、後面は観光タイプと共通です。初期スケルトンタイプが陳腐化していたため、日野や富士重工でもモデルチェンジが行われた時期でした。
1990年に平成元年排ガス規制でシャーシが変わりましたが、ボディはそのまま引き継がれています。
路線バスタイプ 第6期(1993-2001)
加越能バス 三菱U-MK218J(1995年式)
撮影:高岡駅(2016.4.23)
1993年のU-の時期の途中で、フロントマスクをバンパーと一体化するマイナーチェンジを行いました。このスタイルは、観光バスのニューエアロバスと共通性を持たせたもので、エアロミディの観光・自家用タイプとも共通化を図っています。
1999年に平成10年排ガス規制に対応して型式がKK-になった際、側面窓が上段引違・下段固定の逆T字形になり、2001年にはツーステップ車は生産中止になりました。
三菱MK 観光バス・自家用バスタイプ
観光バス・自家用バスタイプ 第1期(1974-1976)
三菱MK103H
画像:三菱自動車工業カタログ(1976年)
1974年にB623Eの高出力タイプであるMK103Hが登場します。
ボディはB6系と同じで、外観では区別はつきません。1976年までは後ろ面のおでこが丸いスタイルのままでした。
観光バス・自家用バスタイプ 第2期(1976-1979)
三菱MK115H
画像:三菱自動車工業カタログ(1977年)
自家用 三菱MK115H
撮影:群馬県(2018.9.17)
1976年に直接噴射式エンジンのMK115に代わります。予燃焼室式エンジンはB623が継続生産されています。
この時ボディスタイルは、後面窓がルーフラインまである大型窓に変わりました。また、後面のエンジン通気孔が2枚に減っています。
松本電気鉄道 三菱MK115F改(1979年式)
撮影:松本営業所(1988.10.21)
観光バス用にはセミデッカーの設定もありました。床面の高さは標準タイプより80mm高くなっています。
観光バス・自家用バスタイプ 第3期(1979-1981)
自家用 三菱MK116F(1979年式)
撮影:一関市民様(和賀町 2003.8.23)
昭和54年排ガス規制に対応して、1979年にシャーシが変わりましたが、ボディはほとんど変わらず、後部の風取口が側面に移った程度です。
松本電気鉄道 三菱K-MK116H(1980年式)
撮影:松本営業所(1988.7.20)
松本電気鉄道 三菱K-MK116H(1981年式)
撮影:松本営業所(1988.5.25)
セミデッカータイプの前後のスタイルです。
デラックス仕様の中には、側窓をピラーレスの連続窓仕様にするものもありました。
昭和54年排ガス規制に対応して、予燃焼室式エンジンのB623はMK102に変わりました。
後面のエンジン通気孔を見る限り、エンジン配置などもB623と変わらないようです。そのためエンジン通気口の配置は、通常のMKとは逆に左側にあります。
三菱K-MK102F
撮影:飯綱町(2013.5.5)
観光バス・自家用バスタイプ 第4期(1981-1988)
自家用 三菱K-MK116J(1983年式)
撮影:山中湖村(2013.5.25)
自家用 三菱MK116J
撮影:ヒツジさん様(真田町 2004.4.3)
1981年にボディのモデルチェンジを行い、窓が大きく角張ったスケルトンタイプになりました。
路線バス仕様とは共通の車体ですが、正面は傾斜窓になっています。側窓が開閉式の場合、両端の下隅のみRがついています。
花巻観光バス 三菱K-MK116J(1982年式)
撮影:一関駅(1985.10.5)
観光バス用のデラックスタイプであるハイデッカーです。クラス初の設定で、全体的に縦長の印象があります。
1984年のマイナーチェンジの際に、ターボ付高出力タイプが新設され、エアサス、ハイデッカーとの組み合わせで、ワングレード上の貸切バスとしてシェアを広げました。
写真の車両はスィングドア、固定窓仕様です。
観光バス・自家用バスタイプ 第5期(1988-1993)
自家用 三菱U-MK117J
撮影:上田市(2010.7.3)
1988年のモデルチェンジで「エアロミディMK」の名称が与えられ、丸みのあるボディスタイルに変わり、エアロバスファミリーの一員となりました。
前後のライト類がバンパーに組み込まれているのが特徴。写真は、グレードの低い丸型4灯車の「自家用デラックス」タイプ。
自家用 三菱U-MK516J
撮影:上田市(2018.8.5)
こちらの写真は角型2灯式ハロゲンランプの「デラックス観光」タイプ。
1990年には同じボディのまま平成元年規制のU-となり、更に1993年にはニューエアロバスのイメージを取り入れたライト周りに変わっています。
後面は、これまでの平面的なものから、ガラスが外板の内側に傾斜した彫りのあるスタイルに変わりました。
写真はハイデッカーの「超デラックス観光」タイプ。
新潟交通観光バス 三菱P-MK525J(1988年式)
撮影:樋口一史様(五泉営業所 2004.5.8)
観光バス・自家用バスタイプ 第6期(1993-2007)
ニセコバス 三菱KC-MK612J(1995年式)
撮影:旅男K様(本社営業所 2011.5.5)
1993年のU-の時期の途中で、フロントマスクをバンパーと一体化し、プロジェクターヘッドライトを採用するマイナーチェンジを行いました。このスタイルは、観光バスのニューエアロバスと共通性を持たせたものです。同時にリアウィンドウの下部の角も斜めにカットされ、ニューエアロバスとイメージを合わせています。自家用等のスタンダートグレードには4灯も用意されています。
その後の排ガス規制やマイナーチェンジで細部の変更は行われていますが、フルモデルチェンジはありません。2004年の平成15年排ガス規制によるマイナーチェンジの際にハイデッカー1車型に統一され、2007年まで生産されました。