入門その頃のバス

帝国自工→日野車体(路線バス)

ボディ 帝国自動車工業は、日野系列の車体メーカーで、戦後は日野のセンタアンダフロアエンジンバス「ブルーリボン」の開発などでともに歩んできました。同じ日野系列の金産自動車工業とは提携関係にありました。
帝国自工の歴史は1916年に設立された合資会社脇田車体工業所に遡ります。戦後に航空機製造からバスボディ製造を始めたメーカーが多い中で、大正時代からバスボディを製造してきた歴史を持つのは異色です。1930年に脇田自動車工業と改称、1937年には帝国自動車工業と改称され、その名称が長く続きました。1975年に金産自動車工業と合併して日野自動車工業となり、名実ともに日野自動車の車体部門となりました。
ボディスタイルの特徴は、おとなしめのデザインと言えるでしょう。スケルトン構造を真っ先に世に送り出したメーカーではありますが、構造面はともかくとしてスタイリングでの冒険は少ないようです。
国鉄の指定車体であったことから、日野系列化が進む中でも国鉄バスに限って1983年までいすゞ車にも架装しています。


1959−1967

前期形 1959−1964
岩手県南バス 日野RB10(1963年式)
RB10

撮影:板橋不二男様(一関営業所 1976.5.4)

自家用 いすゞBR20(1963年式)
BR20

撮影:府中市(1979.4.15)

1959年に正面窓をそれまでの分割窓から連続窓に変えるモデルチェンジを実施しました。丸みのあるフロントガラスの上がヒサシ状になっている彫りの深い顔立ちが特徴です。1961年に発売された日野のリアエンジンバスRB系のボディとして知られています。1963年に正面窓の縦寸法を拡大するマイナーチェンジをしています。

岩手県南バス 日野RB10P(1963年式)
RB10P

撮影:板橋不二男様(釜石営業所 1976.3)

岩手県交通 いすゞBR20
BR20

撮影:盛岡市(1986.8.29)

後面は日野ブルーリボン(後面非常口付)を基本とする3枚窓ですが、いすゞのリアエンジンバスを中心に2枚窓にするケースも見られます。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日野

後期形 1964−1967
富士急行 日野RB10(1966年式)
RB10

撮影:河口湖駅(1977.8.13)

川崎鶴見臨港バス 日野RB120(1966年式)
RB120

撮影:川崎駅(1977.8.29)

1964年に後面スタイルがそれまでの丸型から箱型になりました。ヒサシ付で連続窓の後面は、富士重工に続くもので、こちらは方向幕設置スペースが用意されていました。側面最後部には当時はどのメーカーも小さな三角窓がありましたが、これを廃止したため、より箱型のイメージが強調されています。
雨樋は、引き戸の部分だけが下がっているのが特徴です。

東野交通 日野RB10(1965年式)
RB10

撮影:黒磯駅(1977.8.9)

岩手県交通 日野RC10P(1964年式)
RC10P

撮影:板橋不二男様(水沢営業所 1977)

同時に安全視界向上のための視野拡大窓がオプションで用意されました。
また、メトロ窓の傾斜窓を採用の場合、4隅には大きなRがつきます。
なお、日野の中型車RM100といすゞのナロー車BA01Nに限っては、1970年頃までこのボディが架装されました。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日野

1967−1983

前期形 1967−1976
富士急行 日野RE100(1972年式)
RE100

撮影:御殿場駅(1986.8.19)

岩手県交通 日野RE100(1976年式)
RE100

撮影:都南車庫(1987.4.16)

1967年の日野RE、RC系の登場と同時にモデルチェンジを行い、前後にヒサシのついたボディになりました。同時に正面窓や折り戸の窓も大型化されています。この時期のバスボディの一般的な傾向にのっとっているものの大人しいスタイルです。正面窓と後面窓の上にプレスのラインが入っているのが特徴と言えるでしょう。
同時期の金産自工と共通性が高いスタイルですが、細部には違いもあります。また、日野車体工業成立後もこのスタイルが基本になりました。

西武バス 日野RE100(1967年式)
RE100

撮影:吉祥寺駅(1977)

視野拡大窓の設定は、当初はRB系と同じGMCスタイルが継続採用されています。オーバル型ライトの採用とも併せて、異国的な雰囲気を醸し出します。

西武バス 日野RE100L(1973年式)
RE100L

撮影:吉祥寺駅(1977)

視野拡大窓車は、1970年頃から一般型の窓を下に伸ばしたスタイルに変わっています。
なお、写真の車両は都市低床車で前ドアが幅広になった仕様。

シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日野

中期形 1976−1978
岩手県交通 日野RE100(1976年式)
RE100

撮影:都南車庫(1985.8.1)

1975年の日野車体工業の成立後、大型バスの車体製造は旧帝国自工(日野車体横浜工場)が担当し、これまでの帝国自工のスタイルが継承されましたが、1976年よりサッシ窓が標準となりました。
また、日野ボディとなったことで名実共に日野自動車の直系ボディメーカーとなったわけですが、帝国自工を指定車体としていた国鉄バスにはいすゞのシャーシへの架装が続いています。(富士急行にも同様の実績がありました)

