呉羽自工(路線バス)
呉羽自動車工業は富山県にあるバスボディメーカーで、三菱自動車の系列であり、かなり早くから三菱自動車のシャーシにのみ架装するようになっています。三菱自動車では自社でもボディを製造しており、大型車では両社は競合の関係にあります。(中型車は100%呉羽自工が担当しています。)呉羽のボディは三菱ボディと同じ基本スタイルですが、モデルチェンジが三菱ボディの後追いで行われることが多いほか、呉羽のほうが垢抜けないスタイルに見えます。こういった点では、日野自動車における帝国自工と金産自工との関係によく似ていると言えます。
1977年に完全に三菱自動車の系列となり、1985年に新呉羽自動車工業と改称、三菱自動車との関係をより深めています。その後、1993年に三菱自動車の100%子会社になるとともに三菱自動車バス製造(MBM)と改称、1998年からは三菱のバスボディすべてを製造する会社へと発展しています。
1955−1958頃
新東京火力建設所 日野BD13
撮影:呉羽自工公式写真(富山市)
千曲自動車 三菱R280
撮影:ヒツジさん様(小諸市 2004.7.7)
1950年代の呉羽自工製ボディで、前面の傾斜2枚窓が特徴。呉羽自工では当初からアメリカのバスの影響を受けた傾斜スタイルを好んでいたようで、これもその延長と思われます。後面は位置の高い2枚窓が特徴ですが、これは三菱シャーシのエンジン位置に左右されたものと推察します。
シャーシの組み合わせ・・・三菱、日野、日産自ほか
1958−1972
第1期 1958−1963
三菱AR480(1959年製)
画像:三菱日本重工業発行絵葉書(1960)
岩手中央バス 三菱R480
撮影:oyan様(小岩井農場 1977.6)
恐らく1958年頃のモデルチェンジだと思われますが、前面窓の傾斜がなくなり、若干台形に近い窓形状になりました。同時期の三菱ボディとの共通性が高くなっています。後面窓は2枚のままですが、形状は変更になっています。過渡期には前モデルと同じ後面スタイルもあったようです。
側面最後部の窓は、シャーシのエンジン配置により、三菱R300系列等では扇形、三菱R400系列になるとバス窓を基本とした形状に変わります。
花巻バス 三菱R470
撮影:板橋不二男様(花巻バス本社 1973.11.3)
この時期の呉羽自工は、細かいマイナーチェンジがあり、詳細はよく分からない部分があります。年式が進むにつれて、前面窓のRが大きくなっています。
なお、三菱ボディと同様に、1980年までこの基本スタイルをマイナーチェンジしながら生産が続けられることになります。
シャーシの組み合わせ・・・三菱、日産自ほか
第2期 1963−1964
大井川鉄道 三菱MR470
撮影:新金谷車庫(1980.8.31)
大井川鉄道 三菱MR470
撮影:新金谷車庫(1980.8.31)
1963年に三菱ボディなどと同様、前面窓を連続窓とするマイナーチェンジが行われました。
写真の車両は、前面窓上に水切りがあります。
シャーシの組み合わせ・・・三菱、日産自
第3期 1964−1967
千曲自動車 三菱MR510(1966年式)
撮影:小諸駅(1980.7.31)
仙台市交通局 三菱MR490(1965年式)
撮影:東仙台営業所(1977.8.7)
1964年に前面窓を下方に拡大し、後面スタイルを連続窓に変更するマイナーチェンジを行いました。同時期の三菱ボディと歩調を合わせていますが、後面は丸型のままです。後面窓の連続窓は同時期の川崎車体や金産自工とよく似ていますが、呉羽自工は窓が側面に回りこんでいないのが特徴です。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
第4期 1968−1972
京王帝都電鉄 三菱B800M(1970年式)
撮影:立川駅(1977.7)
岩手県交通 三菱MR410(1971年式)
撮影:花巻営業所(1985.8.24)
1968年から後部が直線的な傾斜窓になりました。三菱ボディから4年ほど遅れています。三菱ボディとよく似た2枚ガラスですが、上部が水切り状にはなっていないため、より丸く感じられます。
この時期他のメーカーはヒサシ型のボディに移行しているため、呉羽のバスは実際より古さが感じられてしまうのは事実です。実際、三菱ボディでは同じ時期に前面ヒサシ付のボディにモデルチェンジしており、呉羽は1世代前の三菱ボディの後追いをしているイメージです。
ヘッドライトは前モデルの途中(1966年)から4灯になっていますが,ライトべゼルは外側を絞った呉羽自工独特の形です。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
1972−1980
京王帝都電鉄 三菱B800N(1974年式)
撮影:府中駅(1982.11.20)
岩手県交通 三菱MR410(1974年式)
撮影:水沢営業所(1985.8.17)
1972年に、前面にヒサシがつきました。ようやく他メーカー並になりましたが、全体的な丸みはそのままです。前面方向幕が左右一体にガラスになっており、後にこの部分がプレスによる突起になった点などは、三菱ボディと同じ特徴です。
岩手県交通 三菱MR410(1976年式)
撮影:松園営業所(1988.7.21)
京都市交通局 三菱MR410(1976年式)
撮影:京都駅(1981.11.15)
