三菱ボディ(路線バス)
三菱自動車工業は、分社や合併を繰り返していますが、ボディメーカーとシャーシメーカーの系列化が進む前、ボディとシャーシを一貫して製造する唯一のメーカーだったと言えます。当初はトヨタやいすゞへの架装例もありましたが徐々に減り、トヨタのバス製造終了により三菱のみになりました。同じ三菱自動車のシャーシに架装するメーカーに呉羽自工がありますが、呉羽とは大型バスでは共存の関係にあります。一方中型車の車体は呉羽が担当し、三菱では製造していません。
三菱のスタイルは、他メーカーとは一線を画した独特の展開をしているように見えます。丸みを持ったボディを長く製造するなど、路線バスでは他メーカーの後追いでモデルチェンジをする傾向があります。その一方で1982年のエアロバスに見られるような流行の流れを大きく変えるバスを発売する思い切りも見られます。
なお、呉羽自工の三菱子会社化などの流れの中で、1998年にはバスボディの製造を三菱自動車バス製造(旧呉羽)に集約し、本体でのバスボディ製造は中止されています。
1952−1955
京浜急行電鉄 三菱R23(1952年式)
画像:所蔵写真(1952)
1952年に三菱のリアエンジンバスR2系列の登場に合わせて作られたボディは、正面にパノラミックウィンドウを採用した流線形となりました。側窓の下部にRを付けているのも特徴です。ボディ側面の窓下には3本のビートがあります。このあたりは、同時期のボンネットバスのボディとも共通しています。
正面には楕円形の飾りがあり、ここにメーカーのエンブレムが付きます。
1955−1967
前期型 1955−1963
日本航空 AR470(1958年式)
画像:所蔵写真(自動車ショウ 1958.10)
1955年に三菱R200系列などに架装するボディとしてモデルチェンジを行い、その後の三菱ボディの基本となる下方に広がった台形の正面窓になりました。側面窓下の3本のビートを廃止した以外は、側面、後面スタイルは前モデルと変わりません。後面スタイルは窓柱が太くしっかりした大きさの2枚窓が特徴です。当初は側窓下部にRがありました。
1958年にフレームレスモノコックボディに対応するためのマイナーチェンジが行われたとのことで、同時に側窓下部のRはなくなりました。
なお、これから1978年までの間、三菱ボディはこのボディスタイルを基本に、部分部分をマイナーチェンジしながら生産を続けます。
シャーシの組み合わせ・・・三菱、トヨタ
中期型 1963−1964
遠州鉄道 三菱MR440
撮影:静岡県(2018.9.28)
宮崎交通 三菱MAR470
撮影:板橋不二男様(宮崎市)
1963年ごろから、正面窓が連続窓になりました。この時期ほとんどのボディメーカーが同様のマイナーチェンジを実施しています。
シャーシの組み合わせ・・・三菱、トヨタ
後期型 1964−1967
秋北バス 三菱MR470(1966年式)
撮影:板橋不二男様(能代営業所 1976)
新潟交通 三菱MR490
撮影:板橋不二男様(両津営業所 1977)
1964年に正面窓を下方に拡大し、後面スタイルを変更しました。後面は丸型から傾斜型に変わり、連続2枚ガラスとなりました。後面窓のすぐ上に水切りがあり、いかめしい表情が特徴です。
この後面スタイルは、後の呉羽自工や川崎車体にも影響を及ぼしました。
シャーシの組み合わせ・・・三菱、トヨタ
1967−1978
前期型 1967−1975
福島交通 三菱MR410(1971年式)
撮影:郡山駅(1977.8.9)
自家用 三菱MR520
撮影:ヒツジさん様(真田町 2004.4.3)
1967年の三菱B8系列の登場など三菱シャーシのモデルチェンジと合わせて、三菱ボディも前面スタイルをマイナーチェンジしました。それまでの丸みのあったおでこがヒサシ状となりました。これも当時の流行を押えたものです。
正面の方向幕は、横長の突起で連続的に形成されています。この部分は、後に突起を残して幕のみをガラスとするものが増えています。
名古屋鉄道 三菱MR450(1974年式)
撮影:神領駅(1980.3.28)
1972年にシャーシのマイナーチェンジに合わせて、前ドアの幅が拡大され、折り戸の窓も大型化されました。
また同じ頃からサッシ窓が選択できるようになりました。写真の車両は、側面最後部の窓がバス窓の形状を引き継いでいます。
日本国有鉄道 三菱MAR470(1975年式)
撮影:板橋不二男様(鹿児島営業所 1977)
サッシ窓への一般的な以降は1975年ごろのようです。
サッシ窓移行後の標準的なスタイルは、側面最後部の窓が引き違い窓になっています。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
後期型 1976−1978
京王帝都電鉄 三菱MP117N(1976年式)
撮影:府中駅(1985.1.15)
1976年に三菱MP系の登場に合わせて正面窓の拡大と2枚ガラス化、サッシ窓の完全採用などのマイナーチェンジが行われました。
時期的にMR系、B8系、MP系の3系列に架装されたボディでもあります。
