岩手県のバス“その前”

岩手県のバスには、様々な譲受車両がありますが、その前身が分かる写真を頂きました。

元国際興業

埼22い1159
BU04

撮影:53様(大宮駅 1984.8.11)

国際興業 いすゞBU04(1974年式)
BU04

撮影:53様(大宮駅 1984.8.11)

国際興業の初期型BU04です。岩手県交通には大量に転入してきていたタイプ。
車番は3263。「廃バス探索隊」あそびにん様にお教えいただいた旧番の中には見当たらないので、もしかすると秋北バスへ行ってしまう事になる車両なのかもしれません。1番違いの車両は、1986年に岩手県交通に転入しています。

岩22か2319

岩手県交通には、1984年から国際興業のBU04のすべての年式が継続的に転入してきました。写真はその中では最初期の非冷房車。1986年には、1973年式と1974年式の両方が入ってきましたが、写真は1973年式。
あそびにん様によると、国際興業時代の登録番号は埼22い848とのこと。

岩手県交通 いすゞBU04(1973年式)
BU04

撮影:滝沢営業所(1986.6.8)

大宮22か377
BU04

撮影:53様(大宮駅 1984.8.11)

国際興業 いすゞBU04(1978年式)
BU04

撮影:53様(大宮駅 1984.8.11)

BU04の中では後期型に属する車両。サブエンジン冷房車で、撮影時にはまだ新らしめな感じに見えたのではないでしょうか。
車番は5052。「廃バス探索隊」あそびにん様によると、この車両は1991年に岩手県交通へ転入し、岩手22き518になったとのこと。

留置車

この写真は、同じ53様が1991年8月に矢巾営業所で撮影したもの。同じ国際興業の5052が岩手県に譲渡されてきて、整備を待っている姿です。

元国際興業 いすゞBU04(1980年式)
BU04

撮影:53様(矢巾営業所 1991.8)

岩手22き759

国際興業のBU04の中では最終年式のサブエンジン冷房車。1993年に岩手ナンバーで登録されています。
側面の方向幕は中ドア次位にあります。

岩手県交通 いすゞBU04(1980年式)
BU04

撮影:53様(一関営業所 2004.8.18)

国際興業
BU20KP

撮影:板橋不二男様(皇居前駐車場 1977.3.9)

岩手県交通 いすゞBU20KP(1972年式)
BU20KP

撮影:盛岡バスセンター(1988.1.31)

国際興業のオバQで岩手県交通に譲渡されてきたのは、最終期の1972年式BU20KPのうち5両です。「消え行く名車オバQバス」(日本バス友の会1987)によると、この年式は20両が存在したようなので、岩手県交通に来たのはその一部です。
写真の車両の登録番号は神戸22か424・428で車番は287と読めます。隣り合っている1973年式と車番が近いので、1972年式と推定しました。

国際興業 いすゞBU15P
BU15P

撮影:板橋不二男様(横浜営業所 1976頃)

こちらも国際興業のオバQですが、屋根上のベンチレーターの形状が異なるので、1966〜68年式のBU15Pと推察します。車番は、奥が1017、手前が772です。これらが廃車になる頃、ちょうど岩手県交通が成立するなどのゴタゴタした時期だったと思いますが、岩手県に来たという話は聞きません。
また、国際興業では、この後の1970〜71年式は高速用シャーシのBH20Pになりますので、それも汎用性の面から譲受しにくかったと思います。

京浜急行

京浜急行 日野RB10(1966年式)
RB10

撮影:板橋不二男様(逗子営業所 1977.1.2)

岩手県交通 日野RB10(1966年式)
RB10

撮影:一ノ関駅(1984.6.24)

京浜急行の日野RB10は、1976〜77年頃に岩手県交通に来ています。正面の系統幕が横長なのと、前ドアが逆ヒンジなのが特徴です。もっとも、神奈川中央交通からの譲渡車も同じ特徴を持っているので、外観から両者を区別するのは困難です。
京浜急行時代の写真の車番は3625です。この車両そのものが岩手県交通に来たのかどうかは分かりません。

京浜急行 いすゞBU10D
BU10D

撮影:53様(鎌倉駅 1982)

