川崎車体(観光バス)
1960年代〜70年代にかけて、観光バスは路線バスのバリエーションとして製造された側面が強く、これが1980年代に入る頃から分離して行った傾向にあります。これはボディについても同様で、路線バスの前後の窓をルーフラインまで大型化し、側面をメトロ窓にしたものが観光ボディの基本でしたが、徐々に観光バスとしての独自性を持ったスタイルに変わってきています。川崎車体では、高速バス試作車の流れを組む通称「オバQ」に始まり、路線バスと共通性のあるボディを生産しつつ、独自性のある観光ボディ「スーパークルーザー」へと進化しています。
1963−1972 川崎丸型
岩手県交通 いすゞBU20KP(1972年式)
撮影:滝沢営業所(1984.4.24)
日本国有鉄道 いすゞBH20P(1969年式)
撮影:板橋不二男様(小浜支所 1977)
川崎航空機がいすゞと共同で高速走行に対応したバスとして1963年に試作したボディは、大きな曲面を持つ斬新なスタイルで、軽合金ボディのバスした。
その後、1965年にいすゞBU15を標準的なシャーシとして、普及型ボディが作られ、各地の観光バスに採用されるようになります。材質は普通鋼で、折り戸、引き違い窓となるなど、当時のデラックス観光バスの標準的な仕様となりました。丸っこいボディに大きな正面マスク形状から、通称“オバQ”と呼ばれるようになりました。1969年からは専用シャーシのいすゞBHも発売されました。
正面のマスク形状はへの字形が標準ですが、国鉄バスをはじめ釣り目状も存在します。
後面も大きく曲線を描いており、2枚ガラスとなっています。
当初は窓縦寸法が大きく、テール灯は丸型の2灯が標準だったようです(右)。
1968年頃から後面窓の下辺が上がりました(左)。この変化は、縦置きエンジンのBHの設定と関係があるのかもしれません。
テール灯は丸型のまま3灯になり、その後角型のものも現れています。また、後面窓上の水切りもないものがあります。
シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日野、三菱
川中島自動車 日野RC300P(1968年式)・RC100P(1967年式)
撮影:板橋不二男様(妙高営業所 1977.5.28)
1965−1972
秋北バス いすゞBU10KP(1972年式)
撮影:十和田湖休屋(1986.5.3)
岩手県交通 いすゞBU20KP(1972年式)
撮影:盛岡駅(1985.5.3)
1965年にモデルチェンジした路線バスボディの正面窓をルーフラインまで拡大し、側面をメトロ窓としたものが、観光バスの一般型ボディとして作られています。後面スタイルは路線バスと同じです。
“オバQ”とは並行して作られました。
シャーシの組み合わせ・・・いすゞ、日野、三菱、トヨタ
1973−1987
標準床車(73SC) 1973−1987
岩手県交通 いすゞBU20KP(1973年式)
撮影:盛岡バスセンター(1986.5.25)
岩手観光バス いすゞBU15KP(1974年式)
撮影:盛岡駅(1985.6.25)
1973年より路線バスと同様にマイナーチェンジが行われました。路線バスを基本にしながら、正面は大型の傾斜窓とし、バンパを含むマスク部分を一体化した新しいスタイルになりました。後面は、路線バスと同じ大型2枚ガラスです。
これまでの“オバQ”は販売中止となり、観光バスのスタイルは、一旦、一本化されました。
また、このボディから、いすゞのみへに架装になりました。
岩手県交通 いすゞK-CRA580(1980年式)
撮影:大船渡営業所(1985.8.25)
1976年に、、ライトとホーン、社名表示を一体化したマスクが加わりました。このマスクは後述する「ハイデッカーⅠ型」登場とともに設定されたもので、おおむねCRA,CSAの時期に当たります。
岩手県交通 いすゞK-CSA580(1984年式)
撮影:都南車庫(1986.7.6)
1983年にはスケルトンタイプの車両に合わせ、バンパーと一体化したマスクに再度変更されています。最後のこのマスクは、LVになってからも生産され、ライトの形状には数種類ありました。
基本的に標準床車の後継モデルは作られなかったため、1987年までカタログ上にはこのボディスタイルが残されていました。
ハイデッカーⅠ型 1976−1987
富士急行 いすゞK-CRA580(1981年式)
撮影:双葉SA(1986.8.18)
