その後の廃車体

自家用バス1(大型バス)

岩手県内にある自家用バスと思われる車両の廃車体のうち、大型バスをここにまとめます。前歴として、どこかの貸切バス会社にいた可能性のあるものもあります。

廃車体
MR520

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.11.2)

自家用 三菱MR520

プレハブ小屋の脇に置かれた廃車体。方向幕には「道」と書いてあります。
後ろのほうは見えませんが、前ドア次位に幅狭の窓が二つ並んでいますので、型式を推察しました。
カラーデザインは、下の廃車体とよく似ています。青3本ラインの自家用カラーに、緑や赤の細線を追加して使っていたのかもしれません。

廃車体
MR410

撮影:岩手県交通ファン様(岩手県 2006.8.23)

自家用 三菱MR410

リサイクルショップになっているバス廃車体。元は自家用バスのようです。
この角度だと全体の長さがよく分かりませんが、前ドア次位の小窓のサイズなどから型式を推定しました。

廃車体
MR470

撮影:終点横川目様(岩手県 2008.2.11)

自家用 三菱MR470
MR470

撮影:終点横川目様(岩手県 2008.2.11)

集会所として使用されているのか、屋根とトタンで厳重に覆われた廃車体です。まともに見えるのはドア部分くらいですが、そのドアと正面窓の形状から、三菱ボディの1960年代後半のボデn_ィであることが分かります。県内の三菱車は呉羽ボディが多く、三菱ボディは希少なので、前ドア車であることも含めて自家用バスと推察しておきます。
よく見ると、前ドア部分も建物の引き戸で隠せるようになっており、これをバスだと気付くことは普通なら難しそうです。型式は推定。

廃車体
MR510

撮影:岩手県交通ファン様(北上市 2004.12.11)

自家用 三菱MR510(1967年式)
MR510

撮影:岩手県交通ファン様(北上市 2004.12.11)

自家用の中ドア車の廃車体。最後のユーザーは建設会社だったようですが、窓下の2本線のうち1本は後から入れられたようなので、もともとは窓下1本線のデザインでどこか別のところで使用されていたようです。
後面の丸い呉羽車体ですが、ヘッドライト4灯なので、1967年式と推察しました。

廃車体
B806L

撮影:終点横川目様(花巻市 2007.5.28)

自家用 三菱B806L
B806L

撮影:終点横川目様(花巻市 2007.5.28)

花巻市内の企業送迎バスの廃車体です。りんご畑で資材置き場になっています。いかにも自家用バスという感じのカラフルな色に塗られていますが、前ドア脇に「貸切」という札が入っているのがちょっと気になります。
呉羽ボディの1970年代初頭のものと思われます。型式は推定。

廃車体
MS513R

撮影:終点横川目様(花巻市 2007.5.28)

自家用 三菱MS513R
MS513R

撮影:終点横川目様(花巻市 2007.5.28)

上の廃車体と並んで置いてありますが、こちらは休憩所として使用されているそうです。温泉の送迎バスだったようで、ボディにもその表記がありますが、元はどこかの貸切車だったと想像できます。
ボディは三菱の初期のフルデッカーで、1977年前後のものと思われます。型式は推定。

廃車体
MS5

撮影:岩手県交通ファン様(岩泉町 2005.1.5)

自家用 三菱MS5

ホテルの送迎バスが最後の仕事だったと思われる三菱フルデッカの廃車体。上の明かり窓と運転台窓が分かれていますので、1980年以前のMS500系と思われます。
その昔はどこかの営業バスだったかもしれません。
(長谷川竜様によると、2013年5月現在撤去済み)

廃車体
MS513N

撮影:終点横川目様(岩手県 2010.5.23)

自家用 三菱MS513N
MS513N

撮影:終点横川目様(岩手県 2010.5.23)

リンゴ畑の倉庫になっている三菱のパノラマデッカー。新湯本温泉の旅館の名前が書いてあります。
パノラマデッカーの割には短尺車です。また呉羽ボディで、エンジンのダクトは屋根上にあり、側面最後部窓の傾斜が特徴。

廃車体
MS613N

撮影:長谷川竜様(岩手県 2013.5.25)

自家用 三菱K-MS613N

牧場の一角にある作業場の奥に置かれた三菱のパノラマデッカー。
ドーム部分の形状から、1980年以降の後期形と思われます。

廃車体
MS613S

撮影:終点横川目様(遠野市 2007.11.3)

自家用 三菱K-MS613S
MS613S

撮影:終点横川目様(遠野市 2007.11.3)

遠野市内でサッカー部の遠征車として使用されていた自家用バスの廃車体。色は専用色に塗り替えられていますが、セミデッカーという仕様からして、どこかの貸切バスの中古ではないかと思います。
型式は推定です。
(コースター乗り様によると、2008年3月現在撤去済みです)

