その後の廃車体
青森県(その他)
ここでは、青森県内で見られたその他の廃車体をまとめます。なお、一部に青森県のバス事業者のもので隣接県に存在した廃車体もあります。廃車体
撮影:左党89号様(鶴田町 2007.5.19)
弘南バス 日野RB10(1966年式)
撮影:左党89号様(鶴田町 2007.5.19)
弘南バスのカラーが正面に残る廃車体です。正面窓にヒサシがつくのが特徴。車内に車番の一部「5668-」が見えるそうです。当時の弘南バスの車番のつけ方はよく分からないのですが、最初の5はメーカーを、2番目の6は西暦年式の下1桁を表しているようです。
また後部窓に「第32回国体」に関するステッカーがあるとのこと。撮影者によるとこれは1977年の「あすなろ国体」を示すので、1977年ごろまでは使用されていたと言うことのようです。
廃車体
撮影:一関市民様(五所川原市 2013.5.5)
弘南バス 三菱MR410(1970年式)
撮影:一関市民様(五所川原市 2013.5.5)
閉鎖になった弘南バス金木案内所近くにあるという廃車体。
ドアは外れ、車内は雑然とした物置状態ですが、一旦上塗りした色がはがれたためか、鮮やかな弘南バスカラーがしっかりと現れています。車番は3013-8と読めます。
廃車体
撮影:牧場主様(八戸市 2006.5.12)
下北バス 三菱MAR470
富士重工製ボディを持つ三菱車。メトロ窓の観光タイプは、側面最後部の窓がなぜか丸いままでした。
廃車体
撮影:一関市民様(前沢町 2003.11.8)
下北交通 三菱MS513R
下北交通の貸切車の廃車体。B35フルデッカーのようです。
1984年導入のエアロバスで採用された貸切の新カラーで,エアロバスのカタログカラーにヒントを得た感じのデザインです。側窓は傾斜しており,どこかからの譲受車です。
なお,前面がかなり損傷しているため,後ろからの画像だけを掲載します。型式は推定。
廃車体
撮影:牧場主様(階上町 2006.5.7)
西武バス 三菱MAR470
三菱ボディの視野拡大窓の貸切車。1960年代中盤に帝国ボディを中心に視野拡大窓が採用されましたが、三菱ボディでも同様のものが作られていました。4枚ガラスのGM風スタイルで、ヒサシの形状などに三菱の独自性が見られます。
色は東京の西武バスによく似ており、自家用に払い下げられた後、この廃車体になったようです。
型式は推定です。
廃車体
撮影:牧場主様(八戸市 2006.6.4)
自家用 日野RD100
ヒサシつきボディに前照灯2灯と言うのは9mサイズの日野RDの特徴。非常口も中央部にあるなど、旧型の特徴を引き継いでいます。
廃車体
撮影:海さん様(八戸市 2005.10.2)
三八五交通 いすゞBX
撮影:海さん様(八戸市 2005.10.2)
ボンネット部分が欠落している割にはボディのコンディションは悪くないボンネットバス。方向幕にも「鳥舌内」の地名が残っています。これは後の名川町(2006年南部町に合併)にある地名のようです。
安全車体のボディスタイルですが、川崎航空機製の銘板があるそうです。安全車体は1964年に川崎から技術提携を受けたものの、1968年には川崎に完全移管しています。その間の製造かも知れません。
なお、三八五交通は1970年に路線バス事業を南部バスに譲渡しています。
廃車体
撮影:海さん様(八戸市 2005.8.7)
前歴不詳 いすゞBX95
ボンネットの形状からいすゞのボンネットバスのようですが、車体はボディプレートから呉羽車体だそうです。呉羽のボンネットバスというのは現存の情報がないのはもちろん、過去の写真もあまり目にしたことがありません。
カラーデザインは赤い線の上に青を塗ったように見えます。
撮影者が所有者から聞き込んだところ、年式は1954年ごろだそうです。型式は推定です。
廃車体
撮影:牧場主様(十和田市 2008.5.3)
自家用 トヨタライトバス
1960年代中頃のトヨタライトバスの廃車体。グリル周辺の形状にはバリエーションがあるようですが、多分このスタイルはタイプ中期の1966〜67年式くらいと思われます。