入門その頃のバス

ダブルデッカー(2階建てバス)

ボディ+シャーシ 1980年代にダブルデッカーブームが到来し、輸入車が大量に上陸し、更に国産のダブルデッカーも登場しました。当時の観光バス業界は、構造的にはスケルトンバスの登場、外観的にはセミデッカーやフルデッカーなどのインパクトのあるバリエーションの登場、車内設備ではサロンバスの登場など、豪華さや差別化が急速に進んでいました。こういった中で、最大のサイズを誇るダブルデッカーのインパクトは絶大でした。
1979年から西ドイツのネオプランをはじめ200両近いダブルデッカーが輸入され、1984年からは国産のダブルデッカーも加わっています。
しかし、日本の「道路運送車両法保安基準」の下、全高を3.8m以下に抑える必要があるため、1階席、2階席ともに天井が低く居住性が良くないことや、総重量が大きいため3軸を標準とすること、車両コストが高いことなどから、一定数以上の普及はせず、差別化の主流はスーパーハイデッカーへと移ってゆきます。
その結果、日産ディーゼル、日野は短期間で製造を中止し、いすゞはダブルデッカー自体を作らないままこのブームは終焉を迎えました。


日産デ スペースドリーム 1984-1988

表5-12-1 日産デ スペースドリーム
年式1984-1988 1993-19971998-2000
原動機型式
(出力)
RE10
(370PS)
 RF10
(420PS)
RH8
(400PS)
軸距5380mm+1300mm  RG620VRG550VBN
5440mm+1300mmP-GA66T   
備考1993年以降のRGは、ヨンケーレ製ボディを架装した逆輸入車(参考掲載)
前田観光タクシー 日産デP-GA66U(1984年式)
青森22か81

撮影:盛岡駅(1986.8.31)

日産ディーゼルが発表したダブルデッカーは、既に1982年に登場していた3軸車DAをベースに、富士重工製の完全リベットレスボディを架装したもの。横浜市が定期観光バスとして導入したことで知られます。
ボディスタイルは直線を基調にしたもので、富士重工製ボディとしては異質でしたが、その後のスーパーハイデッカーに引き継がれています。
1988年に生産中止になりました。

ボディの組み合わせ・・・富士

元横浜市交通局 日産デRG620V(1994年式)
RG620V

撮影:江東区(2014.11.30)

一旦製造が中止された日産ディーゼルのダブルデッカーは、1993年にスペースウィングのシャーシにベルギー・ヨンケーレ社の「モナコ」と呼ばれるボディを架装して復活しています。
JRの高速バスや横浜市の定期観光バスなどに採用されました。

ボディの組み合わせ・・・ヨンケーレ

日野 グランビュー 1985−1988

表5-12-2 日野グランビュー
年式1985-1988
原動機型式
(出力)
EF750T
(360PS)
軸距5675mm+1300mmP-RY638AA
備考  
岩手県北自動車 日野P-RY638AA(1985年式)
RY638AF

撮影:盛岡営業所(1985.8.3)

日野では初めてとなる3軸車で、スケルトン構造のボディを組み合わせ、直線と曲線の融合した質感のあるスタイルに仕上げました。
やはり生産数は多くなく、1988年までに販売は中止となりましたが、その後のスーパーハイデッカーなどにその技術が生かされています。

ボディの組み合わせ・・・日野

三菱 エアロキング 1985-2005 2008-2010

表5-12-3 三菱エアロキング
年式1985-19891990-19951995-19992000-2005 2008-2010
原動機型式
(出力)
8DC9(T6)
(380PS)
8DC9(T6)
(380PS)
8M21
(420PS)
8M21-3
(430PS)
 6M70T4
(420PS)
軸距5700mm+1250mmP-MU515TAU-MU525TAKC-MU612TAMU612TX BKG-MU66JS
備考 
中鉄バス 三菱P-MU515TA(1989年式)
MU515TA

撮影:岡山駅(2012.5.26)

三菱では当時の最新型であったエアロバスをベースに、呉羽自工でボディを架装した「エアロキング」を発表しました。輸入車にも国産車にもない流麗なスタイリングが好評であったこともあり、国産の2階建てバスでは最大シェアを誇ります。
フラッグシップとしての観光バスの主流がスーパーハイデッカーに移った後、乗車定員を稼ぎたい夜行高速バスとしての役割に活路を見出し、排ガス規制への対応を行いながら、最終的には2010年まで製造されました。
フロントのライト周りの形状は、各時代のエアロバスに準じて何回か変更されています。

西日本JRバス 三菱MU612TX(2003年式)
MU612TX

撮影:金沢駅(2014.4.27)

1995年のモデルチェンジで、ニューエアロバスに合わせて、ライト周りのスタイルが変わりました。
写真は2000年にモデルチェンジされたもので、平成11年排ガス規制をクリアした車両。排ガス記号はKL-に相当しますが、試作車扱いのため記号はないそうです(注1)
この時期のエアロキングは、JRバスをはじめとした夜行高速バスを主な用途としています。

ボディの組み合わせ・・・呉羽

近鉄の2階建てバス試作車

表5-12-4 近畿日本鉄道 ビスタコーチ
年式196019611982
原動機型式
(出力)
DS40改
(150HP)
DK20
(195HP)
EB400
(190PS)
軸距5400mm KDD-1 
6000mm  試作車
6100mmKDD60   
備考
1980年代の2階建てブームより前に、国産の2階建てバスが存在しています。いずれも2階建て特急電車「ビスタカー」で知られる近畿日本鉄道が特注した車両ですが、初期のものは1960年代に製造されていました。1960年代の2両は、近鉄電車の2階建て「ビスタカー」を製造した近畿車輌がボディを製造、シャーシメーカーはすべて日野自動車です。(注2)

近畿日本鉄道 日野KDD60(1960年式)
KDD60

画像:近畿日本鉄道・近畿車輌等発行カタログ(1960)

1960年に日野自動車と近畿車輌との共同で2階建てバスを試作しています。
当時の車両制限の下、高さを3.5mに抑えるため、低床構造の採用が必要となり、初のリヤアンダーエンジンタイプを採用。車体は超軽量応力外皮構造でとしています。
2人掛けと3人掛けシートを配置し、2階席は座席定員45人、1階席は38人の合計83席を確保しています。
「ビスタカー」に対して、バスの方は「ビスタコーチ」と名付けられました。

近畿日本鉄道 日野KDD1(1961年式)
KDD1

画像:近畿車輌カタログ(1962)

KDD1

画像:近畿日本鉄道(1966)「近鉄」

1961年に「ビスタコーチ」の改良普及型として、KDD1型8両が製造され、梅田〜奈良公園間の一般路線バスとして使用されました。
試作車とは2階部分の形状が異なりますが、ホイルベース間を2階建て、前後のオーバーハング部分を通常席とする構造は同じです。

日野 試作2階建てバス(1982年式)
ダブルデッカー

画像:近畿日本鉄道パンフレット(1985)

ダブルデッカーの輸入が進む1982年に、日野自動車と近畿日本鉄道の共同開発による国産ダブルデッカーが試作されています。
低床路線バスのRE161のシャーシをベースに、日野車体がモノコック構造をベースにしたボディを架装しています。
やはり1階を低床構造とし、その上に法規内の高さに収まるように2階部分を乗せる考え方は、「ビスタコーチ」と共通しています。

(注1)
ぽると出版(2010)「The King −エアロキングの四半世紀−」による。
(注2)
ぽると出版(1996)「近畿日本鉄道の2階建てバス」(年鑑バスラマ1996-97 P105-110)に詳細な記述がある。
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