廃車体
MS613S

撮影:左党89号様(葛巻町 2006.9.24)

自家用 三菱MS613S

青森県の福祉施設の自家用バス。前ドア付近の形状から呉羽ボディのようです。
型式は推定ですが、自家用という性格上路線シャーシの可能性もあるかもしれません。
(撮影者によると、2008年12月現在撤去済み)

廃車体
B800J

撮影:一関市民様(一関市 2006.7.1)

自家用 三菱B800J

呉羽ボディの観光タイプ。斜めのメトロ窓などデラックス仕様のようです。呉羽ボディですが正面グリルは三菱ボディタイプ。
屋根にもおかしな塗り分けがありますが、自家用時代のものでしょうか。元がバス会社の所属とすれば、宮城交通あたりが想像できますがどうでしょうか。

廃車体
B800J

撮影:一関市民様(盛岡市 2005.4.3)

自家用 三菱B800J

企業の送迎バスだった三菱車。
三菱ボディの観光タイプですが、正面窓の上に雨樋のラインが伸びた初期スタイル。
自家用なので、リーフサスと推察しました。

廃車体
BU15EP

撮影:一関市民様(岩手県 2003.11.8)

自家用 いすゞBU15EP

一関市のセレモニーホールの自家用バスの廃車体です。いすゞの“オバQ”ボディで,年式や長さが分かりませんがBU15EPと推察しておきます。
“オバQ”は当時ワンクラス上の観光バスとして導入された例が多く,この車両も前歴はどこかの営業用バスだと思われます。

廃車体
BU

撮影:左党89号様(葛巻町 2006.9.24)

検診車 いすゞBU

盛岡市の病院の検診車の廃車体。北村製作所の1976年ごろまでのボディスタイルを持つ車両。正面にはいすゞのマークがついており、リアエンジン車のようなのでBUベースの検診車だと思われます。
(撮影者によると、2008年12月現在撤去済み)

廃車体
ECM430

撮影:左党89号様(大館市 2007.1.21)

自家用 いすゞK-ECM430

場所は秋田県ですが岩手県内の自動車教習所の教習車のようです。教習車でありながら正面に大型方向幕がついています。

廃車体
RD100

撮影:長谷川竜様(滝沢村 2013.6.1)

自家用 日野RD100

自動車学校跡地にある廃車体。実はこの廃車体、“その頃”に私も見ています。見てはいますが、後ろにいた岩手中央バス廃車体だけを撮影し、こちらはスルーしています。その理由は、似たような車両が県交通で現役だったため、珍しく感じなかったからです。
京成カラーですが、カタログカラーにもなっていたようなので、京成とは関係ないと思います。前照灯4灯なので、1970〜75年式。

廃車体
RE140

撮影:終点横川目様(矢巾町 2007.5.23)

自家用 日野RE140
RE140

撮影:終点横川目様(矢巾町 2007.5.23)

金産ボディの前ドア車で、白1色に塗られています。東北地方では、似たような車両が路線バスや貸切バスで走っていましたが、前身はよく分かりません。
非常口の位置や窓、側面最後部の三角窓の形状などに金産ボディの特徴が表れています。

廃車体
RE120

撮影:都南村民様(岩手県 2020.10.7)

自家用 日野RE120

帝国ボディの2ドア車。中ドアは引き戸の自動ドアですが、前ドアには取っ手があり、自動の文字のない手動ドア。スクールバスでしょうか。
テールライトは丸形の2灯。細かいところに特徴のある車両です。

廃車体
RE141

撮影:左党89号様(浄法寺町 2005.8.16)

自家用 日野K-RE141

二戸市内の企業送迎バスだったという日野車。直結冷房を持つものです。
型式は窓配置から推測しましたが、高出力だとK-RC301になります。

廃車体
RC300P

撮影:一関市民様(水沢市 2003.9.28)

自家用 日野RC300P
RC300P

撮影:一関市民様(水沢市 2003.9.28)

金産車体の観光タイプの廃車体です。路線バスで言えばRE系初期に相当する1967〜75年のボディで,同時期の帝国車体に比べると正面窓が傾斜しているのが特徴です。屋根や窓の丸みも当時の金産ボディの特徴でした。
前所有者は分かりませんが,自家用の送迎バスとして使用されていたものと思われます。

廃車体
RC300P

撮影:終点横川目様(金ヶ崎町 2007.5.2)

日野 RC300P

農家の隅に置かれているという帝国ボディの傾斜窓タイプ。
灰色に塗りつぶされているので前歴はよく分かりません。岩手県内でも何社かで似たような車両がいた可能性があります。
型式は推定。

廃車体
RC320P

撮影:一関市民様(金ヶ崎町 2004.7.11)