73SCのバリエーションとして、1976年からハイデッカーが新設されました。他メーカーがセミデッカーから入ったのに対して、川重は直接フルデッカーからの発売でしたが、外観的には標準床車を段上げしたセミデッカー的なスタイルになっています。
これはハイデッカーⅠ型と名付けられています。
ベースとなる73SCと同様に、1983年に正面のマスク形状が変わりましたが、いすゞがシャーシをLVにモデルチェンジした後の導入実績はほとんどありません。
全高・・・3,380mm
ハイデッカーⅡ型 1977−1987
はとバス いすゞCRA650(1977年式)
撮影:53様(湘南海岸 1982.7)
岩手県交通 いすゞCRA650(1978年式)
撮影:毛越寺(1986.9.24)
川崎ボディのハイデッカー第2弾として、1977年から正面窓を縦に伸ばしたようなスタイルのハイデッカーⅡ型が登場しています。
前年に登場したハイデッカーⅠ型とは並行生産され、どちらを選ぶかはユーザーによって好みが分かれたようです。
後面窓は、標準床車と同じ2枚ガラスですが、車高が上がった分、縦寸法を拡大しています。この後面スタイルはハイデッカーⅠ型にもオプション設定されました。
やはり1983年に正面のマスク形状が変わり、いすゞがシャーシをLVにモデルチェンジした後の導入実績はほとんどありません。
全高・・・3,380mm
ハイデッカーⅢ型 1980−1987
川中島バス いすゞK-CSA650(1981年式)
撮影:長野営業所(1992)
1980年より、他のメーカーのスケルトン化の傾向の中で、川崎ボディも2種類の特別スタイルのボディを発表しました。そのうちの一つが、ハイデッカーⅢ型です。
正面窓は上下の2枚ガラスとなり、側面は大型のカーブドガラスが採用されています。後面窓も大型の曲面ガラスになっています。前照灯は角型4灯になりました。スィングドアが基本で、上級車として導入するケースが多かったようです。
全高・・・3,420mm
ハイデッカーⅣ型 1980−1987
国際興業 いすゞK-CSA650
撮影:双葉SA(1986.8.18)
日本国有鉄道 いすゞP-LV219S(1985年式)
撮影:盛岡駅(1986.8.8)
ハイデッカーⅢ型と同時に発表されたモデルで、正面窓が左右2枚ガラスのスタイルはハイデッカーⅣ型と名付けられました。ライト配置が縦型4灯というこれまでにない特徴あるスタイルとなっています。側面や後面はハイデッカーⅢ型と変わりません。
松本電気鉄道 いすゞK-CSA650(1984年式)
撮影:松本営業所(1988.9.14)
バリエーションとして、側面窓がフロントガラスに向かって斜めにカットされた仕様もありましたが、これには富士重工の影響が感じられます。また、前後の窓が1枚ガラスのものも多く見られます。
全高・・・3,420mm
1981−1987 ハイデッカーⅤ型
富士急行 いすゞP-LV219S
撮影:諏訪市(1986.8.18)
岩手県交通 いすゞP-LV219Q(1985年式)
撮影:都南車庫(1985.9.27)
1981年より、ハイデッカーⅡ型の後継である廉価版のスケルトンタイプが登場し、ハイデッカーⅤ型と名付けられました。1年早く登場したⅢ型、Ⅳ型に比べると側面窓や後面窓が平面ガラスとなったためより角張ったイメージです。在来型も並行生産されていました。
岩手観光バス いすゞP-LV219S(1986年式)
撮影:盛岡営業所(1986.4.20)
岩手県交通 いすゞP-LV219Q(1986年式)
撮影:都南車庫(1986.7.22)
1984年より折戸の窓が路線バスLV系に合わせて角張った形に変わりました。1986年よりマイナーチェンジで後面スタイルが変わったほか、固定窓の隅に残っていたRがなくなりました。
なお、ユーザーによっては、縦目4灯のマスクや正面1枚ガラス、スィングドアの採用などで上級車種のⅢ型、Ⅳ型との差別化は次第になくなってきたようです。
LV時期のマスクについて
この時期、正面のライト類と社名表示(方向幕)を含むマスクの形状は整理が図られていましたが、細部には違いがありました。
時期的には1983年のCSA末期からスーパークルーザーに切り替わる1987年までの間です。
丸灯、丸型ベゼル
標準床車の標準として用いられていたマスク。ライトベゼルの形状はいすゞBUの時代と変わらないため、先祖返りした印象で、新しさは感じません。
丸灯、角型ベゼル
ハイデッカーⅠ型、Ⅱ型の標準として用いられていたマスク。ライトベゼルの形状はハイデッカーⅡ型登場時(はとバス)のものと共通のようです。標準床車での採用も見られます。
