その後の廃車体(秋田県)

羽後交通

秋田県の羽後交通の廃車体です。羽後交通は、横手市に本社を置く会社で、東京の小田急バスとよく似たカラーデザインで知られます。その昔は、東京都営バスと同じカラーだった時代もありました。

廃車体
MR520

撮影:秋田県(2019.7.21)

羽後交通 いすゞMR520

おでこに残る赤い色から、元羽後交通と思われる前中折り戸車の廃車体。物置として使用されているようで、全体的に白っぽい塗料が塗られています。
ウィンカーの形状から、1969〜72年式のようです。
(情報提供:都南村民様)

廃車体
BX721E

撮影:栗原大輔様(秋田県 2006.8.1)

羽後交通 いすゞBX721E

羽後交通の旧カラー、つまり東京都交通局の1950年代カラーを持つ廃車体。後姿ですが、北村製作所製ボディのキャブオーバーバスだと思われます。短尺車で後面の下のほうに丸いエンブレムが見えるようなので、いすゞだと思います。
1962年式くらいで、型式は推定です。

廃車体
BA741

撮影:海さん様(秋田県 2007.10.1)

羽後交通 いすゞBA741
BA741

撮影:ぽんたか様(秋田県 2017.11.5)

北村製作所の丸型ボディです。上から色を塗られていますが、羽後交通の塗り分けが見えてきています。
正面窓は保護されていますので、窓ガラスも健在のようです。ヘッドライトは4灯なので、昭和40年ごろの年式です。

廃車体
BA20

撮影:海さん様(秋田県 2005.9.21)

羽後交通 いすゞBA20

北村製作所製ボディの2ドア車。錆が進んではいるようですが、羽後交通のカラーデザインが見えています。

廃車体
U32K

撮影:終点横川目様(秋田県 2008.5.17)

羽後交通 日産デP-U32K(1984年式)
U32K

撮影:終点横川目様(秋田県 2008.5.17)

農地の倉庫として置かれている廃車体ですが、それにしては新らし目の車体です。富士重工製の5E型ボディで、リベットレスの後期型。
ドア側を見て分かるように、羽後交通オリジナルではなく、東京都交通局からの譲受車。戸袋窓は角型になりましたが側面方向幕には丸みが残る過渡期の車両です。

廃車体
CCM410

撮影:一関市民様(秋田県 2007.5.5)

羽後交通 いすゞK-CCM410

羽後交通の中型路線車。秋田県のワンマンカーには前中折り戸が多かったようです。
青色に塗られた廃車体ですが、いすゞのエンブレムが盗られた跡から羽後交通カラーが見え、また側面は落書きされてしまっています。
(撮影者によると、2009年現在撤去済み)

廃車体
RC300P

撮影:終点横川目様(秋田県 2008.5.17)

羽後交通 日野RC300P(1968年式)
RC300P

撮影:終点横川目様(秋田県 2008.5.17)

建設会社の敷地内で荒れ果てている廃車体。元は貸切車だったものに中ドアを増設して路線バスにした車両。正面の方向幕は貸切時代は明かり窓になっていたような幅広のもので、路線バスと顔つきの差別化を図っていた名残りです。
非常口側中央には、鉄道会社時代の社紋が残ります。

廃車体
RV742P

撮影:終点横川目様(秋田県 2008.5.17)

羽後交通 日野K-RV742P

羽後交通のセミデッカーです。上のRCと同じ場所にあり、やはり荒廃が進んでいます。セミデッカー車は上級の貸切車として投入されたものですが、この車両も最後は中距離路線に格下げされていた可能性があります。
型式は推定です。

廃車体
B623E

撮影:一関市民様(岩手県 2006.3.5)

羽後交通 三菱B623E
B623E

撮影:一関市民様(岩手県 2006.3.5)

羽後交通カラーで残る中型車の廃車体。自家用バスとして使用された後に廃車となったようです。
後部はおでこが丸くなっていますが、ライトベゼルが角張っているので、1974〜76年式です。
なお、このカラーはメーカーのカタログカラーに使われていた可能性もあり、この車両も必ずしも羽後交通とは限りません。

廃車体
MM115H

撮影:一関市民様(秋田県 2005.8.15)

羽後交通 三菱MM115H

屋根部分の塗分け線から元羽後交通と思われる廃車体。反対側に折り戸の中ドアが見えます。
羽後交通にはこのようなメトロ窓の前中折戸車がいましたので、それだと思います。型式は推定ですが、窓の数から大型9mサイズのMMであることは間違いないでしょう。

廃車体
BX553

撮影:終点横川目様(横手市 2008.4.29)

羽後交通 いすゞBX553(1960年式)
BX553

撮影:終点横川目様(横手市 2008.4.29)

北村製作所製のボディを持つボンネットバスの廃車体。長尺車で後面は丸型です。このサイズは現存するボンネットバスの中では長いタイプで、西東京バスの夕やけ小やけ号の先輩に当たります。
りんご畑の中の倉庫となっており、全体が茶色く塗られていますが、外されている扉の部分に見える通り、元の塗装は都営バスの旧カラーと同じです。
(2008年5月、保存のため撤去されました。後にジェイバスの保存車となっています)

廃車体
BH15

撮影:一関市民様(稲川町 2005.8.15)

羽後交通 日野BH15(1961年式)

帝国ボディのボンネットバスの廃車体。正面窓が連続窓になった初期のもののようです。
かなり荒廃していますが、赤いラインが見えるほか窓周りや前輪フェンダが明るいブルーに塗られているようです。何回か塗り直されているかも知れません。

BH15

撮影:海さん様(稲川町 2005.9.21)

上記のバスの報告を頂いた後、所有者の立会いの下で敷地内で撮影したのがこちらの写真です。想像通り、帝国ボディのいすゞボンネットバスでした。
型式、年式、元ユーザー等は海和様の現地調査により判明しています。
(2005年9月、保存のため撤去されました。後に福山自動車時計博物館の保存車となっています)

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