入門その頃のバス

金産自工(観光バス)

ボディ 金産自工の観光タイプは、帝国自工と同様に、路線バスの前後の窓をルーフラインまで伸ばしたようなタイプと、正面を丸みのある傾斜窓にしたタイプの2種類があります。やはり路線バスの場合と同じく、帝国自工とは微妙なスタイルの差があります。
1975年に帝国自工と金産自工が合併により日野車体となり、大型車の生産は横浜工場(旧帝国自工)に一本化されたため、金産自工のスタイルは合併により終止符を打ちました。末期には、金産自工の製品でも、帝国自工とほぼ同じものが作られているようです。


1967−1975

琴参バス 日野RC320P(1972年式)
RC320P

撮影:OKMR様

伊那バス 日野RC320P(1969年式)
RC320P

撮影:南箕輪村(2018.7.10)

1967年のRE系登場に伴い、路線バスの前後の窓をルーフラインまで拡大した観光タイプが登場しました。帝国自工に比べると、正面窓の傾斜角が大きく第1柱が傾斜しているのが特徴。また、側面窓の縦寸法が小さく、ずんぐりした印象を与えます。側面最後部には三角の固定窓が配置される例も多いようです。

自家用 日野RC320P
RC320P

撮影:府中市(1982.11.20)

路線バスのボディを基本にしたタイプと並行して、高速バス用の流線形ボディの系譜を引き継ぐ傾斜窓タイプがあるのも、帝国自工と共通しています。ただし、こちらも独特の丸みを持っていて、帝国自工とは区別ができます。



シャーシの組み合わせ・・・日野

1974−1975

琴参バス 日野RC320P(1974年式)
RC320P

撮影:OKMR様

金産自工は1975年に帝国自工と合併して日野車体工業へ発展的解消を遂げますが、最終期に金産自工で製造されたボディの中には、帝国自工(と言うより日野車体か)と見分けのつかないボディもありました。

シャーシの組み合わせ・・・日野

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80s岩手県のバス“その頃”