バス窓と並行してサッシ窓も生産されるようになり、1977年の三菱MPの登場以降はサッシ窓のみとなりました。
大型方向幕を採用すると、上部に飛び出したようになります。
後構改良形
神奈川中央交通 三菱MP117N(1979年式)
撮影:BA10-2407291様(相模原営業所 1985)
神奈川中央交通 三菱MP117N(1979年式)
撮影:BA10-2407291様(相模原営業所 1985)
1978年頃から主に直結冷房車に後面大型窓(方向幕付の場合上部は方向幕)のタイプも生産されています。このタイプに限っては、丸型のスタイルから脱していますが、標準仕様は1980年まで丸型のままでした。
呉羽自工は、1955年ごろから基本寸法はそのままで、部分ごとのマイナーチェンジを重ねている点では三菱ボディと同じです。
函館バス 三菱MP117N(1978年式)
撮影:函館市(2012.4.21)
直結冷房がないにもかかわらず、後面大型窓にした仕様。
屋根のカーブが深いため、窓の丸みも大きくなります。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
1980−1984
南越後観光バス 三菱K-MP118N(1983年式)
撮影:樋口一史様(小出車庫 2004.9.20)
1980年より呉羽自工もフルモデルチェンジを図り、三菱ボディの1978年以降のものと全く同じボディになりました。
基本的には見分けは付きませんが、折り戸の幅などに違いがあるようです。
神奈川中央交通 三菱K-MP118M(1980年式)
撮影:戸塚駅(1985.4.2)
京阪バス 三菱K-MP118M(1981年式)
撮影:京都駅(1981.11.15)
一部に細部が異なる車両もあります。神奈川中央交通などでは、折り戸の窓が異なっています。
京阪バスなどでは、後部の方向幕が独立しており窓が小さいタイプが存在します。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
1982−1984
新潟交通観光バス 三菱P-MP118N(1983年式)
撮影:樋口一史様(五泉営業所 2004.5.8)
1982年より、標準ボディと並行して、一部のユーザーにキュービックタイプのボディが納入されています。
中型車に1981年から採用されていたボディを大型化したもので、本家の三菱ボディに先んじてボディの近代化を図りました。ヘッドライトべゼルの形状は、9mサイズ大型車のMMと同型の丸みのあるものが採用されています。
東京都交通局 三菱P-MP118K(1984年式)
撮影:渋谷営業所(1984.12.30)
後半には、方向幕周りの成型を変えて、ガラス部分を拡大しました。写真の車両は都市新バス仕様で、視野拡大窓、愛称名表示マスク付、側面逆T字形窓など特別仕様になっています。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
1984−1993 エアロスターK
越後交通 三菱U-MP218K(1992年式)
撮影:樋口一史様(長岡営業所 2004.9.4)
新潟交通観光バス 三菱P-MP218P(1986年式)
撮影:樋口一史様(五泉営業所 2004.5.8)
1984年よりフルモデルチェンジが図られ、本格的にキュービックボディに移行しました。基本的には、1982年からの特別仕様とよく似ていますが、前面はフロントガラスと方向幕を一体化し、更にセイフティウインドウを標準装備した独特のスタイルになりました。
後面窓は方向幕を内蔵した大型のものが標準ですが、ユーザーによっては方向幕が独立したものも生産されているのは前モデルと同様です。
三菱ボディよりも一歩先に登場し、三菱ボディが「エアロスターM」を発表した後「エアロスターK」と呼ばれるようになりました。
神奈川中央交通 三菱P-MP218P(1984年式)
撮影:戸塚駅(1985.4.2)
セイフティウインドウのないタイプです。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
1993−1996 エアロスター
富山地方鉄道 三菱KC-MP217K(1996年式)
撮影:富山駅(2016.4.23)
1993年に三菱自動車バス製造(MBM)と社名を変え、路線バスボディも三菱ボディのエアロスターMと同じスタイルになりました。
このあと約3年間、両社で同じボディを生産しています。
シャーシの組み合わせ・・・三菱
呉羽自工の系譜
- 1944(昭和19)年 呉羽航空機を呉羽工業と改称し、バスボディ製造に着手
- 1950(昭和25)年 呉羽自動車工業に改称
- 1956(昭和31)年 三菱ふそう自動車(後の三菱自動車販売)と提携、三菱ふそうの標準ボディメーカーとなる
- 1986(昭和61)年 新呉羽自動車工業と改称
- 1993(平成5)年 三菱自動車バス製造と改称
- 1998(平成10)年 三菱自動車工業より大型バスの製造を全面移管
- 2003(平成15)年 三菱ふそうバス製造と改称
呉羽自工について詳しい本
呉羽自工について詳しく記載した書籍をご紹介します。モータービークル臨時増刊として発刊された「日本のバス1986」で、呉羽自工の歴史を22ページほどの特集記事にまとめています。
終戦後に製造された貴重な写真から、三菱ボディに寄ったり離れたりしながら発達してきた様子が分かります。