その後の廃車体

南部バス2(譲受車)

南部バスも岩手県交通の場合と同じく、廃車体を紐解くことで過去の車両の一面が分かるわけですが、岩手県交通に負けずにどこからの譲受車だかよく分からない車両がたくさんいるようです。なお、多くの廃車体写真を見ているうちに、いすゞのエンブレムは南部バス入りの際に後付けされたのではないかと言うことも分かってきました。

廃車体
BU10

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.12)

南部バス いすゞBU10

中ドアツーマンの丸型BU10です。1964年式くらいでしょう。南部バスオリジナルのツーマン車にしては大型だと思いきや、窓下に明るめの青色が見えており、東武バスから流れてきた車両ではないかと思いましたが、残念ながらメーカーエンブレム付でした。

廃車体
BU10

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.7)

南部バス いすゞBU10

恐らく上の車両と同じ形のBU10です。
川崎の丸型ボディはBU10の場合は雨樋が立席窓の上になります。

廃車体
BA20

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.7)

南部バス いすゞBA20

中ドアツーマンのBA20です。1968年式までの初期のものと思われます。
後面に方向幕があるため、譲受車と推定。側面最後部の塗り分け線は垂直に降りています。

廃車体
BA30

撮影:牧場主様(新郷村 2006.9.9)

南部バス いすゞBA30(1970年式)
BA30

撮影:牧場主様(新郷村 2006.9.9)

中ドアツーマン車に前ドアを増設したと思われる車両。正面は系統幕つき、後面にも方向幕があるため、どこかからの譲受車と想像できます。
年式は推定。

廃車体
BA30

撮影:牧場主様(五戸町 2006.6.25)

南部バス いすゞBA30

中ドアツーマン車。セイフティウィンドウ付で中ドア次位に側面方向幕があります。
このボディスタイルの南部バスは、側面最後部の塗り分けが斜めなのがオリジナル車に多いのですが、セイフティウィンドウ付は譲受車のようです。

廃車体
BA30P

撮影:牧場主様(五戸町 2006.6.25)

南部バス いすゞBA30P(1966年式)
BA30P

撮影:牧場主様(五戸町 2006.6.25)

前中引き戸のワンマンカーなのにエアサス車です。屋根上の標識灯や車掌台窓の形状など特徴のある車両です。見たところサッシの上段も可動窓のようです。
恐らくこれはどこかからの譲受車と思われます。

廃車体
BU05

撮影:ちょご姉様(五戸営業所 2004.9.17)

南部バス いすゞBU05

系統幕つきのツーマン車で、中ドア前位に側面方向幕があるという仕様。この時期のツーマン車というのは、都会では早めに淘汰された可能性があるため記録も少なく、元事業者を推察するには困難を極めます。この廃車体からは薄いブルーの地色が見えていますが、それだけで京浜急行と推察するのも危険です。

廃車体
BU05

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.12)

南部バス いすゞBU05

多分、上の廃車体と同形の中ドアツーマン車。系統幕つきのツーマン車で、中ドア前位に側面方向幕があるという仕様。オリジナルではなさそうな気がします。南部バスというのも奥が深いです。

廃車体
BU20

撮影:牧場主様(六戸町 2006.6.4)

南部バス いすゞBU20
BU20

撮影:牧場主様(六戸町 2006.6.4)

前ドアの長尺車。貸切用途の車両を長距離路線に格下げしたように見えます。最初から南部バスにあっても不思議のない車両ですが、おでこのあたりに覗く旧カラーから元富士急行であることが分かります。
テール灯は内側に寄っていますが高い位置にあります。

廃車体
BU20P

撮影:ちょご姉様(五戸営業所 2004.9.17)

南部バス いすゞBU20P
BU20P

撮影:ちょご姉様(五戸営業所 2004.9.17)

五戸営業所の片隅に集められていた廃車体のうちの1両。長尺のワンマンカーです。長いという以外はこれと言って特徴はありませんが、参考文献によると元遠州鉄道のようです。

廃車体
BU10D

撮影:ちょご姉様(五戸営業所 2004.9.17)