シャーシの組み合わせ・・・日野、いすゞ

後期形 1978−1983
岩手県交通 日野RE101(1978年式)
RE101

撮影:水沢営業所(1985.8.17)

日本国有鉄道 日野RE141(1978年式)
岩22か1822

撮影:葛巻駅(1985.8.23)

1978年から正面のヒサシが浅くなるなどのマイナーチェンジが行われました。基本的には、日野RE101など末尾に1がつく型式(1977年〜)に架装するボディと考えていいと思います。国鉄バスには依然としていすゞに架装する例も見られました。
1978年ごろから側面最後部窓の後ろの雨樋が省略されました。

富士急行 日野K-RE101(1980年式)
RE101

撮影:新松田駅(1980.9.24)

大型方向幕については、富士重工と同様、当初はヒサシ部分全体を大型化したスタイルでしたが、量産時には方向幕部分のみを大型化する方法が標準になっています。
ただし、富士重工とは異なり、正面窓の寸法は変わっていません。

シャーシの組み合わせ・・・日野(国鉄のみいすゞあり)

1982−1985

1982年に路線バスでもスケルトンタイプの日野ブルーリボンが発売されました。当初はモノコックボディの従来型と並行生産されていましたが、1984年にスケルトンボディに統一されました。
なお、これ以降のボディは、すべて日野シャーシのみとの組み合わせとなります。

シャーシの組み合わせ・・・日野
初期形 1982−1983
秋田市交通局 日野K-RT225A(1982年式)
RT225AA

撮影:白神バス軍団様(能代市 2004.9)

1982年より、中型車RJを大型化したようなスケルトンボディが登場しました。これは日野RT・RU専用のボディで、観光タイプのスケルトンバスRU6系との共通性が高いボディです。中型車と比べると、方向幕周りやヘッドライト周辺を中心に違いが見られます。この時点では、モノコックボディのRE・RCと並行生産されました。

後期形 1984−1985
西東京バス 日野P-HT225AA(1984年式)
HT225A

撮影:武蔵五日市駅(1985.1.5)

1984年にRE・RCの後継であるHT・HUが登場し、それと同時にボディもマイナーチェンジが行われました。
側面の窓の縦寸法が拡大され、戸袋窓や側面方向幕も側窓と同じ高さのサッシ内に納められました。また、ドア上の幕板にはルーバー状のガーニッシュの飾りがつきました。
継続生産されていたRT・RUもこのボディになっています。

伊那バス 日野P-RT223A(1984年式)
RT223A

撮影:駒ヶ根市(1990)

1985−2000

1985年には、RT・RUが販売中止となり、HT・HUのみに統一されますが、その際にボディのマイナーチェンジが行われています。観光タイプと同様に後面に丸みがつくスタイルになっています。

シャーシの組み合わせ・・・日野
初期形 1985−1987
伊那バス 日野P-HU233BA(1986年式)
HU233B

撮影:駒ヶ根市(1990)

1985年のマイナーチェンジでは、側面窓が上方に拡大されると同時に、後面に丸みがつきました。
後面の形状は、中期形以降と同じなのでそちらの画像をご参照ください。

中期形 1987−1990
越後交通 日野P-HT235BA(1987年式)
HT235B

撮影:樋口一史様(柏崎営業所 2004.9.4)

伊予鉄道 日野P-HT233BA(1988年式)
HT233BA

撮影:松山空港(2010.5.8)

1987年からは側窓が更に拡大され、幕板がほとんどなくなりました。ドア上のルーバー状の板の数が3つから4つになった点で区別できます。
期の途中で、引き戸の窓の四隅のRがなくなり、角張った窓になりました。

後期形 1990−2000
茨城交通 日野U-HT2MMAA(1993年式)
HT2MMAA

撮影:水戸駅(2014.8.23)

1990年に排ガス規制の変更(U-)に合わせて正面方向幕周りがマイナーチェンジされています。これまでは方向幕部分は車幅のままでしたが、先にすぼまるような形になっています。また、方向幕を含む全体が横長のガラスに収まる形になりました。
観光タイプでは「セレガ」に相当する時期です。平成6年排ガス規制に伴うシャーシのモデルチェンジの際にも、ボディに変更はありませんでした。
2000年にブルーリボンシティにモデルチェンジしています。

しずてつジャストライン 日野KC-HT2MLCA(1995年式)
HT2MLCA

撮影:静岡駅(2014.10.26)


帝国自工・日野車体の系譜
  • 1916(大正5)年 脇田自動車工業所設立
  • 1930(昭和5)年 脇田自動車工業と改称
  • 1937(昭和12)年 帝国自動車工業と改称
  • 1975(昭和50)年 帝国自動車工業と金産自動車工業が合併し、日野車体工業設立
  • 2004(平成16)年 いすゞバス製造とともにジェイ・バスに合併

帝国自工について詳しい本
日本のバス1988 帝国自工について詳しく記載した書籍をご紹介します。
モータービークル臨時増刊として発刊された「日本のバス1988」で、帝国自工から日野車体にかけての歴史を27ページほどの特集記事にまとめています。
戦前からバスボディ製造を始め、国鉄バス(省営バス)へ様々な試作的ボディを納入、戦後は日野ブルーリボンのボディやスケルトンバスなど新たな試みを行っていたことが分かります。
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