自家用 日野RC320P
RC320P

撮影:一関市民様(金ヶ崎町 2004.7.11)

元はどこかの観光バスと思われる自家用バスの廃車体。帝国ボディの傾斜窓タイプで,恐らくデラックス仕様の観光バスとして華々しいデビューを飾った過去を持つものと想像できます。
現在の塗装は,メーカーエンブレムや社名表示にまで塗られており,格好いいものではありません。側窓まわりのブラックは,スケルトンボディが出始めた1980年代初めの頃のしわざと思われます。
年式は1968〜72年。型式は推定です。

廃車体
RV

撮影:岩手県交通ファン様(盛岡市 2004.9.25)

自家用 日野RVほか
RV

撮影:岩手県交通ファン様(盛岡市 2004.9.25)

自家用バスの廃車体群です。一番手前はいかにも自家用スタイルの三菱MK。その隣は日野のセミデッカーで,1975〜79年式の日野RV。一番奥に見えるのは三菱のパノラマデッカーです。
大型車2両は元々は営業用だった可能性がありますが,いずれにしろ岩手県内では存在しないタイプですので,どこかからの流れ者でしょう。

廃車体
RV730P

撮影:終点横川目様(花巻市 2007.11.11)

日野 RV730P

製材所の休憩所になっている観光バスの廃車体。屋根には煙突が伸びています。
こんな色の観光バス、どこかで見かけたような気もしますが、思い出せません。
型式は推定。

廃車体
E690

撮影:左党89号様(岩泉町 2006.12.9)

自家用 日産E690

自家用バスとして発売されたキャブオーバーバス「キャブスター」。新日国ボディを標準とするこのバスは、当サイト内にも何枚か写真がありますが、これはかなり綺麗な廃車体です。
(撮影者によると、2007年10月現在撤去済み)

廃車体
E690

撮影:海さん様(八幡平市 2005.10.1)

自家用 日産E690

日産のキャブオーバーバス「キャブスター」で富士重工製ボディを架装したもの。
キャブスターは1959年の発売当初から4灯で、また富士重工では丸みのある11型ボディをかなり遅くまで架装していたので、年式の判定は困難です。

廃車体
BF30

撮影:海さん様(金ヶ崎町 2006.11.21)

自家用 いすゞBF30(1965年式)

北村製作所製ボディを持つキャブオーバー車。カラーからして自家用だと思います。
この写真だとよく見えませんが、ドアが通常より窓1個分前にあるように見えます。

廃車体
DB100C

撮影:左党89号様(大槌町 2004.8.7)

自家用 トヨタDB100C
DB100C

撮影:左党89号様(大槌町 2004.8.7)

北村製作所製ボディのキャブオーバー車。それだけでも今となっては珍しいのですが、シャーシはトヨタ。
茶色に塗られていますが、どうやら1985年に53様が撮影したものと同じもののようです。おでこのあたりには当時の色が残されています。ただ、場所は移動しているようで、周囲の風景は異なります。

廃車体
4R82

撮影:岩手県(2019.7.20)

自家用 日産デ4R82

メトロ窓の前後ドア車。路線バスっぽい仕様ですが、窓下に赤い2本線、車体裾に青色などのカラーデザインから、営業用バスではないようです。
企業か学校の送迎バスでしょうか。
(情報提供:都南村民様、KT100様)

廃車体
4R

撮影:海さん様(角田市 2006.4.16)

自家用 日産デ4R

富士重工R13ボディの観光タイプで、わずかに見えるエンブレムから日産ディーゼルと分かります。場所柄宮城交通の車両かとも思いましたが、方向幕に「花泉町」の文字があり、フロントガラスが2枚なので、自家用バスに分類しました。

廃車体
U30H

撮影:一関市民様(和賀町 2003.9.21)

自家用 日産デU30H
U30H

撮影:一関市民様(和賀町 2003.9.21)

日産ディーゼルの観光タイプの廃車体です。固定窓で一部に窓のない部分があることから,検診車かもしれません。そういう気持ちで見ると,窓の中に横長のカーテンが見えるような気がします。
後部のエンジン通気孔の形状と側窓のサイズから型式をU30Hと推察しました。シャーシは路線バス用です。

廃車体
RA51R

撮影:終点横川目様(花巻市 2007.6.2)

自家用 日産デK-RA51R
RA51R

撮影:終点横川目様(花巻市 2007.6.2)

花巻市内の企業の送迎バスです。富士重工製ボディのセミデッカーです。セミデッカーというのはそれなりのデラックス観光バスとして購入された例が多いので、元はどこかの観光バスかもしれません。
ところでこのボディカラーとマークに見覚えがありました。“その頃”に私が大迫町内で撮影した廃車体と同じです。撮影者によると、同じ企業の送迎バスのようです。

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」という趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”