しかし、基本寸法は1955年以来の設計を引き継いでいるため、この時期のボディにしては、後面のおでこが丸かったり、前部の幅がすぼまっていたりと見劣りするスタイルになりつつありました。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
1978−1984
西武バス 三菱MP117M(1979年式)
撮影:吉祥寺駅(1985.1.15)
1978年に三菱シャーシの路線バスのMPへの一本化に合わせて、前年の観光タイプに準じたスタイルにフルモデルチェンジを行いました。これまでの三菱ボディは丸型ボディ時代から引き継いだ丸みを随所に残していましたが、その古臭いイメージは払拭されました。その上、全体的に次世代バスへの橋渡しになる斬新な要素を取り入れています。
前面は大型方向幕に対応しており、フロントガラスは大型の2枚ガラスとなっています。また、両ヘッドライトはフォグランプ、ナンバープレートとともに1枚のユニットに納められ、アクセントになっています。
東京都交通局 三菱K-MP107K(1982年式)
撮影:新宿交通公園(2005.1.22)
工法の工夫により、リベットは大幅に減少しています。側面は屋根を浅くして窓を上下に拡大したほか、エンジンダクトが屋根上から側面最後部に移りました。後面はルーフラインまである大型の3枚連続窓で、方向幕は窓内部に取り付けられています。この方向幕の取り付け方法は、他のメーカーにも影響を与えました。
諏訪バス 三菱MP117M(1979年式)
撮影:岡谷駅(1988.12.4)
前面の幕板は大型方向幕が収まるようになっています。また、標準の直結冷房車の場合、冷房ユニットは最後部の屋根上にあります。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
1984−1996 エアロスターM
京王帝都電鉄 三菱P-MP218M(1984年式)
撮影:聖蹟桜ヶ丘駅(1985.4.3)
1984年に他のメーカーに多少遅れてスケルトン化のフルモデルチェンジを実施しました。リベットレス化や窓の大型化などのほか、前面窓を左右非対称とし、セイフティウインドウを標準装備とした点が印象的です。方向幕は前後とも窓と独立した横長ガラスに収められています。
当初はサッシなど各部を黒くしたものも多く、他のメーカーとの差別化が見られました。写真の車両も、方向幕周り、ライト周り、バンパーなども含めて黒色に塗装されています。
三菱の観光バス「エアロバス」ファミリーの一員ということで「エアロスターM」という愛称がつけられています。
なお、1993年から新呉羽(同年中に三菱バス製造に改称)でもこのボディを製造するようになりました。1996年にニューエアロスターにモデルチェンジするまで、同じスタイルで製造されました。
福島交通 三菱U-MP218K(1991年式)
撮影:ソルティドッグ様(福島駅 2013.9.28)
年式による外観の違いはほとんどありませんが、ユーザーによる相違点は見ることができます。
方向幕は横長の枠に収められたものが標準ですが、方向幕部分のみをガラスにしたものも見られます。
側窓も当初は黒色のものが多く見られましたが、次第に銀色にするユーザーが増えているようです。
なお、一部にはセイフティウインドウを装備しない(左右非対称の窓はそのまま)ものもありました。
福島交通 三菱U-MP218K(1991年式)
撮影:ソルティドッグ様(福島駅 2013.9.28)
リアのスタイルは、前面と同じく方向幕と窓ガラスが独立しており、方向幕部分の窓が横長になっています。
この時期、大型窓の中に方向幕を内蔵するスタイルが主流になっており、そのベースとなったのは三菱ボディの先代のボディだったのですが、三菱ボディは自ら異なる流れを作りました。
福島交通 三菱U-MP218K(1990年式)
撮影:ソルティドッグ様(福島駅 2013.9.28)
前面スタイルと同じく、リア面でも方向幕部分のガラスを横長にしない仕様も存在します。特に、後部方向幕を設置しない場合、幕板部分には何もなく、窪みがあるだけの状態になります。
しずてつジャストライン 三菱KC-MP217K(1995年式)
撮影:静岡駅(2014.10.26)
一部の事業者には、後面窓を大型化し、方向幕を内蔵したスタイルも納入されています。
他のメーカーだとこれが標準的なスタイルになるのですが、エアロスターMについては、特注になるようです。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
三菱ボディの系譜
- 1950(昭和25)年 三菱重工業が3社に分割。東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業となる。バスボディ製造は中日本重工業へ
- 1952(昭和25)年 中日本重工業が新三菱重工業と改称
- 1964(昭和39)年 合併により三菱重工業となる。同社名古屋自動車製作所が引き続きバスボディ製造を担当
- 1970(昭和45)年 三菱重工業から三菱自動車工業が独立
- 1996(平成8)年 大型路線バスボディを系列の三菱自動車バス製造(旧呉羽)へ集約
- 1998(平成10)年 すべてのバスボディを三菱自動車バス製造へ集約し、バスボディ製造から撤退