その後の廃車体

南部バス3(譲受車・富士重工)

南部バスでは、自社発注車は川重車体ですが、譲受車の中には富士重工ボディも見られます。ここでは、富士重工ボディのみをまとめます。

廃車体
BA30

撮影:牧場主様(五戸町 2007.6.23)

南部バス いすゞBA30(1970年式)
BA30

撮影:牧場主様(五戸町 2007.6.23)

富士重工製ボディを持つ車両。系統幕があったり、後面方向幕があったりと譲受車であることが分かります。室内に残る座席のモケットは青色のようです。

廃車体
BU05D

撮影:牧場主様(六戸町 2006.7.16)

南部バス いすゞBU05D(1973年式)
BU05D

撮影:牧場主様(六戸町 2006.7.16)

富士重工3Eボディ最初期のBU05Dです。前輪のフェンダに縁がないことからBU04Dではないことが分かります。
側面方向幕が前ドア次位にあることから元小田急バスです。なお、小田急バスの3Eボディは通常系統幕の左に通気孔がありますが、この車両に関してはそれがありません。

廃車体
BU10

撮影:牧場主様(八戸市 2006.6.4)

南部バス いすゞBU10

富士重工製ボディのBU10です。後面にエンジン通気孔のある1973〜74年式です。ボディメーカーの違いを除くと、八戸営業所の川崎ボディの廃車体と非常によく似た特徴を持っています。つまり、側面方向幕が中ドア上、車掌台窓なし、出入口表示角型、そして正面は系統幕がありません。
川崎と富士の両ボディメーカーがある点でも、元千葉中央バスの可能性があります。

廃車体
BU10D

撮影:ちょご姉様(五戸営業所 2004.9.17)

南部バス いすゞBU10D(1976年式)
BU10D

撮影:ちょご姉様(五戸営業所 2004.9.17)

五戸営業所の構内に集められていた廃車体の1両。正面の系統幕とそのさらに左にある通気孔の特徴は南部バスによくあった元小田急バスとも元川崎鶴見臨港バスともとれますが、側面出入口表示の形態や車両の長さから川崎鶴見臨港バスだと思われます。
年式は、車掌台がなくなっていることから推定しました。

廃車体
BU10

撮影:牧場主様(五戸町 2006.5.12)

南部バス いすゞBU10
BU10

撮影:牧場主様(五戸町 2006.5.12)

富士重工製ボディのBU10で、1978〜80年式と思われます。
前面・後面の方向幕は幅広で、出入口表示が差し込み式であるなど川崎鶴見臨港バスの特徴を持っています。ここまで来ると、メーカーエンブレムは南部バスに来たときの後付であるという想定が成り立ちます。

廃車体
CJM500

撮影:牧場主様(五戸町 2008.5.5)

南部バス いすゞK-CJM500(1980年式)
CJM500

撮影:牧場主様(五戸町 2008.5.5)

キュービックカラーに塗られた富士重工製ボディの廃車体。元川崎鶴見臨港バスで、幅広の方向幕とその脇の3Eボディ独特の通気孔が特徴。転入当時は、数少ない冷房車として重宝されたものと思われます。
現時点では、南部バスの廃車体の中では最も新しい車両です。

廃車体(青22か1151)
BU20EP

撮影:終点横川目様(二戸市 2008.7.13)

南部バス いすゞBU20EP(1970年式)

南部バスの観光バス。富士重工製ですが、おでこのヒサシがないタイプで13Aと呼ばれるそうです。ヒサシがないほうが観光バスとしてはカッコイイと思われていたようです。正面窓上には水切り状の突起があります。
登録番号から考えて1977年頃の登録なので、どこかからの譲受車です。

廃車体
BU20KP

撮影:牧場主様(五戸町 2006.6.25)

南部バス いすゞBU20KP(1973年式)

富士重工製ボディの貸切車。80年代貸切カラーに塗り替えられています。「Nanbu Touring bus」のロゴは廃車時に消されたようです。
正面のグリルが特徴的。どこかの譲受車と推察できます。

廃車体
MS

撮影:牧場主様(六ヶ所村 2006.7.16)

南部バス 三菱MS

富士重工製ボディのセミデッカー。1980年代の南部バス貸切カラーを身にまといますが、斜めのメトロ窓といいセミデッカーといいMS系初期のものと推察できます。譲受車だと思います。
南部バスは路線バスはほとんどいすゞですが、貸切バスには三菱も導入しています。

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80s岩手県のバス“その頃”