その後の廃車体(宮城県)

国鉄バス

宮城県にある国鉄バスの廃車体です。
岩手県と同じ東北自動車部に属し、いすゞ車と日野車が主体でした。車両面では、岩手県、青森県の営業所との相互配転も多く見られました。

廃車体
RE100

撮影:海さん様(丸森町 2006.4.16)

日本国有鉄道 日野RE100

帝国ボディの日野車で、フェンダに縁があるので1973〜76年式のRE100と思われます。ドア側は車内を通してしか見えませんが、前中折り戸のようです。

廃車体
RE100

撮影:左党89号様(大崎市 2006.8.12)

日本国有鉄道 日野RE100(1976年式)

撮影者が読み取った車番は537-6010。そのものの車両は確認していませんが、連番で相当数が岩手県内にも配属されていました。前中折り戸の車両です。
(撮影者によると、2012年現在撤去済み)

廃車体
BU20P

撮影:一関市民様(宮城県 2007.4.21)

日本国有鉄道 いすゞBU20P(1972年式)
BU20P

撮影:一関市民様(宮城県 2007.4.21)

国鉄バスの富士重工製ボディ。車番は631-2904です。
側面にJNRマークがつく長距離用カラーなので前ドア車だと思われます。ある程度の中長距離路線に使用されていたものでしょう。

廃車体
BU10

撮影:山電様(古川市 2006.4.26)

日本国有鉄道 いすゞBU10(1970年式)
BU10

撮影:左党89号様(古川市 2005.3.5)

川崎ボディの国鉄バス。
ドア側からの画像を頂いたことで、前中引き戸のワンマンカーであることが分かりました。国鉄バスの初期のワンマンカーは、このように系統幕付、中ドア引き戸、側面方向幕が中ドア前、後面方向幕付という仕様になっていたようです。
ドア側の撮影者により、車番が531-0032であることが判明しました。
(一関市民様によると、2009年4月現在撤去済み)

廃車体
BR351P

撮影:海さん様(仙台市 2005.12.4)

日本国有鉄道 いすゞBR351P(1961年式)
BR351P

撮影:海さん様(仙台市 2005.12.4)

帝国ボディの旧塗装車。車番が431-1632とありますので、いすゞの9mサイズの車両です。最初に頂いたのが「タラの芽」に覆われていた写真でしたが、冬になって姿を現すと、予想通りBR351サイズ。ただ、ボディにエアサスのプレートがあったのでBR351Pでしょう。
帝国ボディの1959年からのこのスタイルは、いすゞ車に架装する場合、後面が2枚窓になるようです。
なお、窓ガラスに「10月1日国鉄ダイヤ全面改正」のシールが貼られており、恐らく1968(昭和43)年の「よん・さん・とお」のときのものだと思われます。
(撤去済み)

廃車体
BU10P

撮影:左党89号様(宮城県 2005.3.27)

日本国有鉄道 いすゞBU10P(1972年式)
BU10P

撮影:左党89号様(宮城県 2005.3.27)

帝国ボディのツーマン専用車。中ドアの窓が中央に寄っているように見えますが、これはドアが広幅だからです。
型式と年式は、参考文献に載っている同型車から推察しました。

廃車体
BU10

撮影:海さん様(栗原市 2005.8.14)

日本国有鉄道 いすゞBU10(1972年式)

帝国ボディのバス窓のいすゞ車。車番は531-2034と読めます。
フロントオーバーハングの短い初期型ですが、帝国ボディでは長くこのスタイルを作り続けたため、古さがあまり分かりません。あえて言えば五角形のウィンカーが時代を感じさせます。
(一関市民様によると、2009年7月現在撤去済み)

廃車体
BU10

撮影:左党89号様(宮城県 2005.6.26)

日本国有鉄道 いすゞBU10(1975年式)

帝国ボディのいすゞ車で、窓配置は、帝国ボディのBU10の標準的なものですが、側面方向幕が中ドア後ろのスタンディーウィンドウのところにあります。
一関市民様によると車番は521-5006と読めるようです。

廃車体
CLM500

撮影:左党89号様(宮城県 2004.3.27)

JRバス東北 いすゞK-CLM500(1980年式)

日野車体のいすゞ車の廃車体。
撮影者によると現役時代の車番は531-0003
撮影者の手持ちの資料によると,この車両は1993年現在では十和田南営業所の所属で,翌年までには廃車になっているとのこと。廃車になってから岩手県を縦断してこの場所に来たのか,それとも最後に一関辺りに転じて廃車になったのか。

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80s岩手県のバス“その頃”