入門その頃のバス

その他のボディメーカー

ボディ バスのボディメーカーは、かつては大手だけでなく各地にローカルメーカーともいえるものが存在していました。しかし、1960年代にはシャーシのフレームレス化や大手メーカーとシャーシメーカーとの提携強化により中小メーカーの淘汰が進みます。それらはバス製造から撤退せざるを得なくなり、姿を消したり、他の事業へ特化されたりしていきました。
ここでは、過去にリアエンジンバスを製造していたバスボディメーカーや、現在保存車として残されている車両を製造したボディメーカーを中心に取り上げます。
(掲載は五十音順です)

安全車体工業

福島交通 三菱MR480(1966年式)
MR480

撮影:板橋不二男様(郡山営業所 1976)

安全自動車は戦前からバスボディの製造を行っていましたが、1956年に安全車体工業としてバスボディ製造部門を独立しています。1964年に川崎ボディと資本・技術提携を行い、川崎ボディと共通スタイルのボディになりました。写真の三菱車は前照灯4灯なので1966年式以降ですが、1965年までの川崎ボディと同形という安全車体ならではの組み合わせ。
しかし、間もなくバスボディ製造からは撤退し、特装車のボディ製造などに特化しています。

尾張車体工業

トヨタDB100(1965年式)
DB100

撮影:日本自動車博物館(2018.9.2)

尾張車体は名古屋市にある特殊車体メーカーで、終戦後1950年代には変わった形をした宣伝車を、1960年代には電源車や検診車などの特殊な大型車を手がけています。
特殊車の中に、ボンネットバスタイプの車両が多かったせいで、現在保存車として残されている車両もあります。

刈谷車体→トヨタ車体

元山梨交通 トヨタFY(1951年式)
FY

撮影:川上村(2011.11.5)

愛知県刈谷市にあるボディメーカーで、1945年にトヨタ自動車工業から独立しトヨタ車体工業となったものの、すぐに刈谷車体に社名を変更、しかし1953年にはトヨタ車体に社名を変更しました。
当初からトヨタ系列であるため、トヨタのトラックやバスのボディを製造していますが、1960年代以降は乗用車にシフトしています。

近畿車輌

日本高速自動車 三菱AR820(1965年式)
AR820

画像:日本高速バス開業記念しおり(1965年)より

主に鉄道車両などを製造するメーカーの近畿車輌では、近鉄グループ向けに一部のバスボディを製造しています。
1960年に近鉄向けに作られた2階建てバス「ビスタコーチ」が有名です。
写真の車両は、1965年に名神間の高速バスを運行する日本高速バスに納車された軽合金ボディを持つ高速バス専用車。スケルトン構造を取り入れた角張ったボディや大きな連続窓が特徴です。

京成自動車工業

京成電鉄 いすゞBS10
BS10

撮影:板橋不二男様(津田沼駅 1977頃)

京成自動車工業は京成電鉄系のボディメーカーで、1950〜60年代に関東地方を中心にバスボディを供給していましたが、1970年代初めにバスボディ製造から撤退し、特殊車の製造へと比重を移しています。
1961年には西日本車体と技術提携しています。写真はまだ各部にオリジナルスタイルを残す頃で、1964年に前後ヒサシ付となったボディ。フレーム付シャーシへの架装はこのスタイルだったようです。(注1)

新京成電鉄 日産デ4R104(1967年式)
4R104

撮影:板橋不二男様(千葉県)

京成自工の西工との提携はフレームレスへの対応が目的で、フレームレス車では西日本車体と同じスタイルが作られました。上記のオリジナルスタイルと並行して丸形ボディが作られ、1966年頃からは「カマボコ形」の66MCと言われる西工スタイルに統一されたようです。京成車体での大型バスボディ製造は、1973年までだそうです。(注2)

新日国工業→日産車体

民生RS85
RS85

画像:民生デイゼル工業公式カタログ(1955)より

新日国ボディは1950年代にはそれなりのシェアのあったバスボディメーカーですが、フレーム付ボディということもあり、1960年代に入って大型バスボディの製造を終えています。
社名の由来は、母体となった航空機メーカーの日本国際航空工業で、終戦後に日国工業に社名変更後、1949年にバスボディ製造の新会社新日国工業を設立したと言う流れです。
この写真は、流線形で方向幕を正面窓下に置いた独特のスタイルで、正面窓上に日除けがつくのが標準です。
民生BR(後の「イーグル」)の指定ボディとなり、1955年までこの基本スタイルで作られました。