岩手県交通 いすゞBU10D(1972年式)
BU10D

撮影:盛岡市(1984.10.10)

京浜急行のいすゞBU10Dの写真です。富士重工3Eボディの最初期のもので、出入口表示が表示板になっているなど、岩手県交通に来た2両と同型車です。京浜急行での車番はC1248と読めます。
岩手県交通での登録は1982年初頭と見られますので、別の車両かもしれませんが、同形車を並べてみました。

はとバス

はとバス いすゞBU20KP
BU20KP

撮影:53様(渋谷駅 1983.11.3)

岩手県交通 いすゞBU20KP(1973年式)
BU20KP

撮影:雫石営業所(1987.6.7)

はとバスからの譲受車は、1981年に2両、1982年に5両が岩手県交通にやってきましたが、その1982年分が73SCと呼ばれるこのボディスタイルです。新幹線開業の年でもあり、一関〜気仙沼間の「新幹線リレー特急」に投入されたほか、花巻空港連絡バスでTDAカラーに塗られた車両もありました。
側窓下のモールが特徴です。

はとバス いすゞCRA650
CRA650

撮影:53様(湘南海岸 1982.7)

岩手県交通 いすゞCRA650(1977年式)
CRA650

撮影:盛岡駅(1987.5.27)

はとバスのハイデッカーⅡ型。窓の開くほうのバージョンです。1987年に岩手県交通に転入し空港特急カラーとなった3両と同型です。岩手県交通での岩22か2450は、「廃バス探索隊」あそびにん様によるとはとバス時代は品川22か1411だったとのこと。はとバスの写真の品川22か1416とは同期です。
気になるのは窓下のモール。岩手に来た車両には全部付いていたのですが、はとバスの写真にはありません。いつ付けたんでしょうか。

その他

横浜市交通局 日野RE100
RE100

撮影:53様(港南台駅 1982)

岩手県交通 日野RE100(1968年式)
RE100

撮影:一関市厳美渓(1984.12.2)

横浜市交通局の日野RE100の写真です。撮影が1982年なので,1978年に岩手県に来ている「岩22か1120」とは違う車両ですが,外観はほとんど同じです。

富士急行 いすゞBU20KP
BU20KP

撮影:53様(横浜市 1983)

岩手県交通 いすゞBU20KP(1971年式)
BU20KP

撮影:都南車庫(1986.4.30)

1977年に富士急行から3両、大富士開発から2両のBU20KPが岩手県交通に譲渡されています。冷房車を6年で手放した理由はよく分かりませんが、岩手県交通では大船渡と盛岡を結ぶ急行バスに活用されたようです。
これとほぼ同年式の同形車が、富士急行で1980年代まで使用されていたようで、廃車になったばかりの写真を53様が撮影していました。富士急で最後まで使用された車両と、岩手県交通に譲渡された車両との違いは分かりません。
なお、岩手急行バスにも同時期に同形車が譲渡されていました。

常磐交通 いすゞBU05
BU05

撮影:板橋不二男様(1977.8.4)

岩手県交通 いすゞBU05(1967年式)
BU05

撮影:釜石営業所(1985.8.10)

1977年に福島県の常磐交通から5両ほどの北村製作所製ボディを譲受しています。この時期、地理的に隣接する茨城県からも、日立電鉄、茨城オート、関東鉄道などから譲受しており、岩手県交通成立直後の車両体質の改善とワンマン化に寄与したものと思います。

東京ヤサカ観光 いすゞCRA580(1979年式)
CRA580

撮影:53様(湘南海岸 1984.4)

岩手観光バス いすゞCRA580(1978年式)
CRA580

撮影:盛岡営業所(1987.5.28)

東京ヤサカ観光のパノラマデッカー。「廃バス探索隊」あそびにん様からのご教示によると、1987年に岩手観光バスに転入して岩22か2438となった車両。スキー扉は付かない1979年式です。
一方、右は岩手観光に転入した1978年式で、スキー扉が付いています。岩手県交通への転入車では残っていた「パノラマジェット」の切文字は、岩手観光バスでは撤去されていました。

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