南部バス いすゞBU10D(1973年式)
BU10D

撮影:ちょご姉様(五戸営業所 2004.9.17)

五戸営業所の構内にあった1両。逆ヒンジの前ドアや側面方向幕の位置などの特徴は南部バスによく見られる京浜急行からの譲受車と一致しますが、この車両は元神奈川中央交通ではないかと想像します。一番の理由は黄色が下地から見えている点ですが、正面方向幕が系統幕を一体化した横長であること、側面の出入口表示が幕であることなどもこの年式車の神奈中の特徴を示しています。

廃車体
BU10D

撮影:岩手県交通ファン様(八戸営業所 2004.1.2)

南部バス いすゞBU10D(1973年式)

南部バスのBU10Dの廃車体です。正面方向幕に広幅の枠があるので、1973年式だと思われます。
引き戸で車掌台窓がなく、出入口表示窓の形状にも特徴があるため、千葉中央バスからの譲受車と推察しておきます。南部バスも岩手県交通ほどの派手さはありませんが、早くから譲受車による車両代替を進めていた会社です。

廃車体
BU10

撮影:岩手県交通ファン様(下田町 2002.8)

南部バス いすゞBU10

南部バスのBU10の廃車体です。側面方向幕は中ドア次位にあり、系統幕付です。仕様変更後の千葉中央バスと想像しますが、いすゞのエンブレムが疑問点として残ります。
年式は1973〜74年式です。

廃車体
BU10

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.12)

南部バス いすゞBU10
BU10

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.12)

これもまた同様に前歴を想像するのが容易なようで難しい車両。この手のBU10で側面方向幕を前ドア次位に配置するとハーフ窓が2つ目に入れ替わります。中ドアの窓に注意書きがあり、出入口表示が差し込み式であるなど川崎鶴見臨港バス風なのですが、メーカーエンブレム付です。ほかには屋根上のベンチレーターが薄型であると言う特徴もあります。塗装の下からは明るいブルーが見えます。
リアの通気孔がないので1975〜77年式。

廃車体
BU10

撮影:牧場主様(八戸市 2006.9.9)

南部バス いすゞBU10

上の車両と同形車と思われる譲受車。
ただ、色が80年代カラー(キュービック・カラー)に塗り替えられているように見えます。さらに前後の方向幕周りが黒く塗られています。前ドアの窓が小さいこの年式だと旧カラーで転入しているはずですが、後に塗り替えが行われたのでしょうか。

廃車体
BU04

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.12)

南部バス いすゞBU04
BU04

撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.12)

こちらは短尺車のBU04です。車掌台がないことに加え、中ドアの窓に細かい注意書きがあるあたりは元川崎鶴見臨港バスではないかと思うのですが、やはりメーカーエンブレム付という疑問点が残ります。
1975〜76年式と思われます。

廃車体
BU10

撮影:牧場主様(新郷村 2006.9.9)

南部バス いすゞBU10(1980年式)

微妙に幅の広い系統幕が特徴の京浜急行からの譲受車。最終期のBUで、正面が曲面ガラスで折り戸の窓が通しガラスになっています。
南部バス入りが遅かったため、キュービック・カラーになっています。緑と青のラインは廃車になってから加えられたものです。

廃車体(八戸22か314)
ECM430

撮影:終点横川目様(田子町 2008.7.13)

南部バス いすゞK-ECM430
ECM430

撮影:終点横川目様(田子町 2008.7.13)

珍しいナローボディの9m車。いすゞがBA系の時代から作り続けてきましたが、さすがにこのECM系の時代には中型車の普及で数を減らしていました。
この車両は正面方向幕の特徴から元京浜急行。通常より若干幅の広い系統幕を持つため、幕周り全体を突起させているところが後の大型方向幕車に似ています。
京浜急行時代は神奈川県内の狭隘路線に使用されていたようですが、南部バスではどのような用途で使われていたのでしょうか。
(注1)

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1) N様によりますと、この車両は五戸営業所に所属し、主に五戸駅〜上市川〜張田〜八戸駅間をメインに走っていたとのことです。
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80s岩手県のバス“その頃”