民生RS91
RS91

画像:民生デイゼル工業公式カタログ(1956)より

1956年に、早くも正面窓のピラーを細くし、連続窓とするモデルチェンジを実施しました。側面のスタンディーウィンドウの大きいスタイルはそのままですが、1958年頃からスタンディーウィンドウが小さくなっています。
日産「キャブスター」の標準ボディとなったのも、この基本スタイルです。なお、日野「ブルーリボン」には専用のスタイルを用意しています。
新日国ボディは1951年には日産自動車と提携していましたが、1962年に日産車体工機に社名変更しています。その後は、日産のマイクロバスのボディなどを製造しています。

東浦自工

全但交通 日野BD13
BD13

撮影:播磨観光タクシー様(美方郡 1986)

東浦自工は大阪の会社で、関西地区を中心にバスボディの架装をしていたようです。
1959年に西日本車体と技術提携し、最終期にはフレームレスのボディも製造していたようです。

東京特殊車体

はとバス 三菱B915N(1973年式)
B915N

撮影:新宿区(1985.1.9)

東京特殊車体は1967年創立の比較的新しい会社ですが、検診車や特装車などを手がけています。旅客車両では、1971〜74年にはとバスに納入された特注車体であるスーパーバスが有名です。
三菱B9系のフレーム付シャーシに、大きな窓を配置した特別ボディを架装しました。窓が大きいため冷房用ダクトを室内に設けられず、屋根上にロケット状のダクトを設置しており、これも外観上のポイントになっています。
近年では、ディズニーリゾートクルーザーや東京・夢の下町など独創的なレトロ風車両も手がけています。

中北車体工作所

広田タクシー いすゞU-MR132D(1993年式)
MR132D

撮影:本社営業所(2018.8.5)

中北車体工作所は新潟市に本社を置くローカルメーカーです。1935年に設立され、新潟交通のバス車体などを手掛けてきましたが、現在ではバス・トラックの改造修理や特殊車両の製作に主軸を移しています。公式サイトによると、1963年に特殊車両などの製作を開始しており、バス車体製造をやめたのも同じ時期だと思われます。
写真は神戸市のシティループ用に中北車体が手掛けたレトロバスボディ。

松本車体製作所

九州産業交通 いすゞBA10(1968年式)
BA10

撮影:板橋不二男様(熊本県 1973頃)

松本車体は熊本県のバスボディメーカーで、戦後にバスボディ製造を始め、主に熊本県内のバス事業者にボディを提供していました。1960年代に入り、川崎ボディとの提携を行い、1965年以降川崎ボディと同じスタイルになりました。1970年代初期にバスボディ製造からは撤退しています。

梁瀬自動車

民生RX101
RX101

画像:民生デイゼル工業公式カタログ(1958)より

梁瀬自動車は1915(大正4)年に設立された輸入自動車販売会社で、乗用車の製造を経てバスボディの製造を始めることとなり、1950年代にはボンネットバスからリアエンジンバスまでを各シャーシメーカーに架装していました。
正面に曲面ガラスを用いるなど大胆な流線形のボディスタイルが特徴で、外国車の影響も随所に見られます。
しかし、1960年代に入り、シャーシのフレームレス化が進むとバスボディ製造から撤退し、その後は特装車の製作などに主軸を移しています。1969年に現在の社名ヤナセに改称。

渡辺自動車工業

福山自動車時計博物館 日産U690(1963年式)
U690

撮影:小野澤正彦様(福山市 2010.7.26)

福岡県の航空機メーカー九州飛行機を1953年に改称したのが渡辺自動車工業で、1958年には西日本車体の傘下に入っています。どのようなバスを製造していたかと言う記録はあまりなく、現在福山自動車時計博物館にある保存車が唯一の生き証人です。

(注1)
鈴木文彦(1999)「日本のバス年代記」P.113による。京成車体工業は、西工との提携当初は図面の共通化をしたものの、側窓などに独自性があり、1964年に前後ヒサシ付、後面3枚連続ガラスになった。
(注2)
松尾宏美(2010)「西工バスの技術史は完成度向上の軌跡」(ぽると出版「西工の軌跡」P.54)による。
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80s岩手県のバス“その頃”