角灯、角型ベゼル
ハイデッカーⅢ型、Ⅴ型の標準として用いられていたマスク。
他のボディスタイルにも広く用いられていました。
縦型配置
ハイデッカーⅣ型の標準として用いられていたマスク。ライトが縦に並ぶというこれまでにない斬新な配置で、いすゞの新しいアイデンティティとして人気を博しました。
上級車種のイメージが強いため、ハイデッカーⅤ型など他のボディにも普及しました。
1986−1996 スーパークルーザー
翌1987年にはハイデッカーも「スーパークルーザー」にモデルチェンジされ、複数あった川崎ボディのバリエーションは、ようやく統一されました。
1996年に後継の「ガーラ」にモデルチェンジされました。
スーパークルーザーSHD 1986−1996
岩手県交通 いすゞP-LV719R(1988年式)
撮影:岩手人様(北上営業所 2005.7.30)
岩手県交通 いすゞU-LV771R(1993年式)
撮影:長谷川竜様(盛岡駅 2014.6.21)
これまでより一層角張ったボディスタイルで、ライト周りとバンパーを一体化した新しいパターンを生み出しています。カタログ上は正面窓下を黒く、ライト周辺をボディカラーで塗装することで、これまでにない未来的なスタイルに見せています。
全高・・・3,660mm
山梨交通 いすゞU-LV771R(1995年式)
撮影:敷島営業所(2015.5.23)
1990年にシャーシ型式は変わりますがボディはそのまま継続し、1994年にフロントマスクを角型2灯式ヘッドランプにするマイナーチェンジを行いました。
1996年に後継のガーラにモデルチェンジしています。
スーパークルーザーHD 1987−1996
宮崎交通 いすゞP-LV719R(1988年式)
撮影:宮崎駅(2018.11.27)
十和田観光電鉄 いすゞU-LV771R
撮影:長谷川竜様(北上駅 2014.6.21)
1987年にはハイデッカーもスーパークルーザーにモデルチェンジを図りました。
これまで複数のスタイルのハイデッカーが生産されていましたが、ようやく一本化されました。
1994年に角形2灯にマイナーチェンジしたのは、SHDと同じです。
全高・・・3,280mm
スーパークルーザーUFC 1989−1996
伊那バス いすゞP-LV719R(1989年式)
撮影:伊那本社(1990)
1989年には国産初のアンダフロアコックピットタイプであるスーパークルーザーUFCを発売しました。全高は普通のスーパーハイデッカーと変わりませんが、運転席部分が2階建て構造になっており、客席が最前部まであります。2階建てバスのないいすゞの看板車両としています。
主に貸切バスのフラッグシップ車としての導入例が目立ち、生産台数はそう多くはありません。
全高・・・3,660mm
川崎車体のボディ型式
車体にも名称があるようです。ただし、車体にも車台にも、また銘板にも記載されておらず、書籍などでしかその全容を知ることはできません。ここでは、川崎車体のボディ名称について、分かる範囲でまとめてみます。車体呼称
例:KBX
九段書房(1989)「日本のバス1990」によると、1965年に川崎車体が発表したボディは、KBXと呼ばれるそうです。
佐藤信之(2010)「昭和のバス名車輛」によると、ボンネットバス、キャブオーバーバス用ボディがKBA、いすゞBC用の傾斜窓ボディがKBC、リアエンジンバスの汎用ボディがKBRと呼ばれるそうです。
また、日本バス友の会(1987)「消行く名車オバQバス」によると、1973年にモデルチェンジした観光バスボディは、'73式SC車と呼ばれたそうです。
いずれにしても、これらは内部呼称と思われます。
仕様を表す呼称
例:H101型
日本バス友の会(1987)「消行く名車オバQバス」によると、1976年に発表されたハイデッカーはH101型と呼ばれたそうです。この車体に「ハイデッカーⅠ型」の名前がついたのは、1979年からだそうです。
その後に続いて発表されたハイデッカーにも、H201型、H701型などの呼称があったそうです。
これらの呼称は、その後の書籍等ではあまり見かけません。
車格を表す呼称
例:ハイデッカーⅣ型
複数のハイデッカーがカタログに掲載された1979年以降、シャーシメーカーのいすゞが発行したカタログには、ハイデッカーⅠ型などの名前が出るようになります。しかしこれはハイデッカーⅣ型までで、1986年以降は商品名の「スーパークルーザーSHD」などが前面に出るようになりました。