北村製作所(路線バス)
北村製作所は新潟県のボディメーカーで、特殊車体の製造で知られていますが、バスボディも手がけています。納入先は東北、信越、及び首都圏に偏っています。当初はいすゞのほかに日産ディーゼルや三菱のシャーシにも架装していましたが、川崎車体同様1973年ごろからいすゞのみになっています。その後他メーカーがモデルチェンジをする中でスタイルが長く変わらないこともあり、徐々にシェアを狭め、いすゞLVが登場するに及んでほとんど大型バスの生産がなくなり、1988年に新潟交通に納入したのを最後に大型バス製造からは撤退しています。
なお、いすゞのマイクロバスについては北村製作所が指定車体になっており、全国各地で見ることができましたが、これも1995年で中止されています。
1960頃−1966
八戸市交通部 日産自UR690
撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.7)
横浜市交通局 いすゞBR20
撮影:横浜市(2005.3.26)
北村製作所が前面分割窓から連続窓にモデルチェンジしたのは1960年頃で、前面窓上に直線状の水切りがあるのが特徴でした。基本寸法はこのままで、1980年代中頃まで生産が続けられることになります。
側面最後部の固定窓の大きさに複数種類があるのは、富士重工とも共通します。後面窓は呉羽ボディなどとよく似た2枚窓です。
岩手県交通 いすゞBR20(1966年式)
撮影:矢巾営業所(1984.6.12)
このボディスタイル末期に存在した3枚連続窓の車両。
呉羽ボディとよく似ており、側面に回りこまない窓形状です。
シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日産自、三菱
1966−1985
前期型 1966−1974
岩手県交通 いすゞBU05(1967年式)
撮影:釜石営業所(1985.8.10)
新潟交通 いすゞBA30
撮影:樋口一史様(新津市 2004.5.8)
1966年にそれまでの丸型ボディからモデルチェンジされ、前後ともヒサシ状のプレスがなされた角張ったスタイルになりました。側面は基本的には変わりません。富士重工のボディなどの影響が随所に見られますが、この後の帝国自工や富士重工3Eなどより先んじていた部分が見られるのも事実です。
同時期の富士重工のボディと同様に、シャーシメーカーや型式によって、側面最後部の窓の形に数種類あるのが特徴です。基本は三角窓ですが、日産デ車やいすゞBA30には台形、三菱車の場合はバス窓タイプで下部引き違いになります。また、非常口は当初中央部でしたが1971年ごろから後部に移りました。
シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日産デ、日産自、三菱
後期型 1974−1985
伊那バス いすゞBU04(1977年式)
撮影:松川車庫(1982.8.10)
1974年にマイナーチェンジが行われ、一般的な傾向に則りサッシ窓になりました。同時に前面窓も縦寸法が更に拡大されました。側面最後部にあった三角の固定窓はこの時になくなりました。なお、この時期のサッシ窓は上段固定で、桟が上に寄っているのが標準です。
伊那バス いすゞK-CLA470(1980年式)
撮影:ヒツジさん様(伊那市 2004.7.4)
1978年より折り戸の窓が拡大され、前面窓も2枚ガラスに変わっています。またサッシ窓の桟は中央に変更になっています。
しかし、他のメーカーがモデルチェンジを重ねる中で、北村ボディは昭和30年代から基本断面が変わらないため、見た目の古さは否めず、採用ユーザーは目に見えて減りました。
伊那バス いすゞK-CLM470(1982年式)
撮影:松川車庫(1982.8.10)
1979年ごろから大型方向幕が採用されますが、基本スタイルはそのままで、ルーフラインが盛り上がるのが特徴です。この頃になると、北村製作所のヘビーユーザー以外には導入されなくなっているようです。
シャーシの組み合わせ・・・いすゞ
1985−1988
新潟交通西 いすゞP-LV314Q(1987年式)
撮影:樋口一史様(潟東営業所 2004.5.8)
北村製作所のキュービック化は他のメーカーより遅く、1985年のことでした。マイクロバスMRとの共通イメージを持ったスタイルで、前面は傾斜窓になっています。側窓の縦寸法は川重車体のキュービックをしのぐ大きさです。後面もMR同様、側面に回り込んだ曲面ガラスとなっており、一般的傾向とは一線を画しています。
新潟交通など地元の一部ユーザーに納入されたものの、間もなく製造は中止されました。
シャーシの組み合わせ・・・いすゞ
新潟交通西 いすゞP-LV314Q(1987年式)
撮影:樋口一史様(潟東営業所 2004.5.8)
北村製作所の系譜
- 1945(昭和20)年 北村製作所設立
- 1948(昭和23)年 バスボディの製造開始
- 1988(昭和63)年 大型バスのボディ製造から撤退
- 1995(平成7)年 小型バスのボディ製造をいすゞバス製造に移管し、バスボディ製造から全面撤退