1970年代奥の細道

岩手県交通6(元中央バス・譲受車)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手県交通の写真を掲載します。
ここでは、元岩手中央バスの車両の中から岩手中央バスが他社から譲受した車をまとめます。
なお、岩手ナンバーでの登録順に並べます。

岩2く462
岩2く462

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

岩手県交通 いすゞBA20(1968年式)

岩手中央バスが国際興業系列下に入った1970年に、9両がまとめて投入された譲受車。前ドアの短尺車で、製造後2〜3年しか経っていない車両です。
前ドア車ということで、雫石営業所に揃って配置されていたようで、この時も鶯宿温泉線に使われています。もっとも、車齢10年程度で1978年にはほとんどが廃車されてしまったようです。

岩22か212
岩22か212

撮影:板橋不二男様(高松の池口 1977)

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)

1972年に岩手中央バスが国際興業から譲受したワンマンカーです。製造後7年の車両ですので、国際興業がグループ支援の意味もあって大量に譲渡したものと想像できます。
この写真を見ると、前ドアから乗車しています。この時期の盛岡地区のワンマンカーは、前乗りだったようです。

岩22か229
岩22か229

撮影:板橋不二男様(盛岡営業所 1977.7.14)

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)

やはり元国際興業の丸形BU10。この時期に岩手中央バスに譲渡された同形車は、これまでの情報をまとめると、1971年に14両、1972年に19両に上ります。

岩22か246
岩22か246

撮影:板橋不二男様(花巻駅 1977.3.20)

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)

元国際興業の丸形BU10は、花巻地区にも配置されています。譲受から5年を経て、塗装に痛みが見えだした頃です。
方向幕に「志戸平温泉」と出ています。花巻温泉電車鉛線の代替路線で、湯口線と呼ばれている路線です。
窓の中にはワンマン表示が見えます。

岩22か423
岩22か423

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1979頃)

岩手県交通 いすゞBU10(1966年式)

引き続き1973年には、モデルチェンジ後の1966年式BU10が国際興業から転入しています。これまでの情報をまとめると、その両数は30両に上ります。
製造後7年で、つい前年まで新造されていたものと同じスタイルの中古車両は、お客様だけでなく乗務員らにとっても新車同然だったのではないかと想像します。

岩手県交通 いすゞBA741(1964年式)
岩22か603

撮影:板橋不二男様(盛岡営業所 1977.7.14)

岩22か603

1975年には、元国際興業からBA741が入ります。これまでの情報をまとめると30両が転入しています。
この型式は製造後11年を経ていますので、国際興業で順当に廃車の順番が来た車両だと思われます。
また、この時から、国際興業カラーのまま塗り替えずに転入しています。塗り替え費用の削減策かと思われますが、この後国際興業からの転入車は1978年頃までこのような状態で配置されます。

岩22か841
岩22か841

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式)

1976年になると、今度は国際興業で人生を全うした丸形BU10がやってきました。そして、この時の譲受車は国際興業カラーのままで就役しています。岩手県交通成立後の1976年に21両が登録されています。
国際興業時代の車番2107が残ります。
せっかくの大型ワンマンカーですが、ツーマンとして使われています。

岩22か1324・148・1044
岩22か044

撮影:板橋不二男様(花巻営業所 1979頃)

岩手県交通 いすゞBU10(1965年式・1966年式)

岩手県交通成立後の譲受車も含みますが、元国際興業なので、この流れで掲載します。
中央は1971年の譲受車で、岩手中央バスカラー。
次には岩手県交通成立後の1977年の譲受車で、県交通カラーに塗り替えられています。
面白いのはの国際興業カラーで、これより後の1979年に就役しているにもかかわらず、国際興業カラーのままです。
傾向としては、盛岡地区は国際興業カラーのまま、それ以外の地区は県交通カラーに塗り替えて投入しており、これらの車両は地域間移動をしているのかもしれません。

岩22か365
岩22か365

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1982頃)

岩手県交通 日野RC300P(1969年式)

1973年に登録されたオバQで、国際興業カラーに塗られ、長距離路線に使われています。
同じ時期に、いすゞ3両、日野2両がほぼ同仕様で転入しており、出元は東京タワー観光ではないかと思います(注1)。いずれの車両も社名表示窓は使われず、行き先表示板入れを上に増設しています。
この車両は「急行小岩井・網張経由雫石駅行」で、側面には雫石駅を大きく表示していますが、雫石駅に行くにはかなり遠回りになります。

岩22か366
岩22か366

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1978)

岩手県交通 いすゞBU15EP(1969年式)

1973年に登録されたオバQで、上の365と同型ですがいすゞ車。側面の紺色帯の所に、車番を入れるスペースが確保されています。
この車両は「急行雫石営業所経由盛岡バスセンター」と表示されており、側面には「網張」の文字が見えます。盛岡〜雫石〜網張間の急行バスがあったようです。

(注1) 岩手中央バスでは、1973年に同じ特徴を持つオバQを5両譲受している。1968〜69年式でいすゞ3両と日野2両。日本バス友の会(1987)「消行く名車オバQバス」の巻末表を見ると、この条件を満たす事業者は東京タワー観光だけ。
東京タワー観光というのはどういう会社かというと、1969年に国際興業傘下になり、1972年に国際興業に合併されている。(国際興業(1990)「国際興業五十年史」P.218)
上記のような流れから見て、国際興業が東京タワー観光からの引き継ぎ車両を、グループ会社に放出することはあり得る話だと思われる。
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80s岩手県のバス“その頃”